第百八話 『屍の未来』
「しっかし警備員の一人も居ないってー不用心ですねェー。今まで一人も視ませんでしたっすよねー。それとも、何かの罠っすかねぇ? どう思いやすかー? nullさま」
「そう大きい声を出すんじゃない。居ないはずの警備員がびっくりして出て来るじゃないか」
「居ないのに出て来るなんて働き者ですねぇ」
ただ頭の良い人間なら、その行動は読みやすい。一番行動が読めないのは、何も考えていない奴だ。それはこちらが読むという行為そのものを否定する。そして一番厄介な奴は、何も考えていない風を装った頭の良い奴だ。行動が読めない癖に確実に相手を追い詰める。
「神鏡の爺さまはそのタイプだな」
こちらを誘い込んだ研究所でも警備員など人っ子ひとり居なかった。神鏡の爺さまの性格分析データによれば、奴は人を全く信用しないとあったが、その為に警備員すら信じず使わないということなのか?
ふふふ、なかなか楽しいぞ。神鏡の爺さまよ。これは簡単にはチェックメイトさせて貰えそうに無いな。
「扉に仕掛け等御座いませんです。開けても大丈夫です……。あ? なんか生体反応が中にあるですよ? ぎょぎよっっっ、なんかいっぱいいっぱい密集しておりやすよ! きもー。ちょーきもーいですよ。なんすかこれ?」
「素晴らしい。ビンゴじゃないか。それこそわたしが此処に来た目的だよ。さあ、どーんと開けようじゃないか」
「嫌ですよ。きもいですよ。わたしゃーごめん被りやすよ。nullさま直々にどうぞ。あ、いや、ここはやっぱり、直々にやられた方が、かっこいいっすよぉー」
「涙目になっているぞ、音戸。まあ、わたしが開けて重傷を負った後、お前は闘えるのか? それならかまわないが? ちなみにわたしはお前が重傷を負っても闘える自信はあるぞ?」
「えーっと、此処で引き返すってー選択肢は出ませんかねえ?」
「残念ながら、このシーンは選択肢無しのリードオンリーだ。悪いな」
「うへぇぇ」
ガチャリ
観念して怖々様子を覗いながら中に入って行く音戸を見送る。部屋の中は真暗で何も視えなかった。
音戸の奴はぶるぶると震えながら背中を丸めて忍び足で進んで行く。その姿はまるで猫の様だ。
借りて来た猫というのは、こういう状態を云うのだなと、妙に納得がいく。
しばらくその姿を眺めていると音戸から早く来てと泣き言が入る。
「なにしてんすかぁー! ちびりそーっすよー! 早く来てくだせーよー!」
「ふふふ。お前の姿に見惚れてしまってな。ついつい眺めてしまったんだ。許せ。それよりも生体反応はどうなっている?」
「あ、そうでした! えーと、少し奥ですね。奥に固まってます。100以上何か居ますよぉ。マジで勘弁でやんすよー!」
100体以上か。状況は芳しくないな。
「で、で、電気、電気ぃ、付けるですよぉ。もう耐えられましぇん。」
「おい!待て」
カチッ
音戸の奴め。本気でパニックになってるとは。油断したな。不用意に部屋の物を触るとは。らしくないぞ、音戸。
ふっ、そうか。らしくないのは、わたしの方だな。これぐらい予見出来ないでどうする?
音戸が付けた灯りが部屋を満たす。
眩しさに眼が慣れたとき、音戸の視線が一点を見詰めたまま動かなくなっているのに気付いた。
彼女の視線の先、およそ5メートルのあたり。透明ガラスの壁に遮られたその向こうに奴らが居た。
「ふっ……やはりな。これで3度目のご対面だな。」
「nullさま、何すかこれ? むっちゃきもいんですけど? 人? 人じゃねえっすよねぇ?」
「こいつか? こいつは、屍魔という奴だ。人間のなれの果てだよ」
※※※ ※※※ ※※※
「こちらで待ち下さい」
白と黒を基調にしたメイド服を着たメイドさんに案内された場所は、前に一度、麗美香の奴に無理やり連れて来られた時に最初に案内された白いだだっ広い部屋だった。前に此処で会ったメイドさんだ。もしかして此処にはこの人しかメイドが居ないのかな?
「麗美香お嬢様が来られるまでごゆっくりおくつろぎ下さい。何か御用がございましたら、そちらのベルをお使い下さい」
メイドさんは机の上に置かれた銀のベルを指した。
こんなベル鳴らして聞こえるのだろうか? そんな疑問が過ぎったが、ここは大人しくメイドさんを見送っておこう。
ニーナの期待に堪えるべく、特に何も目算が無いのだが、麗美香とはぐれて迷子になった体で屋敷に侵入し、メイドに捕まった訳だが。
さて次はどうしようか。
ニーナは部屋の広さに圧倒されたのか隅々まで歩いて何かを確かめている様子だった。
「ニーナ、驚いたか? 此処すっげえ広いだろう?」
「うん。驚いた。こんなに白いのはなんでなの? 何か意味があるの?」
「いや、なんで白いのかは知らないが。たぶん家の人の趣味だろうな」
「ふーん。でもなんかこの広さ懐かしい。此処のところずっと狭い部屋しか視てなかったらなんかホッとする」
ああ、そうだった。ニーナはお姫様だったんだっけ。普段の様子が普通なのでついつい忘れてしまうのだが、こういう感覚は流石お姫様だという感じか。
「ねえ、コーイチ……」
突然ニーナが不安そうに辺りを見回した後、しがみついて来た。
身体が激しく震えている。
「どうかしたか? ニーナ」
「何か来る。近づいて来る。この感じ。わかる。ヤダ。怖い。凄く感じる。あの嫌な感じ。怖い。怖い怖い。」
自分で何を言っているのかわからないような感じで何かを呟き続けるニーナ。身体は激しく震え始めた。
少しでも震えを止めようとしっかりと抱きしめる。
「ニーナ、しっかりしろ。何が来るって云うんだ?」
顔は青ざめ、焦点の定まらない瞳。こんなニーナを視るのは初めてだ。
彼女は唇を震わせながら絞り出すように告げた。
「あいつが来る……屍魔」