人の知性、魔獣の本能
フォレストウルフ。狼のような外見であり、その名の通り森を縄張りとする魔獣だ。
一匹一匹はさほど脅威ではない。冷静に対処すれば並の騎士でも十分対応出来る程度。だがフォレストウルフの恐るべきところは、群れを成したときの連携の高さだ。
十匹を超えた場合には騎士団の小隊程度では返り討ちに合うほどらしい。それが二十匹となれば、難易度は倍以上に跳ね上がるだろう。
だがその連携の高さの正体は、それを指示する者、つまり群れのボスという存在がいるからだ。
「逆を言えば、ボスさえ倒せば最大の長所である連携は崩壊する。ニーナ、ボス格はわかるか?」
「えっと……うん、大丈夫。明らかに一匹、感じ方が違うやつがいるよ」
馬を降りて木々の間を縫うように駆けながら訊ねれば、隣を滑空するニーナが頷きを見せた。
ニーナの腕は最初に出会ったときのように翼になっており、それを利用して低空飛行でこちらに追随している。以前までは飛ぶことも出来なかったらしいが、おそらく『才能開花』でロック鳥としての特性も完全に把握したんだろう。木々の間を危なげなく飛行する様は頼もしい。
ニーナはこれが初めての戦いとなる。開けた平野ならともかく、視界を遮る森の中なら人の目を気にする必要もない。全力でやってもらいたい。
「よし。なら判別のつく俺とニーナでボス格を叩く。シャロンとリリアナは取り巻きの足止めを」
「……了解。先行して魔獣たちの注意をこっちに引き付けるわ。シャロン、援護お願いね」
「わかりました!」
並走していたリリアナの姿が消える。『距離短縮』を用いた高速移動はもはや目で追うことすら難しい。
戦力の突出は戦術とすれば下策だが、今回は魔獣からアリスを救うことが目的。リリアナの言うとおり、魔獣の矛先をこちらに向けるには良い手だ。
「グガァ!?」
フォレストウルフ一匹の気配が消える。視界ではまだ見えないが、リリアナの奇襲が成功したんだろう。
俺たちが現場に着く頃には、更に二匹を討ち取っていた。さすがだな。
新たな乱入者である俺たちにフォレストウルフたちの視線が集まってくるが、無視。俺とニーナはすかさず群れのボスの位置を把握するため視線を巡らせる。
「あれだね!」
ニーナの断言に首肯する。外見は他のフォレストウルフたちと何一つ変わらないが、一匹だけ別格の気配を持つ存在がそこにいた。間違いない。あれこそがこの魔獣たちのボスだ。
「それも異能力持ち、か」
集中して『広域掌握』で見たところ、そのフォレストウルフは『軍団統率(同種)』という異能力を持っていた。
どうやら自らの指示にあまり疑問を覚えられない、指示によって動く者の能力を若干底上げする、といった他者の肉体・精神どちらにも働きかける異能力らしい。
フォレストウルフは群れを作る有名な魔獣だが、その群れのリーダー全てがこの異能力を持っているんだろうか? 異能力は希少、という前提を考慮すればそれはないだろう。もしもこいつだけが持っている能力ということなら、この群れが従来より厄介な敵ということになる。注意すべきだろう。
「ニーナ。お前はまだ戦闘経験がない。あまり無理はするなよ」
「ありがとう。でも多分、大丈夫。この身体の動かし方、狩りの仕方は、身体が覚えてるみたいだから」
隙を窺っていたフォレストウルフが左手から噛みつかんと襲い掛かるが、ニーナは焦ることなく飛翔することで上に回避し、変成させていたロック鳥の足でその身体を掴み上げる。フォレストウルフは逃げ出そうともがくが、鋭い鉤爪が肉体に食い込んでいて振りほどくことが出来ない。ニーナは空中で二度三度と身体を回転させ勢いを着け、
「あげるよ!」
ボス格のフォレストウルフに投げ放った。
それ自体はあっさりと回避されたが、投げられた方は大木に激突。その勢いの凄まじさは、幹がひしゃげ、腰から逆くの字になって絶命したフォレストウルフから一目瞭然だった。
ロック鳥という魔獣は、鳥類の魔獣としては上の下、といった位置付けらしい。何十時間と飛行しても堪えないスタミナと、自身より重い動物さえ持ち上げる力、更に風属性の魔法すらも操る魔獣で、仕留めることさえ難しいとか。
格で言えばフォレストウルフとは比べるまでもない。それが十全に発揮出来るというのなら、ニーナの敵ではないんだろうが……。
「問題はあのボス格か」
投擲されたフォレストウルフを最低限の動作でかわしたところからもわかるように、周囲のフォレストウルフと同格と侮ることは出来そうにない。
