鉄の鍛錬
鍛えぬいた拳を持って大地を割る。それが鉄拳を極め者がいたる場所だ。鉄の如き堅固な拳で敵を打つ。そのために鉄拳使いは拳を鍛えるがそれだけでは大地は割れない。
鉄の如き拳を手に入れた後に次の段階へ進む。
万物には人体と同じ急所と呼ばれるものがある。人間ならば急所を突けば死にいたるダメージを負わせることが出来る。
大地の急所を突けば大地を割ることも可能だ。ただし大地はもちろんのこと人体も骨で覆われ硬い部分も存在する上にどこに急所があるのか理解しなければならない。もしそれが可能になれば何にも打ち負けない「鉄拳」となる。
その奥義を会得するためにミネは自分に鉄拳を教えてくれた先生の元を訪ねた。
「鉄拳の極意を会得したいと思ったならここに来なさい」
奴隷から開放され自由の身になったときミネはヒューリネからそう言われて住所の書いた紙を渡された。
復讐を果たすためにまた会うことになるかもしれない。ミネはその時そう思った。しかし復讐は復讐でも彼女自身の復讐ではなくミツルのために極意を会得しようとしていた。手紙を渡されたときはまさか自分がこんな気持ちで先生である彼女に会うことになるとは思わなかった。
「ヒューリネ先生、鉄拳の極意を教えて下さい」
ヒューリネと再開したミネは自分の鉄拳を強くして欲しいと頼んだ。
「どうして鉄拳の極意を会得したいと思ったの」
そう問いかけるヒューリネに対してミネは正直に答えた。ミツルとの出会い。ギロウへの復讐。復讐を果たした自分に残った感情。ミツルの復讐。そしてミツルの力になりたいと思った自分。
それを聞いてヒューリネは沈黙する。
「私はずっと言っていたわよね。復讐は復讐を、憎しみは憎しみを呼ぶと。あなたが辛い過去を背負ったのは分かるけどその憎しみで世界を染めてはいけないと」
「はい、でも私は復讐者の身でありながら大切なものを見つけました。それは復讐が繋ぐ絆です」
「それは同情よ。あなたがそのミツルと言う彼に共感しているだけ。復讐から繋がる絆なんて幻よ」
「先生と議論するつもりはありません。今は鉄拳の極意を教えていただけるかどうかが問題なんです」
ミネがそう言うとヒューリネは嘆息する。
「昔言ったわよね、あなたに鉄拳を教えることに戸惑いがあったと」
「はい、復讐に身を焦がすものに鉄拳の技を教えるわけにはいかない、と」
「そう。でも私は闘技場で戦うあなたの姿を見てその才を見抜いたわ。鋼鉄の拳に溺れずただ鉄の意志を以って拳を振るうあなたの姿に鉄拳使いとしての才能を。埋もれさせたくなかった。だからあなたに正しい力と正しい力の使い方を教えたつもりだった。あなたにここの住所を教えたのも、もし愛する人できてその人のために力を欲するときが来た場合あなたの力になりたいと思ったからよ。けれどもそれがまさか復讐者だなんて」
「先生はどうしてそこまで復讐者を嫌うの?」
「普通に考えて復讐者なんて好きになる人なんていないでしょう。恨み辛みだけで生きている人なのよ。そんな人と一緒にいて幸せになれると思う?」
「理屈は分かります。でも先生の場合特別な感情が入っている気がします」
「・・・」
「一般論として復讐はいけない、それだけじゃないと思うんです」
「そんな風に思えるなんて成長したわね。復讐を遂げて視野が広がったとでもいうのかしら」
「ええ、そうかもしれません。復讐を果たすまで私には憎い敵しか脳裏に映ってなかった。自分がどれだけ視野狭窄だったか理解できます。そして復讐を果たした今はこう思うんです、私の愛する人が同じ思いをしているならその復讐を果たして開放してあげたい」
ミネは拳をヒューリネに向かって突き出す。
「私の体を自由にしてくれたのが先生なら私の心を自由にしてくれたのがミツルだから。彼の力になりたいんです」
「正直迷っているわ。あなたに極意を教えるべきか否か。あなたは復讐者ではなくなったけどあなたがやろうとしているのは復讐者の手伝い、憎しみを広げることよ・・・でも」
突き出した拳を引っ込めないミネにヒューリネも同じように拳を突き出す。
「あなたの愛する人を思う決意を信じます」
そうして二人の拳が触れる。
「それではあなたの鉄拳の強さ、見せてもらいましょう」
そう言ってヒューリネは構えた。その後二人は拳をぶつけ合う。それはまるでミネの拳をヒューリネが鍛えているかのような光景だった。
