第十二章
ボールを一生懸命に追いかける子供達を見ながら、私と家達君はどうやって自殺をしたかという物騒な話をしていた。
そのギャップが私の感覚を鈍らせているのかも知れない。私は不思議な気持ちで家達君の推理に耳を澄ませていた。
現実と妄想の狭間でゆらゆらと揺られているような感覚。
リアリティがあるのに、実感がない。そんな妙な気持ちを私は覚えていた。
家達君は私とは違い、現実の世界にしっかりと立っていた。
とても辛そうに、手を伸ばして触れば簡単に崩れてしまいそうなぐらい儚げに、家達君は私を直視している。
彼の真摯な言葉が、態度が、私を少しずつ現実に引き戻す。
私はゆらゆらと、引かれるままに、現実側に引き寄せられる。
最後の一センチの所で、抵抗が生まれた。
真実を知りたくない。
臆病な私が一瞬だけ、私を妄想の世界に引っ張る。
千裕の手紙が私の背中を押す。
私は、家達君と同じ世界に帰って来た。
「覚悟はいいですね?」
まるで、私の中にあった不思議な感覚を見通しているかのように、家達君は確認を取った。
「何回も聞かないでくれないかな。覚悟が鈍る」
「僕としては、右京さんに真実を知って欲しくないです」
「無理だよ。千裕の手紙がある限り、優しい嘘に甘えれない」
「…。わかりました。お話しましょう」
家達君は缶コーヒーをゆっくりと飲み、喉を潤すと語り始めた。
「右京さんは密室を作ろうと思った時に、一体どうします?」
「今まで考えたこともない話だけど、多分、ドアや窓に鍵を閉めて鍵をかけるかな」
「普通はそうしますよね。でも、鮎川さんの部屋は違った。ドアも窓も鍵がかかっていなかった」
密室だと考えていた千裕の事件だったが、おさらいしてみると、密室とは程遠い事件だったんだな。
「不思議ですよね。密室を演出するために鍵を使わずに、玄関を散らかすという方法を取るなんて」
「確かに、手間もかかるし、分かりづらい」
「なぜ、密室を演出するために、そんな遠回りなことをしたのか、その答えは、玄関を散らかしたのは密室を演出するためじゃなかったからです」
「密室を演出するためじゃなかった? どういう意味だい?」
「もともと、密室を演出しようとは思っていなかったんじゃないでしょうか。むしろ、開放的な空間にしようとしていたようにも感じます」
「ちょっと待って。それじゃあ、何のために玄関を散らかしたって言うんだい?」
「それは、誤魔化すためですよ」
「誤魔化す?」
「はい。自殺の方法を誤魔化すためです」
「散らかった玄関が、千裕の自殺の方法を誤魔化していたというのかい? 確かに千裕が首を吊っていたのは、玄関だったけど…」
「散らかった玄関が誤魔化していたもの、それは、首つり自殺の時に用いた足場です」
私は質問を止めて、思考した。
玄関にあったもの、それは大量の靴。
靴の下に何か台になるようなものがあったわけではない。
「そうか。靴が入っていた場所に、踏み台が隠されていたんだね」
「首を吊った状態で、そんな器用なことはできませんよ。鮎川さんがしたことは、それを蹴って倒しただけです」
「蹴って倒した?」
「はい。靴の一番上に、倒れてたでしょう? 厚底のブーツが」
島宿警部に見せてもらった写真が浮かぶ。
スニーカーや長靴の上に倒れていた厚底ブーツ。
木の葉を隠すなら森の中とは、よく言ったものだ。確かに、季節外れの厚底ブーツだけが玄関に存在していたら、警察は怪しいと思っただろう。
それにしても、和村先輩の推理を論破した厚底ブーツが、家達君の推理では鍵になるなんて、私は驚きを隠せなかった。
「でも、厚底ブーツを履いた状態で首を吊って、その後、それを脱いだって言うのかい? それは無茶だよ」
「季節外れの厚底ブーツ。中には詰め物がしても不思議じゃないですよね?」
「靴を保管する時には、詰め物をするのは普通だけど」
「厚底ブーツの厚底プラス、中にある詰め物プラス背伸び、首を吊るのに必要な高さは確保できませんか?」
「使い終わった厚底ブーツは、蹴るなり、足で挟んで遠くにやるなりして玄関に転がす。だから、厚底ブーツは他の靴の上にあった」
「そうだと思います」
「でも、厚底ブーツってそんなに簡単に脱げるものなのかな? しかも、首を吊った状態で、だよ?」
「履く必要なんてありませんよ。厚底ブーツの上の足を隠す所を折って、そこに乗ればいいんですから。靴の中にはあらかじめ多めに詰め物がしてあったと思います。つま先を置くスペースはあると思いますよ」
「バランスがとれるものなのかい? そんな足場で」
「手を上に伸ばせば、延長コードがあるじゃないですか。それを引っ張りながら、厚底ブーツの上でつま先立ち。何回か失敗したかも知れませんが、絶対に無理だとは思いません」
何回か失敗しながら、それでも自殺を止めようとしなかった。
背筋が寒くなった。
この世にうんざりしたから死ぬ。人生が辛すぎるから死ぬ。そういう自分本位の理由なら、諦めずに死のうとする意欲を肯定できる。でも、千裕の場合は違う。
姉のため、母さんのために死んで、生命保険でお金を生み出そう。恋人のために死んで、恋人を楽にしてやろう。
まともじゃない。私は行き過ぎた自己犠牲精神に寒気を感じた。
私が千裕の立場だったらどうしただろうか。
お金さえあれば、姉が生きられるかも知れないという希望と絶望。母親が仕事のしすぎで倒れるかも知れないという不安。同じ境遇にある恋人に迷惑をかけているというやるせなさ。
