序文
その日の太陽は場違いなほどに明るくて、その下で死にゆくもの達をただ看取っていた。
その日、この戦場では、敵と戦うのは、勇者と俺の二人だけだった。
そう。今、彼女に付き従うのは従者の俺だけ。常に彼女の左右に従う戦姫も護姫もいない。
陣法師も、魔術師も、聖教師も、戦士長も、仲間たちは今、別の場で戦っている。
そして、勇者が対する敵は、数百か、幾千か。
勇者の右手には光の精霊槍。左手にはエルフ族に託された先代世界樹の芯核の刀。
既に何十と言う亜人を葬っている。
勇者エンノは、精霊に愛され過ぎている。
だから彼女は人の言葉を話せない。彼女の言葉は全て精霊語に変換され、人間には美しい音楽にしか聞こえない。
だが、彼女はその目で俺を見た。その表情で俺に伝えた。全身で俺に「ついて来い」と訴えている。そして振り向かずに走りだしたのだ。
だったら、従者の俺は従うまでだ。
彼女は、俺が「能無し」として捨てられた「兄」であることを知らない。
彼女は、俺が別の組織から派遣された密偵だということを知らない。
彼女は、俺が同族を何十人も殺したアサシンであることを知らない。
彼女は、俺が「拳銃」という異世界の武具を使うことを知らない。
それでも勇者エンノは、従者の俺にその旗を渡し、背中を預けた。
だから、俺はその旗を掲げるだけだ。
この戦場に、ゴウンフォルド族の勇者エンノの旗を。
その時、戦場がどよめいた。遠くの味方が挙げる歓声がとどろいた
無垢で無邪気で無敵な「妹」の旗は、不屈と不敗と不退転の「勇者」伝説で彩られている。
ここからだ。俺達人族は、ここから巻き返す。俺の勇者がきっと巻き返す。
俺はそれを支えるだけだ。それが許されなくなる、その日まで。
それが「あの子」が夢見た俺の未来だ。