1話 記憶喪失
第一章、はじまります。
ブクマ、評価してくださると泣いて喜びます…!!
眩しい。
少女が最初に感じた言葉だった。
彼女は、美少女。
雪のように白いセミロングの髪に、一筋だけ黒いメッシュが入っている。幼さが残る中性的な美貌に、背丈は同年代と比べても小柄で、華奢だ。
周囲から聞こえる、知らない声。
───頭が痛い。いや、身体中が痛む。
暖かくて柔らかい感触が背中を包んでいることがわかった。静かで優しい香りから清潔さを感じ取れる。
そこまで意識が戻り、少女はようやく気がついた。自分が、ベッドに寝かされていることに。
「ここ……どこ……??」
声に出して呟く。重たい瞼をゆっくり開けると、視界の端に男の姿が映った。
少女の瞳は海のような青色で、深く暗い。吸い込まれるような美しさを持っている。
「よかった! 意識を取り戻したんだね。大丈夫かい?」
その男は嬉しそうに綺麗に微笑む。その笑顔からは朗らかで優しげな印象を受けた。しかし、時折影がかかり、何かを隠しているように見えて、胡散臭い。
──なんだ、この馴れ馴れしいやつ。
少女は即座にそう思った。
瞳に警戒の色を見せながら彼に問いかける。
「……大丈夫、って何? なんで私はこんなところで寝てるの?」
「それはね、君、空から突然降ってきたんだ。しかも重傷で。僕たちが保護したんだけど……いやぁ、実際びっくりしたさ」
大袈裟に驚く仕草を見せた彼から少し目を逸らし、眉を顰める彼女。
──空から降ってきた? 何を言っているんだ、この男は。
不可解な話ではあるが、保護されたというなら一応礼を言っておくべきか。少女は一拍置いて、息をつくと、控えめに言葉を返した。
それでも目を離さないように視線を彼に固定させたまま、軽く頭を下げる。
「……ありがとう」
固い少女の様子に、堪えきれないように笑い声を漏らす男。肩を揺らして明るくアオを見据える。
「ははっ、君、全然警戒を解いてないなぁ。
そんな顔でお礼を言われるのは僕も初めてだよ……」
その言葉に、少女はさらに体を固めて身構える。拳が布団を軽く握り、青い瞳が細まっていく。
が、少女の反応は本意では無かったのだろう、男は焦りを見せると、背筋を伸ばす。
「違う違う、落ち着いて!! 僕の名乗りが遅れた。
僕は坂秀成。国防軍の隊員だよ。もちろん、危害を加えるつもりなんてない。君の名前、言えるかな?」
笑顔で手を差し出す坂。しかし少女は、警戒の色を見せたまま固まっていた。坂は困ったように笑う。
──こいつ、信用してもいいのだろうか。
沈黙が続いた後、少女が先に折れ、口を開く。
「私は……」
ズキリ。
名前を言おうとした瞬間、頭に電気の走ったような痛み。混乱が脳を支配し、霧がかかるような濁った灰色で埋め尽くされるような感覚に襲われた。
その変化に気づいた坂は心配そうに彼女の肩に手を伸ばそうと────、
「えっと、君、大丈」
「触るな!!!」
彼女自身もひどく驚く鋭い声。反射的に坂の手を弾き、やってしまったというように顔を歪める少女。
坂もまた驚き、そして微かに、安心させるように微笑んだ。
「ごめん、無闇に触ろうとして悪かった。怒ってなんかいないから、そんな顔はしないでくれ。
まずは落ち着いて、話してくれるかな?」
彼の穏やかな声に、少女は少しだけ安堵を覚える。心が安らぐ。深呼吸をし、再び口を開いた。
「……私の名前はたぶん、アオ。それ以外は何も覚えていない。どこか遠くにいた気がするけど、どこで何をしていたのか、まったく思い出せないんだ」
「まさか……記憶喪失!?」
「そう、みたいだね」
微妙な沈黙が、再び部屋を満たす。話すにも話しにくい絶妙な静かさが続いていてる。
「えっと、なんだか他人事みたいだけど」
「今自覚したんだから仕方ないでしょ」
「いや別に責めてはないんだけど…」
アオが言い訳じみたように返すと、また返答に困る坂。部屋の外の走行音がよく聞こえた。
そんな時。
『俺も歳やなあ!! 疲れたわぁ───!!!』
どこか豪快で、年季の入った明るい声が廊下から聞こえてきた。
『ここで間違いないんやな?』
透き通る若い声がそれに答える。
『はい、この部屋です、総隊長』
『よし。はよ通してくれ』
アオが横目で部屋のドアの方を見た。未だ少しの警戒と、単純な興味なのだろう。
「なんだか外が騒がしいみたいだけど」
「そうだね、何かあったのかな?」
そんなやり取りの最中、唐突に空気が流れる。
部屋のドアが、勢いよく大きく開かれ、
「坂くん! パン買ってきたで!」
「「え?」」
アオと坂の声が重なった。
「誰っ?」
アオが素早く姿勢を正し、男を睨むように見る。いや、睨むというより観察していた。
「待って、この人は僕の上司だよ」
アオは男の、豪快な声と眩い笑顔に違和感を覚えた。
──ジョウシ?? ……上司?
