朱銀の魔女
ほほに触れる土は、温かかった。
意識がゆっくりと、浮かび上がる。
その途中で感じた温もり。いつか感じた、ゴトゴトという音と共に、彼女と一緒に寝転がった、川辺での温もりを、なぜか僕は思い出していた。
冬を間近にしたこの季節は、風も、大地も冷たくなっていく。
収穫祭も終わり、町の大通りにある並木道が落ち葉で埋まる頃に、僕の誕生日が来た。
朝起きて、母の作ってくれたバゲットサンドを急いで口に詰め込んで、目の前で食後の紅茶を味わっていた父に笑われて、それでも急いで支度をして、我が家から飛び出した時に感じた、刺すような冷たさ。幼馴染の彼女が、寒そうに震えて待っていたその光景。
おはようと声をかけようとした瞬間に、
「遅いっ!!レディを待たせるなんて男の子として最低よバカっ!!」
と、怒られた僕は、とりあえずいつものようにペコペコ謝っていた。
彼女は幼馴染のアリス。
僕のお父さんは花屋さんをしているけど、アリスの家はそのすぐ近くにある大きなお店の2階。
小さい頃、お父さんとお母さんが働いている間、僕は暇だったので近くで遊んでいたんだけど、その時に同じく暇だったアリスと仲良くなり、いつのまにか一緒に遊ぶようになった。
そのうち僕のお母さんとアリスのお母さんが仲良くなり、お父さん同士も仲良くなった。
そうやって何年も暮らして来て、学校に通うようになってからは少しづつ遊ばなくなっていった。
でも、なぜかアリスは毎朝僕を迎えに来てくれて、でも毎朝こうやって遅いと怒る。
そのうちアリスが怒って、僕が謝るのが朝の挨拶みたいになってしまったけど、今日は日曜で学校も休みなんだし、ちょっとぐらい寝坊してもいいじゃないかと思ってた。言わないけど。
僕らは買い物の約束をしていて、町で唯一の商店街へ向かう予定だった。
でも怒ったアリスは罰として自分の行きたいところに付いてくるように!と、僕の手を引っ張って別の方向に歩き出した。手を握るなんて友達に見られたら恥ずかしいので嫌だったけど、離せばもっと怒られるのはわかってたのでそのままにしておいた。
アリスが向かったのは町外れにある小川、そこにある小さな水車小屋だった。
そこは僕らが昔よく遊んだ場所で、ずいぶんと久しぶりに訪れたせいか、前よりちっちゃくなったような気がした。なぜこんな所に連れて来たのかわからなかった僕に、アリスは少し恥ずかしそうに
「約束、憶えてる?」と、問いかけてきた。
僕がなんのことかわからずに首をひねっていると、アリスは白い目で僕を見た。
お父さんがよく言っていた、絶対に逆らってはいけないお母さんの目によく似ていて、僕は慌てて謝った。アリスは怒った後に少し残念そうに僕の手を握りなおして、
「私は、忘れてないから」と、言って歩き出した。
僕はその横顔が大人のように見えて、少しドキドキした。
商店街に着いたのは、ちょうどお昼頃だった。
お店が並ぶ小さな道を、大通りとなる並木道が繋いでいる。僕らの町はとても古く、たまに物好きな観光客が建物の写真を撮っている。そこはいつも犬がおしっこしてる場所だよ、と教えるか迷ったけど、アリスが手を引っ張るので伝えられず、観光客は何度もその場所をカメラで撮っていた。
アリスは「お昼にしましょう!」と、なぜか少し興奮した様子で、通りの真ん中にある広場の、一番目立つカフェに僕を連れて行った。そこは広場の一角にテーブルと椅子、そしてパラソルを立てて食事が出来るお店で、彼女は迷いなくその一つに突撃していった。
僕はなにもこの寒い日に、他の人から丸見えな席でご飯を食べなくても、と、小さな声で抗議したが、アリスの目からまた感情が消えていくのを感じて、全力でその考えの素晴らしさを褒め称えた。
