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第二章

 夏は、成長の季節。


 春に生まれた生き物達が、力をつける。


 植物や動物達は、大きく成長する。


 盛んなパワーを見せつける。




夏のお陰で豊かなパワーが生まれる。


夏がなかったらきっとみんな衰退するんだと思う。




















 第二章




 


 かっこいいから。


 人の命を助ける仕事がしたいから。


 どうして医者になりたいのかと問われたら、俺は小さいころから一貫してこの二つの答えを返していた。だが実際には、そのように育てられたから、というのが一番大きいだろう。


 父親は大学病院でかなり高い位置にいるエリートドクター。母親は結婚と同時に仕事を辞めたが、元医者だった。だから俺は、小さいころから医者になるように教育されてきた。


 もちろん医者夫婦でも子供の意思を尊重してくれる親もいるだろうが、うちは違った。


 医者は気高い仕事だ。だからお前もその道を行け。そういわれ続けて育てられたら、それが当然になる。あたかも自分の意思で選んだかのように錯覚してしまうのは、仕方のないことだろう。


小学校低学年のときから塾に通い始めた。クラスのみんなが遊んでいても俺は遊んじゃいけない。塾のテスト勉強しないといけないから。宿題しないと。偏差値が。判定が。


 夏はもちろん夏期講習だ。学校という勉強が簡単かつクラスメイトと遊ぶのもそれなりに楽しい時間がない分、ずっとつらい。だけど頑張らなくちゃいけない。俺は医者になるんだから。公開テストの点が悪ければ、親に暴力を振るわれる。そのたびに俺は自分の甘さ故だと考え、さらに勉強に打ち込んできた。


その甲斐あってか、俺は全国でも十本の指に入る私立の名門中高一貫校に入ることができた。これで少しは休める、というのは甘い考えだった。


 初めのうちは、ある程度自由が許されていた。でも俺の成績が振るわないことで、親の顔はどんどん曇っていく。


 成績は中の下くらいだっただろうか。まわりのクラスメイトなんかもかなり頭がいい。その中でこの順位だから、かなりよくできたほうだと考えていた。


「なんだ。この成績は!」


 皿が割れる音。父親が俺が食事に使っていた皿を叩き割ったんだ。


百十二位じゃ、ダメなんだそうだ。この学校の国公立医学部現役合格数は例年四十人前後。だから四十番以内に入れと。中一のうちから何を言ってるんだ。入試では学校の成績順に受かるわけじゃないし、それに実際は上位四十人が全員医者になりたいわけじゃない。だからそんなに高い順位は要求されていないんだ。


 だがうちの親はそんなの聞こうともしない。授業は普通の効率中学の二倍から三倍のスピードで単元をやるし、内容も高度だ。これでも十分頑張りきった数字だった。どのテストでも同じような成績で、そのたびに父親が怒鳴り、俺の自由は束縛されていった。


 中三の半ばくらいにして、ようやく俺は目が覚めた。いったい俺は何をしているんだ。今この時代に貴重な子供時代をすべて勉強に費やして、いったい何が得られるというんだ。


 そもそも、俺は本当に医者になりたいのか? そうだとしたら、なぜ?


 いくら考えても答えは出なかった。なんだよ。もともと俺、医者になりたいなんて望んでなかったんじゃないか。それに気づいた俺は、ようやく自分の人生を生きることに決めた。


そうだ。これからは親の決定に唯々諾々と従うのはやめよう。


ちょうど高校入試シーズンの数か月前だった。


この学校は、成績で生徒間の序列が決められていた。成績のいいやつがなにか勉強に関係ないことを成し遂げたらさすが、と言われ、成績が悪いやつならそうですかよかったですね、となる。成績悪いやつは成績いいやつに何をされても怒ってはいけない。怒るのは生意気だ。そういう風潮があった。


