第百四十六話 『メーディウス・マッギフィエアリー』
白髪の少女、王女ルージェーンの後を追って一時間程経っただろうか。気温は日本でいうところの秋ぐらいな感じなので真っ昼間に走っていてもなんとかなっているが。流石に疲れる。そもそも相手はイノシシモドキに乗っているのだ。追いつける筈はない。とはいえ放置するわけにもいかないので困ったものだ。あの子は無謀にも独りで王都に向かった。声が出せたならまだ何とかなりそうだけど、彼女は声を失っている。門兵に巧く話すとか出来そうにない。王女を知る者は多いとはいえ、顔パスとかで無事に王都に入れたりするだろうか? そして問題は入れるかどうかでは無い。入った後、無事で済むかどうかなのだ。現在の王に彼女は疎まれている。暗殺を企てられた位だ。自分が彼女に対して何か出来るとは思えない。そんな力や才能なんてない。とはいえ事情を知っている以上、何もしないわけにはいかないのだ。
王都を取り囲んで護る石の壁が見えて来た。人力で土が固められている大通りに出る。このまま進むと王都の門に突き当たる。遠目に見るも王女様らしき人影はない。無事王都の中に入れたか、或いは、何処か裏口的な物が実はあるのか? よくよく考えるとそっちの方が可能性が高そうだった。王族のみが知る抜け道とか在りそうだ。王都に直接行くよりも、周辺を探索した方がよいのかも知れない。
そう思って脇道に逸れようとしたとき、足下に震動を感じた。その揺れはどんどんと強くなってくる。後ろの方から何かの大群が迫って来ている。此処に立って居ては危険だと本能が告げる。とはいえ、大通りに出てしまっているので身を隠す場所など無い。
様子を伺っていると、白い虎の様なモノを馬の様に乗りこなした集団が横一線に此方に向っている。地響きの原因はこいつらだ。
一直線に王都に向っている感じだが、一体何事なんだろうか? 観ると虎に乗っている連中は槍や弓を持っている。武装集団だ。
間の悪い事に自分が突っ立っている場所はど真ん中であり、脇に逸れるのは間に合いそうにない。ならば、行く道はひとつ!
王都の門へ向って全力で走る。あんな集団に巻き込まれたら踏み潰されて死んでしまう。なら、まだ門兵の方がましというものだ。
だがその考えは甘かった。門に到着する遥かに前に、白虎の集団に追い付かれた。
身体の脇を無遠慮に通過する武装集団。第一陣はそのまま素通りして行ったので、彼らが巻き上げる砂埃に咽る程度で済んだが、続く後続の集団に跳ね飛ばされた。くるくるときりもみしながら地面に叩き落とされる。
落下のダメージで息が出来なくなる。酸素を求めて吸おうとするも全く効果がない。さらに後続の歩兵集団に散々に踏み付けられ、蹴られる。
失いそうになる意識が、踏まれた痛みで覚醒する。それを幾度か繰り返す。もう勘弁してくれと神に祈り、またいっそ直ぐに殺してとも思う。
「あらあら、だいじょーぶですかー?」
間の抜けた女の子の声が頭上から掛けられる。それまで自分が失神していた事に気付いてなかったようだ。いつの間にか気を失っていたのだ。
声の主の方を見ようとしたが身体がぴくりとも動かない。うつ伏せに倒れていて、眼で見える範囲は全て土だった。
それよりも驚きは話し掛けられた言葉だ。当然日本語ではない。さらにはこの國の言葉でも無かった。しかし何を言っているのか理解が出来た。どんな言語でも理解する事が出来る能力……が発現したのか? と、一瞬期待したが、そんな事はなかった。これはリーシュの故郷の言葉だ。だから自分にも理解出来ているのだ。
「あー、腕が反対に曲がってますねぇー」
反対に曲がる?! それやばいんじゃないのか? 肘が折れてるのか?
状態を確認しようにも首すら動かすことが出来ない。
「直ぐに治してあげますからねぇー。ちょっとの辛抱でーす」
のんびりとした声の後、急激に全身が熱くなる。身体の内部から外に向かって熱が放出されているようだ。熱い、とにかく熱い。まるで焼かれている様だ。
悲鳴を上げたがくぐもった声しか出ない。
「ちょーっと痛いかもですがー、すぐ終わりますからねぇー」
のたうち回りたいのに、身体はピクリとも動かない。彼女の言うすぐが永遠に感じられる。
徐々に熱さが弱くなって来たが、身体の中がぐつぐつと沸騰しているように感じる。
「あとー、この腕ですねぇー。さっきよりほんのちょっと痛いですがー、辛抱してねー」
いや、待って! 待って! さっきのより痛いとか、あんたの言うちょっとは信用出来ないんだけど!
