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一度寝てしまうと、二度と目覚めない呪い――その呪いを『死女』が全人類に放ってから、二時間が経過した。
日本という国家は崩壊し、インターネットが新たなる国家と化した。
その主流はスレッドフロート型掲示板やSNSだったり、さらにはライブ動画配信サービスだったりする。
現在の世界の人口は全てが発生する以前の半分以下とも言われる中、ソーシャルメディアの大盛況ぶりは正直目を瞠るほどだった。
決して、寝てはいけない――その事実をどのソーシャルメディアも一層と脚色し、懸命に利用者へと伝えていた。
それが例えデマであろうとなかろうと、わたしは人類の希望を信じるしかなかった。
奇跡を信じるしかなかった。
「おい……光凛、まさか寝ていないだろうな?」
大人しく目をつむったまま考え事をしていると、ひんやりとした光輝の手がわたしの頬に触れた。
「失礼ね……寝るはずがないでしょう?」
「寝るはずがないでしょう……か」
光輝はわたしの言葉を復唱した。
そうすることで、その言葉の深刻さを噛みしめているのだろう。
そして、彼はデマではない事実を言った。
「かわいいお前でも、イビキはするんだな」
「……いっぺん、あなたも載鐘くんのように永眠してみる?」
顔から火がでるような恥辱と共に、わたしの中で急激に怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「お前さぁ……それだとブーメランが刺さるぞ」
「ブーメ……刺さる?」
呆れたとばかりに、光輝は盛大なため息をついた。
「つまり、おれがお前のイビ……寝息を咎めなかったら、清水光凛という人物は永眠していたということさ」
お分かり? ――そう光輝は話を締めくくった。
わたしは矛を収め、それと同時に「いっそ光輝の唇に口づけでもしてやろうか」などと、自暴自棄に陥っていた。
わたしがそんなことを考えているとは露知らず、光輝は手元のスマートフォンに視線を落とした。
わたしが光輝から視線を外そうとした、そのときだった。
「なんだと!」
突然、光輝が叫び、かと思えば立ち上がった。
「どうしたのよ……まさか、ついに夜魅が報復を受けたの?」
光輝はスマートフォンの画面に向けて舌打ちをすると、わたしを一瞥する。
「水希が……見つかった」
「なんですって?」
「この画像は確かに水希だ。間違いない」
わたしは眠気を吹き飛ばし、光輝のスマートフォンを奪い取る。
すかさず、タッチパネルを凝視する。
誰かがSNS上に投稿したのだろう。そこに映るのは、確かに水希の姿だった。
どこか知らないコンクリートの上で、彼女は寝ていた――呪いを受けていた。
わたしはこれまでの水希との思い出を思い返す。
そして、急激に愛情と悲しさが押し寄せる。
考えるよりも前に、わたしは行動していた。
わたしはびしょ濡れのダッフルコートを片手に、載鐘くんの部屋から飛び出す。
階段を一気に駆け下り、玄関まで向かった。
コートよりもびしょ濡れの運動靴を履き、いざ玄関扉を開け放とうとした、まさにそのときである。
「ここから三キロほど歩いたところにある、三日月橋の中央……それがあいつの居場所だ」
ぐっしょりと濡れたコートとその下にある冷えた体を温めるように――背後からわたしの背中を光輝は強く抱きしめていた。。
強くも優しい光輝の抱擁……それはわたしの中のくすんだ心を浄化していくようだった。
「おれも行くぞ。なんていったって、親友の寝顔にイタズラをしないわけにはいかないだろう?」
「……馬鹿ね」
わたしは肘で光輝を小突き、彼の抱擁から脱する。
そして威勢良く、玄関扉を開いた。
外は猛烈な吹雪と化し、辺り一面を雪で覆っていた。
大げさに例えるなら、それはブリザードといったものだ。
「……行くわよ」
わたしは足を大きく踏み出し、そのまま一気に雪が降り積もった大地の上を走り出した。
走れ――走れ、わたし!




