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美しき遺体  作者: 道化師
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第六章


 千裕の部屋は変わり果てていた。

 おそらく現場は驚くほど精密に保持されているのだろう。しかし、保持という変化があまりにも大き過ぎた。

 床や柱にはテープが張られ、日付と思われる数字が書き込まれていた。

 横から見ると一辺を失くした三角形の形をしているプレートのような物が廊下に散らばっており、それには大きく1や2と書かれている。

 色々な傷やしみが丸で囲まれていた。丸は白い粉状のものだったのでチョークだと思われる。

 現場の保持というのは、現場をありのままにすることではない。事件の痕跡を残すことを意味する。

 そのため、千裕の部屋には、昔、私が訪れた頃の面影がなく、生活的な色を失っていた。

 私が最後に見た光景と重なるのは、狭い玄関に吊り下げられている細い延長コード。


「現場の物には極力触るな。もしも触る必要があるなら、俺に言え」


 島宿警部はまるで、千裕の部屋が自分の城であるかのように言った。

 私はすぐに気付いた疑問を素直に口に出した。


「あの、島宿警部。玄関を片付けましたか?」

「当たり前だ。現場に残された物を踏み荒らすわけにはいかないだろう」


 小馬鹿にしたような言い方だった。

 いや、大馬鹿にしているに違いない。

 私の隣で家達君が手を上げた。


「島宿さん。当時の玄関の様子を写真で撮りましたよね? 見せてもらえますか?」

「いいだろう」


 島宿警部はそう言うと、部屋の外にいる鑑識の人に声をかけた。

 鑑識の人はバックの中をゴソゴソと探してファイルを取り出し、ページをパラパラとめくると、そのまま島宿警部に手渡した。


「これが、事件発生当時の玄関の写真だ」


 当然のことだが、その写真は、私が記憶している映像よりも鮮明で明確なものだった。

 バラバラに散らばる運動靴とスニーカー。中には仕事用と思われる革靴もある。デートの時に履いていたハイヒールも(みじ)めに倒れていた。

 それらの中で群を抜いて目立つのは、季節感がズレている厚底ブーツだった。

 他の靴よりも大きいというのはもちろん、一番上にあり、全体が写っている。同時にほとんどの靴を隠している。

大きさでは厚底ブーツにも引けを取らないゴム長靴も、厚底ブーツを下から支える役割に徹している。


「警部、これは犯人と千裕が争った時に、こうなったんでしょうか?」

「それは、ない」


 私の疑問を島宿警部はキッパリと否定した。


「もしも争いの最中(さなか)にこうなったというのであれば、犯人と被害者は玄関で争ったと考えていいだろう。だが、この玄関付近にはそれらしい痕跡がない」

「右京さん。この場合の痕跡は、壁や床の凹みや窪み、引っ掻き傷や擦れた服の繊維、引っ張って抜けてしまった髪の毛とかですよ」

「それに、このアパートの壁は薄い。言い争いや壁を叩く音があったら、隣で麻雀をしていた四人の男達が気づいただろう」

「お酒に酔っていたら、気づかないかも知れないと思いませんか?」

「右京さん、それはないと思います。玄関にこれだけの靴がばら()かれたということは、それ相当に激しい争いだったということだと思われます」

「四人もいて、誰もそれに気付かなかったというのは考えにくい」


 頭がいい二人に挟まれて、私は相対性的に頭が悪い人になっていた。

 なんとなく、これ以上の質問は恥ずかしかったが、家達君との約束を思い出し、質問を続けた。


「ドアの鍵に無理矢理こじ開けたような傷とかありませんでしたか?」

「なかったな」


 となると、私の「鍵が開いていたかも知れない」という証言の信憑性は、薄くなりつつある。


「遺体のつま先は床からどれぐらいの高さにありました?」

「十センチ弱ぐらいだ。普通の首つり自殺に比べて低いが、つま先が床に届かないから、首つり自殺は可能だ」

「長く垂らし過ぎたんでしょうね」

「ドラマのように無駄のない首つり自殺体なんて、めったにお目にかかれるものじゃないからな」

「あと、島宿さん。窓のほうを見せてもらってもいいですか?」

「いいだろう。着いて来い」


 我々は千裕の部屋の奥に入り、ベランダの手前まで移動した、

 ベランダにも、玄関と同じようにプレートやテープが張られていた。

 ベランダだけじゃない。台所もリビングもだった。

 