この学校の俺以外の生徒みんな、かつては俺もその序列を肯定していた。なぜなら、人間の価値=成績と考えることで、学校内では下の立場でも、外に目を向ければ他の連中を見下して優越感に浸れるからだ。この学校で下位でも、その学力は世間的にはほぼ頂点だから。こんな殺伐とした学校なんて嫌だ、俺はもっと気楽に学校生活を送れるところに行きたい。


俺はまず、母親に話を持ちかけた。親の支配を弱めるために、親に協力を求めるという矛盾。でもしかたない。これしか方法はないんだ。つらい気持ちを打ち明け続けたら母親はやがてわかってくれた。でも父親はそうもいかなかった。


「ふざけたことをぬかすな!」そう言い切った。


ふざけてなんかいない。大真面目だ。しかし「お前はふざけているようにしか見えないんだ」と切り捨てる。憎らしくて憎らしくてたまらない目つきで俺のことを睨む。右の口角を思いっきり上げながら首を傾けて睨むのがこいつの特徴だ。


 「お前はなにも努力をしてないじゃないか」という言葉に「してる」と返しても、「努力してるように見えないんだ」と言って論破した気になる。


「つらくなったから逃げる。そんな姿勢で、社会にでてやっていけると思っているのか」


 あんたは俺と同じような育てられ方をして、そして医者として成功した。息子に勧めたくもなるかもしれない。けど、俺はあんたみたいな、勝者以外はみんな屑で、自分はそいつらより上位の存在なんだと平気で考えるような大人には、なりたくないんだ。それに勝者ってなんだ。無限にある価値観のなかで、そんな狭い観点で人を格付けすることが許されるのか。他のものさしを用いれば、あんただって立派な敗者だってことに気付いてない。


 何かあったらすぐに「こっちが高い学費をだしてやってるんだ」という。養っているなら、どれだけサンドバッグにして非人間的な扱いをしても許されるというわけではないはずだが、そんなのこいつには通用しない。


 結局、学校を移ることはできず、俺は内部進学で高校に行った。いちおう、この学校で勉強なんか知るかとふんぞり返り、少しでも気楽に過ごす選択肢もある。そうしてるやつも何人か知ってる。


だがあいつはそれすらも許しはしない。


 席次。合格判定。常にそれを求めてくる。カンニングなどで強引に点数を上げるのも考えたが、できそうになく断念。高二になることるには、もうすべてが嫌になっていた。学校では授業を聞かず居眠りして、家ではラノベか漫画を読んで、親が来た時だけ勉強してるふりをする。もう知らない。どうにでもなってしまえばいい。


 これまでの、すべてを犠牲に手に入れた膨大な勉強の貯金をもってすれば、二流大学の医学部以外なら今の学力でも入れる。それで十分だ。


案の定、次の定期テストは大惨事。父親は激怒した。次こそは必ず上げろと言われたが、俺にそんな気力はない。次のテストでは学年で下から何番目かの順位になる。とてつもない暴力と破壊の嵐だった。父親は感情に任せて家のものを破壊して回り、俺の娯楽品はすべて破棄された。さらに限界じみたスケジュールに、スパルタ塾を追加される。


「お前が軟弱だからこうなった。学校が悪いだと? じゃあなんでほかの生徒はお前みたいになってないんだ」


「そうやって苦しんでいるだけで、お前は何もしようとしない。余計なことを考えるから悪い」


 要するに、感情のないロボットになれと言っているらしい。


 もう限界だった。こんな苦しみには耐えられなかった。すべてを終わらせようか。こいつを殺して、それからなにもかも破壊してしまおうか。


 今度は法律なんてものが俺を阻む。殺人罪がどうとか、放火犯がどうとか。そうか。要はこの世界は俺を殺したいんだ。押しつぶしてやろうと、感情を殺してやろうと、クズになってしまえと、そんな圧力をかけてきてるんだ。そうはいくか。絶対に、ひっそりと潰れていったりはしない。今みんなが見てるここで、死んでやる!


 授業中の教室、いきなり俺は立ち上がって皆に見せつけるようにカッターで縦に手首の動脈を切り裂いた。


 死にたい。死ぬことでこの苦しみから解放されるなら、俺はもう未来なんかいらない!


