第八十八話『She attracted me.』
麗美香は悩んでいた。
「おかしい」
手下のタマと連絡が取れなくなった。
定期連絡が途絶えてから丸一日が過ぎている。
そんなことは、今まで一度だって無かった。
不安が募るばかりだった。
スマホの画面を見ては、連絡が無いことに失望する。
嫌な予感しかしなかった。
麗美香が一番可能性が高いと思うのは、爺様が何かしたということだった。
麗美香は、彼女がタマに指示して、学校の端末探らせてたのがバレたのだと直感した。
もしかしたら、タマが不慮の事故にあい、連絡が取れない状態になっているということも有り得るが。
「でも、ここは最悪の事態を想定して動いた方が良いよね。だって、相手はあの爺様だし」
「ちょっとあんた、何をさっきからずっとウロウロしてんのよ。鬱陶しいから止めてくれない」
ルームメイトの山依から怒られた。
確かに、さっきからずっと麗美香は、この狭い寮の部屋を行ったり来たりし続けている。
じっとしていると落ち着かない。動いてないと、不安で気が狂いそうになっていた。麗美香は、こうしてウロウロと歩きまわっていると、ほんの少しだけ気が楽になるような気がしているのだ。
山依に言い返してやりたかったけど、今はそれどころじゃなかった。それに、いま山依と言い合いして勝てる気がしなかった。普段は山依に絶対負ける気がしないが、今はダメだろうと思った。自分の気持ちがそれだけ弱々しくなっているのを、麗美香は実感していた。
言い争いで山依に負けることは屈辱に感じる。そんなことは絶対に嫌だった。
だから、麗美香は黙ったまま歩き続ける。山依の言葉を無視して。
「あぁぁあぁもぉぁううううぅぅ、うっっっとおおおしいいぃいい!!」
山依が椅子から立ち上がって、麗美香に掴みかかる。麗美香の腕を掴んで自分の方に振り向かせ、顔を近付けて睨んで来た。
山依の方が麗美香より背が高いから、上から見下される形だ。麗美香は、普段は感じたことないのだが、弱気になっていたせいか、山依に見降ろされていることに無性に腹が立ってきた。
つい、怒りに任せて山依の腕を振り払った。
急な動きに反応できなかったのか、山依は振り払われた勢いで壁に激突した。
ドンという鈍い音を立てた後、山依は床に転がった。苦しそうに呻く彼女を見て、麗美香は血の気が引き我に返った。
「ごめん! 大丈夫? 怪我ない?」
麗美香は、本気で振り払ったことを後悔した。自分の腕力は大の男でも簡単に吹き飛ばせる。それを山依に振るってしまった。
後悔や懺悔、自己嫌悪に苛まれる。
「だい……じょうぶ。げふっ……オレ、身体は丈夫な方だし」
山依は、咳き込みながらも、気遣いというより意地っぽい返事を返して来た。それが、麗美香をさらに申し訳ない気持ちにさせる。
「あっ……あ……」
麗美香から、声にならない声が漏れる。麗美香は、何か返事しようと思うのだけど、何も形にならない。
麗美香は、お爺様に対する不安から、自分が山依に八つ当たりしてしまったことを理解した。
「本当に、ごめんなさい」
右手を震えながら伸ばして、山依の肩に触れる。
しゃがみ込んだ身体を支えている自分の左手が小刻みに震えているのを麗美香は自覚した。
自分が、ひどく怖がっていたことに、そこで初めて気がついた。
麗美香は、いままで自分は怖いものなんて無いと思っていた。それこそ、お爺様だって怖いと思ったことは無かった。
しかし、本当のところでは心の奥底で怖いと思っている自分を発見した。
一応は、自分はお爺様の孫娘であり、お爺様は自分を一番に可愛がっている。自分は、お爺様の一番のお気に入りだという自負もある。そうなるように、巧くお爺様をコントロールしてきたつもりだ。
でも、もしそうじゃなかったら?
自分がお爺様を、自分を一番お気に入りにするコントロールしたように、お爺様も自分をそう思い込ませるようにコントロールしていたのだとしたら?
自分ができるのだから、お爺様にだってできるかもしれない。
自分の頭の悪さには自覚がある。お爺様は決して頭は悪い訳じゃない。騙せてると思ってることが間違いだったのではないか?
まさかお爺様が、ユニーク枠に直接絡んでるなんて思っていなかった。
タマに探りを入れさせていることをお爺様に悟られる前に、山根耕一がユニーク枠のことを探っていると話して連れてったのに……。
お爺様が巧く誤魔化して、終わる話だと思っていた。
このままだと、山根耕一も危ない。
「ねえ? あんたの方こそ大丈夫なの?」
考えに没頭していた麗美香は、はっとした。山依の肩に手を置いたまま、じっと動かないでいたらしい。
山依が心配そうな目で、麗美香を見つめる。
「へ? なにが? どういう意味?」
そんなに態度に出ていただろうか? 麗美香は、自失していたことを素直に認めたく無くて、何でもないフリを意味もなくしてしまう。
「すごく落ち着きないし、いつも腹立たしいぐらいに自信たっぷりな癖に、今は、まるで怯えた子猫みたいだよ? 何かあったの?」
自分が怯えている? そうだ、怯えている。麗美香は自覚した。しかし、そのことを山依に悟られるのは、屈辱だった。麗美香にとって誰よりも悟られたくない相手が山依であった。山依に弱みを握られるのは、最悪中の最悪であった。
負けじと、山依の目を睨みつける。
しかし麗美香は思ってしまった。山依の瞳がすごく綺麗であると。
今まで気づかなかった。すごく美しい瞳。ごく普通の茶色の瞳ではあるが、輝いている例えようのない美しさ。妖美さが漂っている。麗美香の全身がぞわぞわと震えた。
「ねえ? 話してくれないかな。あんたの話、聴きたいの」
柔らかく美しい山依の声が、心の奥底に心地よく響き渡る。その声音による感動が身体の隅々まで行き渡るように感じる。もっともっとずっとずっと、この声を聴いていたい。麗美香は渇望した。
「はい」
自分が今まで出した覚えがないような、うっとりした声音が漏れた。
その瞳から目を離せないまま――




