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恋愛成就に向けて

「……これは」

 夜、神官寮の自室に戻ると、さっそくローランに渡された本を読み始めて……すぐに、ローランのいう「すごい」が何のことかを理解した。

 ごくりと喉を鳴らし、「ラシェルは、こういうのが好みなんですか」と、本文を指で追う。一言一句逃してはならない。ここに、ラシェルが望むシチュエーションや行為のヒントが隠されているのだと思えば、1文字たりともおろそかにはできないのだ。

「……ラシェルは、やはり年上が良いのでしょうか」

 そのロマンス小説の粗筋は、「10以上も年齢が上のちょい悪イケメン貴族が、まだうら若き10代の貴族令嬢を強引に押し倒し、身体をモノにしてからあれこれ紆余曲折を経て、その結果お互い心も絆されてハッピーエンド」という、よくありがちなモノだった。この手の本では王道と言っていいだろう。

 だが、ねちっこい濡れ場の描写は男の目から見ても相当にハードだと感じるようなものであり、教本にあったあれやこれやのすごいプレイを小説的に描写しているという内容で……。

 どうしようかと、エリーは頭を抱える。

 ラシェルが期待しているものがこのレベルだとすると、現在の自分の技術の熟練度など奈落の底よりも遥か下方で、虫ケラ程度のものではないのか。

 そもそも、女性にとって初めてというものは相当に痛くて……例えるなら、モーニングスターのあのイガイガの付いた鉄球を鼻の穴に無理やり突っ込まれるくらいなのだと聞いている。それほどの苦痛を受けている状態だというのに、はたして本当に、こんなに良いと感じられるところまで持っていけるものなのだろうか。

 それとも、この小説のヒーローのように、百戦錬磨と言ってよい技術を身につければ、これは当たり前のことになるのだろうか。


 練習用にと入手した人形を出して、エリーは真剣な顔で小説の問題のページを広げ、借りた教本を広げる。ベッドの上に寝かせた人形を相手に、小説に描写された行為を実際になぞっていくのだ。きっとこの行為だって基本の応用のはずだし、今はだめでも、修練を積めばラシェルの期待に応えられるようになるはずだ。

「……今日から、ラシェルを相手にする練習も……」

 ぐっと拳を握り締め、集中し、神術のための祈りの言葉を唱える。瞬く間に、人形に被せるようにラシェルの幻が現れて……。

「ああ、やっぱりラシェルは女神のようです」

 エリーは人形を見つめてうっとりと呟いた。幻影ですらこれなのだ。本物だったら、どれほどに輝いて見えるのだろうか。

 ローランあたりが目にしたら「盛り過ぎじゃないか?」と疑問を口にするかもしれないラシェルの幻影は、エリーは否定するだろうが、たぶん本人の3割増くらいには肌や髪の艶も、目の輝きも、身体の柔らかさも盛られていると難なくうかがえるほどの出来だった。

 そんなラシェルの幻影にエリーは震える手を伸ばし、うっとりとその名前を呼びながらあの小説のシーンを再現しようとして。

「あっ」

 またぽたりと鼻血が垂れた。

「で、でも今日は」

 慌てて初歩の癒しの神術を使い血を止めて、気を取り直してもう一度ラシェル(の幻影)に手を伸ばす。いつまでもこのままではいけない。乗り越えるべき壁を乗り越えなくては。

「ああ、ラシェル……早く私のことを“エリー”と呼んでください」

 ぎゅうとラシェル(の幻影を被せた人形)を抱きしめ、その胸に顔を埋めて息を吐く。ラシェルに自分の名前を、愛称を呼んでもらえたら、きっと天にも昇る心地となるのだろう。

 ラシェル、ラシェルと女神(ラシェル)の名前を呼びながら、ラシェル(の幻影を被せた人形)にキスをして……あ、いけません、とエリーはようやく我に返ったのだった。

「練習をしなくては。ちゃんと大人の男として振舞って、ラシェルに良くなってもらって……そうすればきっと結婚だってしてもらえるでしょうし……」

 もう一度深呼吸をして、小説の一文一文をなぞりながら、人形相手に小説の行為を実践したのだった。


「神官殿、お疲れのようですが、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

 少しぼんやりしてしまっていたようだ。ラシェルに覗き込むように顔を見られていたことに気付き、心臓が跳ね上がる。

「いえ、昨夜、その、訓練に、少々根を詰め過ぎてしまっただけです」

「普段から努力なさっておられるのですね」

 にっこりと笑うラシェルの顔が眩しくて、一瞬ぷいと目を逸らしそうになってしまうのを、なんとか捩じ伏せる。

「いえ、当然のことですし、努力などというほどのものでは」

 だって、ラシェルのためなのだから。この程度を努力などとは、おこがましい。

「そうですか。さすがですね。けれど、あまり無理はなさらないようにしてください。もし、調子を崩されておられるのでしたら、遠慮なく申し付けてくださいね」

 遠慮なく申し付けたら、ラシェルはどうしてくれるのだろうか。自分はラシェルに部屋で看病してもらえたり、食事を運んでもらえたり……まさか、添い寝なんてことまでを……想像して心臓がばくばくと鼓動を激しくする。

「神官殿、いかがなさいましたか?」

「あ、いえ。なんでもありません」

 自制心を総動員し、ラシェルにはあくまでにこやかに、神官に相応しい態度で応じた。まだ、技術の練度も足りてないのに、ここでなし崩しに雪崩れ込んでしまうのはまずい。幻滅されないように、もっと修練を積んでからでないと……そうだ。

 この都では、18になれば完全な成人とみなされ、婚姻が認められる。なら、自分が18になった暁には、即、ラシェルを喜ばせて、ラシェルに結婚を承諾してもらおう。

 そのためにも、技術を磨かなければ!