ジト目で僕を見るアリスに僕はおしっこがちびりそうになったけど、優しそうな女性の店員さんが僕らの席へやってきて、「あら、可愛いカップルですね。お似合いですよ」と笑って話しかけてからは、少し機嫌を取り戻したみたいだった。僕は否定しようと思ったが、それを口にすればどうなるかと想像して一人で震え上がり、何を食べるかアリスに相談する事で平和的にお昼を食べることが出来た。
食べた後で、僕らは紅茶だけ頼み、大量の砂糖を放り混んで味わっていたが、彼女はおもむろに鞄から袋を取り出して、僕に渡してきた。僕はプレゼントだ!!と、喜び勇んで袋を開けたが、中から出てきたのはボロボロの焼き菓子だった。動物のようなモンスターの形をしたそれに僕が絶句していると、彼女は良い意味で驚いたと思ったらしく、僕に食べて感想を言うように命令してきた。
僕はその怪しげななにかを、今日一番の勇気を振り絞って口に放りこみ、想像を絶する味に涙を浮かべたが、彼女はニコニコしながら「おいしい?」と、まるで逆らったら地獄行きだぞ?と告げる天使のように僕に聞いてきたので、僕は「天国が見えた」と彼女に伝えた。嘘は言ってないと思う。
すっかり機嫌を取り戻した彼女は、その後商店街を歩き回っては立ち止まり、僕にさっぱりわからない服の話や、部屋に置く小物として何が一番素敵なのかを真剣に語っていた。
僕は今日が自分の誕生日である事を彼女が完全に忘れている事に呆れてはいたが、父に機嫌の良い女性には無条件に従うよう教育されていたので、そんな空気は全て隠し通した。それが功を奏してか、彼女はとても楽しそうに買いもしない品物を選び続けていた。
そうこうしてるうちに夕方となり、そろそろ家に帰らないと、とアリスに伝えると、彼女は再び手を握り、もう少し歩こうとせがんできた。何度か同級生ともすれ違い、冷やかされたりして僕はとても疲れてたけど、帰る時間ギリギリまで僕らは町を歩き続け、そして、「そろそろ帰ろうか」と、満足したような彼女の一言で、ようやく今日という日が終わることを、最後まで五体満足で家に帰れる事を神様に感謝した。
そして、彼女は、少し恥ずかしそうに僕にこう伝えた。
「お誕生日おめでとう、アルフレッド・クルサード。また来年も二人で歩こうね」
僕は不覚にも、彼女を可愛いと思ってしまった。
そして、そして。
少しづつ意識が戻ってくる。昼に嗅いだ焼き菓子の、焼け過ぎた小麦粉の匂いを思い出すかのように、鼻から通る空気を味わってみた。広がったのは、焼けた肉の匂い。ひどく埃っぽいそれにむせた僕は、咳と共に脳天から身体を貫く激痛に思わず悲鳴をあげた。声にならないそれは、ただヒュウヒュウと、喉からか細く通るだけだったけど。
でも、『それ』は気付いた。
僕がまだ、生きていることに。
音が急に飛び込んできた。
何度も響く爆発音、遠くから聞こえる悲鳴と怒号。何かがガラガラと崩れる音、パチパチと燃える音、奇妙な唸り声、それに混じった、女の声。僕の耳は聞きたくない音を遮断し、その女の声にその全てを向ける。目はまだ開きたくない、たぶん、見てはいけないものを見てしまうから。
「驚いた、まだ生きているのか?少年」
その声を聞いた瞬間に、全てを思い出す。
二人で手を繋ぎなおして、家に向かおうと歩き始めたその時に、突然凄まじい爆発と轟音が僕らを襲ったこと、そして空からたくさんの何かが、町の人に襲いかかり、すぐ隣から悲鳴があがったのと同時に僕は何かに吹き飛ばされて、その後も何度も吹き飛ばされて、世界は真っ暗になった。
ハッ、と気づき思わず左手を握りしめて、さっきまで繋いでいた、柔らかくて温かい感触が無くなっている事に気づいた。何度も手を開いては握りしめたけど、あるはずの大切な何かは無くなっていた。僕は考えたくない現実を見るために、開きたくないまぶたを無理やり開かせた。
