第百四十九話 『ニーナ戴冠』
王城の窓の外から見下ろすと、そこには民たちが大勢集まって来ている。私の戴冠式に参列する為だ。こんな小娘の為に、遠くからも来ている様だ。残された王族が私一人である為、やむを得ない処置と解っているけれど、こうして実際に民たちの姿を見ると、私に対する期待の大きさを感じてしまう。小さな私の身体には余り過ぎる想いだ。重すぎる。
「ニーナ様、準備はよろしいですか? そろそろお時間です」
ゆっくりと落ち着いた物腰で、ジン将軍が此方に歩きながら戴冠式の始まりを告げる。老いたりとはいえ、しっかりとした足取りだ。それには私を逃がすまいという意志を感じてしまう。私の弱気は彼には隠し切れていないようだ。やはり私は自分が思っている程、覚悟が出来ていないのだと知る。
いよいよだ。遂にの日が来てしまった。出来れば戴冠式の前に誰か王族に連なる者の生存が確認されないかと淡い期待を寄せていたが、それは叶わぬ願いだった様だ。私はどう足掻いても、この國の王になるらしい。他に誰も居ないから、仕方なくなのだ。そう思うと、ほんの少し気が軽くなるというものだ。とはいえ、それで責任が軽くなるという事は無いのだけれど。私はお飾りで、実際は将軍が全てを行う。そんなふうになればいいのに、あの将軍は受け入れまい。それに、彼は今までその重責を王族の代わりに担って来たのだ。次は私の番という事だ。
「何処か変なところはありませんか? 民の前で恥ずかしい格好をしては王族の恥ですから」
くるりと一周回ってその姿を見てもらう。戴冠式用に用意された女王の衣装がふわりと広がる。状況が状況の為、従来の豪華な衣装ではなく質素なものだ。白を貴重としたドレス。残念ながらそれは王になる自分と同じで似合ってない様に思えた。衣装も借り物なら王も借り者だ。
回転を終え、将軍に対していたずらっぽく笑い掛ける。彼の、そして私の緊張をほぐす為の振る舞いであったが、将軍は無反応だった。
「大丈夫ですよ。ニーナ様。何もおかしなところはございません」
彼の普通の反応に少し不満ではあったけど、期待する方が無理と言うものだ。彼はなにせ堅物なのだ。それ故に信頼出来るのだけど。
「では、行きましょう!」
自分に言い聞かせる様に、元気付ける様に、努めて力強く声に出す。
震える足で壇上に立つと、階下に溢れんばかりの群衆が見上げて手を振っている。彼らの期待の大きさに気圧されそうになる。今すぐにでも、ごめんなさいをして、この場を去りたくなる。だがそんな事をすれば、王族の名誉を傷付ける事になる。私のせいで王族の威厳を貶める事はしたくない。
他に適した王族が見つかる迄の間だ。そう自分に言い聞かせる。私はその実力を買われて戴冠する訳ではない。ただ単に、他に王族が居ないというだけだ。私に我が國の民を導く力なんて無いのだ。他に出来る人がやればいい。本気でそう思う。そう思うのだけど、現状だと王族以外になる。そうなると、現王族の王朝は終わりを迎える。私の代で私たちの王朝を終わらせる事は嫌だし、あまりにも申し訳ない。民の為には身を引くのが正しいのかも知れない。そう将軍に漏らしたとき、彼は「それでは内乱が起きます」と言った。今までの歴史、伝統があるが故に、王族の私が王になる事が誰しも反対せず、國が治まると。それが王族に生を受けたり者の使命であり運命なのでしょうと。つまりは覚悟を決めるしかないのだと。
ちらりと脇に控えて様子を覗っている将軍を視る。彼は緊張の面持ちで青褪めている。何故、彼はそんなに青褪めているのかと訝しんで、やっと気が付く。
先程まで歓声を上げ、大きなうねりになっていた民衆が今や静まり返っている。その意識は私に集中していた。壇上に登ってからどの位の時間が経過していたのだろう。あれこれと思い悩んでいる間はあまりに長かったに違いない。一言も発さない状況に、彼らは緊張して静かに私の言葉を待っているのだ。
将軍は何も話さない私を心配し、また事態をどう収集するかで焦っていたのだ。
そうだ、誰も彼も、今は不安の中に居るのだ。私だけじゃない。
息をゆっくりと吸い込み、静かに吐くと少し落ち着いて来た。彼らは私を待っているのだ。どんなに拙い言葉でも、私には伝える責任があるのだ。
