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異世界の姫さまが空から降ってきたとき  作者: 杉乃 葵
最終章 王女ニーナ
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第百三十三話 『濁りゆく心』

「姫様、民にその御健在をお示しください。皆、待ち焦がれておりましょう」


 私の目の前に居るガタイのよい老いが始まり始めた感じの将軍が戴冠を勧める。私が王位を継承するなんでとんでもない事だ。どうしてこんな事になってしまったのだろうか……



 あの時コーイチと離れて私は今、自分の故郷に居る。生き残りの民が居ると確信していたわけではない。ただ、王都の様子を一目見たいと思ったのだ。坂を降り湖に沿って北へ向っていた時、彼に出会ったのだ。いや、正確に言えば、彼の軍勢に出会ったのだ。正直驚いた。我國の國旗を掲げた軍勢。まさかと目を疑った。気が付くと私はその軍勢に向って走り出していた。早く会いたかった。


 彼らは國境を警備する部隊だった。異変を感じ、私たちが落ちた場所を目指して行軍中だったのだ。幸いだったのは、皆が私の事を知っていた事だ。服装が異国、いや異世界の物であっても彼らは気に留めず、私をニーナ姫と認識してくれた。思っていたより私は民に知れ渡っていたようだった。あまり表に出た記憶は無いのだけれど。


 それにしても驚くべきは、彼らの喜び具合が私の想像を遥かに越え、まるで英雄を迎えるかの様だった事だ。流石に気恥ずかしかった。國に対して何の実績も上げていないのだ。こんなに皆に歓迎されるほどの価値は私にはない。

 けれどそんな私の気持ちとは裏腹に、彼らは感激し、ある者は感涙すらした。

 そんな彼らの歓迎振りに圧倒されたけれども、それ以上に私の心を占めていたのは、彼らが生きていた事実。我が國の民たちがまだ存在していたことへの喜びと責任だった。


 私が私の國の民を護らねばならない。


 彼らの話によれば、王族に連なる者で生存が確認された者は居ないらしい。御祖父様や御父様は言うに及ばず、その他の血縁関係にある者たち全ての消息は定かでないとの事だった。


「皆、我らの指導者たる者のご帰還を待ち望んでおりました」


 斥候部隊の長に面会したときの彼の言葉だ。皆この事態に混乱し困惑し、明日の道標を失ってしまったのだ。誰かがこの事態を収拾しなければならないのだ。彼らは私という個人を見ているのではない。王族の、いやそれ以上に、王の娘という存在に縋りたいのだ。私にはそんな力など無いというのに……


 私が出来る事は、せいぜい自分と自分の身の周りの事だけだ。そして今の自分の身の周りにある目下の問題は、


「これから北の砦へ向かいます。この辺りで起きた異変については私から将軍に直接お伝えします。貴方の部隊には、私の護衛をお願いします。よって、調査任務は今をもって終了としてください」


「しかしニーナ姫、屍魔の発生を確認したとの報告も受けております。放置しては危険と思われます」


「部隊長、私は屍魔を確認しておりません。此処に来るまで遭遇する事はありませんでした。そうですね、一部見張りを置く事を認めます。しかし、先へ進む事は許しません。これは今後のこの國の大事に関わる問題です」


 御祖父様の仰っていた通りだ。王族が毅然とした態度で接すれば、騎士たちは一目置く。そして國の大事を匂わせればそれ以上追求して来ない。物理的な力は騎士たちに到底及ばないが、彼らのプライドを傷付けず、明瞭な指示を揺るがぬ態度で示せば、彼らはそれに従う。幼い頃から御祖父様の所に遊びに行く度に聞かされた話だ。御祖父様は私を気に入っていた。孫娘が可愛いというのもあるだろうけど、それ以上に私に期待を掛けていた様に思う。御父様が暗愚だと、御祖父様はよく零した。王に相応しくないと。御父様は王であったけれど、その実権は御祖父様が持っていた。御祖父様曰くは、御父様に権力を渡すと國を迷わせるという事らしい。その真偽は今も私にはわからない。ただ、御祖父様は御父様を嫌い、私を次に据えようとしていたのかも知れない。私にはまったく興味の無い事だったのだけど。


 部隊長は私の言を受け入れ、一部の騎士を残し、私と共に北の砦へ向かった。


 彼らとコーイチたちを接触させてはいけない。まだ私はコーイチたちの処遇については何も考えられていないからだ。早急に考えなければならない事には違いない。ただ、今は少し落ち着く時間が欲しい。

 コーイチたちの救出は急務であるが、彼らの事をどう説明すべきか。真実を語れば、屍魔の出所も語らねばならない。そのとき、彼らの処遇はどうなるか。彼らの事を少なからず知る私でも、憎悪に我を忘れた。この國の民たちが事実を知ればその怒りは推して知るべしだ。見せしめとして皆に嬲り殺しにあうだろう。私はそれを望んではいない。とはいえ、我が民を裏切る様なまねも出来ない。嘘をつき彼らを擁護するわけにもいかない。今の私に出来る事は、彼らと我らの接触を避ける事だけだ。


