【短編百合?】れんあい【一人称実験】
やっつけ実験の短編なので、描写不足感が否めません。一人称だと登場人物の外見がいまいち表現しづらいですね。説明台詞を言わせるのはどこか拒否反応が出てしまいます・・・。
恋とは何ぞや。
愛とは何ぞや。
ひたすらに心の中で繰り返します。手の中にあると言うのに相手取られもしない幾つもの化学式は恨めしそうに私を見ていますが、きっと私はそれ以上に難しい顔をしているのでしょう。こんなことをそんな顔をしながら考えている自分を想像すると、少し嫌になりますが。
ふむ。
一つ息をついて仕切り直してみるけれど、友人の言葉は私の頭を巡り巡り。その度に私の視界は一層細まっていくのでした。
・・・いや、そもそも寝入る直前の戯言のような哲学に、律義に付き合ってやる義理もないのだけれど。この子に付き合い始めてかれこれ十数年、年を追うごとに私は甘くなっているのかもしれません。この、人にしこりだけ残しておいて自分は一足先に眠ってしまうような、どうも掴みどころに困るちびっこに。
前髪と一緒に暢気な寝息を攫って、春風が一つ抜けたので、ぼんやりと尻尾を追ってみると、だだっ広い中空を駆けて、不真面目にもいびきをかいている司書の脇を通って、出口へ消えていきました。ついでにこのしょうもない哲学じみた何かも持っていってくれればいいのに。俯き気味な頭を、私はぽりぽりと引っ掻きますが、何が解決するでもなく。
しかし、おおよそ図書室とは思えない部屋です。私のイメージが偏っているのかもしれませんが、それでもこの「図書室」という空間は、こんなに無機質じみていたでしょうか?
スチールの棚に、パイプ椅子。壁は一面無表情なほどに真っ白。
・・・なんともはや、こうも白黒銀に囲まれると、読書一つするにも気が滅入ってしまいます。加えて私の相手は形も見えない哲学もどき。頭が痛くなってきたのは気のせいではないのかもしれません。
こうなると、地味ったらしくも馴染み深いあの色彩も恋しくなろうというもの。茶色と言う色は連想するものこそあまりよいものは少ないけれど、温かみや安定と言ったことを暗示する色でもありますが、まさかこんなことでそのありがたみを知ることになろうとは、私自身思いもよらなかったのでした。
少し息苦しくなって、私は薄く開けた窓に向かって長い息。
時刻は五時半を回ろうかと言うところ。夏を迎えようとするこの時期では、まだ陽が落ちるには早く、校舎の三階に位置するこの部屋の窓からは、白黒のボールを追いかける男子生徒群がよく見えます。
ぺらり。
読んでもいないのにページをめくって、少し乱暴に背凭れに寄り掛かると、ぱふんと叩かれた背中が少し空気を吐き出します。
おっと、これでは人のことを言えないな、なんて思いながら、頬杖をついて舟を漕いでいる女の子を見て、私は苦笑い。
白状します。さっきからしょうもないだの戯言だの言っておきながら、それこそ試験勉強もそっちのけにしてしまうほどに、私・朝霧奈央は悩んでいるのでした。それは一口にこの友人・葵のためだけに、とは言えないけれども。
恋とは何ぞや。
あまりに抽象的なその問いは、果たして私に何を求めているのでしょう。
どこかで聞いたような文句を引用するならば、恋とは「落ちるもの」だそうだけれど。
例えば私がこの問題提起をしたとして、こう答えられて納得する?私だったら出来ません。おそらくこの文言は、今回の問いに使うべき答えではありませんね。
そもそもコピー&ペーストは葵には通用しません。以前にそれをしてこっぴどく文句を言われたことを、私はよおく覚えています。
そうするならば、一体どのような答えが適切なのか?
そもそも、こんな曖昧な問いに適切な答えなんてあるのでしょうか?
