砂漠に咲く道2
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見渡す限りの荒野だ。
あるものは灰色の砂の山。建物らしきものも目には映るが、屋根や壁に亀裂や穴が空いているその建物は、遠くから見ても人が使っているようには到底思えない。
人の住めない土地。
私は城壁の上から、その景色を眉の上に手を当てて遠くまで眺める。
ここはパナギオティス領のパナギオティス城。
華やかな帝都から真西の場所に位置し、現在帝国で人が住んでいる最西端だ。とはいっても帝国の南北に行けばここより西側には人は住んでいる。つまりは、帝国の上下中央に位置する西側が著しく砂漠化している状態なのだ。
ここから西をキツキは目指すらしいが、その理由を私は知らない。
けれども、事の発端はシキが大貴族院で発言した「スライムが人を移動させた」という言葉を証明するためにキツキが動いているのは分かる。それを実行するために私を「手伝え」の一言で帝都から200km離れたこの砂漠地帯まで三日かけて連れてきたのだ。
しかも馬車ではなく、キツキの馬に乗ってだ。馬車の移動では時間がかかるからとシキの丁寧で乗り心地の良かった馬とは違い、キツキの遠慮のない馬術のせいで私のお尻は既に痛いのだが、今日から本番だとキツキは言う。
城には私たちとは別に帝城から派遣された“管理者”と呼ばれる人達がそれぞれの部下を伴って既に城に到着していた。
一人は“イリヤ・ソマレイ”。
今後の私達の宿泊する場所を管理する人だ。
もう一人は“ヘイブ・ロベール”。
キツキがこれから始める仕事の管理者だと言う。
二人とも三十代ぐらいの平均的な体型の男性だった。
キツキは会うや否や、彼らの腰のベルトにつけている金色に光る飾りを確認した後、私に彼らを紹介をすると、キツキは早速彼らと話を始めた。
城の一角には、私達よりも数日早く出発させた荷物を乗せた馬車が数台到着していた。そのうちの一つに人を乗せる馬車もあり、今回は着替えなどの荷物を運んできたようだけど、キツキ達のように特に前準備も無く、そう忙しかったわけではない私は、この馬車に乗って先に来れば私のお尻は死ななかったのにと軽く睨むと同時に文句を呟く。
それ意外にも荷台の上に茶色の丸みを帯びたテントのような幌がついた幌馬車が三台。幌の左右にはリトスの家紋が白色でくり抜かれたように描かれていた。
「いつの間にこんなの準備したの?」
「お前が寝ている間だ」
話終わったのか、驚いていた私の真後ろに立っていたキツキは私を見下しながらそう言う。どうせエルディさんにやらせたんでしょうにと、こっちも軽く睨んでやった。
「ついでに答えてやるが、馬車で行かせなかったのはお前だけを先に行かせて何かあったら俺の身が危険なんだよ」
「そんなに危険な旅だったの?」
「ああ、黒い悪魔に滅せられる」
そんなキツキの言葉に、魔物が出現するような場所があったのだろうかと私は目を上にして考え込んだ。
じゃあ行くかと、キツキの声で私達の一行は進み出した。
城から城下町、それから西の城門を超えてしばらく西へ進むと一行は止まった。
私は押し込められた幌馬車のカーテンから顔を覗かす。
キツキの向こう側に見えるそこは城壁から見た通りで、街から少し離れても、やっぱり目の前は砂漠とまではいかない荒野が広がる。その中には人が住んでいたのであろう形跡が点々と見え、足元には道らしきものが所々残っている程度だ。
「ではリトス侯爵、我々はこの先へ参ります」
「ああ、よろしく頼む。イリヤ」
イリヤさんの宿泊管理隊である幌馬車と数頭の馬だけは、そのまま荒野の先へと進んで行った。
一方、私が乗った幌馬車は止まったままで、ヘイブさんの部下達が降りるのを見た私も彼らに倣って一緒に降ると、キツキの横へ行く。
「ここから先はもう人が住んでいないそうだ」
馬から降りたキツキは細い目で荒野を見つめる。
エルディさんは幌馬車の中から身長の半分程の巻かれた紙を一巻持ち出すと、それを広げてキツキに渡す。中はどうやらこの辺りの地図のようだった。
「で、どうするの?」
キツキに問いかける。
「道を作るんだ」
「道?」
道を作ると言われてもピンッとこない。
私は理解が出来ずにキツキの顔を訝しげに見ていると、まあ見てろとキツキは言う。
エルディさんと地図を指さししながら話をしていたかと思うと、砂利道の上に立ったキツキは手を大きく振る。
キツキの目の前に二本の幅広い石の道が、先が見えない程に遠くまで真っ直ぐに伸びる。それぞれの石道の幅は大きめの馬車より大きく、その二本の石道の間には何故か大人が二人並べるほどの隙間が空いていた。
「ねえ、出す魔素が大きすぎない? 倒れない?」
「そう厚くはしてないから魔素の量はそうでもない」
「何で真ん中が空いているの?」
「早馬や急ぎの馬を走らせる為の道だ。後で少し硬い土で埋める」
早馬? 急ぎの馬?
