女騎士は少女を守りたい
晩秋の昼下がり。
少し前までの暑さとは打って変わって肌寒く、目前に迫る冬の気配を感じさせられる。
そんな荒涼とした大気の中を、馬に乗って駆けていく一人の女性がいた。
「はぁ……」
彼女はうんざりしていた。
3年前、当時帝王だった父が病死、跡を継いだ兄も翌年に亡くなったのである。そして残された彼女、エルマが16歳という若さで帝位につくことになった。
エルマは幼い頃から戦士としての鍛錬を積んできた。この国では女性が戦士になることは珍しくないが、女帝が即位するのは実に数百年ぶりである。
今、この国に彼女より強い者はいない。そのせいか、彼女は冷徹で恐ろしい人物という印象が定着してしまい、未だに配偶者になりたいという者が現れないのだ。
妹から何度も国中の男性を紹介されたが、みなエルマを前にすると恐れおののき逃げてしまう。そして今日もまた、妹に紹介された男の元へ行ってきたのだ。結果は言わずもがなだろう。
姉思いの良き妹だが、少しおせっかいなところがある。お前は男によく好かれるのだから、私のことなど放っておいてくれれば良いのに……
そんなことを思いながら、エルマは宮廷へと帰るべく馬を走らせた。
しばらくすると、エルマを乗せた馬は古い住宅街に辿り着いていた。
宮廷へ戻るには少し遠回りだが、今日はなんとなく、人の気配を感じたい気分なのだ。
広場の方から赤子の泣き声が聞こえてくる。雑踏の中、エルマは一人、馬に乗って大通りを進んでいった。
やがて街の奥の方まで来ると、ぽつぽつと雨が降り出した。
そして間もなく雨脚が強くなり、道行く人々が次々と傘を差し始めた。
エルマも急いで馬から下り、近くの軒下に駆け込んだが、既に衣服はびしょびしょである。辺りを見回しても、寂れた家々が並んでいるばかり。どんよりとした空の下、エルマは途方に暮れてしまった。
すると突然、道路の脇から誰かに声を掛けられた。
「あの、すみません」
「ん?」
見ると、目の前に小さな女の子が立っている。
「何か、困ってらっしゃいますか?」
「ああ……宮廷へ帰る途中なのだが、傘を忘れてしまってな」
「それなら、私の家に来ませんか?雨が止むまで休んでいってください」
エルマを見上げてニコッと笑ったその少女は、名前をミアと言った。
ミアの家は、エルマが駆け込んだ軒下のすぐ近くにあった。それは庶民の家とは思えないほど大きな建物で、幸い馬を休ませる場所もある。
ミアはエルマを玄関へ案内すると、「どうぞ、あがってください」と言った。
「私の服は濡れているぞ。家を汚してしまう」
「そんな、構いませんよ」
「しかしだな……」
「でしたら、お召し物を変えましょう」
ミアはぺこりとお辞儀をすると、家の奥の方へタッタッと駆けて行った。
そしてすぐに、綺麗な服を抱えて戻ってきた。
「これは……」
「粗末なものしかなくて、申し訳ないのですが」
「いや、構わん。ありがとう」
エルマはその場で着ていた衣服を全て脱ぎ、ミアから服を受け取った。
ミアは服を渡すと、慌てて顔を伏せてしまった。
エルマは不思議に思ったが、とにかく新しい服に着替えた。
「さあ、どうぞ」
「お邪魔……します」
居間にあがると、ミアが台所の方へと駆けていき、すぐに食事と酒を持ってきた。
「お腹が減っていらっしゃるでしょう。召し上がってください」
「いや、いい」
「そんなことおっしゃらずに!」
「すまないが、流石に申し訳な……」
グーー
エルマのお腹が鳴った。朝から何も食べていないのである。
それを聞いてミアはうふふと笑った。今度はエルマの顔が赤くなる。
「さあ、ご遠慮なさらず」
「……すまないな」
恐る恐る、飯を口へと運ぶ。
(これは……)