訴えようとするが声が全く出ない。
そうこうしているうちに、腕から脳に突き抜けるような痛みが走る。
意識が真っ白になる。このまま気を失えば楽なのに、その一歩手前で寸止めされている感じ。
「はい! おしまーぃ。これで大丈夫ですよー」
パンっと背中を叩かれると身体が自由になる。
今までの熱さや痛みが嘘のように消失した。
腕も元通りになっている。いや、正確には反対に曲がった腕を自分では見てないのだが。
「まったくーぅ。おっちょこちょいですねー。突撃中に転んじゃったんですかー。わたしが居なかったら死んじゃってますよー。わたし、死んじゃった人は助けられませんよー」
どうやら彼女は、王都に突撃して行った軍の一人だと勘違いしているようだ。なら、そのまま勘違いさせておく方が得策と思えた。
「助かりました。ありがとうございます」
彼女に向かって丁寧に謝意を示す。そのとき初めて声の主を見た。この秋のような気候には暑すぎるのではないかという出で立ちだった。全身を分厚い布でぐるぐる巻に覆い、顔はフードで隠されている。眼と時折口元が光の加減で見える程度だ。
「あんまりじろじろみないでくださーぃ。恥ずかしいですよー」
そう言って身じろぎしながら革の手袋を嵌めている。隠される前に見えて手は老婆のようにシワだらけであり、またコブだらけだった。
「では、お気をつけていってらっしゃーいなのですよ。また怪我をしたら戻ってくるがいいのですよ。わたしは此処で待っていますのでー」
軍医のようなものだろうか? 熱かったし痛かったが、このように身体が全快するというのは凄いの一言だ。これなら負傷兵が何度もすぐに前線へ復帰出来る。
「君のような人が他にも居るの?」
「ん? ヒーラーですかー。んー、まあ、何人か居ますけどー、全快させられるのはわたしだけです。えっへん!」
両手を腰に当てて胸を反る。滑稽な姿ではあるが、その能力は本物だ。
「なのでー、重症ならわたしのところに来るがいいのよ」
「えーっと、名前を聞いてもいいかな?」
「むーぅ。わたしの名前知らないんですかー。もぐりですねー」
しまった! 仲間じゃないことがバレたか?!
冷や汗が背中を伝う。
「わたしは、大ヒーラー、メーディウス・マッギフィエアリーですよー!」
ちゃんと覚えてなさいっといった感じで指でビシッと刺される。
どうやらバレたわけじゃなさそうだ。
なんか既視感が・・・。ああ、アイツっぽいな。大魔術師メイ・シャルマール。アイツはどうしているだろう。こっちに来てないのが悔やまれる。いや、アイツにとってはその方が幸せだったかな。だが、アイツの力が借りられないのは辛い。
「さあ、行くのですよー。我が祖国再興の瞬間です! 待ちに待った時が、今、目の前にあるのですよー」
「祖国再興?」
リーシュの記憶では、彼の祖国は北方の辺境地でほそぼそと暮らしている民族集団だ。元は遊牧民族で広大な土地を周回して生活していたが、この國に攻め込まれ北方の辺境地に追い込まれたのだ。その後、講和し、その僅かな辺境地で生きることを許されたという経緯だ。元来屈強な兵を持っていたため、男たちはこの國に傭兵として出稼ぎに来ているのが現状である。リーシュもまた生活のためにこの國に出稼ぎに来ていたのだ。彼の家が王都の外にあるのは、この國の國民でない為だ。王都の中に住めるのは、國民のみである。そして國民になる為には、その國で産まれた者以外は、それなりの貢献を認められた者だけなのだ。
「あなた頭でも打ったのかしらー? 何のために此処に来たか忘れちゃったんですかー。あー、頭当然打ってるですよねー。あんなにボロボロになってるからー。んーでも記憶障害はわたしには治せないのですよー。あ、後、千切れちゃったりしたものは繋げたり出来ませんのでー、千切れないように注意してくださいねー」
ついうっかり聞き返してしまったが、都合よく解釈してくれたようで助かった。危ない、危ない。
「いいですかー、わたしたちは、今、アリーゴ将軍のクーデターに協力し、王都に攻め入り、王族を処刑して我が祖国を再興するのでーす!」
アリーゴ将軍っていえば、遠征隊の大将じゃないか。ガーヤの話では、各方面から兵が集まったって言ってたな。つまり、遠征を利用してこの國に不満を持つ國々から兵を集めてクーデターを起こすこと。それが目的だったのか? 屍魔との遭遇は恐らく計算外だったのだろうけど。
それと、王族を処刑? 待て、今、たぶんあの子が王都に。あの子も処刑するつもりなのか?
ならばその前に助け出さないと!
「おお! やる気が出ましたねー。いい顔してますよー。その意気です。がんばって王族を倒しましょう!」
「行ってくる!」
それは王族を倒す為ではない!
あの子を、王女ルージェーンを護る為だ!