しかし、私は、自殺なんてしなかっただろう。
お金は貸してもらえる。最悪、借金と言う形もある。
なのに、なぜ、自殺なんて。
「教えてくれ、家達君。千裕がお金を得るために自殺を選んだわけを」
「自殺をすれば、お金ともう一つ、大事なものが手に入るからです」
「それは、一体なんなんだ」
「臓器です」
「臓器?」
「移植と言っても必ず成功するわけではありません。移植した臓器が体に合わないということもあります。適応させる確率を上げるために、千裕さんがその身を犠牲にしたんでしょうね。もしかしたら、そもそも移植できる臓器がなかったのかも知れません」
「運よく死んだあとすぐに見つかるなんて限らないだろ? 臓器が腐ってしまったら元の子もないじゃないか」
「ほとんど毎日会いに来てくれていた恋人を信じていたんじゃないでしょうか? そうでなくても、なるべく早く見つけてもらおうと、ドアの鍵を開けたままにしていた。窓が開いていたのも、そうなのかも知れませんね。
薬や毒物を飲むタイプや煙を吸うタイプの自殺、体から血を流して死ぬ自殺を選ばなかったのも、臓器を心配していたという事情があったからでしょう」
「そんな……」
「実際に、彼女の臓器が姉に移植されることになったのか、そうじゃないのかは、わかりませんが、鮎川さんの中で首つり自殺が最善の方法だったのでしょう」
自分が死ねば、姉と母と恋人を幸せにしてやれる。
何かの拍子に浮かんだアイディアは、時間が経過し、切羽詰まった時に、悪魔の甘言と化した。家達君はそう言った。
精神的に追いつめられた状態で、自分以外の全員が幸せになる方法を提示されたのだとしたら、私はそれを受け入れてしまうのかも知れない。
千裕の中で自殺というアイディアが膨張し、そのアイディアにばかり目がいってしまい、他のアイディアを考えることを止めてしまったのかも知れない。
もう、千裕の辛さ、苦しさ、悩みを知ることはできない。探偵でも推し測ることしかできない。
でも、しかし、だからとは言え、千裕は間違っている。
「千裕が死んだのは、無責任だ」
「そうです。残された人の心のことを考えていない行動です」
自分の臓器を提供するために妹が死んだと知ったら、千裕の姉はどう思うのだろうか。
自分の体調を気にして娘が死んだと知ったら、千裕の母親はどう思うのだろうか。
自分を楽にしてやるために、これ以上無理をさせないために死んだと知ったら、恋人はとてもとても寂しく思った。
ふざけるなよ!
思いっきり叫びたかった。理性がなければ叫んでいた。
誰が喜ぶと言うのだ。千裕の犠牲の上に成り立つことに、誰が喜ぶと言うのだ!
美樹さんは? 勉は? 彼らのことは蔑なのか?
アパートの住民には? 自殺した人がいる部屋なんて誰も入居したがらないだろう。
何人の刑事の時間を浪費させたと思っているんだ。どれだけの税金を浪費したと思っているんだ。
家達君が泣いているのは、お前のせいだ! 千裕!
「何が最善の方法だ!」
私は叫んでいた。
理性なんて元々なかったかのように。
向かいのベンチに座っているおじいさんが、ボールを蹴って遊んでる子供達が私を見て、怖がっている。でも、そんなこと構うものか!
誰かが、私の肩に手を置いた。家達君だった。
「止めて上げてください。鮎川さんは誤っただけなんです。鮎川さんは皆が傷つくことを承知の上で、それでも最善だと考えて実行したんです。だから、この手紙を残した」
家達君は千裕からの手紙を広げて私に見せた。
直接私に言ってしまったら、自殺を止められるから。それ以前に、自殺だと処理されてしまい生命保険が出なくなってしまうから。
だから、手紙という伝達手段で、美樹を通してという回りくどい方法で、私に渡したのだ。
警察の家宅捜索を考えて、無関係な美樹さんに手紙を託したのだ。
「もう一度、この手紙を読んでください。真実を知った今なら、彼女の気持ちが、伝わるはずです」
私は、家達君が広げている手紙に書かれていることを読んだ。
ごめんね
勝手に死んで、ごめんね。
苦しませて、ごめんね。
気を使わせて、ごめんね。
ちゃんと説明しないで、ごめんね。
事件に巻き込ませてしまって、ごめんね。
姉さんのことを任せて、ごめんね。
母さんのことを任せて、ごめんね。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
「…千裕?」
手紙から、千裕の声が聞こえた。
今にも泣きだしそうな、既に泣いているような。
明るくて元気で活発な千裕の声ではなくて、前向きで直向きでいつも笑っている千裕の声ではなくて、なにかに押し潰されそうな悲痛な叫び。
一番辛いのは千裕だったんだ。
一番苦しかったのは千裕だったんだ。
私の苦しみも痛みも、千裕に比べればこれっぽっちも……。
「…家達君、ありがとう。巻き込んで、辛い思いをさせてごめん」
「僕のことは構わないでください。でも、鮎川さんのことを…」
「大丈夫だよ。あいつの気持ちは痛いぐらいにわかった。千裕を殺した犯人を恨んでない」
私は心配そうにしている家達君を慰めるように、そして、千裕に私に千裕の気持ちが伝わったことを伝えるように、静かに私は答えた。
千裕を殺した犯人は千裕だった。
家達君が必死に庇っていた人物は千裕だったのだ。
私は遅ればせながら、なぜ家達君が犯人を恨むなと言っていたのか、よくわかった。