「……本当なの?」
*****
「というわけで、一応状況説明と、
僕の名前を言ったところです」
坂が、後から現れた男に向かって言った。
男は大柄だが、その性格の明るさのせいか威圧感は感じない。
「いやぁ、すまんなぁ。もう目を覚ましとったんか。俺ぁ、国防軍総隊長の、鬼谷西海や。で、これパンと水やで」
話をしながら鬼谷は持っていたビニール袋を坂に手渡した。
「ありがとうございます。
それでこの子、記憶喪失みたいなんです」
「なるほどなあ」
その軽々としたやりとりを見ていたアオは、自分を除いて話がどんどん進むことに苛立ちを見せ、とうとう口を挟んだ。
「待った、待った。鬼谷、だっけ? 総隊長って名前からしてすごそうだけど、部下にパシられてるって大丈夫なの?」
唐突な指摘に鬼谷が目を丸くし、坂が思わず吹き出し咳き込んだ。
「パシられてる? 俺が?」
「ははっ、面白いこというね、君」
──これ、私がおかしいのか?
アオは思わず呆れた表情でため息をつく。
「まぁ、俺ぁ立場とか形式ばったもんはあんまり気にせん性質でな」
彼はまた豪快に笑ったが、アオはその答えに納得したふうではなかった。もうひとつため息をついて、声のトーンを落とす。
「それは私に関係がないとして」
「結局、君たちは何者? さっきから言ってる国防軍だの言ってるけど、それが何かもわからないし。
見たところ私に害意があるわけではなさそうだけど、なんで私を助けたの?」
今度は真剣な眼差しで坂と鬼谷を見据えた。
「なんで、って……。別に、怪我をして倒れている子供がいたら助けるのは当然だよね?」
「せやせや。俺たちゃ、そんな子を見捨てるほど薄情な人間じゃないで?」
質問の意味がわからないとでも言うように、
彼らは首を傾げた。
「いや、善人ぶらなくてもいいから。何かしらあるよね?」
「そうはいっても、なぁ?」
鬼谷は心底不思議そうに首を傾げる。
「まぁ、いいや。じゃあ一つ確認なんだけど、国防軍ってそんなに有名なの?」
アオが不思議そうに訊くと、鬼谷が身を乗り出してきた。
「もちろんや!!