そう心に決め、民たちの姿を眼下に見たとき、私の中に何かが起こった。自分の中に別の何かが誕生する。そんな感覚だった。それは自分の意志とは無関係かの様に話し始めた。
「今、私はこの壇上に立ち、皆の顔を視ています。皆は私の戴冠に喜び、これからのこの國の安泰を信じている事でしょう。しかしながら、そこには何の確信も保証も無いのです。私にはその様な力はありません」
きっぱりと言い放った私の言葉に、目の前の群衆が激しく動揺する様が視られた。或る者は泣き、また或る者は叫んでいる。それは絶望から来る怨嗟の声だ。その声の暴力が一つの塊となり私にのしかかって来る。膨れ上がった期待と、それを裏切られた絶望との落差分が巨大なエネルギーとなって襲い掛かって来る。
すっと右の手を高く掲げ、皆に鎮まる様に促す。将軍や警備の兵たちに、大丈夫だと目配せをする。彼らは民衆が暴動を起こさないかと警戒を始めたのだ。事前に彼らに言っておくべきだった。いや、そんな事は不可能だ。何故なら、私が此処で何を言うかなんて、決めてなかったから。将軍から渡された宣言文通りに話す段取りだったし、私もそうするつもりだったのだ。でも実際にこの場所に立ち、民の顔を観たとき、自分の中からなんだか解らないモノが溢れ出した。私じゃない何か別のモノ。そんな感じがした。しかし不快なモノではなく、自分よりももっと高次元の存在が私を通じて代わりに話し始めた。きっとそうに違いないのだ。そしてそれは話を続けた。
「その事は皆もよく知っていた筈です。知っていて、知らないふりをして在りもしない希望に縋ったのです」
鎮まり返った群衆に向けて、言葉のムチを打つ。真実に目を背け、なんだか解らない実体の無いものに縋っている彼らの目を覚まさせなければならない。
「今必要なのは私の力ではありません。私の力はあまりに微力で役に立たないのです。真にこの國を救うのは皆の力です。あなた方です。独り独りの力は小さなものでしょうが、一方向に進めばその力は大きなものとなるてしょう。私の役目はあなた方のその力を束ねる事、その一点に限られているのです」
静かに息を吸い込み、ときを見計らう。聴衆は困惑しながら私の言葉を静かに待ち続けている。そんな彼らと息遣いを合わせながらゆっくりと私の気持ちを伝える。
「どうか、お願いです。この私にあなたの力をお貸しください」
あなた方と言わずにあえてあなたと云う。私が伝えたいのは此処に居る全ての人であると同時に、一人一人に対してであるから。
そして聴衆全体を包括する様に見つめる。
「この國の未来を築き上げるのは、私ではありません。それはあなたです」
誰を見るでなく、全体へ投げかける。それは投石された池の波紋の様に、全体へと拡がって行くのが感じられた。確実に皆の心の奥底に伝わったのだ。
「私はこの國を元通りの美しい國に戻すと約束する事はできません。そんな力は私には無いのです。それが出来るのは私ではありません。それが出来る者が居るとすれば、それはあなたです」
聴衆一人一人に向けて告げる。彼ら彼女らの心が伝わって来る。不安という重い重石に押し潰れそうな状態から、それがほんの少し軽くなったような手応えがあった。自分たちに出来るのかも知れないという想いに満たされ始めている。
「小さな事から積み上げて行きましょう。私に出来る事は手助けだけです。ですが、その手助けを精一杯、力の限り尽くします」
聴衆の中に入って行った私の心と皆の心が混じりあう。自分の言葉をまるで他人事の様に聴いている私が居た。私と彼ら彼女らが一つの生命体なのだと実感する。全能なる力の一端に触れた。そう感じた。それは民衆も同じで、ひとつに成った私たちの心は國全体に拡がって行くのを幻視した。
その後は、一体何を話したのか記憶にない。
気が付くと人々の熱狂の渦に巻かれながら、精一杯手を振る私がそこに居た。わたしの名を皆が叫んでいた。これはわたしに対する期待の現れだ。昂ぶる気持ちを抑え、平静を装おうとするけど、ついつい笑みが溢れた。
「最初はどうなるかと冷や冷やしましたぞ。ですが、流石です。お見事と言う他ありません。民に活気が戻ったと言って良いでしょう」
演説を終えて戻ったとき、将軍は少し興奮気味に言った。
「私の力ではありませんわ。皆から力を貰った。そう思います」
