渦中の少女
革命をするぞ、と意気込んだ翌日。俺たちは馬に乗ってゼルエン領の東端にあるトーラス村に向かっていた。
ベルバンはゼルエン領と隣接している街なので、トーラス村までそれほど距離はない。馬で行けば急がずとも一、二時間といったところだ。急げばその半分くらいにはなるだろうが、現状そこまでする理由もないわけで、のんびりとした道中になっている。
「……昨日の意気込みからこののんびり具合。肩すかし感が凄いわ」
「奴隷の解放は明日で、情報収集はネロたちがしてくれている。いま俺たちに出来ることは戦力増強だけだから、どうしようもないな」
嘆息するリリアナの気持ちもわかるが、実際現状出来うることは限られている。
さっきも言った通り、情報収集に関してはネロたちに任せた方が圧倒的に早いし上手い。集まった情報一つ一つの真偽や実情なんかは俺の『真理掌握』を使えばこれもまた問題ない。
ならばすべきことは革命を見据えた戦力増強となるわけだが、これにしても現状では制限がある。本当ならゼルエンに不満を持つ村を巡って同志を募るのが良い訳だが、いまの俺たちにはまだ実績がない。その状態で俺たちの話に乗ろうとする人間は稀だろうし、下手をすればゼルエンにリークされる可能性だってある。つまり大々的に動くには時期尚早。
となれば結局全員で個人戦力をスカウトしに行くくらいしか出来ることはなく、急ぐ必要はない、という結論に至るわけで。
「奴隷を解放した後は一気に忙しくなる。いまのうちに英気を養っておく、って考えればどうだ?」
「……それが難しいことくらい、魔王様ならわかるでしょう? 目の前にニンジンをぶら下げられている気分だわ」
わたし不満です、と口を一文字に結ぶリリアナに、俺は苦笑する他なかった。ゼルエンに対し復讐の機会を虎視眈々と狙っていたリリアナからすれば生殺しに近いんだろうが、いまは我慢してもらうしかない。
というわけでここは多少無理やりにでも話題を変えるとしよう。
「ところで後ろに座ってるニーナがさっきから無言なんだが、大丈夫なのか?」
「……逃げたわね、魔王様。まぁ良いか。……ニーナ?」
現在俺たちは馬に乗って移動しているわけだが、馬は全部で三頭しかない。これは馬が揃わなかったわけではなく、ニーナが馬に乗れなかったからだ。
元々馬に乗ったことがない、という理由もないではないのだが、ニーナが背に乗ろうとすると馬がやたらと嫌がってニーナを振り落とそうとするのだ。多分これはニーナが持つ魔獣ロック鳥の気配に馬が恐怖しているんだろう、とはリリアナ談だ。
そのリリアナは元貴族だけあって馬術も嗜んでおり、俺やシャロンよりも断然馬の扱いが上手かった。リリアナが一緒に乗り馬を落ち着かせることでかろうじてニーナも同乗出来たわけだが……。
「うー、お尻が痛い! この馬絶対私を振り落とそうとしてる!」
ニーナは涙目だった。リリアナが御しているとはいえやはり馬にとって耐え難いのか、不必要に激しく動いたり、後ろ足だけスキップするように跳ねたりして、着実にニーナにダメージを与えていたようだ。なかなか根性のある馬である。
「ユウヤさん、私やっぱり飛んで行きたいんだけど……」
「却下だ」
ですよねー、と涙目でお尻をさするニーナ。
彼女は現状こそ見た目人間のように見えるが、実際は『肉体変成』という異能力で腕や足を人間の形に変成させているだけなのだ。つまりいつでも最初に会ったときのようなハルピュイアのような状態に戻ることも出来るし、逆に頭や胴体までもをロック鳥のそれに変成し、完全なロック鳥となることも可能になった。
つまりニーナはロック鳥としての翼を利用すれば魔法関係なく空を飛ぶことが出来る。だからこその発言であるが、現状でそんなことをすれば間違いなく悪目立ちする。ハルピュイアの状態だろうと完全なロック鳥であろうと、それと一緒に行動している俺たちは傍目からは大層な不審者に映るだろう。
それ抜きにしても、ハルピュイア状態のニーナは大きなオークションに出展された過去がある。知っている者ならすぐにニーナだと気付かれてしまうだろう。そうなれば昨日の騎士殺害事件と結び付けられる可能性だってあるわけで、迂闊な真似は出来ない。
そうだ。迂闊な真似といえば、一つすっかり先延ばしにしていたことがあった。
「シャロン。随分と後回しになったが、例の調査内容を教えてもらって良いか?」
「あ、ベルバンでの調査ですね」
「調査?」
俺が奴隷商館に向かっている間、シャロンに調べておいてもらったことだ。首を傾げるニーナたちにそのことを伝えた。