まぶたが震える、全身が震える。
恐怖に、恐怖に、恐怖に、そして恐怖に。
ゆっくりと脳が認識した情報が映像化され、あるべきではない光景を僕に突きつけた。視界の端にとらえた空は夕焼けではなく、薄紫に染まり、夜の訪れを知らせていた。レンガで出来た古い町並みは、もう観光名所としての役目を果たさないほどに崩れていた。道路を挟むように並んで立っていた街路樹は、乾いた音を立てて燃え盛る。石畳の道路はめくれあがり、その下に隠れていた大地は、炎の輻射熱で春のように暖められていた。僕は、その暖められた地面に倒れていた。
「君達はとても美味しそうだったので手加減はしたが、多少やりすぎてしまったようだ。久しぶりで、どうやら私も少し力が入ってしまったらしい。いやはや困ったものだ!謝罪しよう、少年」
声の主は酔ったような声で僕に話しかけてくる。
その声は誰よりも魅力的で、何よりも蠱惑的だった。僕はその声をもっと聞きたくて、発せられた方に視線を向ける。うつ伏せになった僕の目は、横向きの燃え盛り滅びゆく町から、縦向きの影へと映す対象を変えていく。ゆっくりと首を動かしていき、やがて真紅の瞳を、まるで蟻の巣を潰す子供のような無邪気な視線を、僕は正面にとらえた。
「どうかね?少年。この街は美しいだろう?やはり彩るなら朱が良い!・・そう思わないか?」
町の一番大通りの真ん中に、その女は立っていた。
まるで高価な宝石のような紅い瞳を輝かせて、周囲には数名の若い女性が倒れている。全員が首から血を流していて、もうピクリとも動かなくなっていた。女は丁寧にハンカチで口を拭きながら、手に掴んでいた女性の手首を離して、ドサリ、と力なく倒れ落ちるそれには目もくれず、ジッと僕を見つめていた。
「あ・・うぁ・・ぁ・・」
「ハハハッ!!声も無いか!そうであろう、私もなかなかの出来だと自賛している!!」
その女は、病的に白い肌を少し紅潮させて、哄笑した。
何がそんなに楽しいのか、両手をおもむろに高々と上げながらも笑い続けて。
細い体つきに纏わり付くような、それでいてくびれた腰と豊かな胸を強調するデザインの漆黒のイブニングドレスと、それに合わせるような黒革のブーツとロンググローブが、白磁のような滑らかな肌を強調させている。淑女の装いに革のブーツやグローブという考えられない組み合わせも、その腰に巻かれた禍々しいベルトと釣られた豪奢な刺突剣と合わせて見れば、異様な女の雰囲気に溶け込むかのように見えた。
女は笑いながらクルクルと、まるで踊るように手を広げてその場で回り出した。そこが歌劇の壇上であるかのように。それに従い、ふわりと浮いて大きく広がる朱色の長髪。
・・・いや、朱色では無い。ところどころに混じる光の反射、黒でもなく白でもない。
この女の髪は・・銀色なんだ。
それが、まるで、『何か』で染められたように朱く輝いている。
「素晴らしいっ!そう、これだから止められん。極上の景色に!極上の美酒!私が求めているのはコレなのだよ、少年。大切なのは量などでは無い、質的な美こそが私を高揚させるのだよ!わかるかね!?」
叫んだ女はゆっくりと回転を止めて、僕の正面でスカートを広げてお辞儀をする。
顔を上げた女の頰は上気し、異様な色気を放っていたが、それ以上に常軌を逸しているとしか思えないその言動と、首を振られただけで綺麗に纏まり収まる、その美しい銀髪に目を奪われた。
だが、髪の動きを目で追った僕は気付いた。女の後ろに、もう一人誰かが立っている事に。
それは、それは。
「ふむ、そういえば君はこの娘と仲が良さそうだったな?」
