小学四年生の夏 人喰いの妖怪が出る行々神社
じめじめと蒸し暑い日だったのを覚えている。
一年前のこの日、初めて足を踏み入れたその場所に私は恐る恐るやって来た。
真っ暗闇には慣れているつもりでも、周りに民家から漏れる小さな明かりすらない場所は流石に少し怖かった。振り返れば遠く微かにお祭りの灯りが空を照らしていて、それが僅かながら安心感を与えてくれる。
雨なんか降っていないのに、鬱蒼とした林の地面は何故か泥濘んでいて、木々に囲われ視界が狭く遮られると押し寄せる不安が一気に増幅した。
だけど、あと少し行けば階段があってその先に神社のお堂がある。そこにはもしかしたらあの子がいるかもしれない。
去年この先の行々神社で出会って友達になった不思議な男の子。別れ際にあの子は「じゃあ、また来年ね」と言ったのだった。
せっかく友達になったのに来年まで会わないのかと疑問に思ったが、そっか、彼は出歩いちゃ行けないんだ。と思い直し、私がこの場所に会いに来ればいいと楽観的に考えていた。だけど、後日やって来てもお堂の所に彼の姿はなかった。
裏手にある林の奥に住んでいると言っていたから、そっちに向かって呼び掛けても見た。名前はわからないから、おーい! と。しかし返事はなく、そのまま林の奥に進もうかとも思ったのだが、昼間にも関わらず陰鬱な雰囲気を醸し出すその方向に私は足を踏み出せなかった。
立入禁止の看板が見えた。更にその先に太い木に結び付けられた行く手を遮るロープがあり、奥に石造りの階段が見えている。
看板の脇をすり抜けロープをくぐり、私は緊張した足取りで石段を登る。去年は泣いて無我夢中だったから怖くなかったけど、冷静な頭のままだとこの場所はとても怖い。左右の林からは何か得体のしれない生き物が飛び出してきそうだ。
それともう一つ。私の恐怖心を煽っているのがお母さんが聞かせてくれたあの話だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
友達ができたんだよ。と伝えた時のお母さんの嬉しそうな顔は鮮烈に覚えている。たぶん、普段から友達と遊ばず一人でいることが多いことに、お母さんは心配していたのだろう。
お祭りで知り合ったの? 男の子? 女の子? どこに住んでいるの? と嬉しそうに質問を投げかけてきた。
とりあえずありのままに話し、神社の裏に住んでいるみたいなんだけど、この間行ったら会えなかった。という所まで話すと、母親の顔から笑顔が消えていた。
「そこ、立入禁止よね?」
「あ……」
立入禁止……そのことを失念していた私はしまったと思い、身体を縮こまらせた。ほほ同時に。
「何でそんな所に行ったの!!」
怒声が鼓膜に突き刺さった。
身を竦めて俯いた私の顔を、お母さんは酷く心配した顔で覗き込み。
「いい、あずみ? その場所はね『人喰いの妖怪』が出る場所として、お母さんが子供の頃からずっと立入禁止なの。いいえ、私のお婆ちゃんに聞かされた話だとお婆ちゃんが子供の頃から既に立入禁止だって言ってた。実際に林の中に入っていって行方不明になった事件も昔あったらしいわ。もう二度と行かないってお母さんと約束して」
「でも、あの神社の奥に友達が……」
渋る私を見て、お母さんは溜息をついた。
「神社の裏の林に住んでる人なんていないわ。あの奥は林が延々と続いているだけだって聞いたことはある。その男の子が嘘をついたのよ」
嘘……だったのだろうか。私的にはあの子は嘘を付いていないと思ったのだけれど、でも立入禁止なのは事実だしこれ以上お母さんを心配させたくはない。
「うん……分かった。もう行かないよ」
「分かったならもういいわ。あずみはいい子ね」
◇◆◇◆◇◆◇◆
いい子じゃない。私はお母さんとの約束を破ってしまった。人喰いの妖怪が出るだなんて、『夜中に口笛を吹いたらヘビが出る』っていうのと同じように立入禁止に説得力を持たせるための嘘に決まってる。
それでもこの場所は本当に妖怪が出てもおかしくないと思える不気味さがあるし、じめじめと汗ばむ嫌な暑さにも関わらず、今は何故か背筋が薄ら寒い。
本当はこんな場所に来たくない。お祭りで遊んでいたほうがずっと楽しい。
でも、もしかしたら。また今年もお堂の階段にあの子が腰掛けているかもしれない。その期待だけを頼りに足を前に進め、ようやく長い石段を登り切る。
鳥居の先にある境内にはボロボロのお堂。果たしてその前には……。
「やあ、あずみ」
いた! 一年ぶりだが、あの特徴的な青白い肌に銀色の髪の毛、大きな黒い瞳は紛れもなく友達になったあの子だ。
いるかどうか半信半疑だった私はホッと胸を撫で下ろし、一瞬その場で立ち尽くしてしまった。すぐに駆け出して座っている男の子の前まで行く。自分でも笑顔になっているのがわかった。
「本当にいた! 久し振りだね」
「久し振り? まぁ、一年振りだからね」
「久し振りでしょ! だってせっかく友達になったのに一年間一回も遊んでないんだよ。ここに会いに来たこともあるのに」
「え? そうなの?」
「そうよ。きみが住んでるっていう林の奥に向かって呼びかけたけど、何にも反応がなかったわ」
「だって、一年後にって言ったろ?」
どうでもよさそうな返事をする男の子に温度差を感じてしまい、嫌な気持ちというか、悲しい気持ちになる。
「言ったけど……遊びたいって思ったんだもの。きみはあまり外に出ちゃだめみたいだから、私がここに来ればいいのかなって」
「そっか。あんまりここには来ない方がいいよ。それよりさ」
やっぱりどうでもよさそうな態度。
人懐こい笑顔を浮かべて私に手を差し出したその手は、日焼けを全くしていなくて蛇の腹のように青白い。
「あの美味しいやつ、ないの?」