第百九話 『緊急避難』
「nullさまぁ、ありゃいったい何ですかぃ? むっちゃきしょいんですけどぉぉーっ!」
「おや? さっき云ったはずだが。まあいい。もう一度教えてやる。アレは人の成れの果てだ」
「やー、それってどういう意味なんすかねぇ? わたしゃー馬鹿なんでよくわからんですにゃー」
「今は、のんびり話ている余裕はないぞ。追いつかれたら最後だからな」
「でしたらなんで全力疾走しねえんっでやんすかぁー。もっと速く走れますのに」
「ああ、屋敷に奴らを案内してやろうと思ってな。名案だろう?」
「おーそりゃー名案ですにゃー。さすが人が悪いnullさま!」
まったく、人が悪いは余計だろう。
人の悪さなら神鏡の爺さまが一枚上だ。
音戸が付けた灯りのスイッチによって、奴らの檻が開けられてこの始末だ。音戸のパニックを予見出来なかったわたしの失態だな。実に腹立たしいぞ。
音戸を先に部屋に入らせた後、念のために扉がロックされない様に仕掛けておいたから良かったものの、それが無ければ我々はあの部屋で喰われていた事だろう。案の定、扉はロックしようとした形跡があった。
こちらがあの部屋に辿り着くのを予想してか、或いは念には念を入れる性格なのか? 侮れない相手には違いない。何れにせよ、このお礼はキッチリとせねばなるまい。
「もうすぐ屋敷に着きますですにゃー。どどどっどーしたらいいんでしょっかぁー!? 何処行ったらいいですかっ?」
「ここから一番近い扉へ向え! そして開けろ。奴らと一緒に乱入するぞ!」
「やっ! いくらわたしでもそんな簡単に開けられるとは限らんですよっ!」
「お前なら出来る。信頼してるよ。ニコニコ」
「nullさま、その笑顔……怖いです」
※※※ ※※※ ※※※
「ととととととりあえず落ち着いてくだくだください」
今、目の前でメイドさんがぶるぶる震えながら、アワアワしている。
取り敢えずメイドさん、落ち着けよ。
何かの大群がこっちに向かって押し寄せて来る。そう感じられる地響きと重低音の足音が、どんどん大きくなって来ていた。
ニーナは青ざめたまま先程よりずっと硬直している。その瞳は、ここでは無い何処かを観ている様に思えた。
nullさんの仕業? それとも麗美香の爺さんか?
ニーナが呟いたとおり、これが屍魔なら何故ここに?
屋上で固まっていた奴らをそのまま生け捕りにして飼育でもしていたのだろうか? 何の為に?
ダメだダメだ! 今そんなこと考えている場合じゃなかった。相手が屍魔なら即逃げないと。現状では勝てる相手ではない。
「メイドさん、何処か隠れたり逃げれたりする場所無いですか?」
落ち着いて下さいとひたすら呟き続けている彼女に尋ねた。
しかし、彼女はひたすら呟き続けている。
ダメだこりゃ。
「メイドさん! しっかりして下さい!」
両肩を掴んで大きく揺さぶる。
頬を引っ叩こうと思ったが、人の頬を叩いた事など無いので躊躇った。ましてや女子相手である。肩を揺さぶるのが精一杯だった。
「おろあろおらろん……」
目の前のメイドは、意味不明な声を震わせた後、ようやく正気に戻った。
「はっ! なに? 何ですの? えっ?」
「何処か隠れる場所か、逃げれる場所はありませんか?!」
「あ、はい。あります! こちらです。」
くるりと180度回転したメイドさんは、ドアを開けて走り出した。
自失しているニーナの手を掴んで一緒に後を追う。
今まで入った事のない屋敷の奥へ廊下を進む。
ニーナの手を引きながらなのでメイドさんに見失わない程度に少しずつ遅れながら付いて行く。
こんな形で屋敷の奥に侵入するとは思ってなかった。
やがて階段を登り始める。やたら無意味に広い階段だ。屋敷っぽく赤い絨毯が敷かれている。赤い絨毯が敷かれると豪華そうに視えるのは何故だろうか。
走りながら窓に映る外の様子を伺うが、真っ暗で何もわからない。
もう夜になっていた。そりゃそうか。今、何時ぐらいだろう? 20時ぐらいだろうか?
家にまったく連絡していないので、母親にどやされるだろうな。
無事に帰れればの話しだが。
やがて辿り着いた場所は……
「っっっっって! これ屋上じゃねえかあっ! どーすんだよこれ! 逃げ道無くなっちまったじゃねーかあ!」
思わず叫んでしまった。
屍魔が来たら、もうどこへも逃げれない。デッドエンドしか視えない。
「えっ! でもー危ないときは上に逃げろっていいませんか?!」
「そりゃ火事かなんかのときじゃないのか!」
ダメだ。このメイドさん。もしかしてドジっ娘なのか?
見た目がしっかりしてそうだったので油断したよ。
こちらの手駒は、ドジっ娘のメイドさんと絶賛自失中のニーナ、そして凡人の自分。
今できる最大の手段は……
「この扉を開かないようにしよう。メイドさん、なんか方法ありませんか?」
そう、出来ることは奴らの侵入を阻止する事だけだ。屋上の扉を閉ざす。それ以外に思いつくものは無かった。
しかし周りを見渡しても何か塞げるような代物は見当たらなかった。
「えっと。鍵を掛ける以外に方法は。あ、でも鍵は屋敷の中側からしか掛けれないですし。うーん。って、あれ? なんかこの扉変じゃありません?」
そう云われて暗い中扉を見ると、扉がなんかモヤモヤとした湯気で覆われている。
初めからそうだったようには思えない。ここから出てきたときは異常はみられなかったはず。
まさか屍魔の奴のせいか?
メイドさんに退く様に云い、警戒する。
するとそのモヤは徐々に形を形成していった。
「これは……」
「ねこですね?」
「ああ。猫だ。でも、こんな巨大な猫は観た事ねえよ」
モヤが形成したのは、扉を覆い尽くした猫の顔だった。