「あ・・あ・・・っ!」
「フフフ、どうした?そんな物欲しそうに手を出して?欲しいのか?この娘が?」
身体を半歩ずらして、クスクスと口を手で隠して嗤う女は、立っていた少女の後ろに一瞬で廻り、肩に顎を乗せた。少女の目は虚ろで、綺麗だったプラチナブロンドの髪は煤け、とっておきなの!と自慢していた服は破れてボロボロになっていた。今日の朝、僕の家の前で立っていた、口が悪くて男勝りで、それでも僕の誕生日に一緒に買い物に行こうと誘ってくれた幼馴染の彼女は、人形のように立っているだけのモノになってしまっていた。僕のことも何もかも、置いていったような目で。
「イケナイな、少年。この娘はもう私のモノだ。君には触れることも、話しかけることも、我々が出会った時のように手を繋ぐことも許されないのだよ。残念だがな、少年。諦めたまえ」
まるで所有権を主張するかのように、ゆっくりと両腕で彼女を包む。
そしてその唇から白い牙を覗かせて、彼女の首筋を、舐めた。
「ああ、甘い。極上だ。このような場所で、このような美酒に出会えるとは・・あやつとの約束などどうでもよくなる。だがしかし、私は大好きなモノは後で楽しむ主義なのだよ。わかるだろう?」
「は・・なせ・・アリスを・・」
「ほほう!?アリスと言うのか、この美酒の名は!!良いな、良い名だ。教えてくれて感謝するぞ少年。・・そうだ、君に褒美をやろう!私だけ楽しむのも忍びないのでな、ぜひ受け取って欲しい!」
彼女の肩から顔を上げ喜ぶ女は、左手を広げて一本の指を濡れた唇に含み、そして、咬みちぎった。傷口から吹き出す血の色は朱く、その時に僕は、女の髪を染めているのが何なのかに気付いた。
それは、血だった。周囲に倒れる女たちの、真っ白になった体の中にあったモノ。
再び震えが止まらなくなった僕に気づかず、女は口から咬みちぎった指先を吐き出した。真っ赤な血に塗れたそれは地面に転がる寸前で止まり、内側から肉が盛り上がるように膨らんでいく。
やがて拳ほどの大きさになったぬめりとした朱いソレは、まるで充分に栄養を吸った蛭のようにウネウネと体をくねらせて、ゆっくりと這いながら僕に近づいてきた。
「喜ぶが良い、私がこれほど気前が良いのは初めてだと思う。どうかゆっくりと味わってくれ」
そういって破顔した女の背中から、大きな蝙蝠のような翼が飛び出した。
その間にも、蛭のような朱い何かは、僕の顔めがけてウネウネと近づいてくる。僕は必死で逃げようと、そして女を追いかけようともがいたが、身体は痺れて言うことを聞いてくれなかった。
「では、またな少年。我々の積年の想いを、その身で存分に味わってくれたまえ」
そう言い残し、アリスを抱えた女は翼を羽ばたかせ、一瞬で空へと舞い上がった。
僕はほんの2m程まで迫った蛭から、気が狂いそうな程の絶叫を上げて逃れようとしたが、声すらもあげられないことに気付いて、絶望と共に諦めた。ただ、女の姿を探して、空の一点だけを見つめて。翼を広げた女は鳥のように空を大きく一回りし、信じられない速度で遠い夜空の中に消えていった。僕は近づいてくる蛭も、遠くから取り囲んでくる傾いた人影も見ずに、ずっと空を眺めていた。
やがて、全ては再び真っ暗になった。
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第1話 極東
「おいっ!アル!そろそろ準備しないとどやされるぞっ!!」
肩を揺すられて、僕は目を覚ました。
ちょうど正午を過ぎた頃、僕は寄港前の準備をするために自室で身支度を行なっていた。