「この大きさの道をずっと作るの?」
「そうだ」
「何処まで?」
「海が見えるまでだ」
海……。
そんなところまで行けるのだろうか。リトス邸のキツキの執務室にあった帝国の地図を見たけれど、東側とは違い西側の海は帝都から遥か遠くにあった気がする。
考え事をしている私を他所に、キツキは石道の外側に向かってもう一度手を振ると、こちらも大人二人程の幅の土の道が石道に沿うように出来上がる。
キツキがその土道の上に手をかざすと、下から天辺が大きく窪んだ岩の塊がザリザリと音を立てながら出現したかと思えば、キツキの腰の辺りで止まる。今度はキツキは腰に付けたポーチから小さな魔石を手に持ち出して握り締めると、それを先程の岩の塊の窪みの上に置き、魔石に小さな魔力を飛ばす。
何をしているのかと見ていると、魔石からはゆっくりと水が溢れてきた。
しばらくするとその水は窪みに溜まり、一定量を越えると水は岩を伝って土の上に滴り落ちていく。
どうやらキツキが作っていたのは小さな噴水のようだった。
「あれ、叩かなくても魔石から魔素が取り出せるの?」
「シキさんから魔法を魔石に入れたときには魔力で反応させるという話を聞いて、試してみたんだ。魔素でも出来るようだな」
「へえ」
ヘイブさん達に水が流れるように土の外側に溝を引くようキツキは指示を出すと、ヘイブさん達が作業を開始する様子を横目に見ながら、噴水から一定の距離を取ったキツキは再び手を下に向けた。今度は何をするのかと見ていると、土からにょきにょきっと木の芽が出て来たかと思えば一瞬でキツキの身長を超えるまでに成長する。それを見て満足すると、キツキはまた一定の距離を空けてから同じような大きさの木を作っていった。
私は呆気に取られつつもキツキの後を追う。
「ヒカリ、お前も手伝え。このぐらいの間隔を空けて木を作り出せ。俺は反対側の土を作ったら、エルディを連れてこの先の道と噴水を作ってくる」
「ねえ! なんで噴水を作っているの?」
キツキを呼び止めるように話しかけると、反対側の道に行こうとしたキツキは私に向いた。
「お前、大量の砂が風で飛んで来たらどこで目と口を洗うんだよ」
なるほど。きっとそれは最悪なのだろう。
ついでに木に水が行き渡るとキツキは笑った目をして言うと、そのまま向かいの道へ行ってしまった。
……木と水。
キツキはここに道と緑を作る気なのだろうか。
私は荒野と砂しか見えない西側を見つめた。
太陽が高くなった頃、起点からだいぶ離れた場所まで来ていた。宿泊しているお城は遠く小さく見え、それはある種の達成感のようにも感じられた。私はキツキに言われるがまま、ずっと木の苗を作り続けていた。なんだか放置されている気もしなくはない。
私に地魔素が無いわけではないが、このサイズの木を作り続けるのはだいぶしんどい。
キツキが午前の分の作業を終えた様子で、馬に乗りながらエルディさんと護衛の四人と戻ってきたが、私の午前の成果を見るとキツキの顔は曇る。
「おい、ヒカリ。もっとポンポン作ってくれ。この速度じゃ終わらないだろう」
「私はキツキほど地魔素を持っていないから、これ以上無理したら倒れますよ!」
私は血の気の引いた青くなった顔でそう言うと、キツキは何かに気がついたような顔をする。双子といえど二人の持っている魔素量がそれぞれ属性ごとに違うという事実を忘れていたな?
