第三十六話 『孫娘』
「あ、あの、どう? どう? 変じゃない?」
ニーナは顔を赤らめながら、いきなり部屋に入って来た。
そういえば、明日から2学期になる。つまり、ニーナの初登校の日だ。学校の制服を着たので、俺に見てもらいに来たのだ。
目の前で、軽やかにクルクルと回転してみせる。制服のスカートがふわりと広がった。
だが残念。ニーナよ。おまえは前に、ヤマゲンの制服を借りて着ているから、初めてじゃないんだ。覚えてないかもしれないが。
「変じゃないよ。バッチリだ!」
安心させてやる為、力強く肯定してやったが、どうやら期待していた反応ではなかったらしい。
不満顔で後ろを向くと、扉を開けて、おかぁさ〜んどう〜? と叫びながら一階に降りていった。
やっぱり、驚いてほしかったのだろうか? しかしながら、驚いたふりをするのは苦手だ。どうしてもわざとらしくなって、余計に事態を悪化させていただろう。
それにしても、いつの間にかニーナは、おかあさんと呼ぶようになったんだな。一生懸命、おかあさんと呼ぼうとしている姿を見てニヤニヤしたかったのに。
◇◇◇
朝になった。
ニーナと一緒に家を出る。
これからは、毎日ニーナと一緒に登校することになるのか。
そう思うと、なんだか不思議な感じがした。
隣でバスを待つニーナは、緊張しているように見える。制服の上着をしきりに何度も何度も整えていた。初めて、この世界での学校だ。無理もない。朝食のときからずっと黙っている。食事も喉を通らなかったようで、パンを一口齧っただけだった。
バスに乗っても、終始無言だった。
「ニーナ」
「うん……」
「大丈夫か?」
「うん……」
「深呼吸してみろ」
「うん……」
うんしか言わない。ダメだこりゃ。
「そんなに緊張するなよ。ニーナの世界でも学校はあったんだろ?」
そう言った瞬間、眼を見開いてニーナが固まった。
なんか地雷踏んだか? さぁっと冷や汗が出た。
しばらく様子を見ていると、その碧い瞳は懐かしみの色に変わり、やがてニーナはゆっくりと窓の外を見つめた。
「うん。すごく楽しかった」
ぽつりとつぶやく。
俺は、声を掛ける事ができなくなった。こんなとき、なんて言えばいいのだろうか?
言葉を探しているうちに、学校に着いてしまった。
そのことに、正直ちょっとほっとした自分が情けなく感じた。
バスから降りるとすぐに、後ろからやって来た高級なリムジンが、正門の前で停まった。
「なんだなんだ?」
「あ、あの人は」
ニーナの声が漏れた。
「ニーナ、知ってる人か?」
ニーナの知人とか、レアすぎる。いったいどこで出会ったのだろうか?
「うん。たぶん編入試験のときに会った人だと思う」
ああ、なるほど。そういえば編入試験を受けたのだった。
「ニーナ、試験受けたんだ。よく受かったな」
「失礼ね。ちゃんと受かりました」
ニーナは、キッとこちらを睨んだ。
「どんな試験だったんだ」
「面接試験」
「ああ」
なるほど。それならわかる。
「ああ、ってなによ!」
「筆記は無かったんだな」
そうだよな。さすがに普通の試験で合格できるとは思えない。日本語もなんとか会話ができるレベルだしな。
「というか、ユニーク枠だよな。面接試験あったんだ」
「うん。そこで、一緒に面接した人がいたの。なんとか財閥の孫娘らしいよ」
「お嬢様か?! それは期待大だな」
財閥令嬢と言えば、黒髪ストレートロングでスラリとした美人さんというイメージだ。摩耶先輩みたいな感じだな。
「うん。私、絶対勝てないと思った」
ほほう。ニーナもそれとなく整った顔立ちをしている。西洋風の風貌で、お姫様というだけあってさもありなんな美形である。そのニーナが勝てないとは。これは是非ひと目見ようと、リムジンから出てくる女学生を待った。
出てきたのは、背は150センチぐらいで小さくて可愛い感じ。髪は肩まで伸ばしたストレートの黒。前髪はパッツン。上着は脱いでいて、半袖のブラウス姿。
一瞬、イメージどおりのお嬢様かと思ったが――
うん。第一印象
金太郎?!