だが、まるで天国から神様が降りてきたかのような暖かい日差しと、昨夜遅くまで目視での夜間哨戒に就いていたためか、いつのまにか睡魔に負けてしまったようだ。それで見たのがいつかの悪夢というのも皮肉なものだけど。僕は大きく伸びをしながら、同期の友人に挨拶をした。
「おはよう、ブレン。もう艦はヨコスカに着いたの?」
「あのな、民間船じゃないんだから着く前にやることあるだろ?色々とよ・・」
「アルは普段は真面目なのに、たまに天然だよね」
「うるさいな・・別に正規の軍人じゃないんだからいいだろ」
「軍属は軍人と変わらねーっての、ほらバッグ持てよ。ブリーフィング後に甲板集合だぜ」
そういって僕のバッグを渡してくれたのは、同期のブレン・リチャード。隣で微笑んでいるロイ・ブラウンと同じ、AEFの候補生であり、同期でもある友人だ。
僕ら候補生は正規の対アークエネミー掃討軍、略称AEFに志願しているが、スクールを卒業して1年の間、実地で経験を積むまで軍属扱いであり、正式な士官として任官されるかどうかは、その成績次第となる。AEFは、1945年に合衆国で発生した紅い光の柱、ブラッドピラーによって出現した各種危険生物の駆除、及び人類の守護を目的とした軍事機関だ。僕らはそのAEFに所属する航空母艦『フォーミダブル』に乗艦し、極東にあるヨコスカ基地に向かい、そこで対エネミー戦を経験する事になっている。
「まったく、のんびりしてやがるぜ。日本に着いたらセップクさせられるんじゃねーか?」
「ブレン、それは偏見だと思うよ?」
「わかんねーぞ?なんせニンジャの国だからな、オリエンタルファンタジーだぜ!?」
「別になんでもいいよ。アイツが日本にいるって話が本当なら、どこでも行ってやる」
「・・アル、俺らじゃ『朱銀の魔女』には勝てねーよ。下手すりゃ師団規模でも皆殺しにされるような化け物を相手にするなんて、聖人級でも一人じゃ無理だろ?」
僕は身体を駆け巡る怒りのままに、ブレンを睨みつけた。
先ほど見た悪夢、英国のウェールズ近くにある小さな歴史ある町を襲った悲劇。住民約3万人のうち、生存者がわずか数百人という大殺戮の主犯にして、大敵である真祖級ヴァンパイアとその一党が現れるはずのない英国を襲った初めての事件。そして幼馴染であるアリスを攫い、僕をこんな身体にしたあの時の事を、一生忘れることは無いだろう。
あの女、全身を漆黒の衣装で包んだあれこそが『朱銀の魔女』だ。
僕は気を失い、血を吸われた住民が成り果てた大量の食人鬼に囲まれていた所を、AEFの部隊に救われた。緊急出動した彼らが到着した時には、すでに町は壊滅しており、彼らは初期に逃げられたわずかな住民と、町の中心部で発見されたただ一人の生還者である僕を助けた後、反応魔導弾によって町ごと溢れるグールを消滅させたのだ。結果的に英国はグールの集団感染を防ぎ、以前と変わらず対エネミー戦の主軸国として存在しているが、海を渡れないはずの吸血鬼が、なぜ大陸から島国である英国へ移動出来きたのかなど、未だ全貌が明らかになった訳ではない。
「あの事件の時にお前を助けてくれた、聖堂騎士団の兄さんも日本にいるんだろ?あの人ならヴァンパイアにも対抗できるかもしれねーけど、普通の俺らにゃ無理だぜ」
「そんな事はない!僕らだって訓練してきたし、正規の士官になって戦功を積めば・・」
「僕達は魔力適正が無いんだし、対魔装備も起動出来ない。通常火器じゃ傷もつけられない相手に戦うのは無謀だと思うよ。せいぜいグールを引きつけておいて、騎士を援護するのが精一杯じゃないかな?」
「ロイの言う通りだぜ?アル。命あってのものだね、だ。無茶考えるなよ」