そんな修行が数日続きヒューリネは次の修行をするために場所を変えることを提案した。
その直後ミネは一つ報告することがあったことを思い出す。
「そういえば先生、私先生の上司に会いましたよ」
「え?」
そこで今までにない崩れた表情をするヒューリネ。
「ギラさんっていうんでしょ先生の好きな人」
「ミネ、ちょっと待ちなさい。どうしてあの人と会って、いえそれよりもあの人は何か言ってた?」
「先生は元気にしているかって聞いてきましたよ。仲間たちと会えないことが多いからとも言ってました」
「仲間。ハハハ、まあ、あの人らしいわね」
「元気にしていましたって伝えています」
「そう、余計なことを言わずにいてくれてありがとう」
「今なら先生が言っていたことが分かります。自分だけじゃない他人も含めた世界の方が楽しいって言葉」
「そう、わかってくれたのなら嬉しいわ」
「はい、ですからご指導ご鞭撻お願いします」
そうしてミネの修行が始まった。
※
「次はこれよ」
そう言ってヒューリネは一個の魔石を置く。
ミネが行った修行というのは硬い物質を拳で砕く訓練だった。最初は岩。次に鋼。そして魔石。割るものはどんどん硬くなっていき自分の拳も硬質化していくのをミネは感じていた。しかしそれ以上に感じていたのは物質の急所がどこにあるかと言う事だ。魔力の流れをよく観察し「どこが急所なのか」それを見つけることが出来るようになる修行だったのだ。
「色々なものを割ってきたけど、これが割れればあなたは大地を割る力を手に入れられるわ。でもその力は確実なものではないわ。この魔石を割ったとしてもあなたは必ずしも大地を割る力を手にするわけではない。それは鉄拳を以って大地を割れるのは大地の急所を突くが故のこと。もし大地の急所でないところや急所から少しでも外れたところに拳を打てばあなたの拳の方が砕けてしまう。それだけは忘れないでね」
「はい」
ヒューリネの助言もありミネは苦難の末に魔石を割ることに成功した。前以上の鉄拳を得ても師の言葉を胸に止めた。
修行を終えたミネは早速ミツルの元に戻ろうとした。
「もう帰るの。約束の時間までまだ余裕はあるんでしょう。少しここで休んでいったら?」
「先に一人で戦いに赴いてしまうかもしれないので。早く帰らないと」
そういって意気込むミネをみてヒューリネは嘆息する。
「あなたがそんなに入れ込むなんてどんな男性か見てみたくなったわ」
「だ、駄目ですよきっとヒューリネさん好みじゃないですから!」
「あははは、そんなに慌てなくても冗談よ」
「もう!」
「ミネは可愛いわね。でも男ってケダモノだからね」
「ケ、ケダモノ?」
ヒューリネの言わんとすることを図りかねてミネは首を傾げる。
「綺麗な子の裸にばかり興味があるって言いたいのよ。あなたはスタイルが良いわ。でも彼はあなたの体の事を知っているの?」
「あ、それは」
ミネはそうして自分の体を庇うように両手で抱く。
「彼は私の体の傷の事を知ってます」
「え、そうなの?」
悪戯っぽく微笑んでいたヒューリネの表情が驚愕に染まる。
「はい、モンスターの毒で服を溶かされたことがあってその時に。その後も、まあ同じような状況があって、でも彼は私のこの傷を必死に生きた証だと言ってくれたんです」
そんな風に語るミネを見てヒューリネは真顔に戻る。
「だから私は彼の、あの人の力になりたいんです」
そう言うミネをみてヒューリネは嘆息する。
「本当に、大人気ないわ。意地悪なんてしなければ良かったわね」
「え?何か言いました?」
「何でもないわ。いい人を見つけれたのね。頑張ってね」
「はい」
「それじゃあここでお別れね」
「はい。ヒューリネ先生も元気で」
「あなたもね。あまり無茶しては駄目よ」
「はい、約束は出来ませんけど」
そうして苦笑するヒューリネに見送られミネはミツルの元に帰って行った。
そうして去っていく愛弟子の姿を見ながらヒューリネは拳を握り締めていた。血が滴るほど強く握られた拳を解き自分の掌を見る。
そうしてミネに背を向けたヒューリネの表情を誰も見ることは無かった。
※
ヒューリネと別れたミネはミツルの元に向かって真っ直ぐ帰っていた。街道から人の集まる集落に着く。
「今日はここで一泊する場所を探さないと」
そう思って宿を探し始めたミネだったが人々が騒がしくしている光景が目に入って来た。
