第百ニ十九話 『浮浪児』
永らくお待たせいたしました。
しばらくの間、面白さとは何だろうとかと思案しておりました。
その結果、なんとか産み落とせました。
今までと何か変わったのかどうか。わたしにもわかりません。
一刻も早く、彼奴の口を封じなければならない。
そうしなければ此の國の行く末は危うい。
実の妹とはいえこの手に掛けねばならない。
それが此の國の帝たる余の使命だ。
余が此の國の帝位を継いでからまだ幾月にもならない。
あの日の屍魔の謎の大発生により我が國は、先帝である父上とその領土の大半を失った。
生き残った民草を集め、ようやく屍魔に対してその進撃を留めるに至った。
されどまだ國は安定しておらず、屍魔との闘いも予断を許さない。従って、今ここで後顧の憂いは断たねばならぬ。
内外に敵を作るわけにはいかぬのだ……
※※※ ※※※ ※※※
ニーナを追って坂を下ったところで何かに遭遇した。正体は不明だか、何かが居る。
こんたんから預かったバリアーの装置にそっと手を伸ばす。今、頼りになるのはこれだけだ。
相手が屍魔だったら、バリアーで防いだ後どうすべきか? 一回あたりの稼働時間はたった十秒。その後どうするというのか? なんら対策が見えなかった。あたりを見廻すが武器になりそうな物は何も無い。逃げるしかないが、いったい何処へ逃げれるというのか? 背中を嫌な汗が滴り落ちる。
森の奥、茂みを踏むながらゆっくり近付いて来るのを肌で感じる。緊急して指がコチコチになる。これではボタンがちゃんと押せない。指を解そうと、もう一方の手で指を揉みほぐす。そのときそれはひょこっと現れた。
大木の影から現れたそれは
小さな女の子だった。
真っ白いボサボサの長い髪。あちこちに跳ね上がっている。
こちらにはまったく気付いて無かった様子で、驚いてその紅い瞳を丸々と見開いたまま、口をぽかんと開けている。
突然の事でこちらも呆気に取られた。なんでこんな所に小さな女の子が? それにボロ切れを一枚纏っているだけだ。浮浪児なのか?
しばらくそのままお互い無言で見詰め合っていた。
「あ、あのう、君はだれ?」
勝手に言葉が漏れた。この世界で始めて会う相手に言葉が通じる筈が無い事は解ってはいるのだが。
「ぁ、ぅ、ぇ」
彼女も何かを話そうとしているが、声がまともに出ないようだ。必死に声を出そうと足掻いている。突然の事で驚いてしまったからだろうか?
彼女を安心させようと頭を撫でる。そう思った瞬間、彼女は此方の腕を避け、素早く蹴りを入れて来た。
見た目が幼女だったので完全に油断した。またNULLさんに言われそうだ。見た目で判断するなと。
ぽふっ
まったく痛くない。彼女の蹴りは、その小さな足でちょっと小突いた程度だった。むしろ蹴りを入れた彼女の方が、足を滑らせて豪快に転んでいた。
「ぅー、ぁー」
転んだ拍子に頭を打った様で、後頭部を抱えてゴロゴロとのた打ち回っている。落ち葉が髪に絡まって大変な事になっている。
「ごめんよ! 脅かすつもりは無かったんだ。ちょっと頭を撫でようとしただけで」
転がる彼女を抱き起こして打ったであろう頭を撫でる。
「ぅ、がっ、ぎ、ぎ」
藻掻いて逃げようと必死な彼女。
「怖くない、怖くない」
「ぁーぎぁー」
「怖くないよー」
「ぁーがーっ」
駄目だ。なんともならない。参ったな。子供の扱いなんて知らないぞ。だいたい子供嫌いだからな。五月蝿いし、我儘だし。
「いってぇぇっ! 噛みやがったな! てめぇぇ!」
人に噛まれるなんて初めての経験だ。噛まれた左腕を擦りながら睨みつける。向こうも負けじと距離を取ってこっちを睨み返している。
そうした睨み合いがしばらく続いた。
そうだ。こんな事をしている場合では無い。早くニーナを捜さないと。もう日が暮れてしまう。実際もうだいぶん暗くなって来ていた。
はぁぁ。何やってんだまったく。我に返り、自分の今の状況を見る。あまりの体たらくに目が眩んだ。
「人を捜してるんだ。ニーナっていうんだけどね。知らないかい?」
って言っても解らねえか。言葉通じねえもんな。
と、諦めていたら、彼女は何やら記憶を探っている様子で、紅い瞳が上の方を何かを見詰めるでもなくキョロキョロと動いていた。
「ぅーっ!」
突然腕を掴まれて引っ張られる。
しかし、非力な彼女は、此方を動かす事が出来なかった。ぅーぅーと顔を真っ赤にして、必死に腕を引いていた。
何が何だか解らないが、何処かに案内する気らしい。
「ニーナの居所を知っているのか?」
それに答える言葉は無かった。まあ、言葉自体通じてねぇもんな。でもきっとそうに違いない。