エルマは大変驚いた。とても旨かったからである。
「なるほど……素晴らしいな」
「お口に合いましたか?」
「ああ。これはお前が作ったのか?」
「はい。つまらないものですが……」
「いいや、大したものだ。助かったぞ」
エルマが微笑みかけると、ミアはぱぁっと笑顔になった。
「ところで、お前は一人で暮らしているのか?」
「ええ、そうですよ」
「親は……いないのか?」
「はい……」
ミアが顔を曇らせる。エルマはしまったと思ったが、ミアはそのまま語り出した。
「父は私が生まれる前に亡くなったので、これまでずっと母と暮らしていました。しかしこの前、家に盗賊が入ってきて……」
「盗賊だと?」
「はい。母は盗賊を追い払おうとして殺されました。それからというもの、この家には私が一人で住んでいるということが広まり、毎晩家の物を盗まれるようになってしまったのです」
俯いたミアの額を見ると、痛々しい痣があるのが分かった。額だけではない。腕や膝にも、殴られたような跡がついている。
「殺す」
「え?」
「生かしてはおけん。私がその盗賊を殲滅してやる」
エルマは激怒した。自分も多くの人を殺してきたが、幼い子どもを手にかけるなど、とても許せることではないからだ。
「しかし、相手は……!」
「私を舐めてくれるな。まぁ見ておれ」
エルマは酒をグイッと飲み干すと、庭に出た。
そして剣を抜き、そこに聳え立つ巨木に向かって勢いよく斬りつける。
すると瞬く間に、木は轟音を立てて倒れた。
「どうだ?」
エルマは振り返って笑った。ミアは目を輝かせている。
「すごい……!すごいです!」
「盗賊は何人ほどいるのだ」
「それが……私にもわからないんです。いつも違う人がやってきますから」
「一人一人殺してもキリがないな。きっと奴らの住処があるに違いない」
エルマは少し考え、ミアに尋ねた。
「奴らは夜中に来るのか?」
「はい。夜の遅い時間に来ます」
「分かった。それまで私がここにいよう」
「あ、ありがとうございます!」
ミアはほっと胸をなで下ろすと、再び台所へ戻ろうとした。
「何か作るのか?」
「はい、お夕飯の準備をしないと」
「私も手伝おう。夜まで時間もあるからな」
「良いんですか?」
「ああ。こう見えて、私も料理には自信があるんだぞ」
エルマは笑うと、ミアと一緒に台所へ向おうとした。
「あの……えっと……」
「エルマで良いぞ」
「あっ、その……変なお願いなんですけど」
「何だ?」
ミアはまた顔を赤くすると、可愛らしくエルマを見上げて言った。
「エルマ様のこと、お姉様とお呼びしても良いですか?」
「お姉……様?」
エルマは驚いた。今まで庶民に、それも幼い子供にここまで親しくされたことはない。
「お前……私が好きなのか?」
「えっ!?えっと……その……」
「まぁ良い。好きに呼びたまえ」
「あ、ありがとうございます!お姉様♡」
「……!」
エルマの顔が赤くなる。いざそんな呼び方をされると、途端に恥ずかしくなるものだ。
二人は仲良く夕飯を作って食べた。一緒に作った料理は素晴らしい出来映えで、料亭で出されるものにも引けを取らない味だった。
そして何より、二人で談笑しながら食べる飯は、いつもの寂しい夕飯よりずっと旨かったのである。
夕食を終えると、外は既に日が暮れて暗くなっていた。
「なぁ」
「はい、お姉様?」
「先ほど少し気になったのだが……この家、浴場があるだろう」
「あ、はい。母がお風呂屋さんをやっていましたので」
「……入っても良いかな。もちろん、お代は払う」
「いいえ!お代なんて結構です!」
「しかしだな……」
「今はもう、店終いしましたから」
ミアがニコッと笑う。エルマはそれを見て、ちょっとイタズラしたい気分になった。