 しかし自分の鼓動と同じリズムで腕から血が噴き出すのを見ていると、次第に俺の心は恐怖で埋め尽くされていく。


 だが。これまでの苦しみに比べれば、なんでもない。どうだクズ親父。あんたが根性なしと罵った息子は、自分の手首から血が噴き出してもそれを黙って眺めていることさえできるんだ。


「どうぞ。授業を続けてください」


 俺は席に着き、黒板の前に立つ教師にそういった。こいつは父親と同じ、勉強しなければゴミのような人生が待ち受けていると説く輩だ。


「お前らも、ちゃんと授業を聞け」


 周りの連中に呼びかける。


「その程度か」


 そんな父親の声が聞こえたような気がした。思えば、そんな状態の俺の耳が聞いたことなどあてになるはずもない。第一、父親はその時職場にいた。


 だが、この時の俺がそんなことわかるはずもない。


 まだ足りないか? ならこのカッターで頸動脈を切ってみせようか。それなら納得するか?


 首筋にカッターが刺さる寸前、俺の意識は途絶える。俺は救急車で病院に運ばれて、一命を取りとめた。このときの傷は俺の腕にまだうっすらと残っている。


 やがて医者の様子がおかしいことに気付く、なんでも検査中に何かを発見したらしい。 俺の治療に携わった医者の一人が、昔勤めていた病院にある検査で俺の血液を送った。


 結果は陽性。いったい何が何だかわからないままその病院に生かされた。


 そこは自宅から南へ数百キロ。本州ではほぼ最南端。かなりの田舎で、地域経済がほぼ農業と観光で成り立っているようなところだ。そんな田舎にある、それなりに大きな病院。


 基本的に患者は老人なので、ホスピス色の強い病院なのだが、とある病気の患者が集められる日本で唯一の病院らしい。


 空色病。


 俺はその病気を発症しかけているのだという。そこで聞かされた話は、とてつもなくショックなものだった。なんでも全身の神経や臓器にかかわる病気で、発症する寸前から血液に特殊な変異があるらしい。医学の知識がある両親はその話を熱心に聴いていたが、俺には分からなかったので聞き流す。


 治療法は開発中だが、死亡率は今のところ百パーセント。放っておけば一か月。適切な延命をしても三か月で死ぬ。


俺はその話をまるで実感が湧かないまま聞いていた。


はっきり言って、自分の話だとは思えなかった。


三か月で死ぬ……? 


それは少しずつ俺の中でリアルなものとなっていき、俺の心を恐怖が襲い始めた。


死にたい。確かにそう思っていたこともあった。けどその気持ちは大したことなかったんだ。その証拠に、俺はまだ生きてる。もしも心の底から終わりを望んでいたのなら、俺はもっと取り返しのつかないくらい自分の腕をえぐれていたはずだ。


そして今、本当に死を突きつけられると、すくみ上ってしまう。


嫌だ。死にたくない。


 そう思ったところで、自分の運命はなにも変わらない。できることと言ったら、延命して寿命を延ばすことくらいだ。中にはそれをせずにたとえすぐに死んでしまう場合でも、元の生活をする人もいる、というかそのほうが多いらしい。


 この治療を取り扱っているのは、日本はここのみ。だからよほど近所にでも住んでいない限り、入院することになる。


 そんな説明を、俺は泣き叫びたい気持ちを必死にこらえて聞いていた。


 俺は、今まで何をしてきたんだ。「将来のために」と言いながら勉強ばかりやってきて、その将来が存在しないなんてt。


 俺はなんのためにここまで耐えてきたんだ。そしてすべてを失った俺は、いったいどうすればいい


診察室の前にあるソファで、両親はずっと泣いていた。俺自身は衝撃が大きすぎて泣くことすらできず、涙を流す両親を不快だと思いながら見つめていた。こいつらの涙なんて、せっかく金をかけた息子を周りに自慢できないだとか、その程度のものだろう。


