第三十一話 『追跡』
「おーい! ニーナ、待つんだ。ちょっと待て!」
階段を上がろうとしたニーナを呼び止める。行かせないためじゃない。
「階段だと時間がかかるぞ!」
その言葉に、ニーナは足を止めて振り返った。
俺が指差す方角に、ニーナの視線が動く。そこにはエレベータがある。
彼女は理解し、俺の方に走って戻って来た。
「コーイチ。一緒に来てくれるの?」
「あたりまえだろ」
ぱああっとニーナの表情が明るくなる。しかし、すぐに深刻な顔つきに戻ってしまった。
「どうかしたか? ニーナ」
「来てくれるのは嬉しい……。でも、あいつは危険。コーイチが危険になる」
「それは、ニーナも一緒だろ? おあいこだよ」
くすっと、軽く彼女は笑った。
「わかった。でも、危ないことはしないでね」
「ああ、それもお互いさまだ」
二人で急いでエレベータに乗り込み、七階のボタンを押す。
エレベータが登り始め、六階を過ぎたところでふと思った。六階で降りてから階段で上がった方が安全だったんでは? と。しかし、時すでに遅し。エレベータを止めることはもうできなかった。
だめだな。冷静にならないと。俺には怪物を倒す算段などない。だから、俺がここにいる目的は、怪物を倒すことではなく、ニーナを守ることなのだ。
「ニーナ、扉が開いてもすぐに出るなよ。扉の横に隠れて様子を窺うんだ」
彼女は、俺の意図を感じとったようで、素直に頷いた。さっきいきなり走り出して行ったから、今回も飛び出して行くのではないかと心配したが、大丈夫のようだ。それって俺がいるからかな? 少し冷静になったようだ。
ニーナと話したとおり、エレベータの出口の両サイドに別れて待機する。
真正面から飛び出すよりかは、幾分かマシだろう。
チーンっと音がなって、エレベータは七階に到着した。
この音に反応して寄って来たらと思うと、身体が恐怖に震える?
ヴィーンと扉が開く。
ドアの陰からこっそりと、辺りの様子を窺う。
薄暗い廊下は静まり返っていて、人の気配がない。
物音一つなかった。
とりあえず、エレベータの音には反応しなかったようで一安心した。
それにしても、屍魔はどこかに隠れているのだろうか……
勢いでニーナの後を追っては来てはみたものの、俺には何一つ屍魔と闘える要素がない。武器一つ持ってないのだ。図書室に武器になりそうな物ってあるだろうか? 百科事典……、本棚……。ちょっと考えてみたけど、なにも良さそうなものが思いつかない。
「コーイチ、下がって」
ニーナが、俺に自分の後ろに下がれと言う。
「いや、でも、ここは男としてだな、女の後ろに下がるわけには……」
「前に居られると邪魔なの。戦いにくい」
「あ、はい」
きっぱりと言われた。そうはっきり言われると、言い返す言葉が出ない。
仕方なく、先に行くニーナに付いて歩く。
男のプライドがズタズタだが、致し方ない。ここは、ニーナの眼となり耳となってサポートするしかなさそうだ。
そう思って見渡した廊下には、壊れたドアの破片が散乱していた。ドアのガラス部分が割れており、踏むたびにパキパキと音を立てた。
この部屋から、やつは飛び出して行ったのか? そして、この廊下をまっすぐに……
廊下の突き当りまで行ったが、屍魔は見つからなかった。
いったい奴はどこへ行きやがったんだ?
ブーブーブー
携帯のバイブが振動した。摩耶先輩からだ。
「やっと捕まった。山根さん、今どこ?」
「七階の図書室前廊下です。さっき屍魔を見た場所の廊下をひと通り見たのですが、いません」
「ニーナさんも一緒?」
「はい。一緒です」
「あのね、山根さん。山依さんもあなた達を追いかけて、そっちに行ってしまったの。お願い、なんとか合流して。独りで行動したら危ないから」
ヤマゲンのやつは、まったく後先考えてねえな。って、こっちも人のことは言えないか。苦笑が漏れた。
「摩耶先輩はどうするんです?」
「私はここで見張ってるしかなさそうね。まったく、あなた達のせいよ。わかってんの?」
摩耶先輩が独りになってしまっている。その状態は危険であるが、とはいえ合流するために校舎に入るのも危険だ。
「すみません」
まったくもって、面目ないです。ニーナにヤマゲン、それに俺もか……。
「何かあったら連絡頂戴。こちらも何かあれば連絡するわ」
摩耶先輩との電話を終えてから気づく。
こんな大声で話してたら、やつに聞こえたんじゃないかと。
まあ、今更だが。
「ニーナ。ヤマゲンと合流するからちょっと待て」
階段を降りようとしているニーナに声を掛けた後、ヤマゲンに電話を掛ける。
十回ほどコールしたが、出やがらない。あいつ、気付いてないな。
あいつの性格だ。きっと階段で来る。入ってきた場所から一番近い階段だ。
「ニーナ。こっちだ。戻るぞ」
エレベータ側の階段の方に向かう。ニーナも渋々付いてくる。ニーナからすれば、早くあいつを見つけたいんだろう。
「ニーナ。まあ、そう焦るなって。独りで行動したら危ないだろ? ヤマゲンは今独りだから……」
と自分で言って、はたと気づく。
再度、慌ててヤマゲンに電話を掛けるが、出ない。
まさか?! ヤマゲン、やられたんじゃねえだろうな!