そんなことをめまぐるしく思案しながら、私は首を傾げるしかないのでした。
相談事と言うのは、大体の場合は二種類に分かれるものです。
既にある程度答えが出ているものと、全く答えが出ておらずきっかけだけでもと縋るもの。今回葵が持ちかけてきて私がぶち当たっている壁はおそらく後者です。
というかもし前者だとするなら早々に寝入った葵を私は許さない。超難度のなぞなぞを出されて解答を知る者がとっとと帰ってしまうようなものです。
だとしたらと想像すると、ああ、私の中を焦燥感と怒りと不安がないまぜになったような、正しく得も言われぬ感情が巡る巡る。どうか後者でありますように。
そんなことを思いながら、私は葵が眠りにつくまでの三十分程度のやり取りを反芻するのでした。
今は確か五月だったはずです。
目の前でいつもの二割増し程に興奮している様子の幼馴染、三城葵の話を聞きながら、私はそんな当たり前なことを再認識せざるを得ませんでした。
「そしたらその先輩、何て言ったと思う!?」
「知るわけないでしょう、私は葵のストーカーじゃないんだから」
バッサリと切り捨てると、葵はどこか不満げに頬を膨らませるのです。少し悪いことをしたかな、と。その表情に対して要らない罪悪感を抱きました。
さて、私が何故この話の合間に暦の確認をしたのか。形を変えて言い直すことにするなら、「今はこの学校に入学してから一カ月と少ししか経っていない」とするのがいいかもしれません。
中学から高校へと上がり、慣れない環境に浮足立っている私たち新入生の心境としては、やれAセンパイがどうのこうの、やれB先生が云々かんぬんと色めき立っているだけならまだわかります。
実際のところ私は冷めたほうでありましたので、そういう話に加わると言うことはあまりなかったのですけれど、この学校で初めてできた数少ない友人を例に挙げるなら、それでもそこまでで精一杯なのです。
突然様相の変わった勉強に、入学してからこちら身体測定や新入生歓迎会、部活動紹介などなど、この時期はまさに言いつくせないほどにイベントだらけ。
そんな中で色事にさらに力を注ぐなど、幾ら青春真っ盛りとて出来る話ではない・・・はずなのですけれど。
何故目の前の彼女は付き合う云々をすっ飛ばして、既に「痴話喧嘩」と呼べるような域にある愚痴を私にこぼすことが出来るのでしょうか?
「うっわ、その言い方冷たくない?友達でしょー?」
「葵のその恋愛癖をしっかり呆れてあげてるじゃない。ちゃんと友達してると思うわよ?」
せっかくの放課後ライフを、犬も食わないと評判のそれで中断されようものなら、そんな反応もするでしょうよ。不味いものを無理矢理頬張らされる私の身にもなって欲しい。
それにしても何故このちびっこは私の居場所をこうも的確に探し当てるのでしょう。これで何回目だろう、と私は指折り数えて、その過程でつい「なるほど」と呟いてしまいました。
何せ、自分で思い出せる放課後風景ですら、ここ以外になかったのですから。それは特定捕捉もされようと言うものです。
「・・・なんか奈央ちゃん、高校上がってさらに冷たくなった?」
「気のせいよ」、とは濁してみるものの、我ながら彼女との会話で冷めた言い回しをすることが増えたような気は薄々しています。・・・とはいえ「さらに」というのは少し酷い言い草ではないでしょうか?
まあ、それに関してはあまり気にしないことにしよう。誤魔化すようにページを進めると、葵は熱を削がれた様子で、少しばかり前のめりになっていた体を背凭れに押し付けました。
きし、とパイプ椅子がか細い悲鳴をあげたものですから、
「こら、乱暴に扱わないの。周りの人に迷惑だから」と、一つ定型な注意だけ。
「・・・いないよ、いつもそうじゃん」
「言いかえるわ、図書室って言うのはそういうものなの」
「奈央ちゃんのいじわる」
「お好きに」
ため息交じりに私はそう投げるように言って、手元をぱたむと閉じる。ふと葵のほうを見やると、椅子に全てを預けて脱力した女がそこにいました。
おおよそ本を読める体勢ではないだろう、顎がこっちを向いているのに、手は下ですし。その方向に本があることはなかなかないと思うのだけれど。私はそんな葵を尻目にスチール棚の森へと潜りました。