 なんとなく、外に出たかった。この田舎の海辺の風景を見てみたいと思った。


 そういえばこの病院屋上あるんだよな。行ってみるか。


 俺はふらふらと立ち上がり、エレベーターで屋上に向かった。


 その間俺の頭の中は、いろんなものが入り混じってぐちゃぐちゃだった。とりあえず考えなければならないのは、これからどうするかだ。元通りの生活を送るのか、それともここで残りの命を使うのか。どちらにせよ。これまでの「将来」のために生きる毎日は、終わりだ。


 よかった、じゃないか……。


 エレベーターが到着した。


 降りたところには事務室やコインランドリーがあり、そこのテラスから屋上に出られるらしい。


 外に出ると、まぶしい日差しと潮のにおいが俺に迫ってくる。


 屋上にはいくつかのベンチと小さな噴水があった。


 そして俺を驚かせたのは、海。


 綺麗で、雄大な海。太平洋がどこまでも広がっており、きらきらと夕陽を反射しており、白い鳥が飛びまわっていた。


 しばらくその景色に圧倒されていた俺は、向こうにもう一人誰かいることに気付いた。


 とても、美しい少女だった。


 年は俺と同じくらいだろうか。つんと綺麗に整った顔立ちと、すらりとしたライン。風にたなびくつややかな髪。


 これまで見たことないくらいの美少女ぶりだった。鳩に餌を与えているらしい。


 俺の視線に気づいたのだろう。少女は俺の方を向いて。


「あんた、見かけない顔ね」


「……えっと、お前はここの患者なのか」


「そうよ。私の部屋はここじゃなくて、あっちの第二棟なんだけど……。それにしても珍しいわね。ここじゃ老人か職員しかいないのに」


 言われてみれば、ここまで若い患者を一切見なかった。


 少女は俺の方をじっと見つめた後。


「なるほどね」


 何か分かったのだろうか。


「あんた、もうすぐ死ぬって言われたんでしょ」


 こいつ、なんでそれを。


「私も同じだからよ。同年代の見かけない人が暗い顔してるんだから、それくらいしか思いつかないわ」


「同じ?」


「そうよ。日本ではここだけが扱ってる体の病気。なぜか空色病って呼ばれてる。そのうちふっと意識が切れて、そのまま目が覚めずに死ぬみたいね」


 それはさっき嫌というほど聞かされた。


 こいつは延命するほうを選んだんだな。これまでの自分の生活を捨てて。


 俺は少女に、今入院すべきか迷ってることを話した。すると少女は俺に言った。


「あんた、ここに入院しなさい」


 えらく上からの物言いだった。


「ここには私たちと同じ立場の人があと二人いるの。毎日集まって楽しく過ごしてるから、あんたも入ればいいわ」


 でも、それには確かに「何か」が込められていて。


「私たちはお互いの苦しみを理解しあえる。それに、ここでの生活が楽しいことは保障するわ。死ぬことなんて忘れちゃうくらいにね!」


 少女が差し出す手を、俺は迷わず握りしめた。


この言葉を信じてみたいと、そうおもった。


「そういえば自己紹介まだだったわね。私は蒼葉夏海。蒼い葉っぱと夏の海って書くの」


 偶然だな。俺の名前にも季節が入ってる。


「俺は新鳥春風。新しい鳥と春の風と書く」


「春? ほんとに?」


 そこまで突っかからなくても。そんなに珍しい名前でもないだろうに。


しかし俺は後に蒼葉がこのとき驚いていた理由を知って、この反応は無理もないと思うことになる。だかこのときの俺にはそんなことわかるはずもなく、蒼葉の異様な驚きようにこっちがびびることになった。


「ど、どうしたんだよ」


「春風にも、そのうちわかるわ」


 えっと。いきなり名前で呼ばれるのか? 


