第百話 『薄氷の刃』
タマとの接触が空振りに終わり、麗美香の消息も不明のまま下校の時間を迎えてしまった。
ヤマゲンと別れて、ニーナと二人。バス停へ。
「打つ手無しだなあ。」
特にニーナに聴かせる訳でもなく呟く。いや、そうでは無く、なんとなく黙ったままニーナと二人っきりなのが居心地悪かったから、言葉を発しただけだ。
ニーナは、口元に手を当てて、うーんっと唸って考え込む始めた。こちらの言葉を受けて、真剣に悩み始めたようだ。この辺は、本当に真面目な奴だと思う。
こちらの視線に気が付いたのかニーナが瞳を向ける。眼が合ってしまった。本当にニーナの瞳は綺麗な碧い色をしている。この瞳は、いったい何を映しているのか。心がざわめく。
ぷいっと眼を背けられた。
照れられるとこちらも変な気分になる。
ニーナから視線を逸らし、学校の方を観ると、舞が歩いて来ていた。ハロウィンの姿では無く普通の私服なのでメイでは無いはず。真っ黒のベレー帽に白いシャツと茶色のチェックのベスト。黒のミニスカート、そして黒い薄手のショートコートに黒のブーツという出立ちだ。上半身だけ視れば、イギリス紳士の様だ。まあ、舞は女だけどな。
舞がすぐ側まで来たとき、彼女の瞳を視れば綺麗な薄いブラウンだった。やはり舞だな。メイの時は薄い青い瞳だったからな。カラコンを入れているんだろうな。メイというキャラを演じる為とはいえ、よくやるよほんと。
「舞、何処行くんだ?」
舞は寮暮らしのはずなので、バス停に来ると言う事は、外出と云う事だ。舞なら何か掴んでいるかも知れない。麗美香を助けたのは舞だろうしな。タマの事も何か知っているかも知れない。
「えっと……どちら様でしょうか?」
うん。この返しは予想していた。舞としてはまだ面識は無いと云う事だ。めんどくせえ!
「あー、電話した山根耕一だ。メイに伝言頼んだだろう?」
「ああ、夜中に突然教えてもいないのに電話を掛けてきた人ですね。」
酷い云われようだ。確かに、電話番号は勝手に覚えちゃいましたよ。突然掛けてごめんね。
「まあ、その緊急事態だったので。取り敢えず済まなかった。それよりも、その、メイからは何か聞いているか? あの後の事。」
舞は大袈裟に溜息をついた。
眼鏡を右手で中二っぽい手付きでずり上げ、
「ええ、無事ミッションは終了したと伺っています。麗美香さんも、無事に救出したとのことです。まあ、大魔術師メイ・シャルマール様の事ですから間違い無いのは当然ですが。」
眼を瞑り芝居がかった素振りで自分に酔っている様子だ。
「ご満悦のところ悪いんだが、その麗美香が消息不明。それに他にも連絡が取れない奴も居るんだ。何か知らないか?」
メイは当事者だ。おそらく一番事情を知っているはずだ。
舞は一瞬驚いた顔を覗かせたが、直ぐにいつもの平静な表情に戻った。
「事情はよく判りませんが、大魔術師メイ・シャルマール様に失敗は御座いませんので、何か別の事情だと思われます。むしろ、貴方の方が判ると思います。いろんな事情をご存知のようですし」
ぽんっと手を打ち、話を切った舞は、
「ところで、えっと、やまねさん? これからわたくしに同行いたしません? ちょっと親友にこれから会いに駅まで行くのですが、彼女もきっと貴方の話に興味を持たれると思いますので。もちろん貴方が良ければですけど」
舞は唐突にそんな提案をしてきた。舞の親友でこちらの話に興味を持つという事は、その親友とやらも魔術師なのかも知れない。力になって貰えるならこれ程心強い事は無い。
「お前の親友って魔術師なのか?」
返事は期待していなかった。ただなんとなく訊いてみただけだ。どうせ適当に返される。そう思っていた。
「いえいえ、魔術師ではありません。そうですねえ、強いて云えば、わたくしと同じかと」
舞なりの優しさなのか、それはもう種明かしだ。こちらの窮状に対する思いやりなのだろう。本来ならただ否定していただろうな。
「ありがとう」
そんな素直な言葉が口をついて出た。
それから、結局ニーナも一緒に付いて来た。
駅は家から学校とは真反対側に在るので、バスで家を素通りして駅に到着する。
街合わせになっている駅近くの喫茶店に入った。
「まだ時間が早いので、しばらく待つ事になります」
舞はそう云って慣れた風に一番奥の4人がけのテーブルに向かった。
喫茶店なんて行った事無いから少しそわそわする。
「なあ舞、お前は喫茶店とかよく行くのか?」
「いえ、よくという程は」
こちらには眼を向けず彼女は、さっとメニューを手に取って唸っている。何を注文するのか悩んでいる様だ。ほんとに慣れてやがる。
舞の向かい側にニーナと二人で座る。舞の隣に座るのは流石に馴れ馴れしいしな。それにニーナの事もある。ここは向かい側に座るのが正解だろう。
隣に座ったニーナも、初めての喫茶店に落ち着かない様子であちこちに眼を走らせている。
舞からメニューを受け取ってそれを眺める。彼女が何を注文するのか訊きたかったが、ここで訊くのは男らしく無い様な気がして訊けなかった。舞は特にこちらを気にした風はなく、スマホの画面を見詰めていた。
