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でもきっと、私は息を殺す

作者: =Moto*


 私たちは、何かに依存し尽くしている。そう言えてしまえばどんなに楽だろうと、はたまた他人事のように考える。私はクラスの喧騒がどうにも好きになれなくて、誰もいなくなった放課後の教室に度々足を運んでは、自分の席に座った。教室のドアから一番近くって、何しろ夏場は冷房が直接当たる位置だから、私はそこがお気に入りだった。締め切った窓の向こうから聞こえてくる、気合の入った部活生の声が教室をより一層静かにさせた。私は物音を立てないようにと、そっと机の引き出しに手を入れ、雑に入れられた数枚のプリントを取り出す。現代文の授業で配布されたであろう一枚のプリントには、きいろの付箋紙が貼ってあって、丁寧な字で提出期限が書かれていた。私はその付箋紙だけを手に取り、残りは机の引き出しにゆっくりとしまい込んだ。自然と息を殺している自分にはっとして、少し大げさに息を吸い込んでから、きいろのそれに書かれた期限を見て、私は息を止めた。

 高校生にもなると、色々と考えて、色々なものに反発もしたくなるわけで、ただ私の場合は反発というより、色々なものに対して、ひどく期待してしまっていた。理想主義という言葉が似合うほど、きれいな理想を持ち合わせているわけではないし、今の現状を嘆くほどつらい人生を歩んでいるわけでもなかったから、私は高校生というものはそういうどうにでもなりそうな、見えないものに対して不安になったり、悲しくなったりする生き物なんだと思えた。だからだと思うけれど、きいろの付箋紙に書かれた期限を見たとき、私は消費期限とでもいうべきもののように感じて、涙を流した。まるで私に価値がなくなっていくような、そんな焦りを感じながら。

 なんてことのないはずの付箋紙に少し怯えながら、両手で握りつぶそうとするも、どうにも悲しくって、結局、少し雑に二つ折りにしてからスカートのポケットに丁寧にしまい込んだ。ふと見た教室の壁掛け時計の針は両方ともきっちりと真下を指していて、私はその針に釣られるように目線を自然と落としていった。俯向くに連れまぶたが落ちていき、ついこのあいだのことを思い出す。


「小夏さんはさ、好きな子とかいないの?」

 私を囲むようにして語りかけてくるクラスの女の子は、そういうことを言う。それに対するいつもの私の第一声はこう。

「このクラスには…いないかな」

 明確に誰かが好きなわけではない。でも、浮ついたこの空間の中でいると偽ることはもちろん、いないということを断言できてしまうほど、私は完璧にはなれなかった。

 学校という空間は不思議で、勉学とは名ばかりの、浮ついた空間になっている。女の子たちの間では特にそう。進級をしていくにつれ、スカートの丈は縮まっていく。スカートの丈が短かければ短いほど明るく元気な子で、長ければ長いほど地味な子なのだ。カラフルなボールペンも、リップから口紅に変わっていく。本を読んでばかりいた私には、瞬く間に世界が一変したように思えた。

 生きづらい、と私は感じた。彼女たちのようなあり方に憧れたりはしなかった。むしろ、彼女たちの生き方そのものを、少し軽蔑さえした。誰かに媚びようというその姿勢も、誰かに好かれようと尽くす姿勢も。けれど、あまりに冷め切って彼女たちを見ていた私には、何一つと誇れるものはなく、悲しい人間に思えた。そのことを認識してからは、溺れているような錯覚に陥り、息苦しく、辛く、妙に虚しく、声を出せずにいた。このクラスには私のような子は要らないのだと強く感じていたから。


「小夏さん?」

 目を開けると、副担任の先生が机の前に立っていた。私は少し驚いて、時計の方に視線を移す。時間はそれほど経っていなかった。

「どうしたの。忘れ物?」

「いえ。ちょっと」

 椅子の音を響かせながら、大きく立ち上がって何もなかったかのように颯爽と教室を出て行った。何かがあったわけではないけれど。

 

