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第五話 頂上決戦、無知という名の死罪



 王都シュルツブルクの中央広場は、かつてない熱気に包まれていた。

 広場を埋め尽くすのは、着飾った貴族でも、重装備の兵士でもない。懐に自作のメモ帳を忍ばせ、ペンを耳にかけた数万人の「学習者」たちだ。


 処刑台ではない。そこに設置されたのは、巨大な黒板と、一つの教壇。

 そして、その前でふんぞり返っているのは、この国の最高権力者、国王グスタフ。


「アネモネ・ローゼンベルク! 貴様が辺境で広めた不穏な『学問』とやらは、我が国の秩序を根底から揺るがしている。文字を知った民が、王の決定に疑義を呈するなど、万死に値する反逆だ!」


 グスタフ王は、黄金の杖を振り回して吠えた。

 私は、純白の教職員用ローブを翻し、眼鏡を中指で静かに押し上げた。


「陛下。不穏なのは学問ではなく、あなたの『計算能力』です。反逆? いいえ、これは国民による正当な『会計監査』に過ぎません」


「黙れ! 王の言葉は神の言葉。計算など必要ない!」


「では、陛下の仰る『神の言葉』を、統計学のメスで解剖してみましょう。……皆さん、教科書の第一二章『国家経営と期待値の誤謬』を開いてください。今日が、この国で最も重要な『最終試験』となります」


 私が黒板にチョークを叩きつけると、鋭い音が広場に響いた。


「第一問です。国王陛下、あなたは昨年、隣国との軍拡競争のために、平民への増税率を二五パーセント引き上げましたね? その結果、国庫の収入はどう変化したとお考えですか?」


「ふん、計算するまでもない! 税率を二五パーセント上げたのだ。収入もそのまま二五パーセント増えるのが道理。算術の基礎すらわからぬのか!」


 グスタフ王が勝ち誇ったように笑う。

 しかし、広場を埋め尽くした群衆からは、笑い声ではなく、失笑と溜息が漏れた。

 スラムの子供ですら、鼻で笑っている。


「……陛下。あなたは『ラッファー曲線』という概念をご存知ないようですね。過度な増税は、労働意欲の減退と脱税を招き、むしろ税収を減少させる。――ドランさん、現在のナラク村の徴税シミュレーションを提示してください」


 群衆の中から、かつての農民ドランが立ち上がった。彼は今や、王国一の「実戦統計家」だ。


「はい、先生! 王都周辺の農村三二カ所を調査した結果、増税後の実質税収は、前年比マイナス一八パーセントを記録しています! つまり、陛下は『多く取ろうとして、逆に損をした』……要するに、ただのバカです!」


「な、何だと……!?」


「さらに第二問。陛下が建設中の『王立黄金大浴場』。その建設費に充てられた三〇〇万エスクード。これは、公共事業の乗数効果マルチプライヤー・エフェクトにおいて、どのような経済波及を生みますか?」


「き、波及……? 俺が気持ちよく風呂に入れば、国民も喜ぶだろう! それが王への忠誠だ!」


「不正解。赤点です。……その資金を、農業用の灌漑設備や初等教育に投資していれば、五年後のGDP(国内総生産)は現状の三・四倍に成長していました。陛下が行ったのは投資ではなく、単なる『減価償却資産の無駄遣い』。国家という巨大な富のエンジンを、自ら破壊しているのです」


 私は黒板に、現在の王国の「貸借対照表」を巨大な図解で描き出した。

 左側の「資産」の欄はスッカスカ。右側の「負債」の欄は、血のような赤いチョークで埋め尽くされている。


「陛下。あなたが『神の意志』と呼んでいたものは、単なる『無計画な借金』でした。この国の財政は、既に実質的破綻をきたしています。数学的に見て、この国を救う唯一の手段は、あなたの退位と、徹底した構造改革しかありません」


「ふ、ふざけるな! 俺は王だぞ! 誰が俺を裁くというのだ!」


 グスタフ王が兵士たちに命令を下そうとする。

 しかし、騎士たちも、近衛兵たちも、一歩も動かない。

 彼らは全員、アネモネの通信講座を受講し、「王家の財政が破綻している以上、自分たちの給料はもう支払われない」ことを理論的に理解してしまっていたのだ。


「陛下。兵士たちは、あなたへの忠誠を計算で測りました。……結果は、マイナスです。彼らはあなたを守るよりも、私の学校で『再就職のための資格取得』に励む方が、生涯賃金が高くなると判断したようです」


 アネモネは教壇から降り、グスタフ王へと歩み寄る。

 震える王の目の前に、彼女は一枚の紙を突きつけた。


「これは死刑執行書ではありません。……『国家経営学・落第通知書』です」


「な……落第……?」


「はい。あなたは、人の上に立つための最低限の知性を備えていません。無知は時に罪となります。それも、何万人の命を左右する最高レベルの重罪です。……さあ、その玉座から降りなさい。そこは、世界で最も無能な生徒が座る場所ではありません」


 群衆から、怒涛のような声が上がった。

「落第!」「退陣!」「計算し直せ!」

 何万もの「知識」が、一つの意志となって権力を押し流す。


 グスタフ王は、がくりと膝をついた。

 黄金の杖が地面に転がり、空虚な音を立てる。

 彼は気づいたのだ。剣で脅すことも、魔法で黙らせることもできない。

 自分が「数字」によって、社会的な存在価値を完全に抹殺されたことに。


「……俺は……俺はただ、王として……」


「陛下。最後のアドバイスです。……『悔い改める』という言葉を覚える暇があるなら、まずは『一次方程式』からやり直しなさい。そうすれば、自分がどれほど愚かだったか、正確なパーセンテージで理解できるでしょうから」


 アネモネが背を向けると、群衆の拍手と歓声が王都を揺らした。

 

 それは、暴力による革命ではない。

 全土に広がった「教科書」が、無知という名の古いシステムを自動的にデリートした瞬間だった。


 玉座に代わって置かれたのは、一つの小さな学生机。

 かつての王は、そこで赤ペンを持った子供たちに囲まれ、泣きながら算数のドリルを解かされることになる。


「……さて。国家の会計処理という、最高にエキサイティングな問題集が残っていますね。皆さん、ペンを持ってください。ここからは、新しい世界の『正解』を、私たちで計算していく時間です」


 アネモネは再び黒板に向かった。

 その背中は、どんな英雄の鎧よりも頼もしく、知的で、そして恐ろしく爽快な光を放っていた。


 数百年後、歴史の教科書の第一ページ。

 そこには、眼鏡を光らせた聖女の肖像と共に、一文が記されることになる。


『世界を変えたのは、奇跡ではなく、一人の女が教えた九九くくであった』と。

 


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