そう、僕らには適正が無い。エネミーが生まれながらに持っている魔力、そしてそれにより生み出す物理防御フィールドを突破するには、同じく魔力適正を持ち、それにより駆動する対魔装備を身につけた『騎士』級以上の兵士でないと難しいという。だが、その魔力適正は生まれた時に有無が決まり、1万分の1と言われるそれを持っているナイト数十人ですら苦戦するのがヴァンパイアだ。適正無しで士官になれなかった僕たちは、通常火器による支援部隊の訓練を受けるために候補生として日本に向かっている。
そう、僕はあの魔女を傷つける力を持っていなかった。そして、贄とされただろうアリスの仇を討つ事も当然ながら出来ない。今の僕に出来る事は、ただ一つ。
「それでも、僕は諦めない。支援でも何でも、僕はあの魔女を殺せるなら何でもする」
「・・アル」
「・・そうだね、きっと俺たちにも出来る事はあるよ」
「・・ったく、しょうがねぇダチ持っちまったぜ。いざとなったら止めるからな?俺は!」
「ぷぷっ、ブレンもなんだかんだ言って優しいよね」
「んだとコノヤローッ!!カバンに突っ込んでるビーンズ全部海に捨てちまうぞ!!」
「や、やめてよぉ〜〜!?アレが無いと生きていけないよ〜っ!!」
僕はいい友人を持てたと思う。
でも、あの魔女を殺す事だけが、今の僕を動かしている。
例えそれが、自殺に近い事だったとしても、きっと後悔はしない。
そんな事を考えているうちに、艦内放送でブリーフィングルームへの集合命令が下された。
僕達は、小さなバッグを手にして、艦橋にあるルームへと駆け足しで向かった。
僕達が乗艦するフォーミダブルは、英国で竣工したニミッツ型航空母艦を改装したものだ。
本来は合衆国で設計されたそれは、二基の大型反応魔導炉によって半永久的に航海が可能であり、AV08SハリアーⅡ改汎用VSTOL攻撃機20機と、FA18Sストライクホーネット戦闘機20機を主力に各種作戦能力を高めたヘリを複数種搭載している。もはや旧式となりつつあるハリアー型を改修し、対エネミー戦に特化させた為に通常の搭載兵器では設備が足りず、魔力兵器充填用の小型魔道炉まで格納庫に積んでおり、この艦だけで大型エネミーにも対抗出来るだけの戦力を保持している。
だが、遠距離兵器では発生させられる魔力反応が薄く、結局は支援兵器レベルでしか性能を発揮出来ていない。だが、それでも傷一つ負わせられない通常兵器搭載艦よりはマシだ。戦闘の主役は対魔兵装に身を包んだ、AEFが誇る対エネミー部隊『聖堂騎士団』とその上位である『聖典騎士団』の兵士であり、空母や艦隊は彼らを素早く戦場へ送り込み、雑魚エネミーを掃討して後始末をするのが役割なのだから。
だが旗艦フォーミダブルを護衛する巡洋艦、駆逐艦、それに海中から襲いかかるエネミーに備える潜水艦など、世界に誇る王国海軍にも匹敵する陣容ではある。すでに何度かB級以下のエネミーによる襲撃を受けているが、それらは全て掃討している。人類の技術は常に進歩しており、食われるだけであったひと昔とは違う。
そうやって英国から大西洋を抜け、インド洋を渡り、ようやく目的地である日本を目前としているのだ。合衆国がエネミーの巣窟となり、人類の支配から離れてすでに10年ほど経過した今、パナマ運河から太平洋へ抜けるルートは使用出来ない。その為、思いの外長い航海となってしまった。
僕らは少し息を乱してブリーフィングルームへ飛び込み、控えている士官から冷たい目で見られながらも、所定の席に着いた。すでに席の大半が埋まっていたが、どうやら最後では無いらしい。少しホッとした僕らは、全員が揃うまで日本に上陸した後の休息時間をどう使うかを相談していた。
だが、しばらくして入室してきた艦隊司令の姿を見て席についていた全員が立ち上がり、一斉に敬礼する。艦隊司令は僕らの前に立ち、控えていた士官と小声で話した後、再び着席させた。
