第十三章
「不謹慎な話ですが、写真で鮎川さんの遺体を見た時、とても美しいと思ってしまいました」
公園から歩いて帰る途中で、家達君はそう言った。
「死ぬ時、彼女は苦しんでいた。でも、後悔はしていなかった。嫌々死んだわけではなく、むしろ、自分が望む死に方をした。献身と満足。この二つを同時に満たし、自分の命を最大限に役立てようとした。僕はそんな死に様に思わず、美しいと思ってしまった」
家達君はすらすらと、まるで詩を歌うように語った。
そしてすぐにハッとして、私に全力で謝った。
「ごめんなさい! 不謹慎にも程があります。本当にごめんなさい!」
白昼堂々、全力で頭を下げる家達君。
なにかトラウマがあるんじゃないかと心配になるほどの、全力のごめんなさい。
第三者から見ると私が悪者のように見える。
徹頭徹尾、家達君の自爆だと言うのに。
「気にしてないよ。人を傷つけようと行動する人間なんていない。家達君もちょっと誤っただけだろう?」
「いえ、全力で謝ってます」
日本語ってややこしい。
結局、カッコつけた言い方を止めて、素直に自分の気持ちを伝えた。
素直に伝える。これが重要なことなんだろう。
私も自分の気持ちを千裕に素直に伝えていれば、千裕は自殺を思い留まっていたのかも知れない。
千裕が私に素直な気持ちを伝えていれば、こんな悲惨な事件は起きなかったに違いない。
「家達君は将来の夢とかあるの?」
話題を変えるように、私は言った。
「そうですね。警察に入らないかってスカウトされているんですけど、今はまだ迷ってます。とりあえず大学に進学したいですね」
警察にスカウトしてるのは、十中八九、和村先輩だろうな。
それにしても、とりあえず大学に進学とは、探偵は頭のデキが違う。
私は大学に進学するために必死に勉強して、勉強しすぎてノイローゼになったというのに。
「右京さんはどうするんですか?」
「千裕の家族のことも心配だから、地方のほうに行きたいな」
「右京さんは優しいんですね」
「どうだろうね。優しい人間は公園で怒鳴ったりしないよ」
家達君は笑った。
私も彼の笑顔に吊られて、笑う。
笑いながら、思い出していた。
千裕といる時も、そうだったよな。
私の中で千裕との思い出が繰り返し、繰り返し、脳裏に再生される。
一緒に海に行った。一緒に一夜漬けでテスト勉強した。一緒に卒業した。一緒に星空を見た。
どんな時も千裕は笑っていた。
もしも、私が千裕のそばにいてやれたら、今回の事件は防げたかも知れない。
私のプロポーズがあと一日早ければ…。
そう思う。思うことを禁じ得ない。
でも、私は、割り切るしかない。
「過去は戻ってこない」
「そうですね。でも、"もしも"を考えることは無意味なことじゃないですよ。未来はたくさんの"もしも"で、できているんですから」
「そうだね。私は今、心の中にある"もしも"を未来に、千裕の家族に役立てたい」
「右京さんは、鮎川さんとの約束を破る気なんですね」
「そうだね。千裕を忘れて生きて行くとこなんて、できそうにもないからね。頑張って約束は守るべきかな?」
「別にいいんじゃないですか。そもそも、自分のことは忘れて欲しいけど、お母さんとお姉さんのことは気に掛けてって、矛盾だと思います」
「そういうところ、千裕っぽいな。シリアスな文面にも、千裕らしさがあるんだな」
「そうですね」
私は微笑んだ。
私はさっき、井上さんと話し合っていたことを思い出した。
探偵が事件を解決しても、現実ではハッピーエンドではない。
今回もハッピーエンドではない。私も、千裕も、千裕の家族も友人も、胸がチクチクと痛いのだから。
でも、家達君が事件の謎を紐解いてくれたおかげで、私の中のわだかまりが一つ消えた。だからこそ、私は微笑んだのだ。
心が健やかであるのは、家達君が全てを見通しているような絶好のタイミングで、謎を解いたからかも知れない。
今思うと、もしかしたら、家達君は本当に全てを見通していたのかも知れない。
話題が過ぎ去り、沈黙がゆっくりと流れる。
居心地の悪い沈黙ではなく、穏やかな日向ぼっこのような優しい沈黙。
