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 僕の背中には翼があった。

 抜けるような白さが自慢の翼だった。

 小さいけれどちゃんと空を飛べた。

 誰にも見えない僕だけの翼だった。

 物心つくころから一緒だった僕の宝物は、

 いつまでも背中にあり続けるものだと思っていた。


 その翼はもう、ない。


         ○


 今にも降りだしそうな雨雲のように重い身体を引きずる僕とは対照的に、今日の空は雲もなく、小さな星がいくつも瞬いて月のまわりをきらきらと飾っていた。

 僕は毎日の習慣で、近所の公園のジャングルジムの上に、ぼんやりと座っていた。

 いつもはこんなに月が高くなる前に家に戻っていたのだけど。最近は眠れない日が続いて、長い長い夜をもてあましているうちに夜明けをむかえるようになってしまっていた。

 翼がなくなる前は、こうしてただ座ってなんていなかった。毎晩毎晩、誰にも気づかれない夜の間に、思う存分空を飛んでいた。

 誰も持っていない、僕だけの翼で自由に空と飛びまわること。それは誰にも言えない秘密の遊びだった。僕の鼓動にあわせて力強くはばたく翼は、身体を流れる血潮が熱くなればなるほど、その白さを増して高く高く空をのぼっていった。

 その翼が、背中から消えてしまった。

 僕は立ち上がり、足場の悪いジャングルジムの上でしゃんと背を伸ばす。胸をそらせばそらすほど風を受けてはばたこうとしていたはずの翼は、今やわずかな付け根がしこりのように残っているだけだった。そのしこりが発するじりじりとした熱さはたえず背中でくすぶり続け、僕はその痛みでさらに増していく気持ちの重さをずっと背負い続けていた。

 両手を広げて、公園の中を吹き渡るかすかな風を全身で探す。指先がひとすじでもその流れを拾うことができれば、あっという間にこの身体は空高く舞い上がっていたはずなのに。白い羽根の先がほんのすこし風に触れただけで、この両の足は地面から離れることができたはずなのに。

 感じることのできない風に、僕はいらだちまぎれに空を掴んだ。公園を囲む木々はさわさわと囁いているのに、どんなに目をこらしてもその梢にいたずらをする風を見ることができない。僕の目に映るのは、ペンキがはがれて錆ばかりが目立つ使い古された遊具ばかりだった。

 風を掴むことができないなら、無理やりにでもその上に飛び乗ってしまえばいい。僕は詰襟のホックを外し、ひとつ深呼吸をしてからジャングルジムのパイプを蹴った。

 身体が宙に踊る。空気の抵抗で、広げた腕がぐんと月にひっぱられる。けれどそのわずかな浮遊感も一瞬のことで、僕は抵抗するすべもなく地面に叩きつけられた。

 どん、と、重い音がした。僕が落ちた音だった。風に乗ることはおろか、掴むこともできなかった。指で探すことですらできなくて、手は虚しくこぶしをつくるだけだった。

 翼を失った僕はもう、空を飛ぶことができないんだ。それを痛いほどに感じて、情けなさに涙が出そうになる。それをぐっとこらえて、僕は起き上がろうと砂のやわらかい地面に手をついた。

「……あんた、阿部(あべ)? 阿部(あべ)直樹(なおき)?」

 ふいに声がして、僕ははっと顔をあげた。

「なにやってんの? こんなところで」

 誰もいないはずの公園の、ぽつりとともった外灯の下。自転車から降りてこちらに駆け寄ってきたのは、同じ中学の制服を着た、よくよく見慣れた女子だった。

 なんで同級生が、こんな時間にこんなところにいるのだろう。あちらも同じ事を思っているようで、驚き半分戸惑い半分の顔で僕を見下ろしていた。

中村(なかむら)……?」

 中村だ。中村(なかむら)香澄(かすみ)だ。予想だにしていなかった事態に、僕は声をあげてしまいそうになるのをぐっとこらえる。喉に力を入れすぎて、くぐもったうめき声がかすかにもれた。

「阿部、あんたなにやってるの? 今、そこから落ちなかった?」

 落ちた拍子に顔をすりむいたようで、右の頬骨がひりひりと傷む。指で傷口についた砂をぬぐいながら、僕は彼女に気づかれないようにそっと呼吸をととのえた。心臓が早鐘を打ちはじめる。じわりとにじみ出た汗が耳の裏を伝った。

 まさかこんなところで、一番会いたくない人に会ってしまうとは。

 中村は、僕が翼を失ったときのことを見ていた唯一の目撃者だった。





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