もしかして、国防軍の事気になるか!?」
「ま、まぁ」
突然饒舌になった鬼谷に圧倒されながらも控えめに答えるアオ。その様子に坂が苦笑を漏らした。
──オイ、坂。なんか言えや。
心の中で毒吐くも坂はその笑顔を浮かべたまま。アオは諦めて鬼谷に向き直った。
「よっしゃ、そんじゃ教えたるわ!! 国防軍が有名な理由やな」
「あぁ、うん」
「……この世界はその昔、もっと文明の栄えとったんや。でも30年前に戦争が起きてな、生活は一変してもうた」
「……戦争?」
「魔界の魔物が東京に攻めてきてね。それがきっかけだったんだけど」
坂がそう補足した。
アオは、信じられないという顔で2人を見つめる。
「本当の話やで。当時子供だった俺も、正直腰を抜かしたよ。ゲームの中ぐらいでしか見たことがなかった魔物たちが現実にいて、魔法まで使いはるんやから。俺の家族はみーんな大阪に逃げ込んだよ」
鬼谷は懐かしむように語るが、その内容は鮮烈なものだ。アオは前提の疑問を呑み込んでから、質問。
「……じゃあ、人間はどうやって生き延びたっていうの?」
「魔法や。最初はな、銃やらミサイルやらの武器でなんとか応戦しとったんやけど、それだけじゃあ全然勝てへんかったんや」
「そこから人類は魔物を研究してね。戦争が始まってから5年後に、ついに魔法を手に入れたんだ」
「そんなことが本当に……??」
先程まで然程なかった興味が漸く出てきたのか、布団を静かにベッドの奥に押し寄せて軽く驚く。
「人間は徐々に有利になったもんや。ただ、魔物も焦ったんか、それまで襲うだけやった魔獣だけやのうて、人みたいな姿をして知性を持った魔族や魔人まで出てきたんや」
「戦争が進むにつれて、研究も進んで、全員が扱える基礎魔法や、個々人に合わせた個人魔法が開発されたんだ。それで設立されたのが」
坂が話を区切り、鬼谷が繋いだ。
「世界防衛共同戦線。
これが今の国防軍の前身やで」
「ふぅん……なるほどね。魔物の脅威が減って世界規模から国家規模に変わっていった、っていうわけか。で、君が総隊長だと」
アオが理解した、というふうに頷き、額に手を置いた。はー、と重い息を吐く。
「……世も末かぁ」
「初対面ていうの忘れてへんか、この子!!?」
「まあまあ、鬼谷さん。初対面なんですよ。子供ですし、気にしないであげてください」
「あ、あぁ、せやな。アオちゃんは、他に気になる事はあるか?? 何でも聞いてええよ」
アオは一瞬考え込んだ後、視線を鬼谷に戻した。
「1つ、聞いていい?」
「もちろんだよ。何だい?」
坂が間髪入れずに微笑みながらアオに尋ねる。
「君たちが敵じゃないっていうのはわかった。
そこはひとまず信用しよう。で、質問なんだけど、これから私をどうするつもり?? 保護、って何をするつもりなの??」
ごく当然の疑問に納得したように坂が頷いた。
「そのことか。基本的に子供を保護した場合は家族がいるなら無事に家に帰れるようサポートするよ。孤児だったら国防軍が運営してる施設に送ることになるかな。
君は……、家族のことを何か、覚えているかい?」
「家族は────ぁっ!?」
息が詰まる。唐突に殴られたような感覚。
「アオちゃん!?」「どうした!??」
アオが急に頭を抑え始めたので、鬼谷と坂が驚きながら声をかけるが、彼女の中では再び、激しい頭痛が走っていた。
それはまるで記憶がアオに思い出されるのを拒否しているようで。頭の中にかかった霧の中に、アオよりも少し年齢が下であろう少女の影がぼんやりと映る。
『ずっと、ずっと、友達だよ』
脳裏に焼きついて離れないその姿。
しかしノイズがかかったように彼女の声は不明瞭で、顔の輪郭も背丈も確認できない。……それでも。
──私の大切な、⬛︎⬛︎⬛︎。
「……わからない。でも、知らなきゃいけない。
私は何か、大事なことを忘れている……」
「思い出さなきゃ、いけないんだ」
覚悟や決意、などと生温いものでは無かった。彼女の瞳孔は開いていて、何かに囚われたように呟く。
その姿の放つ威圧感に2人は思わず息を呑んだ。
「……ほぅ、か。あ!! それなら、俺たちの国防軍に入るってのはどうや??」
突然の提案に、坂とアオは目を剥く。
