第二十四話 『conflict』
「はい。ノート」
後ろの席から、ヤマゲンがノートを無造作に放り投げてきた。机の上から滑り落ちる寸前で、それを掴む。
「昨日と今日の一限分のやつ」
「おっ、おう。さんきゅー」
ヤマゲンは、俺が自主欠席した授業のノートを貸してくれるらしい。こいつ、やっぱりいいやつだ。
ピンク色の大学ノートに、国語・数学とそれぞれ黒マジックで太文字で書いてある。女っぽいのか男っぽいのかわからんやつだ。
パラパラとめくると、あちこちにめちゃくちゃメモ書きがしてある。授業中の教師の雑談やら、誰それが何をしたとかの授業中に起こった出来事など、その授業の臨場感、まるでそう、ライブのように書いてある。
ヤマゲンってそんなノートの取り方をするんだと思って、前にページを見てみると、シンプルに普通に書いてある。どうやら、このときの授業だけ特別にこんな書き方をしたようだった。
「なぁ、ヤマゲン」
「しっ、先生が来たよ」
「お、おぅ」
それっきり、話しかけるきっかけを掴めず、次の休み時間に、昼休みにノート写さしてもらうとだけ伝えるのがやっとだった。
※※※
お昼休みに弁当を急いで食べ、すぐにノートを写しにかかった。せっかくだから、先生の雑談も一緒に写す。昨日のドラマがどうとか、全然授業とは関係ないものだ。写すのが面倒くさくなってきたが、ヤマゲンが、俺の為にわざわざ書いてくれたんだと思うと、写して残しておきたい気持ちになったからだ。
ノートを大体写し終えた頃合いに、ヤマゲンがやって来た。
「あれれ、全部写したんだ? 必要なところだけでいいのにぃ」
素っ気なく言われた。せっかくお前の気持ちを汲んでだなぁ。と、ヤマゲンを見ると何やら嬉しそうだったので、文句が言えなくなった。
「それで、null先輩に会えたの? 会いに行ってきたんでしょ?」
「ああ、うん。会えたけど、null先輩が男で先輩じゃないらしい」
ヤマゲンは、しばらくぽかんっとして、
「はぁ? 意味が不明なんですけど?」
バカにされたかと思ったのか、不機嫌に言った。
「すまん。順を追って話そう」
ぷりぷりと怒りだすヤマゲンを手で制して、事の顛末を言って聞かせる。
俺が屋上の扉のところに行き、男子の制服を着たnull先輩に会ったこと、そしてnull先輩は一昨日屋上に出たこと、屋上には何かがいたらしいことを告げた。
ヤマゲンは、黙ってじっと俺の話が終わるを待ってから口を開いた。
「それって……その何かって、やっぱり」
ヤマゲンも、やはり気付いたようだった。
自分たちの記憶ではない、他の誰かの記憶。
「ニーナには伝えるの?」
正直わからない。どうするのが一番良いのか。
ヤマゲンも同じように悩んでいるのか、二人してずっと黙ったままお昼休みが終わった。
※※※
結局、結論が出ないまま放課後になった。ヤマゲンからは、この件については俺に一任すると告げられた。責任重大だ。ニーナにどう話を切り出すが考えたり、そもそも話さないでおこうかと思ったり、帰りのバスを待つ間ずっと逡巡していた。
カッツカッツカッツ
聞いたことのある靴音が近づいてきた。
靴音の方に振り向くと、予想通り、摩耶先輩だった。
摩耶先輩は、こちらを見るなり目をさっと逸らしてから、思い直したようにこちらを見た。
「まったく、このバスに乗る以外の方法を考えないと、あなたにどうしても会ってしまうようね」
ほんとに迷惑そうに言った。でも、摩耶先輩。できれば目を逸らすのは止めてほしいです。女の子に目を逸らされると、悲しくなります。はい。
「そんなに迷惑そうに言わないでください。俺のせいじゃありません」
精一杯の抗議を口にした。
摩耶先輩は、三メートルぐらい離れてバスを待っている。こちらには近寄りたくないようだ。そういえば、前にそんなことを言っていたような気がする。余計な事を言ってしまいたくなるとかなんとか。それにしても、離れすぎじゃないですかね?
頬にぽたりと何かが落ちてきた。雨だ。空を見上げると、曇天だった。
常備している折りたたみ傘を鞄の中から出して差す。ふと先輩を見ると傘も差さずにじっと雨の中突っ立っている。
まあいいかと、ちょっと放置していたが、雨足が強くなってきてさすがに傘なしじゃ無理っぽくなってきた。
「あの……摩耶先輩? そのままだとずぶ濡れになりますよ。一緒に入りませんか?」
摩耶先輩に傘を差し出して一緒に入るように促した。
「いえ、結構です。すぐにバスも来るでしょうから」
断られてしまった。
まあ、予想はしていたのでショックはなかったけど。でもなんというか、大雨の中、ずぶ濡れの女性の近くで一人傘を差しているのも居心地が悪い。なんか俺がいじめている気分になってしまう。
幸か不幸か、雨足がひどくなって摩耶先輩の方が根を上げて、俺の傘に入ってきた。
雫が長い髪を伝い、毛先からぽつりぽつりと垂れる。ハンカチを差し出すが、断られた。摩耶先輩は鞄からタオルを出してその髪を拭いた。
「いつもタオルを持ち歩いてるんですか?」
つい口から漏れる。別段聞きたかった訳ではないが、自然に言葉が出てしまった。
摩耶先輩は、微笑んで
「変ですよね。でもなんか、持ち歩いていると安心するんです」
それがどういう意味かはわからなかった。けど、摩耶先輩に一歩近づいたような気がした。それは、摩耶先輩の声音に彼女の自然な感情を感じたからかもしれない。
「あなたは、やっぱり危険な人ですね。どうしても言わずにおきたいことを言ってしまいたくなる。余計な事だとわかっています。それに伝えたところで何も変わらない事もわかっています。それでもなお、言わずにはいられなくなる。私自身が言わないと辛くなっちゃうんです」
摩耶先輩は、それでもなお言うまいとしているのか、すごく葛藤をしながら、そして言葉を慎重に選びながら、こちらを見上げて
「ニーナさんでしたよね。面倒を見ていらっしゃる方。あなたは彼女に関わるべきではありません。このまま彼女に関わっていると、あなたは、きっと後悔することになる」
こちらが言葉を返す前に、バスが到着し、摩耶先輩は、すたすたと乗り込んで、最後尾の座席に陣取り、手を開いて突き出し、こちらに来るなと拒否の意志を示した。