スカートを履いた金太郎だ、あれは。
なんだろう。ぽっちゃり……のように見えて、半袖から出ている腕やスカートから覗いている素足が、隆々とした筋肉に女性らしい脂肪が乗っていた。
そして、片手に先端が斧の形をしたでっかい槍のような物を持っていた。長さは2メートルはあるだろうか。刃先が太陽に反射して、キラリと光った。
リムジンの運転手が慌てて、その槍の様な物を掴んだ。
うんうん、そんな物を学校に持って行っちゃあ駄目だろう。わかるぞ。
運転手は、スルスルとその槍のような物に布の袋を被せて、金太郎に渡した。
カバー付けただけかよ!
「ね? 勝てそうにないでしょ? 彼女たぶん凄く強い」
「勝てないって、格闘技系の話かよ?!」
はぁぁ……
期待して損した。
俺の落胆をよそに、金太郎は正門を通って学校に入って行った。その後ろ姿を見届けた運転手は、リムジンを発車させて去って行った。一度はあんなリムジンに乗ってみたいものだ。角を曲がって見えなくなるまでなんとなく見送ってしまった。
「行こうか。ニーナ」
気を取り直して、隣のニーナを促し、正門を抜けると、金太郎が待ち構えていた。どうやら、待ち伏せしていたようだ。俺たちが見ていたの気付いてたんだな。しかし、いったいなんの用だ。
「やぁ、ニーナちゃん、おひさ〜」
金太郎が満面の笑みを浮かべて、ニーナに突進してきた。意外と愛嬌のある笑顔である。タレ目のつぶらな瞳。吸い込まれそうな真っ黒な大きい瞳をしていた。肩まであるストレートの髪が、ふわふわと揺れていた。ぱっと見の印象は、金太郎だったが、実は凄く可愛い系なんじゃなかろうか?
見惚れていると、ドシンっという鈍い音がした。
ニーナと衝突したようだった。
衝突されたニーナは、三メートルほど吹っ飛び、尻餅をついた。
けほけほと咳き込みながら、涙目になっている。
「麗美香さん……おひさ」
ニーナは金太郎に、身体の痛みを堪えながら返事をした。どうやら金太郎の本名は、麗美香というらしい。
「ごめんごめん、そんなに飛ぶとは思わなかった。あはははは」
悪びれず、大声で笑う。見た目どおりの豪快な性格らしい。
麗美香はニーナの腕を掴むと、すくっと立たせた。
その動きに驚愕した。
何だ今の?! 軽々と人ひとりさらっと持ち上げたぞ。あの筋肉は伊達じゃないってことか。俺、あいつと腕相撲したら瞬殺されるんじゃないだろうか?
「ねえ、ニーナちゃん、この人だれ?」
俺を指差す。
こらこら、人を指差すんじゃねえよ。
「えっとお……」
ニーナは返答に困っていた。確かに、俺たちの関係を説明するのは難しいよな。なんて言えばいいんだろうな。そりゃ悩むだろう。友達って言うのも変な感じだし、同居人とか言うと誤解を招きそうだしな。
「お世話してもらっている人」
こらこら、ニーナ。それ意味がわからんだろう。何言い出しやがる。
「ほうほう。世話係ね。さすがお姫様」
麗美香は、素直に感心していた。
なんだか、こいつに変な誤解を生じさせたような気がするぞ。嫌な予感しかしない。
それにお姫様って、ニーナのやつなにを話したんだ?
「あ、でも、学校では秘密ね。お姫様ってこと」
「うんうん。わかった」
なんだ、ニーナのやつ。まさか相手が財閥の孫娘だからって、対抗して自分がお姫様だってばらしやがったのか? 意外と見栄っ張りなんだな。いや、見栄じゃなくて事実だけど。なら、負けず嫌いというべきか……。ニーナの意外な側面を見た気がした。
「あ、でも、なんでお姫様がこんな高校に?」
麗美香は、疑っているというより、純粋な気持ちから尋ねているようだ。
「えっと……その……」
ニーナはバツが悪そうに口ごもった。
余計なこと言うからだよ。まったく。
「あ、いや、言いにくいことなら言わなくてもですよ。あれですね。隠密? お忍びってやつですね」
なんだか麗美香は、うんうんと頷き、わかるわかるといったオーラを放った。
本気なのか、ただノリがいいやつなのか判断がつかないが。
「あはは。そうそう」
ニーナのやつ、適当に話を合わせやがった。
「そうか。やっぱりこの学校には、何かがあるのね。これは内緒なんだけどさ……実は――」
そう言って、麗美香は眼を輝かせてとんでもないことを言い出した。
「わたしも、特命を帯びてこの学校に来たの」




