第十五話 『たなごころ』
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はぁ…はぁ…はぁ…
私達は逃げるしかない。
屍魔に抗う術なんてない。
とにかく城まで戻るんだ。
城壁の中に入れば助かる。
あと少しだ。
親友のマルニィが、もう走れなくなって地に膝をついた。
放っておけない。
私達二人で一緒に助かるんだ。
私の手を掴んだマルニィは……
「生きて」と優しく笑って――
私を城の内側へ転送した。
それは彼女の魔法。
自分自身は転送出来ない彼女の魔法。
自分自身は救えなかった彼女の魔法。
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「つーかまえたぁあ!」
背後からヤマゲンが覆いかぶさるように、ニーナを押しつぶして倒した。
二人は絡まりながらごろごろと数メートル転がった後、静かに止まった。
「はぁはぁ・・・おまえ無茶するんだなぁ ふぅ ヤマゲンよぅ」
俺は、少し遅れて二人の元へ到着した。
「やまねこ~あんたが遅いからでしょうが」
それについては、たしかに面目ない。
二人の様子を見ると、ニーナはヤマゲンに抱きつかれて、びくびくしている。目が震えて、怖がっているようだ。
そりゃそうだろうなあ。勝手に記憶いじったんだから、ヤマゲンが怒って何するかわからないし、怖がっても当然だろう。
とはいっても、ヤマゲンは怒っているようには見えないがな。
でも、何がどうなっているのか、俺にはまだ、わからなかった。
ヤマゲンは、ニーナを背後から抱きしめる格好で横わたっていた。ニーナは身動ぎできずに困惑しているようだった。
ヤマゲンはぎゅぅぅぅっとひとしきり抱きしめた後、
「オレはニーナの親友だよ。それが今の正直な気持ち」
そう言って、ゆっくりと起き上がった。
手を差し出して、ニーナが起き上がるのを助けながら、スカートやブラウスに付いた埃をパンパンと払ってやっていた。
ニーナの碧い瞳にはまだ、困惑の色が浮かんでいた。
「ニーナの手のひらからさ、いろんな想いが伝わったの。親友に対する想い。生き抜かないといけないと思う気持ち。謝罪の気持ち。独りで寂しい気持ち。そして――今の気持ち」
あれ? ヤマゲンの様子が変だ。いや、元に戻ったのか? ん? 今までが変だったのか?
そういえば、すごく久しぶりに見る気がする。ヤマゲンの感情? の様なもの。感情の様なものっていうのは、すごく妙な言い方だけど。
「あの時のこと、ニーナと初めて出会ったときのこと、全部思い出したの。
オレの方こそ、ごめんなさいだよ。まったく。
ごめんね、ニーナ。あんたをその……
まあ、言わなくてもわかってるよね」
ふふっとヤマゲンは顔を赤らめて、チラッと俺を見て笑った。
俺には全然わからねえよ。
そして、わかってない顔に満足した様に、俺を無視して話を続けやがった。
「まあ、いろいろ言いたい事がいっぱいあるけど、一日やそこらでは全く足りない。一年や二年でも、足りない。オレがニーナに言いたいことを言い終えるまで、オレ達のそばを離れることは許さないぞ! ってことでよろしく」
なにがよろしくなんだか。
まあ、ヤマゲンなりに上手くまとめたつもりなんだろう。
でもニーナは複雑な顔してるぞ。しゃあねえな。援護してやる
「なあ、ニーナ。俺は、お前が今後変なことに力使わないって思っているし、ヤマゲンを元に戻してくれたんだから、もうなにも問題ないんだぜ」
「なんだ、やまねこは知ってたんだ」
あ、あれ? そっか。そりゃ、ヤマゲンはこっちが知ってることは知らないよなあ。
しまった。
「ああ、うん。まあ、その。すまん。」
素直に頭を下げた。
「で、どこまで知ってるの?!」
急にヤマゲンは、顔を真っ赤にして叫んだ。
どこまでって、なんだ?
「えっと、親友だと思い込まされてたってことしか知らないけど? 他に何かあったのか?」
ヤマゲンは叫んだ口を大きく開けたまま固まり、瞳だけをニーナに向けた。
ニーナは微かに首を横に振っていた。
ぐたああっとその場に座りこむヤマゲン。
「おい。どうしたんだよ?」
ヤマゲンはこっちを見もせずに、なんでもないと言い放った。
そして、ニーナに向かって、ありがとうとつぶやいた。
ニーナは神妙な顔つきをしていた。そういえば、ニーナがほとんど喋ってないな。
「ニーナ? 大丈夫か? ずっとだんまりだけど。」
ニーナは、こくりと頷いた。
「大丈夫です。私もいろいろ言いたいことはありますが、上手く言えそうにありません。まだ言葉が上手く使えないですから……
山依さん。ありがとうございます。
あの、私を許してくれるってことでいいの?
ほんとに?
私の解釈あってますか?」
「おう! あってるぜぃ!」
ヤマゲンは、元気よく言うと、さっとその右手をニーナに差し出し握手を要求した。
そのときのニーナの驚きは、如何程だっただろうか?
もう、ヤマゲンはニーナが手を繋ぐことで心を読んだり記憶を変えたり出来るってことは知っている。
その上で、自分から握手を求めるとは。
それは全幅の信頼に他ならない。これほどの説得力を持つものはないだろう。
ニーナは右手を出そうとして躊躇し、自分の手のひらを見つめた。
「私はまた、その右手に救われていいのかな? 私は救われてばかりです」
「なーに難しいこと言ってんのー」
ヤマゲンは強引にニーナの右手を掴み、無理やり握手した。
「これがオレの正直な気持ちだぜぃ。存分に拝みなー」
明るく冗談めかしたヤマゲンの態度とは対照的に、ニーナは右手を無理やり握手されたままうずくまって、オンオンと泣きだした。
すげえな、ヤマゲン。普通出来ないよ。なんて捨て身なやつなんだ。悔しいけど、尊敬したぜ。
でも、だからこそ。ニーナの心を動かせたんだ。
俺は何をやっていたのだろうか……
ただ状況に流されていただけだったんじゃなかろうか。
ニーナのこと、なんとかしてやりたいって気持ちは本当だった。
でも、こんなに捨て身なれるほど真剣に、考えていただろうか。
「随分遠くまで逃げられたんですね」
美霧のやつがトコトコ歩いてやって来た。そういえば、置き去りにしていたな。ごめんよ。
「やっと追いつきました。どういう状況なんです? これ?」
うーん。なんて言ったらいいんだろうか。
「まあ、いいです。後でゆっくり確認させていただきます」
その後は、とりあえずニーナが落ち着くまで待って、それから、俺はニーナと一緒に家に帰ることにした。今の状態では、ニーナを独りにはできないしな。また学校サボることになるが、仕方がない。
ヤマゲンと美霧は、もう遅刻だけど学校に戻って行った。
ヤマゲンには、ニーナのことくれぐれもよろしくと意味不明の念を押された。
帰る道すがら、
ニーナは右手のひらをずっと、本当にずっと、見つめ続けていた。