 コーイチたちには是非無事でいて欲しい。彼らに対する怒りとは別に、彼らと接してきた記憶は、私にとって大切な思い出なのだ。


 程なく北の砦に到着し、将軍に面会する。将軍はガタイのいい人物であるが、老いを感じさせる皺を多数その顔に刻んでいる。それはこれまでの苦労の数なのかもしれない。

 少なくなった白髪に同じ色の髭を鼻の下に結えている。その顔が破顔し、涙に咽び泣いた。


「お待ちしておりました。この時を待っておりました。よくぞご帰還くださりました。このジン、この上ない喜びと感謝を申し上げます」


 彼は突然跪き、深々と頭を下げた。

 私は驚いてしまった。こんな大きな身体の私より遥かに年齢が高く人生経験も豊富であろう御人が、平伏してしまったのだ。


「将軍お止めください。そんな、私にそんな、どうかお顔をお上げください」


 彼の肩をそっと掴みその顔を上げさせた。


「あ! 済みません。つい、その、私、そんなつもりは」


 彼の肩に触れたときに、彼の思いが伝わって来た。手が触れた事で私の力が発動してしまったのだ。


「いえ構いません。これでニ心がない事、ご理解頂けたなら光栄です」


 彼の言うとおり、彼の心には私を利用しようという様な考えは無い事が伝わって来た。私の不安の現れだろうか。心の何処かに彼を疑う気持ちがあったのかも知れない。そのせいで意図せず力を発動してしまったとしても不思議ではなかった。いけない。もっとしっかりしなければ。


「将軍、ひとまず現状の報告をお願いします。そうですね。王都が襲われてから今までの事を大まかでよいので教えてください」


 気をしっかりと持ち直し、出来る限りの毅然とした態度で彼と接した。


「わかりました。ではまず、屍魔の襲撃からですな」


 軽く首肯き、先を促した。


「あの日、真っ先に襲撃を受けたのは、この砦でありました。屍魔の大群は忽然と現れ、砦の守備隊は抗う術なく、山城への撤退に追い込まれました。敗残の兵を掻き集め、態勢を整え反撃に転じこれを駆逐いたしました。しかし、その大半は山城へは来ず、王都へ向っていました。我らは屍魔を追撃し、王都に到着したときにはもう、生きてる者は其処に居りませんでした……。王様をはじめ、王族の方々の消息はわからずじまいです。近隣の生き残っている都市の民たちに呼び掛け、王都再興に努めて参りました。王族に連なる方々がご帰還されるまでの代行と思い」


 将軍はそれ以上口に出来ず、慙愧に堪えずその深い皺を一層深めた。


「よくぞ今まで闘ってくださいました。感謝いたします」


 そんな言葉で彼の苦悶が晴れるとは思わない。思わないけど、何か言わずにはいられなかった。


「國の精鋭を預けられながら、この様な失態は許し難き事。王族の方々がご不在の今、どうかニーナ姫様にご戴冠いただき、この國の民を安んじられん事をお願い申し上げます。戴冠がお済みになられましたれば、軍籍を返上いたしますので、一平民に降ろしてくださるようお願い申し上げます」


 王族の生き残りが私だけである事を考えれば、戴冠して王位を継承するのはやむを得ない事。理屈ではわかっている。でと、私にそんな大役は務まる筈はない。


「それは許可出来ません。私は見た目通りの若輩者です。國をまとめ、民を導くなど無理です。それは貴方にも解っている筈です」


「いえ、ニーナ様であらせられれば、立派に果たす事が出来ましょう」


「将軍は疲れてしまわれたのですね。王族を代表し謝罪いたします。本来この責は私が負うべきものですね。今までの苦労、お察しします。とはいえ、私に國をまとめる力はありません。将軍も解っていながらそんな事を仰るのですね。それは私の罪として受け止めましょう」


「では、お認めくださるのですね」


「いいえ。認める事は出来ません。貴方は先程、自らの力不足を悔いて謝罪されました。その罪を認めるのであれば、私が立派に王を務められるまで、貴方は私の面倒をみるべきです。これはお願いではありません。王命です。いえ、これから王位を継ぐものとしての命です。少し早目ですけどね」


 本当は私が不安なだけだ。そして実際、私が王など務まる筈もない。しかし固辞する訳にはいかない。國をまとめる者が無ければ國という人々の集団は崩壊してしまう。この國は有史以来、王族に連なる者が王として治めてきた。民は王族というだけで敬意を表し、その言に従う。それ故に、王族ではない将軍の苦労が想像された。いろんな謂れなき批難や罵倒を受けていた事だろう。王位を簒奪する賊としてみられていたに違いない。彼は何一つ語らないが、さっき触れたときに私には伝わって来た。