 学校に行かなくなってから数日。私は親には何も言えずに、制服姿に着替えて、いつものように、明るく家を飛び出す。途中までは私も普通に通学路を通るけれど、途中からは道を曲がるという朝を過ごしていた。行き先はなく、ただゆっくりと歩く。知っている道だと知り合いに出くわすかもしれないと、訳のわからない道に入り込んでから、座り込んで景色を眺めたりした。後ろめたさを感じながらも家には母がずっといるから、帰ろうにも帰れない。時間帯を考えるに平日の制服姿は目立つに違いないと思って、隠れるように人目のつかない駐車場で、読みかけの本を広げた。

 この生活には限界があると私は知っていた。ずっとなんてことはできない。いつかはあの教室へ足を運ばなければいけない。でも私は知らないふりをし続けた。考えることを放棄した。学校に行けない、明確な理由が欲しかった。永遠に病気にかかっていたかった。本を読みながらも、別のことをどこかで考えてしまっている自分にバカらしくもあって、どうして行きたくないのか分からない自分に苛ついた。


 放課後。下校の時刻がだいぶ過ぎてから、私は学校に通う。


 風が冷たい。夕日はもう沈みきっていて、あたりはもう暗い。暗闇に私だけの足音が響く。こんな時間だから校舎は閉め切っているけれど、学校の構造上、外階段を使えば渡り廊下には登れることになっていて、私は後ろめたさを感じつつも、静かな階段を足早に登りきり、風を感じながらゆっくりと渡り廊下を歩いていた。こんなにも静かだと声を荒げる気にもなれずに、おそらく校舎の方には警備の人が戸締りの確認を行いながらさまよっているのだろうと思いながら、気付かれないようにと、私は息を潜めていた。でも結構な段をガツガツと登った私の肺は音を立てるように妙に荒れ始めて、私は疲れきった息を鎮めるためにと、カバンにしまい込んでいた薄い桃味のするいろはすを口いっぱいに含んで、少し溺れるように、苦々と飲んだ。

 いつの間にか雨が降っていたらしく、足元のコンクリートが少しだけ月の光を反射させていた。それさえもなんだか儚げに思えて、鼻をすする。スマホの光が眩しく映る。画面は母親からの着信履歴で埋め尽くされていた。きっと、先生が何かしらの連絡したに違いない。私はそのことが嫌で仕方なくて、そっと端末を落とした。割れていく画面を想像しながら、なぜか虚しさを感じていた。ふいに何かにすがりたくなって、手すりを両手でぐっと掴むと、驚くような雨の冷たさを肌で感じた。

 私には、何がこうさせるのか、よく分からなかった。何かしらの価値を見出そうとしたのか、悩ましい現実から逃避したかったのか。

 私は、知らぬ間に冷えきってしまった手すりに共感するように、声を荒げ、涙を流し、そこから飛び降りた。


 また、雨が降り出す。飛び降りた私は運悪く、生きている。遺書なんていらない。ただ死んでいい理由が欲しかった。生きる理由なんていらなかった。身体中が痛い。死ぬ時は痛くないっていうから、私は多分、死ねない。

 きっと私は死にたかったわけじゃない。だって、本当に死にたかったなら、理由なんていらなかったはずだから。大粒の雨が刺さるように身体中を刺激する。これだけの痛みと対峙すると、やっぱり死んでしまいたかったと思う。スカートのポケットからきいろの付箋紙を取り出して、そこに書かれた日付を見つめる。やっぱり、私の価値がなくなる日付を表してるように思えた。クラスの中で、確かに価値がなくなっていくの感じていたから。


 私たちは、きっと何かに依存し尽くしている。それは恋人だったり、家族だったり。何だっていいけれど、依存し尽くしている。一人ではどうにもならないから。孤独は誰だって恐いはずだから。

 でもきっと、私は息を殺すだろう。

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