「諸君、どうやら無事にヨコスカへ運ぶ事が出来そうだ。あと2時間で本艦は日本に着く」
ワッ!と歓声が上がるも、前に立つ艦隊司令は厳しい顔のままそれを抑えた。
横に控えている中尉と思われる士官に指示し、背後のディスプレイに映像を出させた。
「さて、喜んではいられない。現在、我らが英国の同盟国である日本は、非常に重大な危機に瀕している。諸君も知っているだろう、脅威度SSS級のヴァンパイア、コードネーム『ヴァーミリオン』・・朱銀の魔女が姿を現したという情報を、我々AEFは入手した」
ディスプレイには大きく表示された日本の映像と、その中心付近に示された赤い丸が点滅している。そこにはナゴヤという都市名が記されていた。衛星から撮ったと思われるその拡大画像では、すでに都市の半分が焦土と化している。一体、どれほどの人命が失われたのか。
「確認されたのはヴァンパイアが数体、そしてデビルが数十体だ。どちらも中国では確認されていたが、日本では初めて姿を現している。我らが英国に続き、島国でヴァンパイアが確認されたのだ。これにより、ヴァンパイア種が渡航能力を獲得したという仮説は間違いないと判断され、その調査に我々は向かっている。ここまでは諸君らも知らされているだろう」
言葉を止めた司令は、一度手元のミネラルウォーターを口に含み、大きく息を吐き出した。
ここまでは、という言葉が気になる。僕たちが知らされていない事があるというのか?
そこで気付いた。このブリーフィングに集まっているのは、僕と同じ候補生ばかり。乗組員で上陸を予定しているのは僕らばかりではない。AEF最大級のサイズを誇るフォーミダブルを活かして、様々な特殊作戦群がこの艦に乗り込んでいる。航空機の搭載機数が定数より少ないのは、これら兵士や機材を積み込む為なのだ。その中で僕たちだけが知らされていない、いや、僕たちだけに知らせる必要があるからこそ、このブリーフィングは用意されたのではないだろうか?それは、いったい・・
沈黙が支配するブリーフィングルームで、再び司令の言葉が響いた。
「最高レベルの機密であり、直前まで知らせる事が出来なかった事を許してほしい。諸君ら候補生の任務は、実地訓練では無い。現地にいる新型対魔兵装のテスト部隊と合流し、その実験に参加する事である。これは非適正戦闘員に対魔戦闘能力を搭載するもので、すでに実験は実用段階に入っている」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
実地訓練では無い?新型対魔兵装?実験?それに・・対魔戦闘能力、僕のような適正が無い人間にも、エネミーを、あの女を殺せるようになるのか!?僕の身体を異様な興奮と歓喜が駆け巡った。
殺せる、あいつを殺せるんだ。父さんや母さんを肉片に変えて、町を焼き払って、僕をこんな目に合わせて、目の前でアリスを攫ったあいつを!!
「し、司令殿、リチャード候補生でありますっ!!質問がありますっ!!」
ガタッ、という椅子を退ける音と共に、僕の隣にいたブレンが立ち上がり、手を上げていた。
僕の熱くなっていた頭が急速に冷えて、周囲の状況が見えてきた。動揺からくるざわめきと、信じられないといった目で呆然とする候補生たち。何がそうさせるのか、僕と、キョロキョロしている一部の者には理解できなかったが、続く司令とブレンの会話で謎は解けた。
「質問を許可する、リチャード候補生。言ってみろ」
「アイ、サー!!その実験でありますが、我々に対魔兵装を『搭載』すると聞こえましたがっ!!」
「その通りだ、リチャード候補生」
ざわめきが沈黙に変わった。
そして、僕の中にもブレンが質問した内容が徐々に広がっていく。搭載?僕らに?