キツキは仕方ないなと言うと、私に手を向け自分の地魔素を私に飛ばしてきた。光の玉のようになって飛ばされてきた地魔素はたちまち私の体に溶けるように入り込む。
……ぐっ、最悪だ。何が何でもキツキは私を働かせるつもりなのだと確信する。
これは魔素の“交換”でも“吸魔”でもない。
キツキ特有の“配魔”の能力だ。
私の魔素や魔力を吸い取る吸魔の能力に対して、キツキは自分の魔素や魔力を他の人に分け与えることが出来る能力を持っている。
地魔素を配魔してきたという事は、すなわち自分の代わりに「働け」と言っているのと同義でもある。
それでもさっきよりかは容易に木を生み出せるようになった。それを見てやっぱり私はここで使いに使われる運命なのだと再確信した。
昼には一度城に戻り、領主が準備しておいてくれた湯で砂を洗い流した。着ていた服からは砂が零れ落ち、お風呂では気持ち悪いほどに髪からも体からも砂は流れ落ちた。それを見ると何故この地から人が逃げてしまったのか私は少しだけ理解した。水の少ないここでは昼から湯に入れるなんて贅沢な事で、大量に水を使う洗濯だって贅沢な事なのだ。ここは領主のお城で水は優遇されているのだろうけれど、平民の人達はそれが満足に出来なくなってきたのだろう。
水もない、緑もない。
湯に浸かりながら朝に見た荒野にまばらに残っていた枯れ果てたような建物を思い出していた。
昼食時には向かいに座っていたキツキから沢山食べておけと言われたのだが、その言葉が不気味だ。どうやら午前以上の事を私にやらせるらしい。
キツキは珍しくも領主と歓談しながら食事をする。キツキは人のご機嫌伺いはしない性格なのだが、急に大勢でやってきて、少ないであろう水や食料を惜しみなく使ってもらっている負い目なのだろうか、いつもは私を小馬鹿にする時ぐらいしか笑わないキツキが、領主相手に笑顔で会話をしていた。小柄で少し丸みのある人の良さそうな領主さんは、とても嬉しそうな顔で食事をしている。
お尻が痛いだけの個人的な恨みで睨む子供な私とは違い、なんだかキツキが急に大人になったかのように見えた。
午後はもう一台の幌馬車も従えて出発する。
私たちが乗っている馬車とは違い、中にはビッシリと道具らしきものが入っていた。台の半分は何やら長い金属でできた太い棒が。それとパンパンになっている麻袋や木箱が数個載せられている。
現地に着くと、キツキは最後尾である先程の馬車の荷台からゴソゴソと探し物をしていたかと思えば、重そうな麻袋を持ってやってきた。とは言ってもキツキが片手で運べるほどの重さの物だ。
「ヒカリ、お前はこれを先にやってくれ」
キツキは軽々と私にその麻袋を手渡す。私は両手で受け止めたがずしっと重い。両手でも重い。
袋を開けると、細々とした魔石が満遍なく入っていた。
何だこれは。
「これに入るだけ火魔素を入れてくれ」
「これ、全部?」
「まずは半分だ。出来たものからヘイブに渡してくれ。どこでも座りながら出来る作業だろう、文句を言うな」
キツキはそう言って私が乗ってきた幌馬車の荷台の後部にある少し低い踏み台を指さす。そこに座りながらやっていろって意味だろう。しぶしぶと踏み台に腰をかけると、細かい魔石を目の前に顔を顰める。
正直言って面倒臭い。だって袋に入っている魔石の数は二十、三十ではないのは確かだ。
……まあ、キツキの説明を受けるに、とにかく火魔素が入れば良いのよね?