「……それであの街で一体何を調べていたの?」
「ユウヤ様にはオーデリッヒ伯爵について調べるように言われていました」
「……オーデリッヒ伯爵。ベルバンの街を含む一帯を領地とする貴族ね。何故彼を?」
元々ベルバンの街で働いていたリリアナには聞き知った名前なのだろう。だがその人物の調査と今回の一件に関連が見出せない、という表情だ。まぁ無理もない。
「ゼルエン絡みで少し気になることがあってな」
ゼルエンのことを『真理直結』で調べていたところ、妙な事実が浮かび上がった。
ゼルエンの領地に隣接する他の貴族の領地は四つ存在する。にも関わらず、ゼルエンは奴隷を売るとき必ずベルバンを含むオーデリッヒ伯爵の領地のみを選んでいた。
売却先が全て同じ商人ならば、贔屓にしている商人がいる、で終わる話だ。だが奴隷商のウィルソンも言っていたように、奴隷の売りは複数の商人に分けられているのでそれは違う。
売り先を変える理由として真っ先に思いつくのは少しでも高く売ろうとするためだが、なら何故他の領地に売らないのかがわからない。
ではゼルエンがオーデリッヒと懇意にしているのかというと、『真理直結』はこれを否定する。親族、友人、あるいは賄賂に色が付けられているなど、そういったことも一切ないようだ。
纏めると、ゼルエンがオーデリッヒ領のみに奴隷を売っている明確な理由はない、ということになる。
なら偶然か? まず違うだろう。そうなると思い付く理由は一つしかない。
視点を逆転させる。
つまりゼルエンではなく、オーデリッヒ側がゼルエンに奴隷を売ってもらうように依頼している、という想像だ。
その言い方が気になったのか、シャロンが発言を求めるように片手を上げて、
「売ってもらうように依頼、ってどういう意味でしょう? オーデリッヒ伯爵が奴隷を欲していた、ということではないのですか?」
「俺も最初シャロンと同じ考えをしたが、その場合わざわざ奴隷商を仲介する意味がないし、調べてみたところ実際にオーデリッヒが奴隷を買った事実もないようだ」
ただ単に奴隷を欲しているだけじゃないのは間違いない。ただそこから先に関して推測を進めるには情報が足りなかった。『真理直結』は問いかけることで答えを出す能力。とっかかりさえもない場合には、効力は発揮されないのだ。
だがなるべくオーデリッヒの目的は明らかにしておきたい。何故なら、
「もしこの推測が正しい場合、場合によってはゼルエンと事を構える際にオーデリッヒが介入してくるかもしれない。ただ目的がわからない以上、どういう立ち位置になるのかもわからない。これが面倒なんだ」
例えば奴隷を売ってもらっている理由がゼルエン領内からの労働力の回収だったら? これはゼルエンとオーデリッヒの水面下での対立を意味する。これならばゼルエンと俺たちがぶつかっても静観する可能性が高いし、仮に介入してきても漁夫の利を狙ったものだろう。
しかし例えば純粋に自分の領地の奴隷ビジネスを活性化させるためだけなどという理由だったら、ゼルエンは大事な取引相手だ。ゼルエンに何かあれば援護することも考えられる。
つまり理由を明確にしないことにはオーデリッヒの動き方がわからず、ゼルエンに対する動き方も決めにくいわけだ。
「というわけなんだが、シャロンの方は何かわかったか?」
「ええと、私が聞き回ったところによると……最近あまり見かけない、という話がよく出てきました。たまたま見かけた人は、なんか焦っているように見えた、とも」
「見かけない……表に出てこないってことか」
「はい。以前であれば騎士を引き連れての巡回や、高名な商人たちを集めてのパーティーなども行っているようでしたが、最近はそういった話は聞かない、と言っていました」
「ふむ。普段やっていることすらしないで引き籠って、オーデリッヒは一体何に焦っているんだか?」
会話の流れから不自然ではない形で疑問を差し込む。そうすれば『真理直結』が反応して答えを示してくれる。
『オーデリッヒ・ライゼ・フェーブルが焦っているのは、ゼルエン領民であるアリス・ラレインが奴隷として売られるのを待っているが未だそうなっていないため』
思わず手綱を引いてしまったため馬が足を止める。隣で一歩分行き過ぎたシャロンとリリアナが訝し気にこちらを見るのがわかって、慌てて進む指示を与える。
いや、驚いた。何が驚いたって、「アリス・ラレイン」という名前に驚いた。
俺はその名前を知っている。何せその人物は先日確認した仲間に引き込みたい候補者四人のうちの一人であり、それもいまからスカウトに行こうとしている相手の名前だからだ。まさかここで繋がって来るとは思いもしなかった。
