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(3)懐かしきあの夏祭りは後の祭り



 やっとの思いで人の波から抜け出す。

 そこは店と店の間にある影のような路地。

「大窪くん?」

 化け物が僕の隣にいた。

 二人の手は一つの塊のように繋がれている。

「ここは?」

 見覚えのない周囲を見回す。あれだけ荒々しく僕たちを押し流した人波が静まり返っている。ラジカセから流れる祭りばやしは不協和音のように歪みながら神経を逆なでていく。イカの腐ったような臭いがそこら中から漂ってくる。パンパンに膨れ上がったポリバケツが悪臭の原因だと一目で分かった。路地の陰から「ラッシャイラッシャイ」と泥のように低い声が響いてくる。僕たちは浚われるようにして路地の深奥で開かれている屋台に足を向けた。

「イラッシャイ、イラッシャイ」

 店主の顔は暗がりで見えない。上の幌には大きな文字で射的と記されている。顔の見えない店主が僕の胸に射的用の銃をグイグイと押し付けてくるので仕方なくそれを手に取る。片手は化け物と繋がっているので悪戦苦闘しながら空いている方の手だけで銃を構える。店の奥は店主の顔と同じく真っ暗で何も見えない。何も見えないところに僕は銃を向けている。何を撃とう。どれを撃とう。どうやって撃とう。静止した暗闇に照準を合わせて引き金を引く。ポン。軽い音がして銃口からコルクの栓が飛び出し暗闇に真っ直ぐ飛んでいく。ポコン。何かにぶつかる音がした。バタン。何かが倒れる音がした。ドウゾ。店主が景品を差し出す声がした。銃を返してその引き換えに景品を受け取る。景品は、秋口のコンビニで売っていそうな質素な花火セット。僕は少し落胆したけれど化け物は嬉しそうだった。

「ねぇ、これやろうよ」

 その一声で、僕たちは祭りの静寂から切り取られる。

 さっそく花火セットの封を切った化け物は、燐寸を擦り線香花火に火を灯す。反転した彼岸花のような火花が暗闇に咲く。僕も線香花火に火を着け、逆さになった彼岸花を咲かせる。二つの花が咲くことによって暗闇が仄かに明るくなり、化け物の浴衣に咲いているいくつもの青い花の模様が輪郭を持って滲み出す。花火の花から弾ける火花が蜜のような質感で四散する薄暗闇に向けられた化け物の微笑の唇の隙間から真珠のような白い歯がのぞく。そのエナメル質の表面に投影された閃光は水面を通してのぞき見た花火の幻影のようだった。

 見惚れていた僕の手元から花火が擦り落ちて地面に落下する。花は枯れ、最期の種子を飛ばそうと火の粒を飛散させる。その一粒が僕たちの足元に飛来して、じゅう、と音を立てて地面を焦がした。驚いた化け物は大切な真珠を守る貝のように閉口してしまう。夜の帳に沈黙の膜が重なる。花火の燃焼だけが一人早口に言葉をつないでいる。気を焦らされながら待った第二の開口は、真珠よりも希少な会話の粒を伴っていた。

「高橋さんと田所くんは無事に合流できたかな?」

「たぶん、大丈夫だよ」

 僕は新しい花火を求めて暗闇に手を伸ばしたが、どこを探っても新たなものは見付からない。化け物の花火は息絶える素振りも見せず力強く燃えている。

「大窪くんは、どこの高校を受験するの?」

「まだ、どこにも決めてないんだ」

「そうなんだ」

 この時期になっても自分の進路を決めていないことに失望されてしまうかと思った。

「実はね。私もなんだ」

「そうなんだ」

「うん」

 ずっと手が届かないと思って見上げていた崖の花に、指先が微かに触れた気がした。

「受験の実感が湧かないんだよね。このまま夏休みが過ぎて、秋になって冬になって来年の春になったら、私たちは中学四年生になるんじゃないかって、そんなことを考えちゃって」

「中学四年生?」

「うん、中学四年生」

「その次の年は?」

「五年生かな?」

 自分が口にしている話の馬鹿らしさを痛感したのか、化け物は誤魔化すように笑い、長い睫を伏せて花火を見つめた。僕もつられて、化け物の指先に摘ままれた線香花火の突端で輝いている火花を見つめる。花火は僕たちの周囲を照らし、その先にある現実を照らしだすように輝いている。

 確かに僕も、受験を実感できていないのかもしれない。来年高校生になるという実感がないから、いつまで経っても志望校すら見付けられていないのかも。

 僕たちは同じ想いを共有しているのだと思うと、胸の内のどこかにある心の臓器が小刻みに震動をする。こんな些細な相同に運命を感じてしまっていれば、運命というものは極有り触れた現象に成り果ててしまうのだろうか? それでも、今まで虫のように草陰からのぞき見ることしか出来ていなかった僕が、ここまで化け物と接近してお互いの心情を共有できている現状を、僕は運命という枠組みに入れて大切にしまっておきたいと願った。