「命とあらば、謹んでお受けいたします。一日も早く立派な王にならせられますよう、このジン、全力を注ぐ所存であります」


 一日も早く。その言葉が彼の願いの重さを表していた。本当は王になどなりたくないのだけれど。もはや私の帰還は広く民衆に伝わっているらしく、王都では大変な騒ぎという事だ。私が北の砦へ向う途中、伝令が急ぎ王都のジン将軍の下へ走ったらしい。将軍は急ぎ戴冠準備を指示し、私を迎えに北の砦へ戻ったそうだ。王族の者が戻ったときに直ぐに王位に就けるよ予め用意していたとの事。それは直ぐにでも大役を降りたいという後ろ向きの衝動ではなく、周囲の疑いの目を出来るだけ避ける為。いついかなるときでも國のリーダーを王族に渡すという表明であったのだ。


「苦労を掛けます。私としても、御父様や御祖父様、または私よりもっと王に相応しい者が現れたならいつでも譲位するつもりです」


「それはなりません。決して口外されてはならない事です。御心の内に秘めなされませ。よろしいですか、王位がその様な心許ない状態ですと、國に災いを招きます」


「さっそく王になる為のご指導ですね。有り難くその諫言、受け取ります」


 将軍の言葉が心地良かった。彼ならばきっと私の支えになってくれる。そう思える。


「それで、屍魔はどうなったのです? 王都に着いた所まではお聞きしましたが、その後の事はどうなったのですか?」


「そうでした。ご報告がまだ途中で御座いましたな。我々が王都に辿り着いたとき、既に屍魔の姿も有りませんでした。四方に斥候を派遣し状況の把握に努めた結果、屍魔は南下し、南都ディナスディで交戦中である事が判明いたしました。そして現在も闘いは継続中であります」


「現在も交戦中?! 被害の状況は? 援軍は送っているのですか? 勝つ見込みはあるのですか?」


 もうあれから何ヶ月も経っている。いったいどれ程の被害が出た事だろうか? 今すぐにでも援軍を指揮して南下したい。居ても立っても居られない!


「落ち着いてくだされ。ディナスディには、騎士ガイナモネが居ります。そう容易くは落ちはしません」


 騎士ガイナモネ。彼はこの國一番の騎士だ。直接会った事はない。けれども彼の武勇は知っている。彼の名を知らぬ者はこの國には居ない。彼の武勇が広く知れ渡る様になったのは私が産まれる前の事。隣國アールタバインがその勢力を増し、この國を襲った時の事だ。王國軍は、アールタバインの勢いを止める事が出来ず北の砦は呆気なく陥落。王都の危うくなり、王族は王都を捨て南へ逃亡する事態となったとき、当時王都に居た、ただの荷運びを生業にする若造が立ち向かい、独りで敵軍を尽く撃ち破った。そういうふうに伝わっている。それが真実かどうかは判らない。判らないけれど、彼はその時の功績により騎士として取り立てられ、南都の守護騎士長としてその職務を全うしている。伝説的な出世話として皆に好かれている逸話である。


 ガイナモネの噂が本当なら大丈夫とも言えなくはないけど、まさかそれ程の者ではないだろうと思う。如何に腕が立つとしても、独りで何万もの軍勢を相手にするなんてありえない事だ。話が大きくなり伝わったとみるのが妥当。故に、安心などしていられない。


「兵を動かす事はなりません。現存する兵ですら、王都防衛に足りない状況なのです。未だアールタバインの動きは見られませんが、この機に乗じて攻め入って来るに違いありません。いやむしろ屍魔を差し向けたのは奴らであると思われます」


「屍魔は彼らの仕業ではありません!」


 勢いで言ってしまってから、ハッとした。背中を嫌な冷たい汗が流れ落ちる。全身が寒気に震える。

 しかし口から出でしまった言葉はもう二度と取り消す事は出来ない。


「奴らの仕業ではないと? ではいったい何が? ニーナ様は何かご存知なのですか? それに昨日の異変についても何かご報告いただけるとお聞きしておりますが?」


 言葉を失った。何と言えばいいのだろうか。わからない。上手く誤魔化すべき? でも何て言えばいいの? わからない。何もわからない。

 そしてわからなくなった私の頭は完全に停止してしまっていた。何とか言葉を紡ごうとするも、口が震えるだけで、私を怖れから解放する事はなかった。


「何か大変な事情がお有りの御様子ですな。ただ、今はお疲れの事で御座いましょう。ひとまずお休みになられては如何でしょう? 詳しいお話は、落ち着かれてからお話しください」


 ジン将軍が私の様子を見かねたのか、彼の方から返事を後回しにする形に誘導してくれた。


「そうですね。今日は疲れました。それにもう夜も更けましたね。お言葉に甘えて休ませてもらいます。貴方もお休みください。そしていろいろとありがとうございます。お気遣い感謝いたします。本当に貴方がいらっしゃって良かった」


 本心だった。彼の気遣いが何よりもホッとした。王として在らねばならない。それとは別に、私としてコーイチたちを護らねばならない。王で在るべき自分と、今まで生きてきた存在としての自分、そんな自分自身の二つの気持ちに押し潰されそうになっている。苦しんでいるそんな私を察して手を差し延べてくれる彼。


 だからこそ、彼を裏切っている様な落ち着かない気持ちに……


 心が濁る思いがした。


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