「今は閉じているが、当時は半分ほど開いていたらしい」

「でも、ここから下に飛び降りるのは怖いですね。上も、無理ですね」

「下はコンクリートだ。確実に足を痛めるだろうな」

「家達くん、横は行けそうかい?」

「行けそうですね。でも、隣の隣は少し距離があるから、無理かな?」


 家達君と交代するようにして、私もベランダに出てみた。

 このアパートのぺランダは隣の部屋のベランダと板を一枚挟んだだけであり、その板に手を置き、手摺(てすり)の上に乗って行けば、隣へ移動できる。

 だが、家達君が言う通り、隣の隣の部屋へのベランダまでは二メートル弱の距離があり、手摺などの関係上、助走もできないので不可能に思えた。

 和村先輩の情報通りだ。


「逃走経路が窓だというのは、少し無理みたいですね」

「あらかじめロープを用意していた、としたらどうでしょうか」

「そんな回りくどい殺人をする奴が、この世にいるわけがないだろう」


 私のアイディアは一蹴された。

 もちろん、島宿警部の言う通りだから、私は反論しなかった。

 学歴がある上司がいい上司であるとは言わない。その典型的な例が島宿警部だろう。私はそれを口に出さなかった。


「逃走経路は後々考えるとして、千裕さんが死ぬ直前に会っていた人の特定はできましたか?」

「ビールの話か?」

「はい。リビングに飲みかけのビールが入ったコップが二つあったと聞きましたけど」

「捜査中だ。コップからDNAが検出されなかったからな」

「それは、逆に不思議ですね」


 私が口を挿むと、ギロリと睨まれた。


「不思議なことはない。ただ、ビールをコップに注いだが、飲まなかっただけだろう」

「でも、二つとも、飲みかけだったんですよね?」

「おおかた、台所の流し台に捨てたんだろう。流し台からアルコールが検出されている」

「でも、もっと不思議ですね。半分しか捨てなかったなんて」


 私が率直に意見すると、島宿警部は鋭い目で私を睨んだまま続けた。


「一度、全て流したあと、空になったコップを見て、飲み終わったと勘違いした鮎川千裕が、空になったコップに()いだのだろう。だが、缶ビールの中にはコップの半分しか残っていなかった。だから、一見飲みかけのコップができた」


