5話 生命のエネルギー
4日目は、アオが朝から暇だとゴネ続け、鬼谷から魔導書なるものを受け取った。
それも20冊以上。
彼女は読書をすることで安静に過ごし、市川にとっては数日ぶりに誰にも振り回されることのない落ち着いた日となった。
「先ほど医師から聞いたところ、怪我は完治したとのことです。明日からこの部屋を出られますよ」
市川がそう伝えると、この狭い空間から解放されるとアオは喜んだ。
その時にはすでに本は読み終えていた。
*****
翌日、つまり基地に来てから5日経った日。
興奮で朝4時に目が覚めたアオは、訓練場へ訪れていた。
今日から特訓が始まるらしい。しかし未だに魔法特訓の講師が誰か伝えられていない。やはり坂の部隊の隊員なのだろうか。
7時30分。訓練場に到着。訓練場は広大で、アオは思わず見惚れてしまう。壁には多くの武器が並び、床には巨大な魔法陣が書かれている。
魔導書で読んだ知識は既に全て頭に入っているので、1つの魔法に思い当たった。
「防御結界の魔法陣……」
「わかるのか」
突然背後から聞こえた低い声に、アオは反射的に猫のように飛び退く。
「む……すまない。
そう驚かせる気はなかったんだが」
「君が、私の講師の?」
アオが静かに問うと、男は頷いた。
「俺は南本誠治郎。坂隊長からお前の魔法の講師を頼まれた。よろしくな」
アオは南本を測るように観察する。
体格が良く、背が高い。見た目だけなら魔法よりも体術に向いていそうに見える。
──壁みたいな人だな。
アオからの第一印象は壁だった。
「ふーん……私は霧山碧。南本って、強いの?」
彼女は南本に疑いの目を向ける。
この場に市川のような常識人(?)がいれば発言を咎めただろう。アオの暴走はエスカレートしていく。
「まずは手合わせしてよ」
自分より弱い者に教わる気はない。
納得するまでとことん検証する。
それがアオの気質だった。
南本は微かに驚いた表情を浮かべるが、すぐに口角を上げた。
「いいぞ、ルールは決めるか」
「戦闘不能か、降参したら負け」
「わかった」
止める者はいない。
自由奔放なアオと天然の南本。
この組み合わせが後に想像もできないカオスを生んだのだった。
*****
「お前……特訓要らないんじゃないのか」
手合わせが始まり数分経った頃、南本がそう呟いた。アオの攻撃は正確に彼の隙に入ってくる。どちらも武器は使用していない。
アオは抜群の戦闘センスと運動神経、南本はそれを体術と魔法で凌いでいた。
(圧倒的な経験の差はあるはず…。なのに俺と互角、それ以上の攻撃を仕掛けてくる…)
「よっ」
掛け声と共にアオは跳躍して、南本の頭に空気を斬るような蹴りを繰り出す。
「腹のガードが甘いな。風魔法!」
南本は片手で魔法を発動し、アオの体ごと吹き飛ばした。一気に距離を取らされる。
「うふぇぁっ!?」
悲鳴ともわからない声をあげるが、地面に転がり威力を殺す。すぐさま体勢を立て直したアオが南本へ駆けた。
「早いっ……土魔法!!」
回転蹴りを仕掛けたアオの足が何かに絡め取られ、そのまま宙に吊られる。
「…これは…木の根?」
アオは逆さになったまま、足に絡みついたものを取ろうともがく。しかし、そのうち腕も縛られ、なす術がなくなった。よく見ると、その根は地面から生えているようだ。
「……降参か?」
目の前に立ち、南本が訊く。
アオは口を尖らせたが、すぐにニヤリと笑う。
「降参……するわけないよね」
その刹那、空間が曲がった。
いや南本はそんな錯覚を覚えたのだ。
強烈な魔力がアオの体から溢れ出した。
その影響か、創られた木の根が崩れていく。
一瞬、アオの雰囲気が変わった。
「貫け!! 《魔力弾》!!」
「《シールド》!!」
彼女の手に浮かんだ無数の弾が、放たれる。
南本は即座に反応し片手を掲げた。
爆音と共に煙が立ち込める。
直撃したのは南本が展開したシールド。彼の周囲の床は余波で抉れているが、彼自身には傷ひとつ付いていない。
反動で後ろへよろめいたアオを見逃すことなく、一瞬で距離を詰めた。そして彼女の手を背中に回し、抑え込む。逃げられない体格差があった。
「これで、降参だな?」
南本が再度アオに訊いた。
彼女は悔しそうに短くため息をつく。
「……こぉーさん、私の負けだよ。
私はこれ以上の攻撃手段を知らない。さすが、強いね」
「お前も十分強いと思うけどな」
(あの魔力……本当に人間なのか疑わしいほどだ……この短時間で、これほどの魔力を収束させるとは……教え甲斐がある)
アオの戦闘力に冷や汗を掻くと同時に、笑みをこぼした。
「これは将来が楽しみだな……」
*****
「お前は強い。特に魔力操作は超一流だな」
「えぇ……」
アオは褒められているはずなのに期待外れというふうに眉を寄せる。強くなるために来たのだ。今以上になれないと、意味がない。
「しいて負けた理由を挙げるならば…、攻撃手段の少なさだな。たしかに、俺が魔法を教えるのが早そうだ」
「おお、やっとか!! どうやるの!!?」
待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて身を乗り出すアオ。制御できていない魔力が体に溢れる。
「待て待て、おちつけ」
南本は苦笑しつつ、真剣な表情に戻った。
ふむ、と顎に手を当ててアオを向く。
「お前、さっきの魔力弾は独学か?」
「独学、というか昨日読んだ本に書いてあったからさっき初めて撃ったよ」