私は数個の魔石を取り出し、手の平の上で握ると一気に魔素を入れていく。
「おい、ちゃんと入れろよ」
私の様子を見ていたキツキに睨まれる。さっそくバレているがこんな事では楽は止めません。入っているわよと言い返すと、キツキは信じていないのか不機嫌な顔を返してくるので、私は立ち上がって馬車から離れると、魔素を入れた魔石を一つ指で摘んで思いっきり魔力を当てる。魔石からは天まで登りそうな細い炎の柱が上がった。
「ほら、入っているでしょ?」
キツキに笑顔で向いた瞬間、頭上から滝が落ちてきた。首の骨が折れそうなあの懐かしい感覚だ。
「おい、余計な魔素を使わせるなよ」
キツキの顔は冷静かつ冷ややかな目だ。
真冬に頭からずぶ濡れになった妹を見て言うことはそれだけだろうか。スライム皮の外套のおかげで服は一部しか濡れることはなかったけれど、私はくしゃみをしながら火魔素と風魔素を周囲に侍らせると濡れた頭と体を乾かした。
私の魔素も無駄に使わせないで欲しいものだ。
火魔素を入れた魔石の袋が少し溜まってきたのでヘイブさんに渡す。
ヘイブさんは部下に指示を出すと、彼らは幌馬車の荷台から丸い飾りのついた金属棒を一本ずつ持ち出してくる。彼らの身長よりも長いその棒の先には丸い飾りが付いているのだが、それは手を広げた程の大きさで、隙間とちょっとした模様の入っている柵状の球体になっている。中はスカスカで、球体の先端には握り拳ほどの穴が開いていた。
私は残りの魔石に火魔素を入れながら、彼らの様子を眺める。
彼らが持ち出してきた金属棒の先端にある丸い飾りに、先程渡した魔石を放り込むと、球体の飾りを上にして土の道に木から離した場所に差し込む。ヘイブさんは細い棒で柵の隙間から魔石を軽く突っつくと、柔らかい火が魔石から出てきた。
ヘイブさん達と幌馬車は移動をしながら、同じように一定の間隔を空けて道の左右の土に金属棒を刺し、その度にヘイブさんが棒で魔石を突いていく。私は時々動き出す馬車にゆらゆらと揺られながらその様子を眺めていた。
それが一体何なのか、数本刺さった段階で気がついた。
「もしかして、街灯?」
「正解」
馬を引きながら私の近くを歩いていたキツキが満足そうに答えた。
いつの間にこんなものを用意したのだろうか。きっと準備したのはエルディさんなのだろうけど。
ヘイブさん達は左右に分かれて、馬車を起点に広がる様に作業を進めていく。時々止まっていた馬車は次第に止まることなくゆっくりと歩くようになった。作業に慣れてきたのだろう。
皆が慣れ始めた頃には、冬ということもあり周りは少しずつ暗くなってきていた。
「午後はやっぱり日が沈むのが早いな」
作業を眺めていたキツキは空を見上げながらポツリと言う。
街灯が建つ度に、一つ、また一つとキツキの造った道に明かりが灯る。日の沈み始めた薄暗い砂漠の景色に、淡く黄金色に揺らめく大小の炎が次第次第にくっきりと見え始めた。
確かに火魔素の入った魔石なら、少しの雨や砂では火が止まる事は無いだろう。
「とりあえずこれで道作りを進めるつもりだ。小さくて簡易だが、先ずは夜は真っ暗にならずに道を照らしてくれる明かりが出来れば万々歳だな。木は時間が経って大きくなれば防砂林になるだろう。いずれ時間とお金が出来ればしっかりと街灯や木々を増やしていくつもりだ」
キツキは目を細くして私に呟く様にして語る。
「ねえ、道沿いに街でも作るの?」
キツキは私の問いかけに少し驚いた顔をするが、スッと顔が変わった。
「ああ、いずれそうなればいいな」
キツキの目元は笑っていた。
その顔を見て、キツキが目指しているものが私には少しだけわかった気がした。
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持つ。祖父の実家を継いでリトス侯爵となる。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。キツキの双子の妹。恋愛に対しての謎防御力の強い女の子。祖母の爵位を継いでバシリッサ公爵となる。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳ぐらいの男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。
ヒカリに好意を寄せる。将軍の愚息。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
双子の再従兄弟でもある。
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
カロスに引き抜かれてキツキの側近となる。辺境伯であるダウタ伯爵の次男。何事も器用にこなす働き者。キツキの一つ年上。
<更新メモ>
2021/11/03 画像差し替え
2021/10/09 連絡メモの削除