絶句した後、ブレンは最大級の勇気を振り絞り、質問を続けた。
だが、その声は震えて、裏返っていた。
「し、司令殿っ!!そ、そっ、それは我々が人体実験の被験者になるという事でしょうかっ!?」
「言葉通りの意味だ、リチャード候補生。諸君らは実験に参加し、任務を遂行してもらう」
感情を奥深くに殺した声と表情で、司令は静かに返答した。
人体実験。
確かに、日本は合衆国無き今、世界でトップを走る対魔兵器の製造開発国だ。
本国から逃れた膨大な数の合衆国民を受け入れ、そのテクノロジーで各国に技術提供を行い、このフォーミダブルのような航空母艦すら輸出している。海に囲まれている関係で水棲エネミーの襲撃に常に悩まされるとはいえ、脅威度が知能に比例して高い人型エネミーは、海に阻まれて侵入しづらいと聞く。よって国力の低下は英国に並んで少なく、国際連盟の常任理事国として、対エネミー戦に置いて重要な役割を果たしている。
実際、サイボーグ化などはすでに一般化されており、傭兵や民兵クラスでも手術を受ければ可能だ。だが、魔力兵装だけは扱う生物が適正を持たない場合、どうしても運用できなかった。魔力とは空気のようなものであり、それ単体では何の現象も起こさない無害なもの。それを兵器として運用するには着火よろしく魔力に『命令』を直接伝えねばならない。例えば斬る、潰す、燃やすなど、聖銀のような魔力伝導物質を触媒に、任意の現象を起こさせるトリガーが必要なのだ。
それゆえに、ミサイルなどに魔力タンクを詰め込んでも、弱いフィールドならともかく脅威度A以上指定されているエネミーの防壁は突破できない。空気を相手にぶつけているようなものだから。
「リチャード候補生、君の不安は理解できる。諸君ら候補生は全員15歳以下の年齢制限をクリアし、魔力適正はなくても高い身体能力と、魔力の受動能力を持っている事が検査でわかっている。これらが諸君らが選ばれ、この日本へ送られた本当の理由だ。諸君らは実験に参加し、対エネミー戦の中核となるべく派遣されたのだ」
司令は、落ち着いた、だが酷く乾いた声で候補生に真実を告げた。
士官を目指し、適正が無かったものの、実験材料としては使える。それが僕たちの評価だった。
人類世界の30%がエネミーに支配されてしまった今、再びこの地球で人類が繁栄するには、やつら、アークエネミーと呼ばれるモンスターを絶滅させなければならないと、どんな手段を使ってでも。
そう言うかのように。
静かになったブリーフィングルームで、ドスン、と、ブレンが椅子に腰を落とす音が響いた。
本来は上官の許可も無く席につくのは叱責や厳重注意の対象となるのだが、司令は何も言わなかった。だが、再び指示を出してディスプレイに新しい画像を投影させた彼は、先ほどの質問が無かったかのようにポインターでディスプレイの一部を示した。
「諸君らにはヨコスカ上陸後、トウキョウ北部にあるAEF技術研究所に向かってもらう。そこで最終的な身体検査を行い、通れば実験に参加、通らねば国防軍中部方面軍に編入され、そこで支援部隊に参加、現在エネミーが占拠しているアイチエリアからの侵攻を食い止める防衛任務についてもらう」
そう言って僕らの方へ向き直した司令は、腕に巻かれたアナログ時計を確認し、告げた。
「あと1時間でヨコスカに到着する。もし前述したこれら任務を拒否、脱走した場合、軍規に従い略式裁判の後に極刑となる。最高機密であるため、これら一切の内容を口外した場合も同様である。これらは入隊時の制約条項に記載されており、諸君らに拒否権は無い。・・では、解散する」
一方的に、選択肢は無いと突きつけた司令は、コツコツと軍靴の音を響かせて退室した。
部屋を出る直前、その分厚い手を握りしめたのは、僕らへの同情からだったのだろうか?それとも、自分の子供ほどの少年少女に、人体実験か、それとも最前線で死ぬか、それしか伝える事が出来ない自分の無力さに怒りを覚えたのか。どちらにせよ、僕らの運命は決まってしまった。
いや、ずっと前に決まっていたのだろう、AEFのドアを叩いたその時から。
僕らは、何も映さなくなったディスプレイをただ呆然と眺めていた。
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