 愚弄するな。島宿警部は目で私にそう言った。

 島宿警部の後ろで、相変わらずだな。とでも言いたげな顔をした家達君が笑っていた。

 私は、それでも食い下がるように続ける。負けん気があった、島宿警部の鼻を明かしたかった。そんな思いがなかったとは言わない。


「千裕は下戸で、いつもならアルコールなんて一滴も飲まないんですよ? それが自分からたくさん飲んだなんて信じられません」

「犯人に言いように言いくるめられたのだろう? まぁ、犯人が飲んだとも限らないわけだ。これ以上の"お前"との議論は無駄だな」


 島宿警部は吐き捨てるようにそう言った。

 そして、家達君に向き直り、私なんか眼中にないとでも言うように、言った。


「さて、特徴的な所はこれぐらいだろう。家達、何かわかったことはあるか?」

「ないです」


 これ以上ないほどキッパリと家達君は言い切った。

 彼の爽やかな笑顔が潔さを倍増させていた。

 対称的に島宿警部の顔は厳しくなった。


「下手な嘘をつくな。これ以上、俺を愚弄しないほうがいいぞ?」

「あはは、本当に今回の事件は難しいです。ただ、唯一言えることがあるとすれば、鮎川さんを殺した犯人は右京さんではないってことですね」

「なんだと?」


 島宿警部の顔に一瞬、焦りが見えた。

 だが、瞬時にそれは消え去り、さっきまでのエリート然とした余裕の笑みが戻る。

 同時に、私の顔から余裕が消えた。

 「スピードキング」の異名を持つ島宿警部にまで疑われていたのか。


「右京さんに聞きましたけど、僕の後に、右京さんに電話したみたいじゃないですか?」

「確かにそうだが、それはお前と同じ理由からだ」

「僕は彼に捜査の協力をしてもらうためですよ? 身内に見てもらうっていうのは警察の視点から見るというものと少しアングルが違いますから、ね」

「同意見だ。まぁ、今回はあまり役に立ってもらえなかったがな」


 私はムッとして言い返そうとしたが、家達君が続けた。


「島宿さんは本当に捜査協力のために、右京さんを呼んだんですか? 僕は違った印象を受けましたけど」

「ハッキリと言ったらどうだ?」

「島宿さんは、故意的に右京さんを挑発して、犯人しか知らない情報を喋らせようとしていたんじゃないですか?」


 時が止まったような錯覚に陥った。

 確かに、島宿警部の私への態度は、警察官としての配慮がなかったように思えた。

 喧嘩を売るように馬鹿にしたり、神経を逆撫でるように上から目線で威圧したり、思い返せばキリがない。

 その全ての行動が、ムキになった私に、犯人しか知らない事実を言わせるためのものだったというのか。

 噛み砕いて言うならば、私を自爆させるために、ここへ呼んだということだろうか。


「根拠がないな」

「そうですね。根拠はないですね。でも、真実はありますよね? 島宿さんが好きな真実は、どうなんですか?」

「…くだらんな」


 私には、負け惜しみのように聞こえた。

 高校生の家達君が島宿警部を言い負かした。私にはそれが異常な光景に、またそれが正常な光景のようにも見えた。

 家達巧。彼はやはり、探偵なのだ。


「お前が右京を犯人じゃないと断定する理由はなんだ?」

「変だからです。犯人が右京さんだと断定して推理してみましたが、どうもおかしい。」

「何が変だというのだ? 犯人が右京大輔ならば、鮎川千裕を油断させ殺すことも、靴を玄関にばら撒き堂々と逃げることもできたはずだ。なぜなら…」

「右京さんの証言が嘘だと言うなら、今回の事件の犯人が右京さんだと言う推理は、確かに可能ですね。でも、もしも犯人が右京さんならば、千裕さんを自殺に見せかけて殺す。ということはしないでしょうね」

「意味がわからんな」

「鮎川さんは、とても明るく活発な女性だったと聞いています。もちろん、右京さんではない方からも」

「ふん。自殺するには不自然な人物だと知っているから、自殺に見せかけるのはおかしい。とでも言うのか?」

(おっしゃ)る通りです。事故に見せかけるほうが、合理的だと思いませんか?」

「……」

「例えば、デートの帰りに、酔っ払った鮎川さんは、転んでしまい運悪く川に落ちてしまった。とかね」

「下戸だった鮎川千裕を酔わせ、車の中にでも入れておき、夜の誰もいないタイミングを見計らって、川に落とす」

「そういうことです。皮肉な話ですが、先ほど島宿さんが自分で言ってましたよ? 「そんな回りくどい殺人をする奴が、この世にいるわけがないだろう」って」


 家達巧は、そう言うと、僕、学校があるので、失礼します。と頭を下げてから、千裕の部屋から立ち去った。

 逃げたと言ってもいいのかも知れない。(まさ)しく、逃げるが勝ち。

私と、私に背を向けて拳を震わせる島宿警部が残された。

 残された私は、居心地の悪さを感じ、家達君に(なら)って丁寧にお礼を言って立ち去ろうとしたが、島宿警部に呼びとめられた。


「右京大輔」

「なんですか? 島宿警部」


 島宿警部は私に背を向けたまま吐き捨てるように言った。


「お前が今回の犯行を行うとした場合、不自然であるということは認めよう。だが、お前に今回の殺人が不可能であったことが証明されたわけではない。せいぜい、言動に気をつけろ」


 親切心で言ってくれたわけではないのだろう。

 それぐらい、探偵でなくても、わかった。

 私は、返事をせずに、そのまま出勤した。


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