「何かしら?」
そうして様子を見に行くと信じられないものがミネの視界に入ってきた。
それは人の姿をしていた。肌は赤く黒い髪は縮れ恐ろしい形相の男。そしてその額には彼が人で無いものである証となる角が一本生えていた。
「有角人鬼!最上級のモンスターがこんなところに!」
人の姿をしたモンスターは有角人鬼だ。有角人鬼とは角を持った大柄な人型モンスターの総称である。ただしその皮膚は肌色ではなく赤や青などのカラフルな色をしており体毛は肉食獣のように逆立ち爪や牙が鋭く生えている。
そしてもっとも特徴的であるその角は種類によっては複数あり、その有角人鬼の性質を現している。その角の数によって呼び方が異なる。一本の角を持つ赤い有角人鬼は一角剛鬼。最もメジャーで闘争本能の塊であるため高い戦闘能力を誇る。そのため戦いが起こる場所に好んで現れる戦場に出現し易い。その一方で穏やかな街に現れることは滅多にないのだが眼前の一角剛鬼は街中で暴れていた。逃げ惑う人々の中で逃げ遅れた子どもに一角剛鬼の魔の手が伸びる。
「攻之壱式!」
ミネは全力で駆け抜け一角剛鬼の腹部に鉄拳を放っていた。一角剛鬼は大きく後方に吹き飛ぶ。
「大丈夫!」
「う、うん」
子どもに向かって話しかけるミネ。どうやら無事だったようで近くにいた大人の男性が駆けつけて来て抱き上げる。
「あんたも早く逃げるんだ」
「いいえ、私はここであいつを引き止めます。その間にみなさんは逃げてください」
「しかし鉄拳使いみたいだが女性一人で立ち向かうのは」
「早く!」
「わ、分かった。無茶はするなよ」
そう言って逃げる男と子どもを見てからミネは前を向く。一角剛鬼は立ち上がってミネを見ていた。
(鉄拳は打ち込んだけどダメージがあるようには思えない。未熟ね、急所に上手く打ち込めなかった。やはり訓練と実戦は違う)
ミネは構える。それを見て一角剛鬼はミネに襲い掛かってくる。
(この戦闘で鉄拳の急所打ちをモノにしてみせる!)
そう決意するミネに拳を振るう一角剛鬼。ミネは体を固めて回避に徹するが一角剛鬼が拳を当てたところを見て戦慄する。
木は砕かれ鉄は割られる。一角剛鬼の拳は鉄拳使いと同等の威力を秘めている。唯一の違いは一角剛鬼の拳は威力のみで鉄拳使いのように急所を狙っているわけではない。ゆえに大地を割ることは出来ないがそれでもただのパンチが鉄を割るとなると脅威以外の何者でもない。また一角剛鬼は鉄拳に耐えうる強靭な肉体を持っている。
(鍛え抜かれた肉体。それゆえに急所が小さい。これでは急所打ちの成功率が低い)
ミネがそんなことを考えている内にも一角剛鬼はミネに拳を振るってくる。その拳に対してミネは自分の拳をぶつけて応戦する。ミネはまるで鉄拳使い同士の戦いだと錯覚するほど一角剛鬼の拳は強固だった。拳を交える中でミネは戦闘中に急所打ちを行うと言う事の難しさを実感していた。
(敵は常に動き続けている。その上急所は防御を固められているから急所打ちに持っていけない)
得意の崩し技も一角剛鬼の猛攻で腕を掴めないでいた。
それでもミネは我慢強くチャンスを待った。
そして一角剛鬼がフックを繰り出しミネはそれを回避する。
(チャンス!)
ミネは空振りに終わった一角剛鬼の腕を掴みその重心を崩す。一角剛鬼はそれによって体勢を崩されその隙にミネの鉄拳が、突くはずだった。
(動かない!何て強靭な足腰!!)
一角剛鬼の強靭な足腰によってミネの崩し技が破られる。そして一角剛鬼は空振りに終わって腕を引き戻し、それを咄嗟に回避しようと後退したミネだったが一角剛鬼の裏拳が直撃する。
「っつう!!」
ミネは地面を転びながら受身を取りダメージを最小限に止めながら転がる勢いを利用して立ち上がり構える。咄嗟の裏拳を直撃しつつも体勢を立て直したミネを褒めるべきだろうが、一角剛鬼はすでに追撃していた。
立ち上がったミネに拳を繰り出す。ミネも同じように鉄拳で対抗する。ぶつかり合う拳と拳。その中でミネは急所に打ち込むと言う事を考える暇がなかった。そんなことを考えている暇がないほど一角剛鬼の拳は強力でその猛攻は激しかったのだ。
ミネは全力で鉄拳による応戦をしていた。
(硬い。拳の堅固さはもとより体の使い方、並外れたバランス感覚による無駄のない動き。そして急所を守る防御の手堅さ。攻防ともに高い能力を誇る。これが一角剛鬼!!)
