あの時から…… 林の奥へ
ようやく涙も枯れ、落ち着きを取り戻した私は彼の腕の中から身を引いた。
「……ありがとう」
「落ち着いた?」
静かな夜に靡く木々の葉音の様な優しい声に、私は小さく頷いた。今更ながらに抱きしめられていたことが少し恥ずかしい。
「思ったんだけどさ」
軽やかな口調で切り出した彼を、熱を持ち腫れぼったい目で見つめる。
「学校なんて行かなきゃいいのに。そんな嫌な所に行く必要あるの?」
短絡的な意見に私は落胆した。少しだけ考え。
「勉強しなくちゃいけないし、何より学校に行かなかったらお母さんもお父さんも心配するわ」
「ふーん。そんな嫌な思いしてでも学び舎の勉強は大事なんだ?」
「君は……学校にも行ってないの?」
「うん、行ってないよ。僕は勉強なんかしなくても困らないから。やりたい事をやるだけさ」
「それで、本当に将来困らないのかな?」
「僕は困らないね」
彼の言葉を聞いたら、よくわからなくなった。今までは学校に行って勉強する事が当たり前で、そうやって生きて行く他ないと思っていた。
実際、学校の勉強がどんな風に必要なのかよくわかっていない。
「あとさ、あずみの両親は学校に行かなくなることは心配をするけど、学校に行ってあずみが苦しんでる分には心配しないの?」
「そうじゃくて、私がそういう態度を出さないから気付かないだけ。私が……嫌がらせを受けてるって知ったら間違いなく心配するわ」
「じゃあ伝えなよ」
彼の考えなしの意見に少し苛立ちが募る。私の気持ちを無視してただ事実を伝えればいいだなんて。
聞いておいてもらって何だけど、気持ちに寄り添ってもらえていない気がして悲しかった。
「心配させたくないの。簡単に伝えろとか言わないでよ。私の気持ちは何にも考えてくれてないね」
口調がつい強くなってしまう。いけないと思いつつも、高まった感情が気持ちを抑えることを許さない。
「あずみこそ考えてないんじゃない?」
「何を!?」
「偽りのあずみの笑顔を見送って幸せを感じている両親を欺いている自覚はないんだ? 本当のあずみの気持ちを知った時、どう思うんだろうね」
「欺くって……私は心配かけたくなくて」
「まあ、あずみの両親の気持ちや考えは僕にはわからない。だから僕の気持ちを言うよ。僕はあずみには学校に行って欲しくない。何故なら悲しい顔をしているあずみを見ているのは嫌だし、元気なあずみとこれからもお話したいから」
その言葉を聞いて、私の熱くなっていた頭が沈静化された。ボキャブラリーに乏しくて、小さい子どもが言ったような台詞だったけど、私を必要としてくれていることは伝わったから。
胸に吸い込んだ空気を大きく吐き出して、気持ちを落ち着かせる。
「大きな声だしてごめん。だけど、やっぱり私は学校に行くわ。私がちょっと我慢するだけで、うまくいくんだから」
「僕はそれが嫌だって言ってるのに」
不満そうに口を尖らせる彼を見つめて私は微笑んだ。
「大丈夫。きみに話をして意見を聞けて少し気持ちが楽になったわ。明日からまた頑張れそう」
「なら、いいけどさ」
その言葉とは裏腹に不服そうな彼の顔。その顔のまま半分ほど残っているりんご飴に齧り付いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「あずみの空元気、見ていて気持ちのいいものじゃなかったよ。僕の意見を全然聞き入れてくれないし」
「ふふっ、本当に元気はもらったよ? 私を必要としてくれてる人がいるってわかってとっても嬉しかった」
「でも頑固なあずみはその後も嫌な思いを隠しつつ学校に行き続けたと」
「嫌な思いには慣れたし、それにあの時のきみの台詞が私の中に生きていたからね。いざとなったら勉強なんかしなくても何とかなる。何時でも学校なんか行かなくなってやるぞー。って」
辛かったあの時、私の心を支えてくれたのはきみの言葉と優しさだった。だから、私はあの時から……。
私を見つめる彼の目が何かを憂いているように揺れている。その目は私の心を見透かしているような、そんな奥深い光を宿していた。
「きみとは長い付き合いのようで、実際に会ったのは今回を入れてもたった八回しかないんだよね」
「一年に一回だけしか会わないからね」
「ちょっとだけ散歩しない?」
「散歩?」
「大丈夫。外にはでないから」
私は彼の青白い腕を引き、お堂の裏手に回り込んだ。吸い込まれそうな闇が広がる林の中を見つめながら、私は訊ねた。
「この先にきみは住んでいるんだよね」
「え? ま、まあね」
「どんな所なのか見てみたいわ。行きましょう」
「あっ! ちょっと! あずみ!」