ちっ、くそお!
俺は慌てて、エレベータ側の階段目指して全力疾走した。
一刻も早く、ヤマゲンの無事を確かめずには要られなかった。
階段の近くまで来た時、人影が飛び出てきた。やつか?!
身構えた一瞬、人影のハイキックが俺に命中した。
「ぐっ」
そのまま図書室の中に吹っ飛ばされた。
数回横転しながら、本棚にぶつかって止まる。
「くはっ……。やべえ、動けねえ」
殺られる……。そう覚悟したとき、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああ やまねこなの?! 大丈夫? 大丈夫そうね。よかった。でも、よくない!」
ヤマゲンの叫び声だった。蹴られた頭がガンガンする。
「ごめん、やまねこ。あいつと間違えた」
どうやらあの人影はヤマゲンだったようだ。あいつじゃなくてよかったんだよな。とりあえず生きてるし。あいつだったら死んでただろう。ここは、素直に……喜べないけど。
「だって、いきなり突進してくる足音が聞こえたもんだから、てっきりあいつかと思って」
まったく。こいつは。
ていうか、おまえは、あいつとハイキックで闘うつもりだったのか? ヤマゲン恐るべし。
上体を起こすと少し吐き気がした。ヤマゲンのハイキック、意外とすごいのかもしれない。まあ、屍魔に効くかどうかは知らんが。
心配そうに俺を見るヤマゲンの表情が変わった。
いや、正確には、俺じゃなく、俺の後ろの方を見て驚いているようだ。
痛む身体に耐えながら、身体を捻って後ろを見る。
そこには、男性教員が倒れていた。そしてその向こうにうつ伏せに小柄な人物が倒れていた。
その小柄な人物が、もしかして俺の知っているあの人物かどうか確かめたくて、近寄った。
やっぱりそうだ。
null先輩。いや、nullさんだ。
そっとnullさんの首筋に手で触れる。脈がある。よかった。生きてる。
男性教員の方も生きているようだった。
ヤマゲンは倒れている二人を観てショックを受けているようだ。
両手で口元を抑えて固まっている。
まあ、あまりこんな状態を見ることないもんな。
ニーナは、最初は俺を心配して傍にいたが、今は周りを警戒して見張っている。
二人の救助が先か、やつの追跡が先か……。
ここでやつを取り逃したら、見つけられなくなるかもしれない。すでに見失っているが、まだそんなに遠くには行っていないはずだ。ここで、二人を救助して校舎の外に運ぶとかしていたら、完全にやつを見失うかもしれない。
しかし、二人を放って置いたら、やつがここに戻って来て、二人が喰われてしまうかもしれない。
よし、ひとまずエレベータまで運ぼう。様子を見て、エレベータで一階に降ろそう。その後は、摩耶先輩に任せてもいいしな。
「ヤマゲン。手伝ってくれ。nullさん達をエレベータまで運ぶぞ」
「あ、うん」
男性教員の頭側を持って、ヤマゲンには足の方を持ってもらってエレベータ前まで運ぶ。
「ニーナは周りの警戒を頼む」
彼女はこくんと頷いた。
次はnullさんだな。
nullさんは、何をしてたんだろうと思ったが、そのアーミーな服装を見て、この人はあいつと闘いに来たんだと悟った。傍らにはライフルが落ちていた。本物なんだろうか? よくわからないが、これで戦ったのだろう。
nullさんを抱えようとしたとき、うっ……と呻き声をあげて、nullさんの眼が開いた。
「あ、nullさん。大丈夫ですか?」
nullさんの眼は、あちこち泳いだ後、上を向いてしばらく止まり、最後に俺を見た。
「あ、なんだ。おまえか」
そして辺りを見回して、居場所を把握したのか
「そっか。わたしは生きていたか。ふふふ、まだ楽はさせてもらえないなあ」
そういうと、ジャケットのポケットを弄って、何かを取り出した。
その何かを見つめながら
「で、おまえは何をしに来たんだ?」
nullさんに話していいものかどうか、少し迷ったが、予想が正しければ、nullさんは、あいつと闘いに来たはずだ。なら、一緒に闘うのがいいのではないか。
「あの怪物と闘いに来ました」
nullさんは、周りを見渡し、
「おまえと、そこの二人でか?」
「いえ、後一人、校舎の外で見張っている先輩がいます」
「ふ~ん。で、勝算はあるのか?」
「ニーナが、あ、この子がニーナですが、倒す方法があると言っています」
ニーナの方を手で示した。
「ほう」
nullさんは、口を半月型にして笑った。
「では、お手並み拝見と行こうか。やつを探しに行くぞ」
そう言って、nullさんは立ち上がった。
「待ってください。nullさん、大丈夫なんですか? 怪我は?」
nullさんはそれには答えずに、さっきジャケットから出した物をこちらに見せた。
「なんですか? それ」
「これは、探知機だ。やつの体内にマイクロチップを埋め込んでやった。音でしかわからんがな」
スイッチを入れると、ピ……ピ……と鳴り出した。
「少し遠くにいるようだな。これは近づくと音が早くなる。そして、この先端を向けた方角で最も音の反応があるのがやつのいる場所だ。わたしは闘うのが苦手でね。ニーナとやら、期待しているぞ」
ニーナは、こくりと頷いた。




