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「この世は光と闇に満ちている」
載鐘くんは自身の個室へとわたしを通すなり、開口一番に告げた。
わたしは付近のデスクチェアへと倒れこみ、話を始めた載鐘くんを見つめたまま体の関節をいくつか鳴らす。
あのとき、わたしは夜魅から逃げることしか念頭になく、公園に置いていた荷物をそのままにしてしまった。
気づけば体は汗臭いし、体の至る部位が筋肉痛だった。
疲れた。
「分かりやすく言うと、この世は善と悪に満ちている。つまりだね……常時、この世の善と悪は均衡に保たれているということになる。すなわち、この世はそれ以上・それ以下の善と悪を必要としていない……または、それ以外のなんらかの勢力さえも必要としていないわけだね」
そこで載鐘くんは言葉を切り、わたしに視線を向けた。
「きみは自分がどちらの存在だと思う?」
「…………」
悩んだ。
載鐘くんの言葉に対し、言いあぐねてしまった。
わたしが光と闇――善と悪のどちらかだと問われたら、前者を即答するだろう。
もっとも、未曾有の超常現象が起きる前まで――夜魅が『征服者』になる前までは、そう即答していただろう。
けれど、今は違う。
わたしは『救世主』を捨て、あまつさえ清水光凛という自分の存在意義を否定した。
なにが『救世主』だ。
なにが光だ。
なにが善だ。
どうしたら、「わたしは夜魅を救い出す」と戯言を言えよう。
全て、わたしが手を伸ばそうとしても届かない場所にあるではないか。
本当に、『救世主』失格だ。
「まぁ、答えられないからといって、そう酷く気を落とすことはない。誰だって、人は自分の過ちに気づくことがある」
いつしか、わたしは頭を垂れていた。
顔を上げると、床に立っていた載鐘くんは今やベッドに腰を下ろしていた。
彼はわたしを見据え、こめかみに手を押し当てていた。
それが載鐘くんの癖だということに気づくまで、わたしはしばしの時間を要した。
「あなたは夜魅がどういう人物か、知っているの?」
載鐘くんはこめかみに手を押し当てるのをやめ、「……いや、知らないね」と若干言葉に煮詰まった。
「夜魅はね、中学一年生の頃、一度自殺未遂をしているの。手に傷跡が残るほどに、彼女は本気で死のうと思ったのね」
「リストカットかい?」
「そうわたしは聞いているわ」
「なぜ、自殺未遂を?」
「クラスメートからの陰湿ないじめ……ね」
載鐘くんは沈黙したのち、それからもっともなことをわたしに告げた。
「なぜ、ぼくにそんな話をしたのだろうか……端から見ても、きみたちは親友だろう。ならば、そういった類の話は慎むべきだ」
「わたしと夜魅が……親友?」
親友――吐き気がこみ上げてくる言葉の響きだ。
載鐘くんはわたしの言葉と雰囲気であらかた察したらしく、彼は首を横に振った。
「ぼくとしたことが、とんでもない勘違いをしていたようだ。すまないね」
わたしは黙って、首を横に振る。
載鐘くんはそんなわたしに哀れみの視線を向けたのち、改まったように咳払いをする。
「では、人はいつ自分が光か闇かを知ると思う? ……常々、ぼくは思うんだよ。自分が光なのか闇なのかを知るときというのは、自分の周囲に頼れる存在がいるのかどうか、だってことをね。――光という善は自分が照らしてきた確かな存在がいるけれど、闇はそうではない。誰も頼れる存在はいないんだ。頼れるのは自分だけ。だって、そうだろう?」
なにも照らすということもせず、ただ真っ暗なだけの存在なんだから――。
「で、でも……」
「でも、なんだい?」
「…………」
わたしが光ならば、夜魅は闇だ。
闇だけれど、夜魅には頼れる存在がいる。
影勝と暗夢。
『将軍』と『女史』――。
「もしも、闇にも頼れる存在がいたら……どうなるのよ。闇を好む存在がいたら、どうなるのよ」
載鐘くんは言った。
それはまやかしに過ぎない――そう彼は言ったのだった。