ミネはこれまで戦った敵の中で1、2を争う敵だと実感していた。だからこそこれまでよりも神経を研ぎ澄まし、集中して敵の攻撃に対応しながら観察する。
一角剛鬼に間合いを詰めるミネ。一角剛鬼のは自分の間合いに入ってきたミネに容赦ない拳の弾幕を浴びせる。それを鉄拳で受けながら少しずつ前進するミネ。だがそれは一角剛鬼の殺傷圏内に入っていると言う事だった。
ミネが一歩踏み出すと一角剛鬼は強烈なストレートを放ってきた。集中した状態でなければ反応することすらできないスピードのストレート。それを回避するのではなく正面から左拳で受ける。弾かれる互いの拳。その反動を利用して鉄拳の技が放たれる。
「攻之参式・昇!!」
相手の攻撃を正面から受けその反動を利用して攻撃を繰り出す攻之参式。それをストレートではなくアッパーに変化させた参式の変化技でミネは一角剛鬼の肘を狙う。
打ち上げられた鉄拳が一角剛鬼の肘に直撃する。
「グガ!」
短いうめき声をあげて一角剛鬼は逆の腕から拳を繰り出す。それをミネは素早くガードしたがガードの上から殴られても吹き飛ばされてしまった。
(相変わらず凄い威力。それに肘打ちをしたのに呻き声だけだなんて。骨折を狙っていたのに関節部分まで強靭なの!一体どうすれば倒せるの!!)
そうして追い詰められていたミネは再び一角剛鬼の猛攻を受ける。防御と回避を駆使しながら致命傷は免れるがそれでもダメージが蓄積していった。
耐え忍ぶミネだったが意識が朦朧とし限界が来ようとしていた。
(このままじゃ)
霞む視界に危機感を募らせるミネの脳裏にミツルの顔が浮かぶ。
「!!」
ミネは意識を保ち一角剛鬼を観察する。そして「それ」を見つける。
一角剛鬼が肘打ちをしたほうの腕で拳を繰り出す。
それを鉄拳で弾くミネ。すかさず一角剛鬼は逆の腕でストレートを繰り出す。
ミネはそれを紙一重で回避して一角剛鬼の急所の一つであるわき腹に向かって鉄拳を放つ。そこは今まで腕によって守られていた場所だ。しかし今は肘打ちした方の腕がわずかに動きが鈍っていた。その僅かな隙を見つけたミネはその一瞬に掛けた。
腕を下ろしてガードしてくる一角剛鬼。
拳を突き出し急所を狙うミネ。
先にたどり着いたのはミネの拳だった。鉄拳は急所に打ち込まれ奇妙な音を立てて一角剛鬼の肋骨の折れる音がした。
「グオオッ!!」
一角剛鬼は吐血する。硬直した体にミネはもう一方の拳でもう一つの急所である鳩尾に鉄拳を打つ。一角剛鬼の巨体は後方に吹き飛び骨の折れる音を立てながらその体は地面へと倒れた。
「フグッ!!」
地面に倒れた一角剛鬼は一回吐血してそのまま動かなくなった。
「た、倒せた」
ミネはそのまま地面に倒れてしまった。
ミネが意識を取り戻すとそこは木造の部屋の中だった。
「ここは」
「あ、お姉ちゃん!」
ミネの視界に子どもの顔が入ってくる。
「あなたは」
うろ覚えな記憶から一角剛鬼に襲われた子どもであることを思い出す。
「パパ!お姉ちゃん目を覚ましたよ!」
「本当か」
そうして出てきたのは子どもを連れて行った男だった。どうやら子どもの父親だったようだ。
子どもを避難させた後でミネが戦っているところに戻ってきた男はその戦いを見ていた。一角剛鬼が倒れミネが意識を失うとすぐに飛び出していきミネを担いで家まで連れて行ったのだ。そして手当てをしてミネを寝かせている間に他の村人を呼び一角剛鬼の死体を処理させた。
「君のお陰で皆が助かった。ありがとう」
「ありがとうお姉ちゃん!」
そう言って親子から礼を言われたミネは照れくさそうに頬をかく。しかし戦闘で疲弊していたミネは体力を回復させるのに時間が掛かった。
親子の看病のお陰でしばらくして立てるようになったミネは早々にミツルの元へと向かった。引き止める親子に礼を言ってからミネは出発した。
(早く行かないとあの人は先に戦いに赴いてしまうかもしれない)
ミネが親子の下で回復する間に約束の一ヶ月が近づいていた。ミネは足早にミツルの元へと向かった。