コーヒーショップのお兄さん
「もしもし」
すぐ電話に出ると、スマホの向こうからは明るく快活な声が聞こえた。
「めい、久しぶりだな!今大丈夫か?」
「大丈夫だけど、どうかしたの?」
向日葵と秋桜を見ると、ふたりも電話に驚いたようで、きょとんとした顔をしている。
「いやあのな、仕事ちょっとひと段落したから、良ければ一緒に食事でもどうかと思って。今日休みだったよな?」
「うん。今日は何も予定無いし、平気だよ」
「ありがとう、いつも急で悪いな。やっと時間取れたし、めいと色々話したくってさ。ちょっと行ってみたい店もあったし」
「へぇ、そうだったんだ。どこ?」
姉が提案してきたのは、昨日会った男性が勤務しているらしいコーヒー専門店『月城珈琲』の本店だった。どうやら、この店のお菓子が美味しいという噂を耳にしたらしく、最近かなり気になっていたらしい。
店の前で待ち合わせだったが、思ったよりかなり早く着いてしまった。
先に中入って、席取っておくか。
姉に連絡を入れておき、中へ入った。いらっしゃいませ、という声と共に、香ばしいコーヒーの香りに包まれる。
この店は、種類豊富なコーヒー豆を売るエリアと、そのコーヒーを実際に飲める飲食エリアがある。飲食エリアでは、店でしか食べられない美味しい手作り菓子も提供していて、こちらの目的で来る客も多い。
二号店であるココハレ店は、この飲食エリアの方が広く、置いてあるコーヒー豆の種類はこちらの本店の方が断然多いらしい。
創業してから三十年ほどになるらしく、この本店の建物も、外から見ると少し古い雰囲気も漂っていたものの、中は意外と新しくて洒落た内装をしていた。リフォームなどしているのだろうか。
店員に席を案内され、窓から外が見える場所に座った。その時にスマホから音が鳴ったので確認すると、姉からメッセージが来ていた。
『道路ちょっと混雑してて、遅れるかも』と書いてあった。
「お姉ちゃんちからもっと近い場所でも良かったのに…」
この店の場所は、私の家からだと歩いても行けるような距離にある。ココハレ店からはかなり離れていて、車なら三十分、電車だと二十分くらいかかる。自分の家からだとこの本店の方が近く、多分姉は、私が行きやすいことも考慮してここを指定してくれたのだと思う。
メニュー表を見ていると、不意に玄関からウィンドチャイムの音がした。姉かと思い、反射的に玄関の方を見る。
「え…」
入ってきたのは姉ではなく、なんと昨日会った男性であった。
「あれ、奏くんじゃん!」
「奏君じゃなーい」
カウンターや厨房に居た店員達が、わらわらと彼の元へ集まってくる。彼は一気に大勢の人達に囲まれ、恥ずかしくなったのか、照れ笑いを浮かべた。
「皆さんお疲れさまです。ちょっと近くまで来たので…。これ、差し入れです」
そう言って、皆へおずおずと紙袋を差し出した。
「きゃーっ、これ駅前に最近できた新しいお店のお菓子じゃない!もう、そんな気遣わなくていいのに。ありがとうね」
中年くらいの明るい女性が代表して受け取り、『後でみんなに配るわね』と言った。
「ありがとうね、奏くん。えーっと月城さんは…」
男性店員が、何やら厨房を覗いている。
「ああ、父は呼ばなくて大丈夫です。会っても、話し方が分からないので…」
今、父は、って言ってた?
聞く気は無かったが、カウンターに近かったため、会話の内容はほぼ聞き取れてしまった。
「お客さんもそこそこいらっしゃいますし、仕事の邪魔になっちゃうといけないから…」
話しながら彼が店内を見回したので、ぼうっとしていた私は見つかってしまった。ばっちり目も合ってしまった。
「…あ」
どうしよう、多分気付いたよね。これは昨日のお礼を改めて言うべきかな。
逡巡している内に、彼の方から近寄ってきた。
「あの、昨日ドーナツのお店で会った、ココハレで働いてる方、ですよね?」
「は、はいそうです。ええと、昨日はありがとうございました…、あれ?どうして私がココハレで働いてること知って…」
私が小首を傾げていると、彼は言った。
「僕は月城珈琲ココハレ店の店員なんですけど、社員食堂行く時は衣料品売り場の前を通るんです。その時によくお見かけしてました」
「ああ、なるほど。そうだったんですね。じゃあ、今ここに来てるのは…?」
彼は恥ずかしそうに頬をかいた。
「実は僕、こんな奴ですけどこの本店の店主の息子なんです。ほんとお恥ずかしいですけど」
「そうだったんですね」
これはちょっとびっくりだ。
「そういえば名前、まだお聞きしてませんでしたね」
「そうでしたね。えっと私、小柳めい、と言います」
「小柳さんですね。僕は、月城奏と言います。また何かの時にお会いするかもしれませんね」
恥ずかしそうにしながらも優しく微笑む姿は何とも魅力的で、癒やされるような気がした。ああ、みんなきっとこの笑顔にやられているんだな、と確信した。
「じゃあ、僕はこの後予定があるので失礼しますね。ぜひココハレ店にもお立ち寄りください」
「はい、ぜひ」
彼は軽く頭を下げ、従業員達に挨拶して店を後にした。
はあ…あれはモテるな。綺麗な顔してるうえに、そこはかとなく漂う、守ってあげたくなるようなあのかわいさがお客さんを虜にしているのか。あ、でも、男の人にかわいいは失礼かな。
ぼんやり考えながら窓の外を見ていると、ちょうど姉が通りがかった。彼女はすぐ私に気付いて手を振ってきたので、私もひらひらと振り返した。