第百ニ十六話 『急き立てられる心』
バリアー発生装置をこんたんから受け取った。
nullさんが眠っている今、そしてこのままだと危ない状況である今、自分がなんとかしなければならない。そういう感情に急き立てられている。そして、nullさんにも後を託されたのだ。もう後へは引けない。
「この装置は、一つだけしか無いの事よ。それともう一つ、バッテリーの残量だけど、そうですねえ、後3回ぐらい使ったら無くなる感じの事。一回の稼働時間は十秒程よの事」
「たった十秒だって?! そんなに短いのか? そしてそれが後3回ポッキリなのか」
自分が部屋の外に出て、異世界転送装置の状態を確認してくる。それが今回、自分に課したミッションだ。そしてそれをやろうとした事を後悔し始めた。だって、十秒って。三回って。足しても三十秒ですよね! それで、屍魔が居るかも知れない場所へ独りで行くなんてよく言ったもんだ、自分。
「後もう一つ」
「何だよ。まだあるのかよ」
既に絶望的だったのに、更に悪い情報が来るのかと。勘弁してくれって思うよ。ほんとに。
「バリアーの有効範囲は、その装置の周辺だけ。わかりやすく言うと、あなた独り分ぐらいだと思って置いて欲しいよの事」
なんだ。そんな事か。それなら問題ない。どうせ行くのは自分独りだからな。
本来なら、麗美香に行ってもらうか、もしくは麗美香を伴って行きたいところだが、彼女の今の状態を考えるととてもそれを頼めない。右腕は動かせず、能力の使い過ぎで心臓の状態もやばそうだし。ここはもう腹を括るしかない。
「コーイチ」
ニーナの心配そうな声が聞こえる。しかし、ニーナの顔を視ることは出来なかった。
ここはニーナが元居た世界。帰りたいと願っていた世界だ。屍魔によって滅んだ世界とはいえ、彼女の故郷であり、彼女の世界だ。帰りたく無いと思っていても不思議じゃない。今のところ、そんな事は口にはしていないが彼女はきっとそう考えているに違いないのだ。
こんたんから詳しい情報場所を訊く。迷ったりしてる余裕は恐らくないだろうしな。こっちに飛ばした屍魔は潰れたとしても、この世界には沢山の屍魔が存在しているのだ。そんな奴らが、この場所の周りに居て当然なのだ。だから、出来れば奴らに出会う事なく元の世界に戻りたいのだ。
こんたんから聞いた感じだと、目的地そんなに遠くは無さそうだ。これならなんとかなりそうだ。そう自分に言い聞かせる。
「では、扉を開けますよの事」
躊躇いなく、力強く、うんっと頷く。少々芝居掛かり過ぎただろうか? だか、弱気なところを見せるよりかはよかった。ここで自分の躊躇いを見透かされては皆が不安になる。麗美香やこんたんはともかく、ニーナが代わりに行くと言いかねない。それだけはどうしても避けたかった。
電気系統がやられてしまっているので、扉は開かない。そこで、こんたんが部屋を開けるレバーを手動で回す。こんたんが居てくれて助かった。彼女だったからこそ、手動で開ける場所を知っていたのだ。まあ、探せば見つけられるかも知れないが、こんな状況である。出来るだけ無駄な労力は使いたくない。
「かぁーっ! これ固ぁーいの事よ! きぃっ!」
こんたんがレバーを回すが、硬くて回せない。
おいおい。ここへ来て、扉開きませんでしたーじゃねーだろうなあ。
「ちょっとどいて」
麗美香がこんたんを乱暴に押し退けて、左手一本でレバーを握った。
麗美香が左手一本で楽々回す。扉は彼女がレバーを回すに従い、徐々に開いていった。
その様子を見て、やっぱり麗美香に行ってもらう方がいいんじゃないかと思ったが、口には出さず胸の奥にしまった。
扉の外は、様々な木材やら廃材で埋め尽くされ、壁のようになっている。
「これ外に出れるのか?」
麗美香が「ふんぬ!」と一発蹴りを入れると、ガラガラと音を立てて、目の前の瓦礫が崩れ落ちた。
すげーなーおい。やっぱりお前が、いや、まあ、いい。
なんとか人が通れそうな隙間が空いた。どうやら瓦礫がみっしり詰まっている訳では無さそうだ。ところどころ固まっている感じか。
これは瓦礫を崩しながら進むしかなさそうだな。だが下手に崩して生き埋めにならないようにしないいけなさそうだ。
「ねえ、ポチ。あんた、一時間で戻って来なさいよね。もし一時間で戻らなかったら殺すから」
なんで殺されないといけないのかわからない。それにそのままずっと戻らなかったらどうするのだろうか?