当たり前のように話すアオ。
南本は一瞬固まった。彼は、あり得ない物を見る表情でアオに指を指す。
「初めて、だと!? なんでそれで出来るんだよ、おかしいだろう!!」
「いやだって……できたし」
南本は呆然としていたが、アオにとっては通常運転なのだろう。そう思い気を取り直して頷いた。
「っ、そうか。……独学なら、はじめから教えよう。この辺は魔法学院で習うところだがな。
まず、魔力とは何か」
彼は軽く息をつきながら語り始めた。
「まず初めに、魔力とは生命のエネルギーからできていると言われている」
「生命の、エネルギー?」
「そうだな……。 怒り、苦痛、愉悦──」
「強い感情はエネルギーとなる。
もっと言えば、生きているだけでエネルギーは発生している。それを認知して意識的に操れば、魔法として具現化できるということだ」
「へぇ……!! つまり本気で望めば、どんな魔法でも使えるってこと??」
「微妙に違う……が、理論上はな。だけど、ただ望むだけじゃ駄目だ。使用するには基礎が必要。
お前はまず、それを教えてやる」
アオは勢いよく頷いた。
「うん! よろしく!!」
*****
「基礎魔法は全部で7種類。
炎、水、風、土、雷、光、闇の属性がある。
個人魔法はその自然の法則から逸脱した魔法だから、種類としてはまた別物なんだ」
アオはまず、基礎魔法を教わった。
4時間も特訓を続けると体が魔力を消費することを学んだのか、思考するだけで直ぐに魔法が発動できるようになっていた。
「魔法に慣れてきたな、その調子だ。
基礎魔法は雷魔法に適性があるようだな」
そう軽く言いながらも南本は、内心は酷く動揺していた。アオの上達速度はそれほどに異常だった。
(おかしい……まさかたった4時間で基礎魔法を全部習得するなんて…)
驚きを通り越した呆れから、口の端をピクピクと痙攣させながらも平静を装う。
「なんか、やったことある気がするんだよね、魔法。楽しいから細かい事は良いんだけど……」
「よし……雷魔法!!!」
手に小さな雷光がほとばしり青白い閃光となった。そのまま標的に放たれると、空気が震え、敵に見立てたその人形を一気に焼き焦がした。
「跡も残らないじゃん、すごっ」
「……いや、普通こんな威力でるか?? 4時間の特訓で?」
「あのさ」
南本が混乱に陥っていると、アオが話しかけた。視線を向けると彼女は何か考え込んでいる様子だった。
「この魔法、やっぱり変だよ」
「いや、どこが??」
「魔導書では、雷魔法の中にもたくさんの魔法の種類があるって書いてた。雷魔法って魔法があるんじゃなくて、それは属性。
ただ電気を撃つだけの魔法じゃないはずだ」
「お前は何が言いたいんだ」
アオの突飛な発言に、焦れったさと呆れを含んだような表情で南本が訊く。
「魔法は魔力を生み出すエネルギーから来るんでしょ?? なら考えるだけでも本当に魔法は発動できるはず、って言ってたじゃん。なんで態々、魔法名を唱えて手を掲げる必要がある??」
「今俺たちがやっているのは長い詠唱を必要としない無詠唱魔法と呼ばれる方法で、魔法名を唱えるのは効率をあげるためだ。
お前が言おうとしているのは理論上の机上の空論。それを完全無詠唱魔法と言う。今この世界の魔法師じゃ、誰1人出来ない……」
「じゃあ今からやってみせるから…、見てて」
そう言い切ったアオの目はまっすぐに南本を見ていた。無言の圧力に彼は言葉に詰まらせる。
アオが静かに目を瞑った。
すると、しだいに空気が揺れる。彼女の周囲の魔力が動き出しているのだ。アオの白い髪が、隊服がなびいたかと思うと、彼女の指からパチ、と光が弾けた。
それは体中に広がり、駆け巡る。
それが自然な状態であるかのように。
アオは電気、いや、雷を纏った。
「ほら、できた」
そう笑った少女は、まるで魔法の神に愛されたように美しく、神秘的で、恐ろしい。
「知っていること」を友達に自慢するように平然と、誰もが不可能と判断し諦めた理論を、いとも簡単に実演し証明してみせた。
南本は眉間にシワを寄せる。この異常な才能の扱いをどう処理すればいいか。
「こんなのを俺に育てろと……?
坂に何をどう報告すればいいか、彼はひどく頭を悩ませるのだった。
*****
次は市川の体術の訓練。
模擬戦のような形式で永遠にかかっていく。
アオは攻撃を仕掛けては、転がされ続けた。
「スピードはとても良い。立ち直りも早いですが、ひとつひとつの攻撃の俺を攻撃する意思が弱いですよ。これじゃ俺も避ける気さえ起きない。
……殺すつもりで来ないと」
市川の声は淡々としているが、その中には微かな厳しさが混じっている。
──負けるのは嫌だ。
アオは動きを止め、市川の周囲を観察する。
そして再び低く構えフェイントを入れながら彼に突進した。だが、市川が一歩足を引くと彼の手刀が首を掠める。アオが間一髪で回避するとそのまま襟首を掴まれ、彼女はまた地面に叩きつけられた。
「悪くない動きですが、見え透いていますね。
アオさんは反射的な動きが多いので。
緩急をつけて攻撃を読まれづらくするのです」
「はぁ……??」
アオは縦横無尽に攻めているのに、市川は息ひとつ乱さず流してくる。
──いや体力おかしいでしょ。
さすが坂の右腕といったところだろうか。
その日の夜、アオはベッドに倒れ込んだまま指一本も動かせなかった。
「筋肉痛って恐ろしいな……」
ベッドの上で眉を寄せ呻きながら、アオは市川の無限の体力を改めて恨んだのだった。