第二十五話 『誓い』
降りる停留所に着くまでの間、摩耶先輩と俺は会話をすることはなかった。
バスを降りるとき、ちらっと摩耶先輩の方を見たが、摩耶先輩はずっと俯いて俺を見ることはなかった。
「ニーナと関わるな、か……」
そんな訳にはいかない。ニーナのことを知ってしまったから。ニーナの記憶から伝わってきたニーナのいた世界の終わり。それを知っているのは、自分とヤマゲンだけだ。いや、もう一人、美霧も恐らく彼女自身の能力で、知っただろう。美霧が何を考え、何を探していたのかはわからない。
バスを降り、傘を差す。
雨はずっと降り続いている。路面に溜まった雨が、排水溝へと流れてゆく。なんとなくその様子を眺めながら、とぼとぼと家路につく。
屋上に何かがいることを、学校側は知っている。知っているからこそ扉を閉ざした。学校側は、どうするつもりなのだろうか? でも、学校が知っていてどうにかしようとしているのなら、俺が何かをする必要はないのではないだろうか? であるなら、ニーナに話す必要もないのでは……
わからない。何が一番正しい事なのだろうか。
ぐだぐだと考えているうちに、家にたどり着いた。
母とニーナと三人で食卓を囲む。ニーナは、美味しそうに味噌汁を啜る。ここのところ、ニーナは味噌汁にハマっている。
「ふっふっふ~ん。お味噌汁は、マイブーム」
などとニコニコ顔でおっしゃってる。最近、母に味噌汁の作り方を教わったりもしていたようだ。
最初の頃より、表情が豊かになった。母もそんなニーナを可愛がっている感じだ。
少しずつだけど、ニーナの遠慮がいい意味で減ってきたように思える。
幸せを少しずつ集めて積み上げている感じのニーナ。そんなニーナの気持ちに、やっぱり水を差したくない。
「コーイチィィ!」
ニーナの大声に、呼ばれている事に気がついた。どうやらずっと考え事に没頭していたようだ。
「おっ、お? なに?」
「さっきから呼んでるのに、もう」
白い肌を真っ赤に染めて怒るニーナ。こんな表情もするようになったんだなぁっと感慨に耽る。
「これ。そのお味噌汁。私が作ったの」
え?
「だから、そのお味噌汁。全部、一から私一人で作ったの」
おお。そうなのか。
「で?」
え?
「どうよ?」
ん?
「感想」
ああ。
「おお、すごいな。ちなみに、俺は作れない。というか、作り方知らないし」
ニーナは、じっとこっちを見つめる。
「あ、うん。美味しいです。うん」
なんかこういうのは苦手だ。上手く褒められない。褒め慣れてないっていうの? あんまり褒めるって機会ってなくない?
「そーいうのを、えーっと、取ってつけたようって言うんだっけ?」
ニーナが俯き加減で上目づかいで睨んでいた。
「いやいや、そんなことないよ。だって、いつもの味噌汁と違うって気づかないぐらいだったから」
「そう」
そう言ってニーナは、確かめるように味噌汁を啜って、満足そうな顔をしたように見えた。
食事を終えると、自分の部屋へ戻った。
いつもはニーナの部屋へ行って今日の様子などを聞いたりするのだけど、たまには行かない日もあっていいだろう。今日は話をしたくなかった。うまく話せない気がした。
やっぱり、ニーナにはまだゆっくりと休んでいて欲しいと思った。
プスッ
「いっっっっってええええ」
「ニーナ!てめええ、いてええよ!」
やっぱりニーナがベッドの横に立っている。
どうやらいろいろと考え事しているうちにベッドでうたた寝していたようだ。
「コーイチ。今日は様子がおかしい」
俺の言葉を無視してニーナは続ける。
「何かあった? コーイチは、何かあると私の部屋に来ない」
なんだろう。そんなこともあっただろうか。自分はワンパターンな人間なんだろうかと、頭を抱える。
まだぼやけている頭を振りながら、ベッドの上で座りなおす。
「なんでもないよ。ちょっと調子が悪いだけだ」
プスッ
「やめろって」
ニーナは、また人差し指で刺してくる。
しばらく二人で見つめ合いながら、だんまり状態になった。
ニーナは、徐ろに右掌を目の前に突き出し、
「私は、この掌を使わないとコーイチに誓った。だから、コーイチも私にこの掌を使わせないと誓って欲しい」
※※※
また、余計な事を言ってしまった。それで何かが変わる訳でもないのに。そして、どんどん私は、あの山根という後輩を放っておけなくなる。私の本能が危険だと告げているのに……。私こそ、山根という後輩に関わるべきではないのだ。
スマホの画面に、霊視用に転送してもらった美霧さん達の写真を視る。山依さんとニーナさんが楽しそうに(ニーナさんはちょっと戸惑う感じで)写っている。その横に山根さん、少し離れて美霧さん。
美霧さんは、残りの三人を遠目に視ている。あなたも放っておけなくなったのよね。いや少し違う。山依さんのために、山根さんを放っておけなくなったのね。
ニーナさん。無理もないか。あなたには同情する。
ブブブブブブ
スマホが震えだした。着信だ。
理事長から?
バスの中だけれど、理事長からならそれは緊急の電話に違いない。幸いバスの乗客も少ないので、遠慮なく電話に出る。
「はい。摩耶です」
え? 電話から聞こえる理事長の言葉に、私は愕然とした。
そんなまさか、アレに逃げられるなんて……




