第二十九話 『対決』
摩耶先輩がニーナと話したいというので、ニーナを呼びに行った。ニーナは、まだ風呂に入っているようだった。
シャワー音が聞こえないので、浴槽に浸かっているのだろう。ドアの向こうにお風呂に入っている女の子がいると思うと、胸の鼓動が早くなる。いや、別に他意はないよ? ほんとだよ?
ドアの前でずっと待っているわけにもいかない。とりあえず声をかけようとしたとき
「コウちゃん」
いきなり背後から、母に声を掛けられて心臓が飛び出そうになった。
「ひぃっ! なにも見てません。してません!」
「わかってるわよ。ずっと見てたし」
見てたのかよ。早く声掛けてくれ……。よかった。覗いたりしなくてほんとよかった。
「あの子、あんたに代わる為にすぐ出て来ちゃったのよ。だからさ、あんたがまだ話し中なんで、もっとゆっくり暖まって来なさいって言ったのよ」
なるほど、そういう事だったのか。なら、急がせたら悪いよな。
「じゃあ、ニーナが風呂から上がったら教えてくれ」
そう母に言い残して、客間に戻った。
ニーナを連れずに客室に戻った俺を、摩耶先輩は不審な目で見た。
「あ、ああ、ニーナは今お風呂中でして、まだしばらくかかりそうです」
「そう、ですか」
ニーナを連れてこなかった理由を端的に述べると、摩耶先輩は緊張を解いた。摩耶先輩は、いろいろと邪推したのかもしれない。そして、その理由が単純な話だったので安心したのだろう。
「先輩は、お時間の方は大丈夫ですか?」
時間は夜の九時になろうとしていた。
「時間は問題ではありません。この先の事は、ニーナさんとお話ししないと決まらないので、いつまででも待ちます」
摩耶先輩の言葉には悲壮感が漂っていた。
客間で、摩耶先輩と二人っきり。息が詰まって、喉が渇くすごく苦手な空気だ。しかし、摩耶先輩を客間に独りにして放置するわけにもいかない。ここは、ニーナが風呂から上がるまで話し相手にならないとな。
「摩耶先輩、えっと――ニーナと何を話すつもりなんですか?」
どう話を切り出すか、頭が痛くなるほど考えた末に、やっと絞り出した声だった。特に摩耶先輩を尋問するつもりはなかった。単に、このだんまりの空気が嫌で、話題を振っただけのつもりだった。
「屋上にいた怪物の事を一番よく知っているのは、ニーナさんしかいません」
摩耶先輩は、そう言った後しばらく沈黙した。
言葉を慎重に選んでいるのだろう。
やがてゆっくりと
「何か、私にできる事はないかと思いまして」
俯いたまま、彼女はそう語った。長い黒髪に隠れ、その表情は見えない。
「どんな事でもいい。情報が欲しい。何もしないでは、いられません」
なんで先輩がそこまで、そう言おうとしたけど、先輩の気持ちがわかって思い留まった。
知ってしまった以上、放って置くわけにはいかない。それは、俺もおなじ思いだったからだ。
客間の扉が開き、ニーナが入ってきた。
ニーナは、グレーのスウェット上下といういつもの出で立ち。
隣に座るのかと思ったら、手を引っ張られた。
「コーイチ、交代」
交代と言われて、なんの事かと思ったけど、ニーナが指さす方向が風呂場だったので思い出した。そっか、ずぶ濡れで帰ってきたんだった。
「ああ、風呂か。でも、摩耶先輩と二人っきりになるけど大丈夫か?」
なんとなくだけど、この二人が会話できるように思えなかった。
「大丈夫です。問題ありません」
ニーナは、はっきりと言ったけど心配でならない。
「何かあったら遠慮なく呼べよ」
ニーナにそう言って、摩耶先輩に会釈して客間を出た。後ろ髪を引かれる思いであったが、致し方ない。
母が、いろいろ聞きたがってきたが、先に風呂に入らせてくれと言ってやり過ごした。
浴槽に浸かり、冷えていた身体を温める。思っていた以上に身体が冷えていたようで、湯の温かさが、身体の隅々まで浸透して来る。気持ちよすぎる。うっかりすると、このまま寝てしまいそうになるのを耐えつつ、上がるタイミングを図った。やっぱり二人の話が気になるし早く上がりたいが、あまり早すぎるのも気まずいからな。
◇◇◇
nullは、図書室に入って行った男性教員と思われる人物の後を追う。
怪物と教員どちらにも気付かれない様に……
「まったく、面倒が増えた。あいつが勝手に死ぬのは構わないが、見殺しにするのは気分が悪い。仕方がない。助けるしかないな。
これでは計画は全ておじゃんだ。このままだと、格闘戦になりそうだな。参ったな……」
nullは、図書室の中を廊下からそっと窺う。明かりは通常通り点いている。特に異常は見当たらない。そう、中に先ほどの教員以外誰もいない事を除けば。
耳を澄ます。教員の歩く音が邪魔だ。他の音は聞こえない。
「そもそもこいつは何しに来たんだ?」
nullの内心に焦りが生じる。本棚の影に隠れながら、教員の後ろ姿を捉えて進む。
目的は、司書室か。教員は、司書室へと入って行った。
「ちっ……そこには入れん。隠れようがないからなあ。よりによってまた、あんな狭い部屋へ」
nullは唇を噛みしめる。
グワアガッシャーーーンっという轟音とともに、司書室の扉が砕け飛び、中から人間二人分ぐらいの塊が飛び出してきた。その塊はカウンターを乗り越えて転がり、nullの方へ向かってきた。
「くっ……気づかれたか?!」
目の前で止まったその塊は、ゆっくりと立ち上がった。やや透明がかった身体、少し溶けたように身体中から粘液を出している。まるでその全身はビニールのようだった。顔には眼だけが存在し、その眼は、金色に輝き、nullを見ていた。
足元に、先ほど見かけた教員が倒れていた。この怪物に襲われたのだろう。意識はないようだ。まったく動く気配がない。
「ドアを破ってここまで転がってくるとは、相当のパワー、そしてスピードだ」
怪物もnullを警戒しているのか、じっと睨んだまま唸っている。
「これは、どうやら会話ができそうには見えないな。
ふふふ……怯えているようだな。意外と小心者だな。こいつ」
チャンスは一回。nullが手にしている改造空気銃のライフルは、一発撃ったら、ボルトを引かないと弾を装填できないボルトアクション式だ。二発目を撃たしてくれる時間はないだろう。
「まったく……私の得意分野は知能戦であってだなあ、こんなアクションは専門外なんだがな」
怪物と睨み合いながら、nullは手に持ったライフルを構えるチャンスを窺う。
怪物の重心が下にさがった。
「来る」
nullは飛び込まれる瞬間、ライフルを突き出した。身体が宙を浮き、怪物の突進の勢いのまま一緒に後方へと飛ばされる。
その刹那、引き金を引くと同時に、後ろの壁に背中と後頭部をぶち当てる。
ポシュッ!
改造空気銃の高圧縮な空気に押されて、弾が怪物の身体に入り、中で弾が弾ける。
「頼むよ。これでダメなら、私も終わりだな」
nullは、うつ伏せに倒れこみ、打ち付けた背中と後頭部の痛みを感じた。
「背中は問題ないな。後頭部は……まずいなあ」
意識が薄れていく。
「ふふふ。もう夢の中なのかもしれないな。まあ、終わったら終わったで、別にどうという事はあるまい。わたしがいなくなった世界の事など、わたしの預かり知らぬ事だ」




