第二十二話 『null その2』
「あひゃはひゃひゃはやひゃー」
ヤマゲンが、机をガタガタ揺らしながらけたたましく笑い転げている。実に耳障りである。
一限目が終わった休み時間に、ヤマゲンに尋ねられたので正直に話した。まあ、別に隠すようなことでもないからな。
屋上へ行ってきたこと。いや、正確には、屋上に行こうとしたこと。そして、nullと名乗った変な先輩に出逢ったことを。
ヤマゲンのツボに入ったのは、どうやらnullと名乗ったことらしい。
「なにそれ? 中二病ってやつぅ? あはははは。中二病って言葉ももう古いかぁあ。あははは」
鬱々として気分を振り払うかのように、ネタを利用して、無理にはしゃいでいるようにも見えるヤマゲン。実際のところどうなんだろうか?
「屋上の秘密かあ。何があるんだろう。気になるよねえ。空からでも見られればいいんだけど」
残念ながらこの学校の校舎の屋上がこの周辺では一番高いところにある。
「空から……? んー、じゃあさ、例えばでっかい凧に乗って行くとか」
「ヤマゲン、お前は忍者か? バカバカしい。そんなことができるわけないだろう?」
「ちょっと、やまねこ! じゃあ、あんたも真剣に考えなさいよ!」
え? 凧って真剣だったのか? おまえ。
「いやあ、null先輩は行くなって言ってたしな。行かないほうがいいだろう。そんな気がする」
ヤマゲンに睨まれた。「本気で言ってるの?」と、その瞳は語っていた。
もちろん本気ではない。が、しかし、屋上が危険だというのはおそらく本当なんだろう。ならば、充分に慎重に、行かねばならない。
ヤマゲンは、組んだ腕の指をバラバラにパタパタとさせて、足を組み、せわしなく貧乏ゆすりをしていた。目は天井を向いているが、何かを見ているわけではなく、いろいろと頭の中で屋上の状態を見る方法を考えているのだろう。
そして、それはきっと、美霧がいなくなったこと、そしてその事に関連して何か行動することで、気持ちのバランスを取っているのだろう。
それにしても、屋上にいったい何があるのだろう。誰も屋上に出られないように厳重に鍵を掛けられた扉。それは、向こうに行ったら危険ですよという意志をはっきりと表明している。今日突然それはなされた。昨日は何もなかったとnull先輩は言った。美霧は、一昨日の昼休み以降失踪している。
ん?
ということは――null先輩は、昨日、屋上に入っている?
屋上に何があるのか知っている? 俺の頭の中で、なにかがピキーンと音を立てた。
「null先輩に会ってくる」
急に立ち上がった俺を、ヤマゲンはぽかんとした顔で見た。そして、「どうやって会うのよ?」と聞いてきた。
そういえば、null先輩の本名やクラスがわからない。
三年生のクラスを全部廻るか……いや、それも大変だし、null先輩がいればいいけど、いなかったら、nullって人いますか? って聞いて通じるのかどうかわからないしな。
良い案が浮かばないまま、お昼休みになってしまった。
ヤマゲンは屋上の閉ざされた扉を見たいと言ったので、一緒に行くことになった。
しかしながら特に変わったことはなく、朝に見たままだ。
ヤマゲンは鍵を引っ張ったり、窓を塞いでいる鉄の板を引き剥がそうとしている。バタバタとやるものだから、俺は埃にむせて咳き込んだ。
「痛っ!」
「危ないぞ」という前に、ヤマゲンが板で手を切った。
「ったく。危ないことするなよ。ほら、手を見せてみろ」
ヤマゲンは、大人しく切れた手を俺に見せた。思ったより小さく見えたその手の指先から、血が流れている。しかたなく、俺は彼女の指に絆創膏を貼ってやった。こんなことは初めてじゃない。こいつはよくこんな怪我をするので、俺は絆創膏を持ち歩いているのだ。
「後でちゃんと指を洗ってから、新しい絆創膏貼れよ」
「あ、うん。ありがと……」
また怪我されてもかなわないので、俺が代わりに板の隙間から屋上の様子を覗いてみた。しかし、何も見えなかった。
屋上に向かえば、null先輩に会えるかもという期待もあったが、結局会うことはできずに終わった。
翌日、また一限目の授業をさぼって一人で屋上へ向かう。あまりサボっていると、寛大なうちの高校でもさすがに指導されそうだが、今は早いうちにできることはやっておきたかった。
null先輩はいないかもしれないが、ひょっとしたら、という思いが消えなかったせいもある。なにか予感めいたようなものが、俺の心の内に存在していた。
屋上へと続く階段を登りながら見上げると、そこに小さな人影があった。
やっぱりいた。
「やっぱり来たな。待っていたぞ」
null先輩は、口元を大きく半月状にしてニヤリと笑った。
「聞きたいことがあるんだろう。そうなるように、この前は話したからな。君は、やっぱり見どころがあるな」
そうやって笑うnull先輩。
だが、null先輩の姿は昨日とは違っていた。




