第十章
鮎川千裕の事件がニュースで流れなくなったのは、家達君が事件の真相を語ってから一週間後のことだった。
正確には五日ぐらいでニュースのネタにならなくなったのだが、完全にニュースに流れないと確信するまでには、余計な時間がかかった。
「推理小説の世界から切り抜かれたような事件」。ニュースではエンターテイメントたっぷりにそう報道された。
これこそ不謹慎で、親族のことを考えていない発言だ。
心理学者や元刑事が集まって笑いながら討論しているところを見ると、腹が立つ。
少なくても、和村先輩も家達君も、雑談に花を咲かせたり、無駄に演出された推理を口にしたりはしてなかった。
そんな憤りを抱えたまま、私は家達君が言った、探偵の勘とやらを信じて、美樹さんの家に向かっていた。
私と美樹がお互いに時間が合ったのは、千裕が亡くなってからしばらくしてからだった。
ニュースには報道されていないが、千裕の葬式が忙しくて、仕事が忙しくて、お互いに中々時間が作れなかったのだ。
葬式の場で何度か会ったが、この話をすることはできなかった。
話をするなら、なるべく一対一で話したかったからだ。
美樹さんは両親と暮らしていて、住まいは私と違って一軒家。
私が訪れた日、美樹さんは玄関前の掃除をしていた。
「大輔君、元気にしてた?」
「おかげ様で。カレーおいしかったよ」
美樹さんが私を励まそうと作ってくれたカレーは、ちゃんと冷蔵庫で保存されていた。
それに気づいたのは、千裕の事件が解決した後のことだった。私はそれをちゃんといただいた。
「それにしても、どうしたの? 急に? 千裕さんのこと?」
「うん。そうなるのかな? ちょっと、話があって」
「中で聞くわ。立ち話がいいって言うなら別だけど」
「上がらせてもらうよ」
二階の美樹さんの部屋に案内された。考えると、初めて美樹さんの部屋に入ったのかも知れない。
四年間の付き合いというのも、男友達か女友達かで結構違うものなんだなと、ピントがズレた感心をした。
「粗茶ですが」
「いえいえ、ありがたくもらいます」
お互いにふざけるようにして、お茶を飲んだ。
美樹さんは優しい。
私が用件を言い出せないでいると言うのに気が付き、場を和ませるような配慮をしてくれた。
大学のミスコンで優勝した美貌の持ち主でありながら、面倒見がよい性格で誰からでも好かれる。そんな美樹さんと知り合えたことを私は何度も奇跡だと思っている。
彼女の微笑みに背中を押されるようにして、私は思い切って用件を切り出した。
「あのさ、美樹さんはあの事件のことで、なんか知ってるんじゃないかな?」
「何かって?」
「別に疑ってるわけじゃないんだけど、例えば警察や私に隠してる事があるとか」
「…バレてた?」
「いや、知り合いの探偵に、事件が穏やかになったら美樹さんの所に行ってみたほうがいいって言われて」
「探偵の知り合いがいるの?」
美樹さんは素直に驚いたようだった。
そりゃそうだ。
「探偵って言ってもまだ、高校生ぐらいでね」
「高校生探偵!? 漫画みたいで素敵!」
「イメージは漫画とかと結構違ったよ。傷つき易いって言うか、悪い言い方で言うと、探偵向きじゃないって言うか」
「現実だもんね。そんなもんなのかな。フィクションの探偵って、クールでかっこいいけど、その反面、なんか人間っぽくなかったりするよね」
「娯楽だからかな。犯人が逮捕されれば、どんな事件でもハッピーエンドになる」
「本当の事件って、どう頑張ってもハッピーエンドにはなれないよね」
美樹さんの言う通りだ。
それ故、私は今でも心に、獣に食われるような痛みを感じる。
それ故、家達巧という名の探偵は、涙を流すのだ。
「それで、私が知ってることを、君に教えるんだったっけ?」
「差し支えがなければ」
「口調が丁寧になってるよ。ちょっと怖い」
家達君の影響だろうか。
「えっとね、あの事件の前日に、千裕さんが私の所に来て、こう言ったんだ。「落ち着いたら、大輔君に渡して」ってね。今になってみて、この事件のことだったのかって思ってる」
「これっていうのは?」
「封筒。ちょっと待っててね」
美樹さんはすくっと立ち上がると、本棚のほうに向かう。
お気に入りなのだという少女漫画の何巻かと何巻かの間から、封筒を取り出した。
それを私に渡す。
「私はそれの中身を読んでないからね。ほら、封もしてある」
確かに封はちゃんと閉ざされていた。
「ありがとう。ここで読んでもいいかな?」
「いいよ。何なら、私は出て行こうか?」
「…なんか悪いね」
「いいのいいの。でも、勝手に私の下着を見たりしないでね」
「なッ! するわけないだろう!」
「ムキになるなよぅ」
美樹さんは私をしっかりとからかってから、部屋から出て行った。
他人の部屋で―――しかも女性の部屋で――― 一人っきりになるって、居心地が悪いもんだな。
それはさておき、私は封筒の封を開けた。
当然ながら、中からは手紙が出てきた。
親愛なる大輔君へ
二つだけお願いさせてください。
私のことは忘れてください。
私の姉と母には気を使ってあげてください。
迷惑だと思います。
でも、お願いします
鮎川千裕
簡単な手紙だった。
内容もそっけなく、言葉も固い。私の知る千裕が書くような手紙ではない。
しかし、字は千裕のものだった。それには自信がある。
どうして、こんな手紙を美樹に渡していたのだろうか。
「まさか、別れるつもりだったのか?」
いや、それなら、二つ目のお願いが不自然だ。
どちらかと言うと、これは、遺書?
私は読み飛ばしがないか、違う解釈がないが、血眼になって文章を読み続けた。
何回読んでも結果は変わらなかった。
私はそれでもあきらめずに、まだ他の手紙が入ってないか封筒を細かく調べた。
一生懸命探して、探して、探して、諦めた頃に私は、手紙の裏に書いてある一言を見つけた。
ごめんね
千裕の涙に濡れた「ごめんね」が、私から一切のやる気を奪った。
私は美樹さんの許可をもらって、この手紙を持って帰ることにした。
極端に元気をなくした私に、美樹さんは気を使って、車で送ろうかと申し出てくれたが、私はそれを丁重に断った。
ゆっくりと歩いて帰りたい気分だった。
歩きながら、私はよく回らない頭で考えていた。
千裕を殺したのは千裕の女友達で、事件を難解にしたのは空き巣じゃないのか?
なぜ、千裕の手紙がこんな内容なのか?
そもそも、どうして殺されたはずの千裕の手紙が存在してるんだ?
私はフラフラと何かに身を任せて歩いていた。
気が付くと、そこには、孤児院があった。
そして、そこで片目を包帯で隠した青年が私を待っていた。
「少し、お話しましょうか」
とても綺麗な、とても辛そうな声で、探偵は言った。
私は、頷いた。