「私たちは名前で呼び合うのがルールよ。じゃあ私のこと呼んでみて」


 けっこう抵抗感があったが、なんとか口を開く。


「な、夏海」


 蒼葉は、いや、夏海は俺の言葉を聞いてうれしそうに。


「というわけで、これからよろしく!」


 こうして俺は、この病院に入院することを決心した。


 




 親は反対しなかった最期になってようやく俺の意思を少しは尊重する気になったらしい。


 学校には長期欠席届だけを出した。


家から高速道路で二時間半かけて病院に再び向かう。旅行用のカートとリュックサック。これが俺の持ち物のすべてだ。


 病院に到着し、両親は医者にあいさつをしたのち、帰って行った。俺が望んで帰ってもらったんだ。ここからは自力でやっていくんだと決めた。


 そこからは高橋という若い医者が俺を案内してくれた。病院を出て一五分ほど歩く。さっきまでいたのとよく似た建物が見えてきた。どうやら、夏海が言っていた第二棟というやつらしい。


 俺はこの間の夏海の姿を思い出す。あの美しい姿と、綺麗な笑顔は、ずっと焼き付いて離れなかった。


 この第二棟の構造は第一棟はほぼ同じ。だがこっちには天体望遠鏡や院長室や会議室などが存在しない。どちらもかなり綺麗な建物だ。築5年くらいじゃないだろうか。エントランスに入ってすぐのところにあるエレベーターで三階に上がる。そこにはナースステーションやロビーがあった。


「お前の部屋はここだ」


 高橋が一つ扉を開けて俺を招き入れた。海を一望できる個室。結構な広さがある。


 高橋はここでの生活について書かれたパンフレットを俺に渡して去って行った。


「ふー……」


 俺はパンフレットをとりあえず放り投げておいて、ベットに座り溜息をつく。


 ここが、俺の残りの人生を過ごす場所なんだな。もう元の暮らしに戻れることはないだろう。今からここでの生活が俺のすべてなんだ。荷物を整理しようと鞄に手をかけたその時、病室のドアが勢いよく開いて一人の少女が入ってきた。


「春風! ここだったのね!」


 蒼葉夏海。数日ぶりだ。


「あんたこなかったらどうしてやろうかと考えてたわ」


 来なかったやつにどうやって手を出すつもりなんだろう。


「じゃあとりあえずあんたにはこの病院を案内しておくわ」


 俺は荷物の整理をしたいんが。まあ夏海がせっかく案内してくれるというので、俺は着いていくことにした。地下にはコンビニがあり、診察室の類は一階と二階にある。病室は二階から五階だ。


俺は夏海に連れられて病院の中を歩き回る。


「疲れた……」


病院内を一周して、夏海と分かれた後、俺は即座にベットに倒れ混んだ。いっそこのまま寝てしまおうか。いやまだ夕食食ってない。結構腹減ったし逃すわけにはいかない。


 パンフレットに書いてあった時間ピッタリに、看護婦の人がやってきて、晩御飯を持ってきた。鶏肉を薄味で焼いたやつと、コンソメスープ、白米に野菜サラダだ。


 それを自分のベットに持っていき、半分だけベット起こして備え付けの回転テーブルに載せて食おうとすると、再び扉が開かれる


「春風、いるわよね!」


 ノックくらいはしろ。着替えてたらどうするんだ。


「細かいことは気にしない。それよりあんた。それ持ってロビーまで来て」


 まあよく分からないが従っておくことにした俺は、夕食を乗せたトレイを持って、ロビーの方へ向かった。すでに夏海が着席しており、目の前には俺と同じトレイ。


「早くしてよ。さめちゃうじゃない」


 こいつ、まさか俺が一人だからかまってくれたんだろうか。いつもの俺なら、「余計な事を……」と思っていただろうが、こんな絶望的な状況でなんとか平静を保っている今は、かなりの嬉しさを感じさせるものだった。


「あんた、都会出身?」


 食事中、そんなことを聞いてきた。


「まあな、ここから見れば都会だ」


「ふぅん」


 そう言って夏海はスープを飲み干した。


「じゃあ、ここでの暮らしも新鮮だと思うわ。本当に自然が手付かずだから」


 私もそうだったわ。と告げる。見渡す限りの農地、ほったらかしの海と山。そのなかにすこしだけ顔を覗かせる人工物。これまではマイナスイメージしかなかったが、来て見ると、なかなかいいものだ。