特別目的があるわけでもなかった私は、とにかく今持っている本を元の場所に戻して、それから気ままに背表紙を物色することにしました。
適当に指でなぞり、結果ハードカバーのファンタジー小説らしきものに惹かれて引き抜き、さっさと机へと戻ることにしました。
図書室と言うのは偉大なものです。こんなにも別の世界があるのだから、少しの間目の前の世界からいなくなろうとするのも、大して難しいことではありません。スチールにパイプだからといって、そう言うところは変わらないのだからこの空間はなかなか侮れません。
決して、目の前の世界が面倒だからとかそういう理由ではないのだけれど。
・・・いや、聞かれているわけでもないのに私は何を弁解しているのでしょうか。まるで浮気中の男性のようです。その心境になったことがないから、なんとも言えないけれど。
そんな無為な独り芝居をひとしきり終えたところで元の場所に腰掛け、私は新たな世界を開く。
開くと先ずそこには勇者がいました。次に救うべき姫様がいて、お人好しの王様と小狡く野心家な宰相がいて、解決すべき問題と、倒すべき悪もある。それはありきたりな冒険活劇でした。
きっとこの主人公は紆余曲折あっても、結局は何とか物語をまとめることになるのだろうな、なんて。そんな穿った見方しか出来ないのは私だけでしょうか。
可哀想だよね、と。
以前に葵がそう言っていたことを思い出す。決められた道を進んで、出会うべき人間にしか出会えない主人公を指してそう言った彼女は、それはもう憐れみとしか表現できないような表情をしていて、仮にも「勇なる者」に向けるようなそれではないと思ったものですから。
ハッピーエンドなんだからそれでいいじゃない、と。私は葵に苦笑いしながらそう諭しました。
「・・・奈央ちゃんさぁー」
本の内容から脱線したことを思い出していると、妙に気だるげな声が私を現代に引きずり戻しました。
語調こそ弱いが、声の距離が近い。だらしなく下へとぶら下がっていた腕はいつの間にか机の上で杖を象っていて、そこに乗っかっている頭はふらふらとして、先程まで見開かれていた瞳は少しまどろんでいるような様子を見せています。
「春だよぉ?」
「そうね、十五回目だわ」
突拍子もないのはいつものことだけど、そんな漠然とした話をされても困ります。
「春はね、恋する季節らしいよ?」
「・・・眠いの?」
「ちょっとね・・・じゃなくて」空いた方の手で、葵はぐしぐしと乱暴に目元を擦った。
「奈央ちゃんは、恋とかしてみたくないのかな?って」
「・・・どうかしら」
思わず、ついっと視線を外してしまいましたが、幸いなことに、葵にそれを気にする様子はなく、
「・・・上手くいかないんだよね、いつまで経っても、何回やっても・・・」
と、うわ言のように呟いています。言葉に吐息が強く混じり始めて、所謂寝る直前の兆候です。
時計を見る。閉館にはまだ一時間ほど残っている。強引に起こしに掛かるのも憚られたので、私は彼女の寝入る様を見届けることにしました。
「ね、奈央ちゃん」
「うん?」
思えば、この時に無理矢理にでも起こせばよかったのです。私のために。
「れんあいって、なんだろうねぇ・・・?」
「・・・、はぁ」
その言葉を最後に、あとは可愛らしい寝息が規則正しく聞こえるだけでした。
「・・・なんだろうね、ほんと」
涙が出そうになる。よりによってそれを私に訊くかなぁ。最後の最後に、要らない土産を置いていってくれたものです。
れんあいって、なんだろうねぇ。
葵の言葉が妙に頭から離れなくなった私は、仕方がない、と「物語」を閉じてから。
足下の鞄をまさぐって適当な教科書を取り出し、「現実」に浸っているのでした。
「れんあい」とは、何ぞや。
蛍光灯の一つでも切れたのかな。心なしか先程より随分と視界が重い。
昔から葵はこう、何も考えずに他人の心を抉るところがある。俗に言う無邪気とか無垢とかいうやつなのかもしれませんが、この歳になってまでそう言われるのは精神成長的に見てどうなのでしょう。まあ、大半の害を被ることになるのは私なのだけれど・・・。
・・・はぁ。
過去のあれこれを思い返すと、自然と溜息が流れ出る。このままではいけないと一度強めに頭を振ってから、私は問題に取り掛かりました。
私は頭に「恋」と「愛」の二文字を並べて、じっくりと眺めてみることにします。
(よく「愛は真心、恋は下心」なんて言うけれど)