最後のわだかまりを解消する機会を窺っていた私は、静かに自分を鼓舞する。
家達君は敏感に私の変化に気付いたようで、私の言葉を待っていた。
緊張が表に出ないように気を付けながら、私は喋り出した
「あのさ、家達君」
「なんでしょうか」
「君は最初から、事件の真相に気づいてたんじゃないかな」
私と初めて会った時から、家達君は自分の推理というものを積極的に表に出さなかった。
それは、事件の真相を誤魔化そうとしていたからだ。
そして、全ての真実を知っていた上で、私と島宿警部と一緒に千裕の遺体を見た。事件の真相を把握していたからこそ、その時、千裕を美しいと思ったのだろう。
「…はい。でも、確信を持てたのは、右京さんと島宿さんと現場検証をしてた時です。黙っててごめんなさい」
「全然、謝ることじゃないよ」
「鮎川さんの思いを考えたら、真相を明かすことはできませんでした。探偵失格かも知れませんが、僕は今回の事件を他殺という嘘で終わらせたい」
「警察にはさっきの推理を話さないんだね」
「話しません。積極的に事件をややこしくしたりはしませんが、真相を語ったり、アドバイスしたりは絶対にしません」
それを聞いて安心した。
私の中で覚悟はできていた。
土下座をしてでも、千裕のトリックを明るみにしないでくれと家達君に頼む覚悟が。
これで最後のわだかまりが、消えた。
「ずっと考えてたのは、どうすれば、今回の事件を自殺じゃなく、他殺として筋を通せるか、だったんだね」
「はい。和村さんには悪いんですけど、嘘をつかせてもらいました。今考えたら、あの推理って穴だらけだったんですけどね」
「島宿警部が気づかなければいいけれど」
「それは、祈るしかないですね。あ、孤児院はあっちなんで、僕はこれで、失礼します」
十字路の左側を指さして、家達君はそう言った。
私の帰る道はまっすぐだ。家達君とは別方向になる。
「寂しくなるよ。地方に行ったら、もう君とも会うことはないだろうからね」
「僕も寂しいです」
家達君は陰りのある瞳でそう言った。
彼の顔は彼の心をダイレクトに表してしまう。
そんな彼が付いた嘘は、人がいい和村さんにしか通用しないのだろうな。私は思った。
「最後に、一つだけ、聞いてもいいかな」
私は名残惜しむように、最後の問いを口にした。
「なんでしょうか」
家達君はニコニコ笑顔で聞く。
「君は君の眼を奪った犯人を恨んでいるのかい?」
家達君の左の瞳が大きくなった。そして、無意識に右目を覆っている包帯を触る。
大きくなった瞳は動揺していた。
沈黙して、それから、最適な言葉を探しながら、家達運はポツポツと答えた。
「恨んでいません。あれは、僕が浅はかな考えで、僕が事件に首を突っ込んだからです。この傷は、若気の至り…です」
「そうか。さすが家達君だね」
なら、私もこの心の傷を若気の至りとすることにした。
悪いのは千裕だけではない。
千裕の精神状態に気付けなかった私も、悪いのだ。
私よりも年下の家達君は、自分の傷とそういうふうに向き合っている。
私も自分の傷と向き合おう。
「ありがとう。変なことを聞いてごめんね」
「僕もお礼を言わせてください。鮎川さんを恨まないでくれてありがとうございます」
まるで、千裕を姉のように言った。
この小さな探偵は、被害者も加害者も第三者も、大切に思っているんだな。
「また、会いましょうね」
「縁があったらね」
家達君は手を振りながら、自分の家に帰って行った。
その後ろ姿はとても小さく、頼りがいがない。
道行く人に、彼は探偵なんですよって、教えてみようか。一体何人が認めてくれるだろうか。
私は、布団の中で思い出していた。
千裕の遺体は安らかな顔をしていた。
苦しみから解放される顔ではなく、この苦しみの分、誰かの苦しみがなくなるんじゃないかという思いが作る安らぎ。
果たして、千裕が死に際に思っていたことはなんなんだろう。
そんなことを考えながら、私の意識は睡魔に誘われた。
全ての真相を噛み締めて、もう一度、千裕の最後の姿を思い浮かべる。
なるほど。確かに、美しい最期だったかも知れない。