「今日はあんたにも私達の活動に参加してもらうわ。第一棟の二人も紹介したいし」


「そいつらって男か? 女か?」


「男と女が一人ずつよ。……いちおう」


 性別の話なのに一応ってなんだ。問いかけても夏海は答えてくれなかった


「二人の名前聞いたら、あんたきっと驚くわ」


 そんなにかわった名前なのだろうか。


「じゃあ明日朝九時半に、入り口の所へ集合ね」


 結局この日は、俺に疑問を植え付けたまま、夏海は部屋に帰って言った。






夕食の後、部屋に高橋がやってきて、点滴をすると告げた。


この点滴以外に治療行為的なことをしないのなら、どうしてわざわざここに入院する必要があるのだろうか。


高橋に聞けば、どうやら薬は調合後、ほんの数時間しか持たず、調合には特別な設備が必要で、それは日本ではここにしかないらしい。点滴を受けるのは別に初めてと言うわけではないのだが、体に針を何時間も指されるというのは、精神的につらいものがある。


 終わった後は、テレビを見ていたがバラエティにも飽きてきて、深夜アニメを見るには待ち時間が長すぎて待つ気にもなれず、もう眠ることにした。


 テレビを消すと、部屋が静寂に包まれる。


 外は闇。わずかな星の光と、月の光、静かに輝く海の光だけが、部屋に入ってくる。


 俺は電気を消して、ベットに横たわった。まだまだなれない景色に、違和感を覚える。


「…………………………っ!」


 それと同時に、まるで頭を鈍器で殴られたかのような錯覚にさいなまされる。


 心が一気に降下する感覚。不意に頭に濁流のように流れ込んでくる。


 恐怖。絶対的な、恐怖。


 いくら拭っても消えない。ぽつり、ぽつりと湧き出して、雨のように降りかかる。


 あっという間に、飲み込まれる。


 そうだ。俺は、死ぬんだ。もうすぐ、終わりなんだ。


 そんな言葉が、浮かんで、浮かんで、さらに俺の中を満たしていく。


 俺は枕に顔をうずめ、とにかく押さえ込もうとする。眠気は、来そうにない。


 結局片っ端から深夜アニメ鑑賞して、ようやく眠ることが出来た。






次の日、朝起きて、夏海と第一棟にあるいた。


まさか、あいつが男だったなんて。もう綺麗な女とか見ても、信用できなくなりそうだ。


 俺達は、第一棟に置かれている自転車に乗って、近所の案内をかねたサイクリングに、四人で繰り出した。そんな外出が許されていることにおどろいたが、夏海によればむしろこういった外出して遊びまわることは、治療効果を高めるからと、驚いたことに空色病患者の場合は禁止されないらしい。


