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魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】の各話一覧  作者: Koh


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第19話 お父様とお師匠様と

 模擬戦の翌日。平日の昼。



 ベルフォード侯爵邸。書斎。


 当主であるフレデリック・ベルフォード——ピリカの父は、机の前で腕を組んでいた。


 目の前に、ローザが立っている。手には薄い紙束。毎週の報告書。


「——グリモワルド様の生活は極めて規則的です。基本的にご自宅におられます。外出は火曜の昼に市場へ食材を買いに行かれるくらいです」


「……そうか」


「お嬢様はグリモワルド様のお宅に滞在されたまま、そこから学園に通っておられます。学園の後はお宅に戻り、家の前の広場で何かを試されたり、グリモワルド様から教わったりしているようです。内容までは把握できておりませんが、お顔の色は——以前より、ずっと良くなっておられます」


「……そうか」


 フレデリックは窓の外を見た。


 長い沈黙。


「ローザ」


「はい」


「……会いに行く。グリモワルド様に」


 ローザは一瞬だけ目を見開いた。すぐに表情を戻して、頷いた。


「お供いたします」


「いや。一人で行く」



 フレデリックは馬車を使わなかった。


 貴族の馬車で乗りつけたら目立つ。郊外の小さな家に、侯爵家の紋章入りの馬車が止まっていたら——何の冗談だ。


 フレデリックは外套を羽織って、徒歩で屋敷を出た。



 歩きながら、考えていた。


 ——ソーラーレイのグリモワルド。


 ——宮廷魔法使い、次席。十年前に宮廷を離れて以来、ほぼ誰とも会わず、郊外でひっそりと暮らしていると聞いていた。


 ——東部戦線にいた頃、噂だけは何度も聞いた。人嫌いで偏屈で、しかし一人で戦争を終わらせたという——化け物。



 郊外の丘の上。石造りの小さな家。


 フレデリックは玄関の前に立った。


 ——手のひらに、じんわりと汗が滲んでいた。落ち着かない。自分でも馬鹿みたいだと思った。


 扉を叩いた。



 数秒の沈黙。


 がちゃり、と鍵の開く音。


 扉が開いた。白髪の老人が、怪訝な顔で立っていた。


「……誰じゃ」


「——失礼いたします。ベルフォード侯爵家当主、フレデリック・ベルフォードと申します」


 フレデリックは深く頭を下げた。


「ピリカの——父です。ピリカがお世話になっております」



 グリモワルドが、ゆっくりとフレデリックを見た。上から下まで。


「……ほう」


 眉が上がった。


「明らかに所作が貴族だとは思っておったが——結構いいとこの嬢ちゃんじゃの、あいつ」


「……恐れ入ります」


「まぁ、上がれ。あ、靴はそこで脱いでの」


「……? はい」



 居間。


 フレデリックは小さなテーブルを挟んで、グリモワルドと向き合って座った。


「コーヒーしかないが、良いか?」


「——はい。お構いなく」



 グリモワルドが立ち上がった。壁際の水道の取っ手を捻った。


 水が流れ出す。——流れ出した水が、空中で止まった。管から離れて、宙に球体を作る。


 フレデリックの目が、わずかに見開かれた。


 ——あの管は水が出る魔道具……?そして浮遊。しかも、無詠唱。


 水の球から、湯気が立った。一瞬で沸騰している。


 戸棚の扉がひとりでに開いた。ガラスの瓶が浮き出してくる。蓋が空中で回って外れる。薄緑の粒が宙に舞い出した。赤く光る。焙煎されている。同時に、風で砕かれていく。


 フレデリックは椅子に座ったまま、凍りついたように動けなかった。


 沸いた湯と粉が合流して、褐色の液体になった。二つのコップに注がれていく。残った粉は小さな球に圧縮されて、ゴミ箱に飛んでいった。


「ほい」


 コップがフレデリックの前に置かれた。


「……」


 フレデリックは、一瞬コップを見つめた。それから、グリモワルドを見た。


「……ありがとうございます」


 ——化け物だ。


 ——フレデリック自身、侯爵家の当主として、魔法の才能には、それなりの自負がある。


 ——だが。


 ——今の一連の所作は、何一つ理解できなかった。一つ一つの魔法は知っている。浮遊も、加熱も、風操作も。だが、それを四つも五つも同時に、コーヒーを淹れるためだけに使う人間を——見たことがない。