先程初めて会った子供を仲間に引き入れるというのだ。
「鬼谷さん、何を言って!?」
「国防軍に……私が……?」
「危険です、鬼谷さん!! 記憶を失くし、魔法も知らない子供が就くには、いくらなんでも荷が重いでしょう」
坂は必死で止めようとする。
今日会ったばかりのアオを心配している。
しかしそれが気に障ったのか、横目で坂を見た。
「力不足の者は実践には不要だ。その考えは理解できる。けど大丈夫だよ。私、戦闘で負ける気しないし」
はっきりと断言したアオの表情は真剣なもの。
返答に詰まる鬼谷が遠慮がちに問う。
「あー、その、根拠はあるんやな?」
「ないけど」
即答したアオに、坂は「なおさら駄目じゃないか!!」と叫びあげる。
「鬼谷さん、この子の家族と記憶探しは僕たちでやりましょう。死なれでもしたらこちらが困ります!!」
「え、なんで?」
「君は黙ってて」
口を挟んだアオに坂はピシャリと言い放つ。むっとするアオだが、鬼谷は言い分に冷静に答えた。
「待て待て、落ち着くんや、坂くん。まずは、魔力感知でアオちゃんを見てみ」
「えーと。魔力、感知??」
「せや、アオちゃんは知らんよな。
魔力感知っちゅうのは、基礎魔法の1つや。
精度は人それぞれやけど、他人の纏う魔力が見えるようになる魔法っちゅうわけやな。丁度いい機会やし、坂くんの目を見ておくとええよ」
「目……?」
「それなら。《魔力感知》」
坂が呟く。すると、彼の焦茶色の瞳が、次第に明るい黄色へと変わっていくのが視認できた。
初めて見る魔法による輝きに、彼女に笑顔が灯る。
「すごい……!」
アオは目を輝かせて、その変化に見入っていた。
坂は魔力感知でアオの魔力を 静かに“視“ る。
だが───そのあまりの結果に口元に手を当てた。
一切の揺らぎがなく、アオの周囲に加えて、部屋が魔力で覆われるほどの魔力量。
いや、それをも遥かに凌駕しているだろう。
「こんな、魔力……。僕の魔力感知がバグってるわけじゃないですよね……??」
「俺も少し驚いたが、そう視えてるで」
「これは、普通の人間の持っている量じゃない……元から膨大な魔力量があって、尚且つ小さい頃から魔法を行使していなきゃこれほどには育たない、でしょうね……」
「………どういうこと?」
1人、状況が把握できていないアオが顔を顰めながら訊くと、坂はアオの肩に手を置いた。
「アオちゃん、君はとんだ逸材ってことや。この魔力量ならそこらの魔物で敵うもんはそういない。
どうや、坂くん?? これでも危険か?」
「いえ……。僕が見誤っていたようです」
「入隊するってだけじゃぁ難しいけど、君が副隊長、隊長になった暁には国の殆どの情報を閲覧することができるようになる。記憶を取り戻す手助けになるだろうと、俺ぁ思うよ。
そんで、この世界で生きていくための力も教えたる」
鬼谷はそこで一度言葉を切り、まっすぐにアオを見据えると、強く、手を差し伸べた。
「……国防軍に、入ってくれんだろうか?」
「……うん、わかった。申し出を受けよう」
記憶を取り戻す為には好都合で、嬉しい提案。
アオは、鬼谷の手を勢いよく取る。そして──、
「何をすればいいの? 鬼谷そうたいちょー」
自信に満ちた、不敵な笑みを浮かべた。
*****
一方その頃──。
吹き荒れる冷たい風が激しくその姿を魅せている。黒いローブを纏う何者かが、高層ビルの屋上に1人、立っていた。
アオが落ちた跡に、魔力の残穢を“視“た。
「………んふふふ…………」
口を両手で抑え、頬を紅潮させる。唇にゆっくりと指を沿わせて掌は顔の輪郭を首へなぞっていく。
首から肩へ両腕を交差させると、うっとりと俯いた。
その者の黒い魔力は制御しきれないように、強く狂いながらその体を覆い渦巻いていき────
「ふふふ………っあぁ……ついに…………」
ソレは歓喜した声で、異常な程に高揚し叫んだ。
「ついに、ついに、ついに、ついに!!
この時がきましたか……!!!!」
「あのお方が、こちらへいらっしゃった!!!!」
自身の存在を隠すように、込み上げる笑いを殺しながらも体を細かく振るわせ、捩らせ、拗らせる。
月光に照らされたフードからは、滑らかな川のように光り反射する、銀色の髪が覗いていた。