 長い道路が永延と伸びており、その周りには道路を覆うように森や畑や砂浜が広がっていた。


 自転車のぶぴーどを上げると、びゅうと涼しい風が顔をかすめる。


 しばらく車が全然通る気配のない高速道路の横を走っていると、俺は前方に奇怪なものを発見する。


「なんだよ、あれ」


 すると先頭の秋空が急ブレーキをかけて、それに伴い他の三人も止まる。


「ひょっとして、あの看板?」


 高速道路の入り口辺りに、大きな看板が立ってて、「備長炭振興館」とかいう文字の横になにやらロリっぽい三頭身キャラが描かれていた。


「うん、あれね。備長炭のイメージキャラなんだよ。アニメもあるよ」


 最近多いな。そういうの。いい時代だ。


 そこからひとつ丘を越えて、一旦浜に出る事にした。河口にある、川の大きさの割りに大きな水門の横に、自転車を止める。


「ふー。一旦休憩だね」


秋空がつぶやいた。


 砂浜に足を下す。足が沈み込む感触。寝転がったらなかなか心地よいかもしれないが、砂が大量に服に入って悲惨なことになるからやめておこう。


 海で泳いでる人はおらず、わずかに釣り人がいるだけだった。


 浜辺は三日月のような形をしている。端から端まで一キロ弱くらいだろうか。


 砂浜を超えるとすぐに茂った森があるあたり、開発される気配はないようだ。


「喉かわいたわ。ジュース買わない?」


「あ、じゃあ四人でじゃんけんして、負けた人がその人のおごりで買いにいくっていうのはどうかな? さっき自販機あったよね」


 負けたら四百八十円か。それは負けられない。


「えっと、わたしもですか?」


「もちろん冬音ちゃんもだよ。じゃあいくよ。じゃーんけーん」






 ガコン


 俺は落ちてきた缶ジュースを取り出した。


 まさかあいこすらなしで一発で負けるとは。二七分の一を一発で引き当てるの、なかなか運が悪いんじゃないか。冬音は申し訳なさそうにしており、挙句自分で金出すと言ってくれたが、秋空と夏海は調子に乗ってペットボトルを要求してきた。


 冬音から金を取るのも悪い気がしたので、結局、五百四十円の出費を受け入れた


 俺はボトル二本と缶二本をもって浜辺に戻る。


「あ、なんでコーラゼロフリーじゃないのよ」


 無視だ。無視。


 俺は石垣に座ってサイダーの缶を開ける。すると横にいた夏海が。


「知ってる? ここ千里の浜って言って、日本一のウミガメ産卵地なのよ」


 一キロ半を千里銘打つとは、誇大広告にもほどがある。九十九里浜よりはるかにひどいじゃないか。


「これだけ自然が手つかずじゃないとそうはならないの。かなり貴重な場所なんだから」


「へえ……」


 やたら詳しいな。さすがいつも世話してるだけのことはある。その後、なぜかぽつんと民家の横に置かれた、巨大な石造りの仏像を見たり、峠の海を臨む道を走ったりと、大変なサイクリングだった。


「疲れた……」


 部屋に帰るなりベットに倒れこむ。こんなに運動したのはかなり久しぶりだ。


そしてかなりひどい日焼けをしてる。服を脱いだら白い部分と黒い部分の境界線がくっきりとできていた。


 三人はばっちり日焼け止めを塗っていたようで、夏海は。


「あんたなんで塗ってこなかったのよ」


 そんな当たり前のように言われてもだな。下のコンビニで売ってるだろうか。






 次の日は虫取りをやった。


 ちゃんと肌は日焼け止めコーティング済みだ。


 虫は苦手なのだが。キャッチアンドリリースでいいだろう。途中、蝉を持った秋空に追い回された。一七歳にもなってみっともいないとは思うが、気持ち悪いのだから仕方ない。


 まだ、朝と夜は死の運命を思い出してつらくなるが、最初に比べれば、かなりましになってきたと思う。


 あの日、あいつのいった言葉。


『ここでの生活が楽しいことは保障するわ。死ぬことなんて忘れちゃうくらいにね!』


 夏海。その言葉に、嘘はなかったぞ。






      ♦  ♦  ♦




「待ってください!」


 オレは机をたたいて、立ち上がり叫ぶ。


「なぜですか! それは本当に患者のためになるのですか」


 すると対面に座る、髭、メタボ、白髪と三拍子揃った院長のジジイはあくまでも冷静に。


「キミの方こそ本当に、患者のことを考えているのかね。全員助けるチャンスをえると言うのは、全員死ぬリスクを負うと言うことなのだぞ」


 ああ、そんなのさっきも聞いた。もう一回言われなくても分かってる。


「だからと言って、二人も見殺しにするつもりですか。やはりここは本人達に確認を取るべきなのでは!」


「人の命を、賭けに出そうと言う君の方がどうかしてる」


 このジジイはいつもそうだ。杓子定規のようなことしか言わない。相当年が来てる。


 こいつは、要するに二人が死ぬまで待て。そう言ってるんだ。


 曲がりなりにも持った患者を、見殺しにする方がよっぽど人間的じゃない。


 あいつらは何の希望も見つけないまま、死んでいくんだぞ!