 決意を新たに拳を握るエリーを、ラシェルが不思議そうに眺めていた。




「18になったら、求婚しようと思うんです」

「え、じゃあ、思いは告げられたんだ?」

「いえ」

「は?」

 ぽかんとするローランに、エリーは真剣な顔で続ける。

「まだ、それだけの技術に自信がありません」

「え……」

 まだやってたんだ、というか、君は思いを告げるイコールそういう関係になることと思っているのか。

 ローランは遠くを見つめ、大地と豊穣の女神の経典を順番に頭の中で諳んじる。この友人にかける言葉が見つからない。

「それで、やはりラシェルの好みは強引系なのかなと思ったのですが、求婚もそのようにしたほうがいいと思いますか?」

「あー、うん。さすがの俺も求婚の経験はないから……」

 確かに、エリーに頼まれて手に入れたロマンス小説は、どれもこれも判で押したように“力強い男が現れて、強引にヒロインを身体ごと奪っていく系”ばかりだった。しかも結構ハードでねちっこいそのシーンの描写付きだ。

 きっと、ラシェルがそういうシチュエーションが好きか憧れてるかのどちらかなんだろう。

「まあ、押せ押せでやってみたらいいんじゃないか? ああいう女騎士ってのは、意外にがっつり来られるのは嫌いじゃないってことが多いしな。お前のラシェルも、読書傾向からしてそうなんだろう、たぶんな。

 ……お前みたいな見目のいい奴に押されて揺れない女はたぶんいないだろうし、がんばれよ」

 まんいち外れてても、責任なんて取れないけどな……と、半笑いのローランの小声の呟きまでは拾えなかったようだが、エリーはその前半の言葉にいたく勇気付けられたように強く頷いた。




 いよいよ18の誕生日を迎えるにあたり、エリーはさまざまな段取りを整えていた。計画とシミュレーションだけは完璧だ……と思う。


 翌日から向かう疫病地域の視察はふたりきりで赴くことになったし、その時に何をどうするかの計画も立てた。視察先で滞在する宿の選別だって済ませてある。これまでの仕込みも完璧だ。視察に出た時の習慣やら何やら、すべていつものようにやれば、ラシェルだって変に緊張したりしないだろう。

 ──薬だって用意した。

 まんいちラシェルに力負けしてしまったりなどということになったら立ち直れないし、それに、多少痺れていれば、はじめての痛みも軽減されるとも聞いたし、だから、いちばんはラシェルのためなのだ。

 すぐに自分の神術で傷を受けた部分を治癒できればいいのだが、ローランからは、神術を使うのに必要な精神集中ができると思うなと、釘を刺されてもいるのだから。

 今ではすっかり慣れてしまった幻術を人形に掛けて、(きた)るその時のための段取りを復習しよう。

 ……心残りは、未だにエリーと呼んでもらえないことと、手を繋いでもらえないことだけど、これだって、きっと明日からの視察を終える頃には、自分の望み通り、ラシェルは自分を愛称で呼んで手を繋ぐくらい普通にしてくれるようになってるはずだ。

 ラシェル(の幻影を被せた人形)をじっと見つめ、その耳元に口を寄せて「ラシェル、愛してます」と囁く。ラシェルはそんな自分ににっこり微笑んで、私もです、と答えるのだ。

 その、少しはにかむような微笑みを見て、自分は思わずラシェルを抱き締めて……。

 そこまで想像して、身悶えつつ息を吐く。

「早く、視察を終えて、ラシェルと一緒になりたいです」

 ラシェル(の幻影を被せた人形)の顔を愛おしげに撫でて、エリーは呟いた。




 その3日後。

 考えていた段取りとは少し違ってはしまったが、ラシェルは初めて自分をエリーと呼んでくれたし、手を繋ぐどころかそれ以上のあんなことやこんなことまでしっかりと実践できたし、何より、結婚も了承してくれた。

 幸せで絶好調過ぎて怖いくらいだ。

 これまで自分の技術修練のためのあれこれの糧となってくれた人形は、戻ってすぐに“炎の一撃”でお焚き上げをして、天におわす父なる太陽のもとへと送った。

 借りていたあれこれの教本を返すついでに以上の報告をした友人は、「マジでうまくいったんだ?」と、半信半疑ながらも祝いの言葉を自分に贈ってくれた。




 毎日毎日、朝から夜まで、文字通り一日中ラシェルと一緒にいられるのだ。

 結婚て本当にいいな、とエリーは思う。


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