第二十一話 『null』
屋上へ上がるためには、エレベータで十階まで上り、その後、階段を上がらねばならない。屋上までの直通にはなっていないのだ。
薄暗くて陰鬱なこの空間は、俺の心情のせいか。前に屋上へ行っていたときには、こんな風に感じたことは無かった。静かな空間に、階段を登る俺の足音が聞こえる。ここに何かがあるかもしれない。その思いは、屋上への扉が重いチェーンでノブをぐるぐる巻にされ、でっかい南京錠で閉ざされているのを見て確信へと変わった。
いつの間に、ここは入れないようになっていたんだ?
扉の横にある窓も、鉄の板を被せて塞がれていた。
そっと近づいて南京錠を引っ張ってみた。当然、鍵が開く気配は無い。チェーンが軋む音と、鉄の扉に当たる音が辺りに反響しただけだった。
「なんだ? 屋上に興味があるのか?」
左方向から女性の声が聞こえた。声のする方向を見ると、壁際に体育座りをした女子生徒がこちらを見ていた。すごく小柄でショートカット。猫みたいな目が大きく、クリンとしている。制服から三年生の先輩だとわかる。そう、この学校は白地の制服で、色付きのラインが入っている。このラインの色が学年ごとに違うのである。この女子生徒のラインは赤。今年の赤は3年生。
「前によく来てたんですけど。今日久しぶりに来たら、こんな状態に。前には普通に開放されてたんですけど」
「ああ、そのようだな。私もつい今しがた来たらこうなっていた。おそらく昨日の夜か、今日の朝にこうなったんだろう。昨日来た時は何もなかったからな」
「先輩もよく屋上へ?」
「そうだな。いつもという訳ではないが、何度か来ている。昨日は、たまたま来たんだ」
「俺は、いつも昼休みに来てました。最近はずっと来てませんでしたけど」
「どう思う?」
突然の予想外の質問に、え? っと言葉が詰まる。
「何がですか?」
「何がって、なんでこうなったのかだよ? 当然の疑問だろ?」
先輩は、さも楽しそうに、くすくすと笑った。
「何の通達もなく、いきなりだ。まるで何かあったかのようじゃないか?」
「はぁ……」
この先輩は何者だろうか?
「君は何か知っている。だから来た。そうじゃないのかな?」
え? なんなんだこの人。というか、最近出逢う人は、みんななんか変な人が多い気がするが気のせいか?
「いえ。何も知らないですよ。今日は、たまたま来たんです」
とりあえず、ここはしらばっくれておく方が無難だ。
先輩は、ゆっくりと立ち上がって、こちらに歩み寄って来た。
「違うな。いつもはお昼休みに来ていたと言ったのは君じゃないか? 今は、いつだ? そう一限目の真っ最中だ。そしてしばらく来ていなかったのに、今日いつもと違う時間にわざわざ来た。何故? 何かを確かめに来たんじゃないのか? 例えば、そう。今ここはどうなっているのだろうか? とか」
先輩は目の前まで来ていた。背はかなり低めだ。150cmあるかないかぐらい。下から探るような鋭い視線で射抜かれる。大きな猫目が緑色に光っている。
なんだなんだ? 一体なんのつもりなんだ? もしかして、ここの番人で、近寄る人間をどうにかしようとでも言うのだろうか? 嫌な汗が背中を伝って流れる。
「ふふ……そう警戒するな。ちょっと退屈していたので、君に遊んでもらおうと思っただけだ」
そう言うと先輩は、俺の脇をすり抜け、階段を降り始めた。
「ああ、一つ言い忘れるところだった」
階段を半ば降りたところで振り返り、先輩はこちらを見上げた。
「出来ないとは思うが、もしもという事があるので言っておく。決して、その扉を開けて屋上に出ようなどと思うなよ」
「えっと。先輩は、屋上に何があるのかご存知なんですか?」
先輩はこちらの質問には答えずに、
「君が屋上に出てどうなろうと勝手だが、その事で周りが大変な事になるかもしれんぞ。だから止めておけ」
「あの、先輩」
「先輩と呼ばれるのはどうも気持ちが悪いな。そうだな、私の事は、nullと呼んでくれ」
「null?」
「そう。nullだ。よろしくな。また会うこともあるだろう。そのときもまた遊んでくれたまえ。期待しているぞ」
そう言うとnullと名乗った先輩は、ケタケタと笑いながら階下に消えて行った。