 そんなこと、許せるわけがない!


「とにかく、多数決で決まったことだ。もう、覆せない」


 お前ら。オレがまだ若いからって。


 オレは確かにお前らに比べたら、経験も浅いだろうさ。だがこの気持ちだけは、お前らには絶対負けはしない。年を取ってるのは、そんなにえらいことなのか? 体が老いぼれているだけで、発言に重みがでるのか。


「これで、本日の会議は終了とする」


 議長を勤める副院長の言葉によって、会議は無理やり閉じられた。








 屋上に出ると、外はすっかり真っ暗になっていた。


オレは柵にもたれかかり、タバコを出して火をつける。


「ちょっと、病院内は全面禁煙ですよ」


「西川か……」


 いつの間にかそこにいたのは、看護婦の西川。


最近オレがここでくつろいでいると、よくやって来る。


「硬いこと言うな。会議で疲れたんだ」


「また何かやらかしたんですね」


 オレはさっきの会議の話をした。


「それで、叫んじゃったと」


「まあな」


 また、煙を大きく吐き出す。


「本当に、よく逆らいますよね」


「ほっとけ」


「でもそう言うの、熱血でかっこいいですね」


 やめろ。照れる。


「西川。お前はどう思う。オレと、病院。どっちが正しいと思う」


 西川はしばらくうなった後。


「分かりません!」


「投げやりだな」


「どちらのいい分にも、一理あるんですよ。全員に希望を与えると言う、高橋さんのいい分にも、確実に二人助けると言う、病院側も」


 西川は一旦言葉を切って。


「でも、その上で私はあなたを支持します」


「その上で?」


「はい、論理的に言えば互角です。そこに私の感情を加えたら、あなたに軍牌が上がります。だってあの子達。最高に輝いてるんですよ」


 そんなことを言った。


「私も大しては知らないです。たまに、若いからっていう理由で、引率させられるくらいですね。あの子達は、純粋に、無垢に、輝いています」


 確かに、そうだな。あいつらを見てると、忘れていたなにかを思い出させてくれそうだ。


「病院側はあの子達を知らないです。あの子達の絆は、あの人達が思っているより、遥かに深いです。新しく入った新鳥君も、上手く溶け込めてます」


「病院側は、実績が欲しいんだ。日本としてのな。死んでしまっても、難しい手術とかならいいが。これは万が一失敗して、全員死んだら、大バッシングを受ける。あのジジイ。口には出さないがそれが怖いんだ」


 こういう時、世間は残酷だ。十中八九正解の選択でも、結果的に駄目なら否定される。


 確かに病院の利益、日本の医療界を第一に考えるなら、ジジイの言うことは全面的に正しい。


 だが、そんなのでいい訳がない。命は、物じゃないんだ。そんなこと、ガキでも分かる。


 いや、むしろガキの方が分かってるのかもしれない。社会では利益のためなら、人命が後回しにされることもある。そんなやつらでも、自分の子供には平気でそれを説く。


 勝手に皆が幸せになれる道は理想論だと考えて、あきらめ、結局家庭や友人同士。ちいさな幸せで満足する。この社会での幸せって言うのは、各々の幸せの集合体として為され、全体としての幸福と皆される。だから、どこかで誰かが不幸でも、なんだかんだ言って、人事なんだ。自分に変えるのは不可能。そう考えて、諦める。


 だが理想論を語れなくなったら、人間は終わりだ。世界と言うのは必ずつながってる。


 自分だけの幸せを確保すると、その波は巡り巡って、個々の幸せすら脅かす形で、帰ってくるんだ。


 なんて、柄にもなく哲学的なことを考えて見たりする。


 新鳥や鈴代辺りとなら、このあたりのことを議論できるかもしれない。


 それはさておき、今、どうするか、それが大事だ。


 よし。 あいつらを、絆ってやらを、信じてみよう。

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