 そんなことをぼんやりと考えていると、花火に誘われて小さな虫が飛んで来る。その虫は花火の蜜を吸おうとしている。胸が焦れるほど熱い蜜で身体を満たして発光しようとしている。しかしその熱さになかなか近寄ることが出来ず、やがて火花よりも眩しい化け物の白い頬に引きつけられて、ふらふらとそちらへと飛んでいき着地した。僕の注視に気付いた化け物は不思議そうに眉を傾げ、視線をたどって頬に手をやった。

「うわ、気持ちわるい」

 そして、摘まんだ虫をこれ以上見たくもないというかのように捻り潰して殺してしまった。

 白い指先に潰されて死んだのは、たぶん、虫だけじゃない。薄っすらと滲んでいた形状のない淡いかたまりも一緒に潰れた。

「おーい」

 暗闇の奥から、呼びかける声が届いてくる。その声に吹き消されるようにして化け物の花火が燃え尽き、辺りが暗んだ。

「やっと見つけた」

 田所くんと高橋さんが息を切らせてやって来る。

「ったく、探したんだぞ」

「ずっと単独行動してたあんたが偉そうに言うなよ」

 夫婦漫才のように微笑ましい光景。少し羨ましい。

「心配かけてごめんね」

 涼しげにそう言った化け物はちっとも申し訳なさそうな態度ではなくて、口から出たお詫びの言葉も虫をあしらうような単調なものに聞こえてしまった。

「二人ともずっとここで花火してたの?」

 僕は答えられない。僕たちがしていたことは、本当に花火なのかどうか分からなかったから。それを裏付けるように化け物も返答しない。だから僕たちがしていたことは、花火とはもっと別のことなんだろう。

「食うもんも喰ったし、もう帰ろうぜー」

「あんたが決めることじゃないって」

 浴衣の袖で田所くんの額をはたいた高橋さんは「どうする?」と僕たちに訊ねてくる。

「僕も、もう十分かな」

「私も」

「そ。二人とも随分あっさりしてるわね。まいっか。じゃあ帰ろう」

 こうして中学校最後の夏祭りが終わる。

 夏祭りの終わりは夏休みの終わりだった。後に続いた蒸し暑さと夏期講習と小旅行の想い出は、結果の決まった消化試合。やる気はないのにやらなきゃいけない。そんなふうにして日々を過ごしていたら秋が来た。かと思ったら冬が来て、冬の到来は受験の始まりで、僕はたまたま目に付いた高校を受験して、何となく合格して、中学校を卒業して高校に入学した。

 それからも漫然と時の流れに身を任せて僕は生きていった。あの夏祭りの記憶も時流に希釈されて次第に薄まっていって、想い出という形になって頭の隅にしまわれていた。

 そして、高校生最後の夏休みが来る。

 教室の空気は三年前よりも引き締まっているような気がした。それはそうだ。高校受験と大学受験は、同じ受験でも後の進路である就職に深くかかわってくる。教室にいる誰もが真剣に受験と対峙していた。僕も同じだった。中学三年生の夏休み直前はどこかぼんやりとしていたが、今は大学受験を見据えて日夜勉強に明け暮れている。

 化け物が自殺したことを聞いたのは、そんな最中のことだった。

 電話口で告げられた悲報を聞く僕は、意外と冷静で、三年前の夏祭りの記憶を必然的によみがえらせた。

 人波に浚われて行き着いた路地裏の屋台。そこで当てた花火に商店街から離れた空き地で火を灯した。彼岸花のような花火の明かりに照らされて、受験を実感できないことを打ち明け合い、同じ想いを抱えていることに片時の間満足したが、共感はあっけなく潰された。

 流されることに慣れてしまった僕には、化け物が自らの命を絶った理由を想像することは容易ではない。壮絶な出来事に耐え切れなかったのか、身を断つほどの悲劇に見舞われたのか。けれど僕にも一つだけ分かることは、化け物は受験という学生生活の節目を実感できていないのではなくて、もっとべつの漠然とした何かを実感できていなかったということだ。

 その程度の想像しかできないが、もしもあの夏祭りのとき、化け物のなかに潜んでいる彼女を見出し、彼女が感じていた想いを理解することができていたのなら、あるいは……。

 こうやって夏が来るたび、僕は虚しい後悔に苛まれるのだろう。




 6月中に完成させるのが理想だったんですが、学校の方が忙しくて果たせず。これ以後もまだ忙しそうな感じなので、投稿の頻度は減るかと。でも月に一度は何か投稿していきたいと思っているので、よろしくお願いします。


 感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。

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