光を見ることができるのか
「はい。ここからは6万円になるけど、大丈夫だよね?」
オレンジ色の薄明りがついた狭い個室で、女は私のパンツを下げてそう言った。私は、夜の新宿で、あまり気が進まないが空いているのは、そこしか無いという理由で選んだ風俗店に向かっていた。そんな時、路地から出てきたスーツを着た調子の良い男に、もっと良いところがある、1時間、1万円ポッキリで本番までと言われて、まんまと騙されたわけだ。ホテルの場所をプリントアウトした汚い白黒の紙を渡された時点で気づくべきだった。欲望が沸点に達していることで、いつだって人は騙される。
「1万円でそれ以上かからない、と聞いたけど?」
「何言ってるの?プレイは6万円からだから。」
「…。」
「ねえ、どうするの?ていうか、私がここに来た時点で6万円だから。」
「何言ってんだ?」
「いいから、金払えよぉ。じゃないと、こんな汚ねえモン咥えられるわけないじゃん。」
「もう、何もしたくなくなった。」と私が答えるや否や、
「ふざけんなよ。この野郎。」
女は、私の胸倉をつかみ、2発殴った。それほど痛くなかったが、女にグーで殴られるのは初めてだった。
「わかった。金は払うから、せめて服を着させてくれ。」
怪しまれないように、ゆっくりと服を着て、私は立ち去ろうと思った。ところが、女はそれに気づき、バッグの袖を握った。
「ふざけんなよ。この野郎。」
また、殴られた。さすがに、もう良いだろ、と思い、女の腕を振り払い、脇腹にナックルを叩き込んだ。女は倒れこんで、まだ金をとろうともがいていたが、それを後目に私は立ち去った。ポン引きに兄ちゃんに最初に1万円とられたまま、不快な思いをしてトボトボと私は歩いた。街のネオンが、私を嘲笑っているようだった。
どこかで一杯やりたい気分だった。少し路地裏に入ったところに、ちょうど、個人の飲食店が並んでいた。煙臭い店内は、赤ら顔のサラリーマンや若者でごった返していた。
カウンターでハイボールを飲みながら、やりきれない気持ちになった。人々は楽し気で、上司の悪口やイベント、サークル、恋愛相談が耳に入る。少ししょっぱい皮を食べながら、少しずつハイボールを飲む。アルコールが少しずつ回っていくのが分かった。
「焼き鳥頼みすぎたんだけど、食わない?」
「?」
「食わない?焼き鳥。」
チャラチャラした、変なサングラスをかけた若い男が話しかけてきた。
「もらって、いいの?」
「やるわけねえじゃん。ギャハハ。」
それを見て、仲間らしき奴等も笑った。
「ひでえな。なおゆきー。ギャハハ。」
少し、イラッとしたが、無視して焼き鳥を齧った。なおゆきと言うヤツが席に戻った後、その席のリーダー格と思われるヤツが話しかけてきた。
「お兄さん、悪かったね。ハイボールくださぁい。」
ちらりと彼を観察すると、黒いロン毛で、白シャツを着ていて、どこか良い匂いがする。不良なんだろうが、どこか爽やかさがあるヤツだ。
ウェイターが、運んできたところで、
「あそこのテーブルにつけといて。」と、彼は言った。
「どうも。」と、礼を言うと
「まぁ。これ、やっちゃってよ。」と、焼き鳥とハイボールをこっちに寄せてきた。
「で、お兄さん、何歳?」
「23だけど。」
「あ、俺らの3個上だ。先輩に失礼しました。」
「いいよ。別に。」
「何か、嫌なことでもあったの?」
「 … 。どうして?」
「見た感じ、すげぇ、キレ気味だし。」
「 … 。」
「あ、先輩に失礼しました。」
と、彼は言いながらニコッと笑った。
「馬鹿にしてんだろ。」
「嘘×2」
と、彼はケタケタ笑った。
「しゅう~。何してんだよぉ~」
仲間に呼ばれて、テーブルを拳で軽くコツンとやり、彼はテーブルに戻った。
「バイバイキーン。」
変なヤツだ。彼から貰ったハイボールを飲み干して、店を出ようとしたら、また、テーブルの奴等が
「さよなら、さよなら、さよなら。」
と、言ってきた。淀川ちょうじだったか?忘れた。私は、一瞥して、のれんをくぐった。
「ノリ、悪っ。」「やめろって。」と、言う声後ろからした。
季節は、秋になったばかりだが、風が少し肌寒くかんじる。あてもなく、フラフラとネオン街を行ったり来たりしていた。すると、さっき、私をぼったくった黒いスーツを来た客引きを見つけた。一気に頭に血が上った。懲らしめなければならない。ただ、私は目が悪いので、相手に近づく必要がある。
「あれ?お兄さん!どうでした。楽しめましたか?」
「いや、ぼったくられた。何もしてくれなかったけど。」
「マジすか?うちは、紹介をしてるだけで、女の子は別会社なんですよ。ちょっと、待っててください。言ってきます。」
そういうことか、と思い、肌寒い中、待った。することも無かったので、タバコに火をつけた。寒い空気に煙を吐くのが好きだ。全く何処から来て何処に行くのか、人々が行き交う。5本目のタバコに火をつけた時、騙されていることを悟った。客引きはトンズラしただけだったのだ。ここにいても、どうしようもないので、またフラフラと歩いた。すると、公園の手前で、また客引きを見つけた。今度は、大柄な柔道家のようなスーツを着た男と談笑していた。もっと、近づく必要がある。私は、目が悪い。
「どうでした?」という私の質問に対して、
「いや~、不在でしたね~。」と、客引きは言った。
そして、大柄な男はニヤニヤしながら、
「お兄さん、遊んでそうだし、もう一軒行っちゃいますか!?」
と言った。
私は、「いや~」と、苦笑いをした。大男は、油断して、弛緩しているのを感じたその瞬間、
鼻と唇の間の人中に鉄ビシをかました。あ、といって、大男はうずくまった。すると、もう一人のほうは、てめえ、と言って、殴りかかってきた。あろうことか、私に手を差し出してきたのだ。そのまま、手をつかみ、一本背負いをした。致命傷を負わせるため、後頭部をアスファルトに打ち付けるように一本背負いをしたところ、受け身をとれずにホントに後頭部を打ち付けた。大男はひるんでいたので、そのまま、髪の毛をつかみ、目の柔らかいところに膝蹴りをかました。5発ほど膝蹴りをかました後、首を絞めた。もう一人に注意を払っているが、倒れたまま、反撃の様子は無い。
「おい、あれ。」という声が聞こえた。
さっきの焼き鳥屋の連中が見えた。リーダー格の白シャツ男が私の方に走ってきて、「お兄さん、辞めなって」と、真剣な顔で言った。私は、渋々手を離し、大男はゲホゲホと咳き込んだ。唇からは、唾液が滴っていた。
「行こう。」
「…。」
「行こう。早く!」
白シャツに腕を捕まれながら、渋々、小走りでそこを後にした。