そんなとんち自体はどうでもいいのです。それはそれとして。
そのとんちではないけれど、「恋」と「愛」は違うということを大前提として私の中で持っておくことにしましょう。
「一目惚れ」、という現象があります。あまり信じたくはないけれど、人には最適な相手を嗅ぎ分ける嗅覚のようなものが確かに存在しているらしい。例えば、ここから発展するものも「恋愛」と呼ぶことにしたとして、私は一つ、ぼんやりとした違和感のようなものを感じていました。
誤解を恐れずに言うならば、この形の「恋愛」には、まだ「愛」がありません。
「恋愛」という言葉に踊らされがちな私たちの年頃だとよくある誤解かもしれないけど、私はあくまでこの言葉は「順序」でしかないと思っています。
(私で結論付けておいてなんですが、随分と冷めた考え方をするようになったなぁ、などと)
恋を夢見る少年少女たちが聞いたら何と言うでしょう。その内の一人が齢十五にもなって目の前で無様に寝顔を晒しているわけですが。話を戻します。
恋と言うのはあくまで、惹き合わせるための本能的なきっかけでしかなく、そこに愛が生まれるかどうかは当人次第。
実例を挙げるなら、葵は恋だけならするのだが、そこに愛が生まれた試しがありません。そもそも恋と愛が同一なら、「恋」多き葵はこんなことで悩むことはないのです。
しかし。葵に「恋愛とは順序だ」と伝えたとして、きっと彼女は理解できないでしょう。
だから、恋というきっかけはそこまで重要ではなく、問題は、その人を愛そうとする意思があるかどうかだと、そういうふうに教えてみましょうか。
―――そこまで考えて、一つ。
「・・・ふん」そんなふうに、嘲るように鼻を鳴らした。
我ながら都合よく定義したものね、と。これのどこが、「葵のため」の答えだろう。
ええそうですとも、恋をすることが重要でないなんて、そんなことあるわけないじゃない。
生まれてから今まで、人という人みんながみんなずっと持っているらしいその感覚が、重要でないなら何だと言うのでしょう。
生存本能や繁殖本能という、イキモノ元祖から続くこの感覚は、より優れた相手を見つけ出すための唯一のモノで、もっとそれらしく言うなら、「イキモノがイキモノらしくあるためにある、たった一つだけのコンパス」。自分でもわかってるつもりです、私の感覚は狂ってるのだと。赤い針が不規則にぐるぐると回る回る。それはもう富士の樹海にでも迷い込んだかのように。
いや、もっとひどいかもしれない。きっと私のコンパスには最初から針なんて入ってなかったのかも。目盛りの入っていない定規のような、所謂不良品。
「恋愛」とは順序でしかなくて、それはどうしようもなく事実なのです。だからこそ、不良品を渡された私はどうしようもない壁にぶち当たるしかなくて。
先程の続きを思い返す。「登場人物が勝手に動き始める」という文言を思い出した私は、葵にこう尋ねました。
だとしたら、勇者がこの物語通りに動かなくなってきたら、この話はどうなったのかな。
葵は、
違う形で書き終えられてたと思うよ。勇者の物語だもん。したいことをすれば、それがハッピーエンドなんだよ。
そう答えた。
葵の言葉は間違いではない。きっと物語は終わることになる。
例えば私・・・だけではなく、人間全ての物語の筋書きが「生まれ、成長し、異性と恋に落ち、共に愛し、死ぬこと」ならば。私の物語にはそろそろ違う書き手が現れてもおかしくない。
そして私は未だ書き手が現れず、新しいコンパスすら渡されない現状を憂いて、せめてもと願う。
せめてペンは置かないで。
私の想いを「なかったこと」にだけは、しないでください。
「・・・奈央ちゃん?」
「・・・え?」
聞き慣れた声に、顔を上げます。長らくぼんやりとしていたからか、暫く目の前の顔にピントが合わずにいると、
「どうしたの、ぼーっとしちゃって」
寝起きとは思えないような口調でそう言いながら、葵はやや下から私の目を覗きこんできます。
(・・・誰の所為だと思っているのでしょう)
平静を装って「別に」と返したけれど・・・変な顔してなかったかな、私。
「そろそろじゃない?帰ろうよ」
「・・・そうね。ちょっと待ってて。片付けるから」
それほど散らかしたつもりはないのに、ついそんな言葉が口を突きました。