……しかしそうか。オーデリッヒは不特定な奴隷が欲しいのではなく、特定の人物を奴隷として欲しているのか。
それならゼルエンに言ってその人物を奴隷として売ってもらえば……いや、そもそもゼルエンとオーデリッヒに特別な関係性はない。この状態で名指しで欲しいなどと言えば、足元を見られるか、下手をすれば勿体ぶったゼルエンに出し渋られる可能性もあるわけか。
だから奴隷を全て買い込む算段だけ付けて、あとはゼルエンがそのアリスとやらがいる村民を奴隷として売ってくるのを待つ作戦に出たんだな。にも関わらず、本命のアリスがいつまで経っても売られてこないから焦っている、か。
だがそうなると当然の疑問が浮かび上がる。
「アリスとオーデリッヒにどんな関係がある?」
距離が離れたことを利用して小声で問う。すると、
『アリス・ラレインはオーデリッヒ・ライゼ・フェーブルの妾の子である』
……これまた面倒な話になった。
そこから更に突っ込んで聞いてみると、どうもオーデリッヒに妾として召し抱えられたアリスの母親は、しかしアリスを生んでしばらく経った後に、彼女を連れてオーデリッヒ邸から抜け出し、実母のいるトーラス村へ逃げ込んだらしい。
別にアリスの母親が虐げられていたわけではない。むしろオーデリッヒは本妻と同等に妾である彼女を扱っていた。だがアリスを生んだ後、その態度が大きく変わってしまった。プラスの方向に。
オーデリッヒはアリスという我が子の誕生に大層喜び、妾を褒め称えた。素晴らしい。よくぞ彼女を産んでくれた。それでこそ我が妾。そう言って彼は彼女をこれまで以上に優遇した。
だがそうなると我慢ならないのは本妻だ。しかも既に本妻との間には一人の子がいたが、オーデリッヒのお眼鏡に叶わなかったらしく、何の感慨もなかったらしい。
後に生まれた子が我が子より愛されて、本妻たる自分より妾が優遇されるという実情。生まれる憎悪がアリスの母親に向けられるまで時間は掛からなかったことだろう。
そう、彼女はオーデリッヒから逃げたのではなく、本妻の狂気から逃げたのだ。
その事実を知ったオーデリッヒはすぐさま本妻と離縁したが、既にゼルエン領に戻ってしまったアリスたちを取り戻すことは出来なかった。力尽くで引き戻すにも、騎士を派遣などすれば貴族同士で不必要な軋轢を生んでしまう。かといってゼルエンに力を請うてしまえば足元を見られてしまう。
八方塞がりになってしまった状況で起きたことが、ゼルエンの領民奴隷売買だったんだろう。オーデリッヒはそれを好機とし、自分の領土で買い取ることを打診した。いずれアリスらも流れてくることを見込んで……。
「となれば、アリスを引き入れるのは敵を生むだけか? いや、むしろゼルエンがいなくなる分にはオーデリッヒ的にも好都合なのか……」
ゼルエンという貴族がいなくなれば、オーデリッヒは大手を振ってアリスを迎えることが出来る。騎士を派遣するのも、貴族不在の領地を保護するため、とでも言えば大義名分は立つだろう。
ゼルエンを打倒するまでに介入してくる可能性は低いが、逆を言えばその後はかなり高い確率で介入してくるだろう。面倒ではあるが、とりあえずゼルエンとの戦いで敵が増えないのであれば棚上げ出来る問題ではある。
「あとは実際アリスと出会ってから考えれば良いか。誘ったところで断られる可能性だってあるわけだし」
「ユウヤさん」
一人あれこれと考え込んでいると、ニーナの鋭い声が耳を打つ。
俺は思考すぐさま中断し、『広域掌握』の範囲を最大範囲に広げていく。
「何か感じたか?」
「うん。近くに魔獣の気配を感じる」
道中にも一度、魔獣の群れにぶつかりそうな時があったが、そのときもニーナは俺より早く気付いていた。
おそらくロック鳥の性質が魔獣の気配を感知しているんだろう。こちらも広げた『広域掌握』の圏内に魔獣の姿を捉えた。
「こっちでも見つけた。右の林を突っ切った先の崖を、半包囲状態でフォレストウルフが二十匹くらいか」
「……半包囲状態? 獲物でも追い詰めているのかしら」
更に範囲を広げていくと、リリアナの言うとおりその先にもう一つの気配があった。
「っぽいな。人間の気配が一つ。これは……って、オイオイ、偶然ってのはこうも重なるもんかね」
「……魔王様?」
「そこにいるの、俺が引き入れようと思ってた人物だ」
そう、フォレストウルフに襲われそうになっているのは、まさかまさかのアリス・ラレインだった。
奴隷解放までもうしばらく掛かるんじゃ。