第八十八話:She attracted me.
おかしい。
タマと連絡が取れない。
連絡が取れなくなって丸一日が過ぎている。
そんな事は今まで一度だって無かったのに。
不安が募るばかりだった。
スマホの画面を見ては連絡が無い事に失望する。
嫌な予感しかしない。
一番可能性が高いのは、爺様のしわざ。
学校の端末探らせてたのがバレたんだ。
不慮の事故で連絡が取れない状態になっているって事も有り得るけど。
でも、ここは最悪の事態を想定して動いた方が良いよね。だって、相手はあの爺様だし。
「ちょっとあんた、何をさっきからずっとウロウロしてんのよ。鬱陶しいから止めてくれない。」
ルームメイトの俺っ娘ちゃんから怒られた。
まあ、確かに、さっきからずっとわたしは、この部屋のいたるところを行ったり来たりし続けている。
じっとしていると落ち着かないのよね。
動いてないと気が狂いそう。こうしてウロウロと歩きまわっていると少しだけ、ほんの少しだけ気が楽になるような気がしているのだ。
俺っ娘ちゃんに言い返してやりたかったけど、今はそれどころじゃない。それに、今この子と言い合いして勝てる気がしない。いつもは絶対負ける気がしないけれど、今はダメ。気持ちがそれだけ弱々しくなっているのを実感している。
言い争いでこの子に負けるとか屈辱だし、絶対に嫌だ。
だから、黙ったまま歩き続ける。彼女の言葉を無視して。
「あぁぁあぁもぉぁううううぅぅ、うっっっとおおおしいいぃいい!!」
俺っ娘ちゃんが椅子から立ち上がってわたしに掴みかかる。わたしの腕を掴んで振り向かせ、顔を近付けて睨んでくる。
彼女の方が背が高いから上から見降ろされる形だ。普段は感じた事ないのだけれど、弱気になっていたせいか、この子に見降ろされている事に無性に腹が立ってきた。
つい、怒りに任せて腕を振り払った。
急な動きに反応出来なかったのか俺っ娘ちゃんは、振り払われた勢いで壁に激突。ドンッという鈍い音を立てた後、床に転がった。苦しそうに呻く彼女を視て、血の気が引き我に返った。
「ごめん! 大丈夫? 怪我ない?」
馬鹿だ、わたし。いつもなら自分の力の強さ解ってるから加減してるのに、本気で振り払うなんて。
後悔や懴悔、自己嫌悪に苛まれる。
「だい……じょうぶ。俺、身体は丈夫な方だし。」
気遣いというより意地っぽい返事が返って来て、さらに申し訳ない気持ちになる。
「あっ、、、あ、、、」
声にならない声が漏れる。何か返事しようと思うのだけど、何も形にならない。
八つ当たりしてしまったんだ、わたし。
「本当に、ごめんなさぃ。」
右手を震えながら伸ばして、山依さんの肩に触れる。
しゃがみ込んだ身体を支えている左手が小刻みに震えているのを自覚した。
そっか、わたし。こんなに怖がってたんだ。ははは。
わたしは怖いものなんて無いと思ってた。それこそ、爺様だって別に怖くないって思ってた。
でも、ほんとのところでは、心の奥底では、やっぱり怖いって思っているんだと今自覚した。
一応、わたしは爺様の孫娘であり、爺様はわたしを一番に可愛がっている。わたしは、爺様の一番のお気に入りだという自負もある。そうなるように巧く爺様をコントロールしてきたつもりだ。
でも、もし、そうじゃなかったら?
わたしが爺様を、わたしを一番お気に入りに思うようにコントロールした様に、爺様もわたしをそう思い込ませる様にコントロールしていたのだとしたら?
わたしが出来るんだから、爺様にだって出来るかもしれない。あ、それだとそもそもにわたしに出来てないって事になるのかな? ははは。
そもそもに、わたしは頭悪いからなあ。爺様は決して頭悪い訳じゃないし。騙せてると思ってる事が間違いだったんじゃないのかな?
まさか爺様が直接絡んでるなんて思わなかったし。気づかれる前に、爺様にポチがユニーク枠の事知りたがってるって話して連れてったのに。爺様が巧く誤魔化して終わる話だと思ったのに。
あ、ポチは!? ポチは無事なの!?
「ねえ? あんたの方こそ大丈夫なの?」
はっとした。山依さんの肩に手を置いたまま、わたしは自分の考えに没頭してしまっていたようだった。
山依さんが心配そうな眼でわたしを見つめている。
「へ? なにが? どういう意味?」
そんなに態度に出ていただろうか。出ていたんだろうなあ、きっと。素直に認めたく無くて、何でもないフリを意味もなくしてしまう。
「凄く落ち着きないし、いつも腹立たしいぐらいに自信たっぷりな癖に、今は、まるで怯えた子猫みたいだよ? 何かあったの?」
わたしが怯えている? そぅだよぉ。怯えているよ! それをこの子に悟られるとか、屈辱だわ。忌々しい。よりによって一番悟られたくない相手に悟られるとかないわ。この子に弱み握られるとか最悪ぅ。
負けじと、俺っ娘ちゃんの眼を睨みつける。
でも、なんだろう。この子の瞳。すごく綺麗だ。
今まで気づかなかった。すごく美しい瞳。ごく普通の茶色の瞳なんだけど、輝いている例えようのない美しさ。妖美さが漂っている。なんか全身がぞわぞわしてきた。
「ねえ? 話してくれないかな。あんたの話、聴きたいの。」
柔らかく美しい山依さんの声が、心の奥底に心地よく響き渡る。その声音に感動が身体の隅々まで行き渡る様に感じる。もっともっとずっとずっと、この声を聴いていたい。
「はい。」
自分が今まで出した覚えがないような、うっとりした声音が漏れた。
その瞳から眼を離せないまま。