「だから、絶対帰って来なさいよ。目的達成よりも戻るの優先よ」
麗美香はそう言って顔を背け、部屋の奥へ去って行った。
「お、おう。じゃあ、行ってくる」
努めて明るく出発を宣言する。何でもない事のように。ちょっとそこのコンビニまで行くような声音で、帰って来るのが当たり前のように。
部屋から出てしばらくすると、扉が閉じられる音がした。屍魔が入って来れられないようにと事前に打ち合わせていたのだ。帰ってきた時はノックすることになっている。
「廃材ってのは何でこんなにチクチクするかねえ」
距離はそんなに離れていないが、こう廃材がいっぱいあるとなかなか進めなかった。それに、折れて無残な姿を晒している天井や壁、或いは床であった物だろうか? その材質であったであろう木材が、トゲトゲになって行く手を阻んでいる。
廃材たちに身体中傷付けられながら進むと、少し大きめの空間に辿り着いた。
これで身体が自由に動かせる。ここ迄来るのに凝り固まった身体を伸ばす。膝や肘、首がだいぶコチコチになっていた。ゆっくりとストレッチをする。ストレッチをこんなに気持ちいいと感じた事があっただろうか?
「はーあー。取り敢えず一息付けたな」
誰も居ないのに、つい独り言を呟く。それは緊張ゆえだ。黙っていると精神が耐えられない。いつ屍魔が来るかわからないのだ。独り言を呟くと、その緊張が僅かでも軽減される気がした。
「コーイチ、ちょっと手を貸して。出られない」
「ああ、わかったよ、ニーナ」
瓦礫の隙間に挟まっているニーナに手を差し伸ばす。
「……ってニーナ?! 何でお前が居るんだよ! 何で付いて来てるんだよ! 部屋に残ってたんじゃないのかよ!」
「まずは手を貸して頂戴。話しはその後で」
疑問は一旦脇に置いて、仕方なくニーナの手を掴んで引っ張り出す。
広い場所に出れた彼女は、うーんっと伸びをして身体をほぐした。
こちらが渡した大きめの上着を羽織っているので、ぶかぶかで、袖から手が出ていない状態だ。ニーナは女の子としては綺麗系で、可愛い系ではない印象だったのだが、その姿を見ると可愛い系もいけそうだった。そんな事はともかく、なんで此処に居るのか?
「ごめんなさい。勝手に付いて来て。でも、外を見てみたかった。自分の眼で、自分の國をもう一度見てみたかった」
碧い瞳が上目使いで見つめてくる。その瞳には懇願の色があった。
「そっか。そうだよな。わかった。目的地に着いたら外に出てみようぜ。一緒に行くよ。そうだ、だったらこのバリアーはニーナが使えよ」
こんたんから預かったバリアの装置をニーナに渡そうと差し出すも、彼女はそれを固辞した。
「それはコーイチが持っていて。私は大丈夫だから。それに、いざという時は、コーイチに引っ付いていればバリアー内に入れると思う」
引っ付く?! 何をおっしゃるのかニーナさん?! バリアーの有効範囲がどのぐらい狭いのかわからないけど。
「コーイチ、出来るかどうか試してますか?」
「あ、いや、止めておこう。バッテリーが勿体無い」
バッテリーがあったら絶対試していたのにと、ちょっと後悔した。
「そうですね。じゃあ、先を急ぎましょう。あ、いえ、別に急かしている訳ではないのですが。いえ、その、私ちょっと浮ついてますね。すみません」
顔を赤くして興奮し、我に返って恥ずかしくなって俯いた彼女。無理もない。もう戻れないと思った自分の世界にこうして戻れたんだ。その気持はどんなものなのだろうか。きっと自分でも抑えきれないぐらいの、強い衝動が身体に流れているに違いない。戻ってきた故郷がどんな状態なのか気になる事だろう。そんな彼女を見ていると、出来る限りの事はしてあげたいと思うのだ。そして、その結果を一緒に受け止めて上げたいと思うのだ。
「うん。解ってるよ、ニーナ。気持ちが逸るのも仕方がない事だ。でも危険があるので気を付けて落ち着いて行こうぜ」
ニーナはコクリと頷いた。
二人で瓦礫の中を掻き分けて先に進む。ニーナがピッタリと後ろに引っ付いていた。
「なあ、ニーナ」
「なに? コーイチ」
「いや、何でもない」
どうしてもニーナに訊くことは出来なかった。それはずっと自分の心の中にある不安。その事がいったいどうして、何がどう不安なのか自分でもよくわからない不安だ。
ニーナは、これからどうするつもりなのだろうか……