まるで小学生みたいな言い分です。時間稼ぎのつもりなんでしょうか。その証拠に、一つ一つの動作が酷く重く感じます。
手にしていた教科書を、筆記用具と一緒に鞄の中に放りこみ、そうしてから、机の端に置きっぱなしのハードカバーがあったことを思い出して、
「あれ、その本もう読んだの?私そんなに寝てたっけ?」そして丁度葵も、これに気付いたようでした。
「それはもういいの、あまり・・・私の好みじゃなかったから」
実のところはそういうわけでもないのだけれど、どうも今は彼ら彼女らの幕引きを素直に喜べる気分ではありません。
ふぅん、と葵は珍しいものでも見るかのように。少し言い分が苦しかったかもしれない、とも思いましたが、特に掘り下げられるようなこともなく、脇の椅子に置いてあったスクールバッグの取っ手を、指でくるくると弄び始めたのを見て、私も少し急いでやることにしました。小説を掴んで、もう一度棚の間へと進んでいきます。
(何を今更、あんなことを考えるなんて)
別に大して読んでもいない小説を、名残でも惜しむかのように指でなぞりながら、先程のことを思い返して、少し後悔。
そんな都合のいい話があるわけないことは、私が一番よくわかっているはずなのに。目の前にある、おそらく最後まで描かれたであろうハッピーエンドたちが眩しくて、私はつい視線を逸らしました。
いつだってそう、道を外れた主人公に待っているのは違うハッピーエンドなんかじゃない。そういうものは、十分な状態で本棚に並ぶことなく、作者の頭の中で、彼らの人生はなかったことになるのです。
本来ならばそうして生きていたはずの別の主人公像の存在を私たちが知る由もないように、記憶も、想いも全部。だからこそ私は、自分でも十分に自覚しているこの想いに、それらしい名前は付けないようにしていたのでした。
これは、「恋物語」なんかじゃない。幼馴染同士の下らない「友情劇」だから。
主人公はまだ道を外れてなんかいない。
だから、私の物語は「そう」はならない。
我ながら低レベルなこじつけだと思いますが、しかし、仕方がないのです。
私がもし「道を外れた」なら、きっと葵と一緒にいることはできなくなるから。ならいっそ、「朝霧奈央という主人公は恋をしなかった」。私にとってはそういう結びのほうが余程のハッピーエンド。
「はぁ・・・」
重い溜息。短期間に色々と考え過ぎたせいか、どうにも気が滅入ってしまいます。
それらを振り払うように私は頭を少し乱暴に振ってみると、幾分か霧が晴れたようで、そうすると今度は中心に居座る元凶が、相変わらずの暢気顔で姿を現しました。
(ああ、もう。それもこれも全部―――)
「っ、ひぃっ!」
「うわっ!?」
・・・自分でも中々に情けない声を上げたと後悔しています。まさか指で背中をつつかれただけで、肩を跳ねさせることになるとは。
「ちょっと、こっちが驚いたじゃん。あ、いや別に驚かせるつもりはなかったんだけど」
私の反応に少し罪悪感でも覚えたらしい葵は予想外の反応に悪びれている様子だったけどそんなことはどうだってよくて。
(近い)
鈍色の冷たい空間が、一気に熱を帯びたような、そんな感覚。
(近い近い近い!)
背丈の都合上、薄闇の中で私を見つめる葵の顔は、私が少しでも屈んでしまえば触れ合うところに・・・。
(って、私は何を考えてるの!?さっき自分で言い聞かせたばかりだっていうのに!)
「えっ、あ、え?な、何?」この際言葉の詰まりなんてどうでもいいから、私はとにかく声がひっくり返らないように注意して平常通りの返しを心懸けました。まあ、無茶もいいところですけども。
「おばちゃんが」私の声に少し顔をしかめて、指摘する代わりとでも言うように小声になった葵は、出口の方向を指さして、「そろそろ閉めたいから、もう一人も呼んできてくれって」
「あ、ああ・・・そう。うん、ごめん」
「別に私はいいんだけど。ほら、行こうよ」
葵はにこっと笑って右手を差し出してきたので、私は少し迷ってから、ここで拒否する理由もない、と。自分の掌をこっそりと確かめてから、私はその手を握りました。
空模様は私の心模様そのままのようで、少し気になって目尻に指をやってみるけど、幸い雨は降っていないようでした。
読んでいただきありがとうございます。
感想、ご指摘など御座いましたらお待ちしております。