よし、ここは格好良くコーヒーだな。コーヒーが格好いいかどうかは解らないが。ここでジュースとかは流石に恥ずかしいのではなかろうか? いや、思い過ごしかも知れないが。コーヒーの銘柄とか解らないのでここは分相応に一番安ブレンドにしておこう。それが無難だ。
ニーナにメニューを渡すが、彼女はよくわからないと首を振った。
「コーイチが選んで」
そう云ってニーナは顔を赤らめてはにかんだ。自分が解らない事を恥ずかしく思ったのか、こちらに選んで貰う事が恥ずかしいのか、或いはその両方か。何れにせよ、その仕草はぐっとくる。悪い気はしなかった。
「貴方たち、そういう関係だったんですね。いえ、そうだと思ってましたけど」
いや、待てと、危うく否定仕掛けたが、ニーナの前で否定する訳にはいかない。あー、自分の心をはっきりさせないとな。とはいえ、自分の心は思い通りにならないものだ。嫌いじゃないし、それでも良いという気持ちもある。でもなんというか、決定的な何かが足りないのだ。
「否定なさらないのですね」
舞には見透かされている様だ。メイじゃない風を装ってもやはり舞はメイ、つまりは魔術師だ。察しが良くても不思議はないだろう。
そんなこんなでわたわたしているうちにウェイトレスが水を置きに来た。割と大きめの店構えで、四人席が三つある。後、カウンター席が三つ程。この辺りで喫茶店はここしか知らない。
ウェイトレスはメイドさん、ではなく、白と黒。基調にした普通のウェイトレスさんだった。普通ってなんだって話だけど、喫茶店のウェイトレスとして思い浮かぶ最初のイメージ通りって感じだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ブレンド二つと、それから舞は?」
「カプチーノ」
カプチーノだと? 何か格好いい響きだな。どんなものかよく知らないが。しかし雰囲気ピッタリだな。舞の奴、なんだか凄く格好いい奴なんじゃないかと思えてきた。
「何か? カプチーノは朝飲むのがイタリアでは通例だけど、わたくしは好きなので何時でも飲むんですよ。そんなにおかしな事でしょうか?」
いや、知らないし。可笑しがったんじゃないし。ちょっと格好いいって思って見詰めただけだし。
ウェイトレスは注文を繰り返して確認した後、奥へ引っ込んで行った。
何か落ち着かない。舞は必要な事以外話さない感じで、世間話に華を咲かせるタイプではない。黙々とスマホを弄っている。そういえば麗美香も爺さんに会いに行ったときにスマホばっかり弄っていたな。なんだ。最近の女子高校生は人と一緒に居るとスマホ弄るのが常識なの? 何なの?
仕方がないのでスマホを取り出した。特に何も観るものはないけど、じっとしているのも間が持たないし、ニーナとお喋りする程の話題もない。
ニーナはこちらの様子を視て、自分のスマホを取り出して見始めた。
なんだこの構図。喫茶店で三人で席を囲みながらそれぞれ黙々とスマホの画面を観ている。傍から視たら、今の若者は! みたいに思われるんだろうな。別に好きでやってる訳じゃねぇんだけど。
ん? 何だこれ?
スマホで適当にSNSやらニュースサイトを巡っていると、違和感のある記事が目に止まった。
『次元転送実現か?』
次元転送? 異次元に何かを転送するのか?
記事を読み進めてみる。
『昨今、テレポーテーションが実現する可能性が発見されて世界を驚かせたばかりだが、今度は何と異次元に移動出来る可能性が発見された。発見したのは、見た目は小学生女子、中身は天才科学者の古今襷博士(25)』
待て待て、小学生女子の見た目で25歳とかまじか? というかこの記事の信憑性を疑っちゃうよ。
『博士によると特定の空間から強いエネルギーの放出を確認したとのこと。その放出されているエネルギーが不自然な具合に途中で減衰する事なくスッパリと消えているらしく、そこから別の次元へ転移しているのではないかとのこと。これらの事がSNS界隈で取り上げられ、異世界召喚が現実のものに!? と期待が寄せられている』
何だかよくわからんが、これが事実だとすると、もしかしてニーナが出てきた場所がまだ閉じてないのか? この場所については何も記事に書いてないのでなんともだが。
「人を呼び付けておいて、随分優雅にティータイムしてるのね、舞」
すぐ側で急に女の子の声がしてびっくりした。
声のした方を視ると、別の学校の制服を着たショートカットの女性が舞に冷たい視線を送って立っていた。
「遅かったですね。もう少しでカプチーノをお代わりするとこでしたわ」
いつの間にかテーブルの上に注文していたコーヒーが置かれていた。スマホに夢中で気が付かなかった。スマホって何か無駄に集中しちゃうよな。
「ご紹介いたしますわ。この冷たい視線を向けている方が、わたくしの親友、句由比華澄さんです」
「貴方の親友になったつもりはないんだけど」
そう云って華澄と紹介された彼女は、冷たい視線を舞から外し、自分とニーナを視た。
鋭く強い視線。そして何故かその中に脆さも垣間視えた気がした。例えるなら、それはそう
薄氷の刃だ。