とはいえ相手の十八番は集団戦。であれば取り巻きを減らすことそれ自体が相手の戦力を減らすことに繋がるわけで、
「ボスを中心に、周囲纏めて刺し穿つ。『ロックグレイブ』!」
地属性四位魔法『ロックグレイブ』。対象を中心に一定範囲の地面から鋭利な岩の棘を多数隆起させる魔法。
範囲と威力も優秀だが、特に地上歩行する対象において出の速さが驚異的かつ注意が向きにくい足元からの攻撃ということもあって、とにかく回避しにくい魔法だ。
案の定五匹のフォレストウルフが串刺しとなるが、ボス格はこれまた器用に回避してのけた。
「ふっ!」
だがその動きを読んでいたようにニーナが肉薄する。これにはむしろ俺が驚いた。いくらロック鳥の動きも掌握しているとはいえ、こうも的確に動けるものなのか。
だが相手も異能持ち。そう簡単に事は進まない。
「ガゥア!」
ボス格の咆哮と同時、瞬時に割り込んだ一匹のフォレストウルフがニーナの蹴りを身代わりに受けた。更にその左右からニーナの横腹と足に噛みつく二匹のフォレストウルフ。
「あ、ぐぅ!」
「ニーナ!」
その二匹を撃ち払おうと魔法を撃とうとして、しかし中断せざるを得なかった。射線上に二匹、そしてこちらの移動を妨げるように後方と左右に一匹ずつの計五匹が俺に襲い掛かってきたためだ。
正面から向かってくる二匹に魔法を放ち撃退。だが残り三匹は距離が近過ぎて広範囲魔法を撃つことは不可能と判断し、すぐさま『フォトンセイバー』で近付くフォレストウルフを切り払う。だが同時に攻めてくる三匹を一刀で切り伏せられるほど俺の剣術は人をやめてない。一匹を切り伏せ、二匹目に距離を取らせるまでで精一杯。三匹目の対処は間に合わず、左肩に噛みつかれて激痛が走る。
「やってくれる……!」
元々一匹間に合わないとわかっていて左側面を晒した。右利きの俺にとってそっちにダメージを受けるのは行動に支障が出てしまう。だがやはり魔獣というのは元の世界の野生動物とは違うようで、噛みつかれた左肩の痛みが尋常じゃない。下手すればそのまま噛み砕かれそうな圧力に一瞬意識がふらついた。
その間に距離を置いたもう一匹が俺の喉に噛みつかんと跳躍し、
「ユウヤ様!」
横合いから放たれた炎に消し炭にされた。こちらの窮地に気付いたシャロンが援護してくれたようだ。正直助かった。その間に左肩に噛みついた一匹を『フォトンセイバー』で切り払った。
「……ニーナから離れなさい!」
ニーナの方にもリリアナが援護に向かっていた。ネロの商会で最も出来が良い短剣を譲り受けた彼女の腕前は更に磨きを増し、噛みついていた二匹のフォレストウルフが速やかに斬殺される。
「ありがとう、リリアナちゃん!」
「……後で何か奢ってもらうわ」
「頷きたいけど、無一文だから無理! 代わりに――」
ギッ、とニーナの瞳が細められる。
狩人の瞳。猛禽類の如き鋭い視線が、ボス格のフォレストウルフを貫く。
「フォレストウルフのローストとか、どうかな?」
ゴウ! と強烈な風が巻き上がる。
これはニーナの持つ『風力支配』によるものだろう。それはボス格のフォレストウルフを包囲するように覆う。それだけならフォレストウルフにとって何の脅威にもならなかっただろうが、
「ガゥ!?」
人間の俺でもわかる。その声は明らかに焦りを孕んでいた。
風は炎を纏っていた。もちろんニーナに炎を操る術などない。ならどこから持ってきたかと言えば、さっき放たれたシャロンの火属性魔法を風で巻き込んだのだ。
直線的な攻撃はかわされる。だが風を操ったところで致命的なダメージは与えられない。ならば威力を他所から流用し、逃がさないことに専念する。
……この判断を一瞬でしたのか? 『才能開花』によって技術的な部分すらも上昇されることは知っていたが、それでもニーナのこの咄嗟の閃きには驚いた。
如何にして敵を倒せるかという人間としての知性、そして敵を殺す一瞬の好機を決して逃さない魔獣としての本能、それら二つが合わせて開花した存在。それがニーナという少女か。
「直線攻撃はかわせても、これなら炙り焼きになるしかないよね?」
逆巻く灼熱地獄に逃げ場などなく、ボス格のフォレストウルフは悲鳴を上げながらローストされていった。
統率していたリーダーが死んだことで、群れとしての機能を失った生き残りのフォレストウルフたちが四方八方に逃げていく。念のため『広域掌握』で周辺を探ってみるが、魔獣の気配はない。とりあえずどうにかなったようだ。