「……一緒に入るか?」
「ええっ!?」
ミアは顔をリンゴのように真っ赤にして、ふらふらと倒れ込んでしまった。
「あ、いや。別に無理にとは言わんが……」
「いえ!お供いたします!」
ミアは慌てて立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。
真っ白な湯気の向こうで、二人の少女が湯船につかっている。
ミアの母が経営していたという浴場は決して広いとは言えなかったが、二人で入るのにはそれでも十分だった。
「んん……お姉様……」
「ミア?」
長い髪を一つに束ねたミアは、惚けたようにエルマの身体に身を寄せる。
どうやら少しうとうとしているようだった。半日動き回って疲れたのだろう。
そんな彼女の姿を見て、エルマはどこか愛おしい気持ちになった。
「かわいい……」
「ひぇっ!?」
ミアはわっと驚いて跳ね上がった。浴槽のお湯がぱしゃんと弾ける。
「お、お姉様?」
「ふふ、のぼせないようにな」
エルマはそう言うと、ザバーッと大きな水音を立てて立ち上がった。
水面から露わになったその身体は、いかにも戦士らしい筋骨隆々とした裸体だった。
ミアは、目も伏せずにその彫像のような美しさに見入っている。
「綺麗……」
「なっ、あまりジロジロ見るな。流石に恥ずかしい」
そう言われても、ミアは一糸まとわぬ姿のエルマから目が離せなかった。
「……身体流してやる。こちらへ来い」
「はい♡」
ミアは湯船から上がると、嬉しそうに付いていった。
二人は風呂から上がると新しい服に着替え、居間に戻った。
「私、そろそろ寝ます」
ミアがそう言って立ち上がろうとすると、エルマはその腕をガシッと掴んだ。
「寝るな」
「え、でも……静かにしていれば襲われることは無いですよ?」
「そうとは言い切れんだろう。もしお前が殺されでもしたら……」
エルマが顔を曇らせる。
「分かりました。しばらく起きています」
ミアは眠そうな顔でこくりと頷いた。
やがて夜も更けたころ、外から足音が聞こえてきた。
最初に気付いたのはエルマだった。
「何だこの音は」
「……え?」
エルマの背中に寄りかかってうとうとしていたミアは、だんだん近付いてくるその音を聞いてハッとした。
「来ました……!盗賊です!」
「よし。ここで待っていろ。危険だから、一歩も外に出るな」
「待って!」
ミアは慌ててエルマを呼び止めた。不安そうにこちらを見上げている。
「何だ」
「どうか……死なないでくださいね?」
「当たり前だ。私を誰だと思っている」
エルマはそう言うと、剣を抜いて颯爽と外へ出ていった。
既に雨はやみ、辺りは月光に照らされて明るくなっている。
青白い光の中、通りの隅に黒い服を着た男が二人、身をかがめながらこちらへ向かってくるのが見えた。
エルマはそれを見て、すぐに盗賊だと確信した。男たちがこちらへ気付いたときにはもう、彼女はそのうちの1人に斬りかかっていた。
「死ね!」
「ぐぁあああ!」
血しぶきが舞い、一人がその場に倒れる。即死だった。
「おい」
もう一人の首元に刃を向け、冷たい声で詰問する。
「お前らの住処はどこだ」
男は斬られることを恐れ、仲間の居場所や規模などを詳らかに白状した。
「よし、用済みだな」
エルマは全てを聞き終えると剣を振り上げ、男の首を斬り落とした。
エルマが家に戻ろうとしたその時。
「貴様……!」
「ご、ごめんなさい!お姉様のこと、どうしても心配で……」
なんとミアは通りに出て、ずっとこちらを見ていたのだ。
エルマは、言いつけを破ったミアに対して怒りを露わにした。
「中で待っていろと言っただろう!」
ドゴッ!