こちらが従う意思を感じ取ると、彼女は可愛らしい八重歯を見せてにっこりと笑った。そして、ボサボサの白い髪を揺らしながら、急ぎ足で手を引く。
迷い無く進む彼女。勝手知ったる場所という感じだ。
いったい何処まで行くのだろうか? 森の中をぐんぐんと進んで行く。
辺りがもう暗くなる頃、目の前に、それは現れた。
少し朽ち果てた灰色の人工建造物。材質は何だろうか? 石では無い感じだ。何の建物かさっぱり解らない。窓も無く、傾いて建っている。元々トビラであったろう穴が空いていて、其処から出入り出来るようだ。半分ほど地中に埋まっているが。
彼女に先導されて、その穴から中に入る。
「ぁー、が、ぅー」
彼女が何かを言おうとしていたが、まったく解らなかった。そう、こうなる迄は。
穴に入ると直ぐに足場が無くなったのだ。そのまま落下して地面に激突した。
そうだよ。気付くべきだった。建物埋まってるんだから、下に空間がある事ぐらい予想すべきだった。
落下の衝撃で息が出来ずに悶える。そして地面が傾いているので傾斜に沿ってさらに下へと転がる。
実時間は短いかも知れないが、自分にはいつ止まるのかという位の体感時間を経過して、壁にぶち当たった。
「くっはあっ!」
真っ暗で何も見えないが、恐らく血を吐いたと思われる。口の中が鉄っぽい味がした。
なんとか半身を起こし、壁に背を当てて身体を休める。
手足を動かしてみた。良かった。ちゃんと動く。骨は折れて無いようだ。
ガンッ
壁を伝わって何かが落ちて来て、頭に当たった。
「ぐぉっ……何っだっ?!」
暗くて何も見えない。当たった感触では何か固い物だ。額縁か何かか?
当たった物を手探りで探すが見つからない。
ぼぼっという音と共に、遠くで火が灯った。
あの子が火で灯りを付けたのが、遠目で理解出来た。結構この中の空間は広いようだ。
彼女は灯を持ったまま、うろうろしていた。
「おーい! こっちだ!」
声で合図する。大きな声を出したせいで、全身が軋んた。
合図に反応した彼女は、ゆっくりと此方へ向かって来た。
持っていた燭台を降ろし、何かを差し出してきた。
彼女が手に持っていたのは、丸いパンの様な何かだった。
不審げな顔をしていると、彼女はそれを半分に割いて、一方を口に頬張る。ちゃんと食べれる物だと言いたいのだろう。
大人しくそれを受け取る。この世界の食べ物か。食べても大丈夫なのだろうか? ニーナは向こうの世界の食べ物を平気で食べてたけど。これは勇気がいる問題だ。
「ぅ……」
自分が食べるのを躊躇していたので、彼女が涙ぐんでしまった。これは彼女なりの精一杯のもてなしなのだろう。
えーい! 毒を喰らえば皿までだ!
がっつり喰らいつく。
その食感は、ぱさぱさのパンだった。
一息に飲み込む。
決して美味いものでは無かった。
「ありがとう。美味しいよ」
彼女はにっこりと笑い、その可愛い八重歯を覗かせた。
こちらの肩をちょんちょんと叩いて、何かを飲むポーズを見せた。飲み物を取って来ると言う事か? そう理解して頷く。
彼女は立ち上がって走り出そうととしたところで、何かに躓いて転んだ。
「大丈夫か?」
彼女に駆け寄り、痛そうに抑えている足の指に手を当てる。
最初びくっと身を竦めた彼女だったが、拒絶せずにそのままされるに任せていた。
今気が付いた。この子、裸足だ。
咄嗟に手を当ててしまったが、それなりに効果があったようで、痛みが治まったのか、彼女は落ち着いてきた。
こてっとそのまま横に転がり、彼女は眠ってしまった。
「おいおい、こんなところで寝たら風邪とか引くんじゃないの? ってこの世界に風邪とかあるのか知らないけど」
何か上に被せる物がないかな? 掛ふとん代わりになるものは?
辺りを見たところで燭台の照らす範囲しか見えない。
そこに四角形の額縁の様な物が落ちていた。こいつに躓いたんだな。そしてこいつ、もしかしてさっき頭に落ちて来た奴じゃねぇか?
よく見ると、賞状の様な感じで何か書かれている。
拾い上げて燭台の灯りの下で確認する。何かのプレートのようだ。
これって、アルファベットじゃねぇか?
この世界でアルファベットを使っているとはニーナには聞かされていない。あっちの世界でニーナはアルファベットに触れる機会があった筈。もしこっちでも使っているのなら、「あ、同じ文字」とか反応があって当然だろう? それが無いと言う事は……
Shigeomi Kamikyo
読める。このプレートか書かれた文字が読める。読める事も驚きだが、それよりも。
神鏡だと!
何で神鏡の名前が入ったプレートがこんな所に。
(また異世界に吹っ飛ばしますかーの事)
不意に、こんたんの言葉が蘇ってきた。