それとふと気になってニーナの状態を確認する。すると案の定、彼女は新たな異能力『軍団統率(狼族)』を獲得していた。『異能略奪(魔獣)』が効果を発揮したんだろう。
対象が同族ではなく狼族に変化しているのは、統率対象があくまで狼族限定ということなんだろう。まぁ仮に同族のままだったとして、ニーナが統率出来る同族とは何なのか、って話になるわけだが。
「お昼ご飯ゲットー! ユウヤさん、見ててくれた?」
「あぁ。大した動きだったよニーナ。これなら今後も何の心配もなさそうだ」
「いえーい!」
いつの間にか戻していた人間の手でVサインを見せるニーナ。その表情に最初に会った頃の面影はなく、またいま起きた戦闘の影響もなさそうだ。
またフォレストウルフに噛みつかれた傷も『肉体変成』を応用して即座に埋めたらしい。肉体を自在に変成出来るということは、外傷の治癒なんかは造作もないというわけだ。
こちらも治療魔法を使えばそれで良い話ではあるが……だから良し、と言ってられないだろう。正直、今回の結果は反省しかない。
結果的にフォレストウルフを打倒することは出来たわけだが、もしも俺一人だけならおそらく死んでいた。
薄々思ってはいたが、確信した。俺は弱い。いや人並み以上ではあるんだろうが、それでもある程度以上の強者には勝てない。
今回の一件に関しては、俺の立ち回りが下手だった、という部分もないでもないが、これは能力の特性の問題が大きい。
異能力を加味すれば、『詠唱破棄』や『広域掌握』による即応性、『魔力無限』の持続性、あらゆる魔法が扱えることと『真理直結』を含めた多様性に長けた戦い方が俺の持ち味と言える。だがそれらは強者を跳ね除けるほどの絶対性は持たない。現に同行している三人と一対一で勝負すれば、十中八九負けるだろう。
シャロンの場合、懐に潜り込めれば勝算はあるが、圧倒的な火力の、しかも手数さえも上回る魔法の雨を潜り抜けるなど絶望的だ。持続性や多様性など、桁違いの火力の前では無意味でしかない。
ニーナの場合、身体能力でごり押しされればそれで終わりだ。ロック鳥としてのスピード、パワー、何より空中の立体軌道はそう簡単に魔法に当たってもらえないだろう。それに咄嗟の閃きもある。今回得た異能で魔獣を引き連れられたら更にどうしようもない。
中でもリリアナには対処のしようがない。目で追い切れない速度を持つ上に、極度の集中をしなければ位置さえ特定出来ないのだ。気付いたらあの世でした、という予想が簡単に出来る。
リリアナ以外なら奇策を用いて勝てるパターンのいくつかは考え付く。だがそれは相手の能力を知った上でのことだ。もちろん『真理直結』がある以上、敵対者が事前にわかっていればその能力を加味して作戦を立てることも出来るだろう。だがそれは結局、突発的な相対では勝ち目が薄いということに他ならない。実際に今回異能力持ちのリーダーがいたとはいえ、フォレストウルフ程度で死にかけたわけだからな。
もちろん人間は万能じゃない。得手不得手があるのが当然で、全てを一人でやろうなんていうのはおこがましい考え方だ。だが仮にも革命の指導者となろうという人間がこの体たらくで良いのか? もちろん良いわけがない。一人で勝てる、は無理でも一人でも死なない、くらいには戦えなければ。
まったく……。自分に『才能開花』や『才能増幅』が使えないのがもどかしいことだな。
「ユウヤ様? どうされましたか? 自分の手をジーット見つめて……。あ、まさか相手の唾液に毒でも!?」
「いいや、身体は大丈夫だ。治療ももう終わってる。ちょっと考え事をしていただけだ」
自分の無様さはひとまず棚上げしておこう。今回の目的はアリス・ラレインの救出にあるのだから。
そういえば包囲しているフォレストウルフを叩くことに専念していてまだその当人を見ていない。真っ先に無事を確認するのが最優先だろうに、俺としたことが思わぬ展開に慌てていたんだろうか。
念のため『広域掌握』を展開してみるが、ちゃんと生存している。怪我もないようだ。状態と位置を把握し、全員を連れ立ってそちらに向かった。
本当はアリスとの出会いまで書きたかったんですが、長くなってきたので分割。
そしてユウヤさん、自分の力量がこの世界の感覚でどのくらいの位置なのか把握しました。
便利な能力は揃っているし、元々指揮官だったこともあって現状でも優秀ではあるんですが……。
今後にご期待ください。