次の瞬間、エルマはミアの脇腹に回し蹴りを食らわせていた。
ミアの身体が宙を舞い、家の外壁に激突する。多少手加減はしたものの、その華奢な身体にはあまりにも強い衝撃だった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
エルマの脚にしがみつき、大声で泣き叫ぶ。
その姿を見て、エルマはやっと我に返った。
「ごめん……!ごめんミア!」
ミアの小さな身体を抱いて、かきくどくように謝り続ける。
「うっ……ううっ……」
ミアはエルマの腕の中で震えている。
エルマはミアを抱きしめ、静かに涙を流した。
あれからどれほどの時間が経っただろう。
ミアが目を覚ますと、窓の外から光が差し込んでいた。
どうやら夜が明けたようだ。
しかし、彼女の隣にエルマの姿はなかった。
「お姉様?」
ミアは布団を撥ね除けて飛び起き、走り出した。
脇腹がズキズキと痛む。しかし、今はエルマのことが何よりも心配だった。
階段を駆け下り、居間を抜け、玄関に行くとそこにエルマはいた。
「お姉様!」
「……起こしてしまったか」
エルマはこちらを振り返ると、気まずそうに顔をしかめた。
「私はこれから宮廷に戻らなければならない」
「どうして!私、お姉様がいないと……!」
「今夜のうちに戻ってくる。使いの兵を呼んでおくから、一歩も外に出るんじゃないぞ」
エルマは額がくっつきそうなほど顔を近づけて、ミアに忠告した。
ミアはおもむろに頷き、馬に乗って走り去っていくエルマを見送った。
エルマが家から遠く離れても、ミアは見送りをやめようとはしなかった。
そして夜になり、ミアが目を覚ますと枕元にエルマが立っていた。
「お姉様……!」
「待たせたな」
エルマは微笑むと、ミアを外へ連れて行った。
その光景を見た瞬間、ミアは目を丸くした。
「これは……」
「盗賊の居場所が分かった。今から討ちに行く」
そこには百を超えるほどの兵士がいた。
盗賊を殲滅するために、エルマが連れてきたのである。
「お姉様!」
「心配するな」
エルマは馬に跨ると、笑顔でミアに手を振った。
そして拳を振り上げて勇ましく掛け声をあげ、大軍と共に駆け出して行った。
ミアは眠れなかった。
大軍を率いているとはいえ、相手がどれくらいの規模か分からない。
もしお姉様が殺されるようなことになったりでもしたら……
やがて夜が明けようとする頃、家の外から足音が聞こえてきた。
「お姉様っ!」
ミアが庭に飛び出すと、そこにはあの愛しい女が立っていた。
無傷だった。
「盗賊を殲滅したぞ。遅くなってすまない……んおっ!?」
次の瞬間、ミアはエルマの胸に飛びついていた。
そして嗚咽を漏らし、大声で泣き叫んだ。
「お姉様……お姉様ぁぁああ!」
「お前……」
エルマはミアを抱き上げると、優しく微笑んだ。
「……こうしていると、私も娘を持ったみたいだな」
ミアが啜り泣きながら顔を上げる。
「お母さん……」
「え?」
「お姉様、私のお母さんになってほしい……」
エルマは驚いた。私がこの子の母に?
「すまないが、お前の母にはなれん。私は……こういう立場の人間だから」
「……ですよね、ごめんなさい」
ミアは悲しそうに俯いた。しかしエルマはミアに向き直ると、真面目な顔で言った。
「なぁミア、今度は私からお願いがあるのだが……」
「何ですか?」
「私と……結婚してくれないか」
「え!?」
ミアは目を丸くしている。エルマは頬を紅潮させ、愛する少女に告白した。
「その、私は……お前のことが好きだ。お前と、ずっと一緒にいたい」
「私も……」
「え?」
「私も、お姉様と一緒にいたいです。大好きです、エルマ♡」
ミアはエルマの頬に優しく口づけをした。
エルマは照れくさそうに微笑み、愛しい彼女をいっそう強く抱きしめた。




