2-14
こちらからの電話に応答しない水希の安否も気になるところだが、今は自分が最優先だった。
「この付近で、泊まることができるような場所は?」
わたしは後ろを振り返らず、光輝に尋ねた。
しばらくしてから、彼は言った。
「覚えてないか? ここから一時間歩いたところが、載鐘の家だ」
わたしとしたことが、見事に忘れていた。
愕然としたそのとき、一層と雪が荒れ狂った。
わたしの目に大粒の雪が当たり、わたしはたまらず立ち止まると、目を押さえた。
「おい、どうした? 大丈夫かよ」
光輝も立ち止まったようで、わたしを心配してくれた。
わたしは痛みをこらえ、ガクガクとする足を動かし、ふたたび走り出す。
肺の寿命を縮めるような息切れも辛いが、なにより辛いのは大事な仲間を失うことだった。
そして、わたしはこう叫んだ。
「彼の家まで、案内して!」
命じられた光輝はすぐにわたしを追い抜き、「絶対にはぐれるなよ!」と息を切らした状態で大声を発した。
それから数十分後――体がびしょ濡れになりながらも、わたしたちは載鐘くんの自宅の前まで辿り着いた。
不用心にも玄関扉は施錠していなく、わたしたちは挨拶もなしに東堂家へお邪魔した。
誰も家の中にいないのではないかと危惧するほど、リビングは静寂に満ちていた。
単に家の主が寝ているのだと言われたら、本当にそれまでだ。
階段を上り、載鐘くんの個室の前まで着く。
「入るわよ、載鐘くん」
ノックもせずに、わたしと光輝は彼の部屋に押し入った。
部屋の奥側に位置するデスクチェアに――載鐘くんはいた。
けれど、その言葉は適切ではない。
だから訂正しよう。
存在はしているが、最早生きる屍の存在となって……載鐘くんはいた。
愛機だと思しきノートパソコンの前で、載鐘くんは安らかな眠りについていたのだ。
二度と目覚めぬ眠り――それが『死女』の呪いなのだから、彼はもう二度と目覚めないだろう。
わたしと光輝は安眠状態にある載鐘くんの近くまで寄った。
試しに、光輝が彼を目覚めさせようとするが、やはり無駄だった。
呪いに負けた載鐘くんは、二度とこの世で目覚めることはない。
「現場検証、でもするか?」
「馬鹿」
わたしは軽口を叩く光輝の頭を叩いた。
「現場検証して、どうなるのよ」
「いや、仏を死に追いやった犯人とその凶器を探ろうと――」
「馬鹿!」
今度は光輝の頭にゲンコツを食らわした。
なおも懲りない光輝は載鐘くんの所有物であるノートパソコンとその周辺機器のマウスを弄くりだした。
「やめなさいってば……」
わたしは呆れて物も言えなくなり、そのまま光輝の行く末を見守っていた。
すると、ノートパソコンを弄くっていた光輝の顔色が変わった。
「おい……これ、見てみろよ」
「はぁ?」
「いいから、見てみろって。ワープロソフト上に、お前と夜魅のことが書かれた小説があるんだよ」
わたしはその言葉で完全に墜ち、たまらずノートパソコンを覗きこむ。
戦慄。
そして光輝の手からマウスを奪い取り、時間を気にせずにディスプレイに映る山のような文章を読みふけった。
最後の行まで読み終えたわたしは、恐る恐る載鐘くんを見た。
安らかに、彼は眠っている。
「載鐘くんが……書いたのね」
「そうみたいだな」
わたしと同じく、文章の羅列を読みふけっていた光輝は呆然としたように頷いた。
「この小説を?」
「ああ」
「なんてこと!」
その小説――それはなんとも重苦しく、苦痛に満ちた物語だった。
「物語の始まり……それは『征服者』という、闇に魅せられた少女が光の存在である『救世主』に抗うことから始まる」
なんの予告もなしに、光輝は物語のあらすじを語り始めた。
「闇の少女は、親友でありライバルである光の少女が憎かった。それと同時に、憧れも抱いていた……」
そんなとき、闇の少女は『死女』という闇そのものである存在と出会い、ついには取り憑くことを許してしまう。
闇の少女は『死女』の力を得た。
これで、光の少女をあっと言わすことができる――そう闇の少女は念願の憎しみと共に、『死女』から得た力を解き放った。
「けれど、それは闇の少女にとって、悲劇の始まりだった」
気づけば、闇の少女は孤独となっていた。
愛するべき恋人を失い、心から闇の少女を慕う配下も失った。
なにより、かけがえのない親友という名のライバルも失った。
「全てに絶望した闇の少女は、誰一人として存在しないこの地球で、嘆きながら自殺を図った……」
それを見た『死女』は、人類を滅亡させるという目的が叶ったことを知った。
「こうして、地球は『死女』のものになりましたとさ。めでたし、めで――」
「全くめでたくないわ!」
わたしは光輝を一喝すると、興奮した自分を落ち着かせるため、自分の頬を両手でペチペチと叩いた。
「それにしても、どうして奴がこんな物語を書けたんだってばよ。あいつ、そこまでおれたちの内情を知っていたか?」
「……一つだけ、思い当たるものがあるわ」
わたしは廃墟ビルでの『死女』との会話に加え、彼女の正体について光輝に説明した。
光輝は面食らった様子を見せていたが、それは徐々に消えていった。
「人を呪い、操り、取り憑くことが可能な死霊的な存在、それが『死女』、か……なかなか、ファンシーな世界に迷い込んでしまったぜ」
「……本人が言っていたように、『死女』は夜魅に取り憑いている。そして、載鐘くんにも取り憑いたわけね」
「夜魅のほうは分かった。じゃあ、『死女』が載鐘に取り憑いたという確固たる証拠は?」
光輝の問い詰める言葉に、わたしはノートパソコンを手で示した。
「……小説、か」
わたしは重々しく頷く。
「前に載鐘くん、自分が遅筆だと言ったの。けれど、現在執筆中の小説に限って、速筆になったと彼は言ったわ。まるで、文豪に取り憑かれたかの如く、とね。……光輝、これを見なさい」
わたしはテーブル上に置かれたノートパソコンのマウスを操作すると、載鐘くんのパソコンに保存してあるドキュメントを呼び込む。
それらの内、今回議論に発展した小説の文書とそれ以前に載鐘くんが保存した過去の小説と思しき文書をカーソルで示す。
「これよ」
わたしはその二つの文書の項目である『更新日時』と『作成日時』をカーソルで強調した。
今回載鐘くんが執筆した小説はたった十日間で完成されているが、その一つ前の小説はなんと一年以上もの歳月をかけて、完成まで至ったようだった。
じっくりと光輝は考えふけ、それからわたしの仮説の欠点を指摘した。
「代表的な異論としては、おれたちが読んだ小説の文書……それは十日前にすでに完成された文書を移行してきたものではないのか? 新たな文書は手を加えたため、更新済み。古い文書は削除済みにしている、とかな」
「確かにあり得る話ね……そう、あなたの仮説は実にあり得る話なのよ」
わたしは言うなり、再度マウスを操作した。
ドキュメント内の設定を弄くり、その中にある項目を呼び出した。
「『総編集時間』……」
感嘆とした様子で、光輝がしきりに頷く。
わたしは例の小説の『総編集時間』を読み上げた。
「百二十六時間三十分……確かに彼は、『死女』によって取り憑かれていた。取り憑かれたまま、わたしと会い、それ以降も小説を書いていた……」
それがこの事件の全貌よ――そうわたしは名セリフと共に話を締めくくった。