最初の一歩を踏み出すと、全てが自動的に進んで行った。そんな感じだった。
本当にこれは私の力なんかじゃない。おそらくこれは、過去から現在に至る王族と民の長い歴史に由来するものだ。これだけのものを、ご先祖様が積み上げて来られたのだ。
「将軍、この度の屍魔の騒動における死者を全て弔います。共同の墓地を造り國を上げての慰霊祭を行う準備を整えてください。それを持って区切りとし、新時代を迎える気運を創りたいと思います」
「え? あの、全てといいますと、王族の方や貴族のみならず、一般民や農奴に至るまでという意味でございますか?」
驚愕の表情を浮かべる将軍に、私は「奴隷も含めたその全てです」とキッパリと告げる。
彼はしばらく口を開けたまま固まった。
無理もない話だ。私もコーイチの世界へ行くまでは、この國の有り様が当たり前だと思っていたのだ。身分は絶対不可侵なもの。貴族階級の者が一般民のみならず、農奴や奴隷と同じ墓に入るなど有り得ない事なのだ。
「この國の全ての人々の力を借りなければ、現状を建て直す事は成りません。しかし全ての者が一つになれば、何事も成し得るはずです。将軍のお力を是非お貸しください」
「わかりました。女王陛下。この私めに出来る限りお尽くしいたします」
跪き、忠誠の意を示した将軍が、そのままの姿勢で小声で伝えて来た。
「されど、貴族たちは黙っておりますまい。必ず反対の意を示し、従うものはおりますまい。どうされるお積もりですか?」
「彼らの反発は想定の範囲です。それにあなたが私の戴冠を強引に進めた件もありますしね。より強い反発を招くでしょうね」
「ニーナ様の戴冠は急ぐ必要が御座いました。貴族たちが王族の生き残りを血眼になって探しておりました故。何れは王族の生き残りを語る偽者を用意しかねない状況で御座いましたので」
「そこへ私が将軍の処へ、のこのこと戻って来たという訳ね。貴族たちの悔しがる顔が目に浮かびます」
王族の生き残りの後ろ立てになり実権を握る。それで國が治まるのであれば別に否定する気はない。民が皆、幸せに暮らせるのなら。
しかし私の知る貴族たちはそうは見えない。彼らは常に地位と特権を欲しがり、互いに無駄な競争を繰り広げている。これも永きに渡った私たち王族の治世のせいとも言える。
「お爺様があなたを将軍職に任命したのは正解ですね。この國最強の精鋭を率いるあなたに、彼らはそう安々と手出し出来ませんからね」
「お戯れを。私は職務を全うする為にですな――」
「貴方の心根は解っていますよ。ごめんなさい。冗談が過ぎましたね」
「いえいえ、本当に私は――」
「将軍配下の精鋭が頼みです。どうか私にお力添え願います」
「勿論ですとも。我が部隊は王の直属。王の物であります故、皆その命を王に捧げております」
「私にそれだけの価値があるでしょうか、正直疑問ですが。あ、いえ、今のは聞かなかった事にしてくださいね」
いたずらっぽく笑うと、将軍も微かに笑った。
「如何なる時も、王は王らしくあれ。先々代の王様のお言葉ですな」
「それでは王らしく、王命を下します。ジン将軍、速やかに慰霊祭の準備を行なってください。それから、貴族の方々を王城へ呼んでください。挨拶がてらこの件について直接話します。後、別件ですが、アールタバインの偵察をお願いします。もう侵入可能の頃合いです」
コーイチたちを護る為、彼らに遭遇させないようについた嘘がある。私が今まで何処に居たのかについても含めて真実を明かさなかった。お爺様の魔法によって私は今まで別空間で護られていた事にした。そして戻って来たけれど、残存魔法の力が強く何処へ飛ばされるか分からないゆえ、誰もあの場所へ近寄ってはならない。そうジン将軍に伝え、全軍に通達させたのだ。これで時間を稼いだ。後はコーイチたちの無事を祈るばかりだ。
だけどアールタバインの事も気になる。彼の國がこの数ヶ月、侵攻して来なかったのは奇跡的な事だ。この國の惨状を知れば遠慮なく襲い掛かって来るだろうと思える。単に知らないのか、それとも他に何か事情があるのか、その辺りの探りを入れる必要がある。國を護る為には、これ以上放置は出来ない。
この世界に戻ってから、もうひと月以上経った。だから――
コーイチ、もう大丈夫だよね。