 ——ピリカの兄、アーサーの報告にあった通り——いや、それ以上。この老人の前では、自分の魔法など児戯に等しい。



 コップに口をつけた。苦い。だが、良い香りだった。


「——さて」


 グリモワルドがコーヒーを啜った。


「わざわざ来たということは、用があるんじゃろ。まあ、大体わかっとるがの」


「……はい。率直に伺います。——なぜ、ピリカを弟子に?」


「努力の才能がある子じゃからな」


「……」


「それと、面白い。あれだけ魔力が少ないのに折れとらん。普通はとっくに別の道を探す」


 フレデリックはコップを置いた。


「……あの子は、自分が捨てられたと思っています」


「知っとるよ」


「……ご存知でしたか」


「正確には、捨てられたと思い込んでおる。帰る場所がないと」


 グリモワルドの目が、静かにフレデリックを見た。


「で——実際のところは?」


「……あの場では、ああ言うしかなかった。侯爵家の令嬢が落第したとなれば、形式上は勘当にしなければ家全体に影響が出る。——ですが」


 フレデリックの声が、わずかに低くなった。


「……娘を、捨てたつもりはありません」


「ほう、やはりそうか」


「……」


「メイドに監視させとるのも知っとるぞ。たまに来る男——あれは兄か何かかのう?」


 フレデリックは口を引き結んだ。


「——しかし、あの子は何も持っとらんかったぞ。学園の制服と、カバンに入った教科書くらいでな。着替えすらなかった」


「……」


「ずいぶんと嫌な顔をしながら袋から金貨を数枚取り出して、ここで使う着替えを買ってきおったわ。かっかっか」


 グリモワルドが笑った。フレデリックは笑えなかった。



「——で、最初から結論なんじゃが」


 グリモワルドがコップをテーブルに置いた。


「今は勘違いを、利用するのが良いと考えておる」


「……というと」


「帰る場所がないと思っていた方が、全身全霊なにがなんでもと取り組めるじゃろ。あの子は今、退路がないと思っておる。じゃからこそ、死に物狂いで食らいついてきておる」


「……」


「正直な話、わしは魔法で困ったことがない。才能がない者の壁がどこにあるのか、感覚ではまっっっったくわからん。いつも驚くような場所でつまずきよる。理論を教える以上のことは、できんのじゃよ」


 グリモワルドが窓の外を見た。


「——じゃから、せめて。なるべく必死に取り組む環境だけは、作ってやりたい。ここで安心感を与えたら、ほんの少し、刃が鈍る」



 フレデリックは黙っていた。


 長い沈黙。


「——昨日あった件は聞いとるか?」


「……いえ」


「魔法実技の授業で模擬戦をやったらしくての。学年一位の子に勝ったそうじゃ」


「……学年一位に?」


 フレデリックは眉間を揉んだ。


「あの才能のなさにしては、そこそこの速度で伸びとる」


「……」


「もう少しで魔法大会があるじゃろ。あれで優勝するのが最初の目標じゃと、初日に伝えてある」


 フレデリックが顔を上げた。


「……優勝? あのピリカが?」


「そうじゃ。本人もまだ半信半疑じゃろうがの。わしは、届き得ると見ている」


 グリモワルドがコーヒーを啜った。


「大会が終わったら、ちゃんと自分から会いに行くように取り計らおう。それまでは、このままにしておいてくれんか」



 フレデリックは目を閉じた。


 ——一ヶ月半。


 ——あと一ヶ月半、娘は自分が捨てられたと思って生きる。


 ——それが、あの子のためになる。


 ——この老人は、そう言っている。


「……わかりました」


 フレデリックは立ち上がった。深く、頭を下げた。


「——娘を、よろしくお願いいたします」


「おう」


 グリモワルドは軽く手を振った。


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