15話 南本誠治郎という男
他人事のように目の前の光景を眺めながら、南本は過去の記憶に身を馳せる。
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15年前。
まだ国防軍ができる前。自衛隊として魔物と戦う日々を送っていた鬼谷と南本は、時間が空いた日にはよく2人で将来について話し合っていた。
「南本くん、俺ぁな。
みんなが幸せで暮らせる世界を作りたいんや」
突然切り出すその話も、もう慣れた。
「そればかりだな……。そんなもの、理想論に決まっているだろう」
呆れて興味すらなさげな南本。鬼谷は、悔しそうに口を噤んだ。その様子を見て、察した南本は険しい表情をする。
「それ本気で言っているのか?」
「本気に決まってるやろ。もちろん簡単なことやないとは思っとる……」
「せやから、じゃじゃーん!!」
鬼谷の背後から出てきたのは警戒している様子の少年。明るい茶髪が、その暗い瞳にかかる。服はぼろぼろに破れ、傷だらけだ。
「どこから出した……。
その子が、どうかしたのか?」
「親を魔物に殺されたそうでな……。襲われているところを助けたんや。子供っちゅうのは 未来を創る。俺たちは子供を守らなあかんのや」
「まあ、そうとも言えるな」
「それで急なんやけど、預かってくれへん?」
「……何を言っているんだ?
お前は…いつも脈略がないな……」
急な展開にため息をつく。
長い説得の上、いつも通り南本が折れた。
「……名前は?」
その少年は坂秀成と名乗り、南本が自衛隊と知ると戦い方を教えてほしい、と懇願した。
気は、進まなかった。
しかしいつか南本が世話をしなくてもやっていけるように。そう願って、戦い方を教えた。
その5年後。
坂は既に世界防衛共同戦線の創立メンバーとして幹部になり、活躍していた。
一方、南本は孤児の世話を頼まれるようになった。
実のところ、南本は坂を国防軍に入れてしまったことを深く後悔していた。危険な目に合わせないために保護しているのに、前線に立たせてしまうのは、意味がないからだ。
国防軍の隊員であることを隠すようになった。
街の不良たちの纏め役と偽り、「家」と呼ばれる施設を作り、孤児や居場所がない子供を保護し続けてきた。
大切な仲間と、家族を守るために。
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(せめて、本当の事を話したかった…。
もし俺が死んだら、あの子達はどうなるのだろう。秀成が引き継いでくれるだろうか。
いや、さすがに忙しいだろうな。
ならばもう1人の愛弟子に…)
南本は視線をアオに向けた。
その顔は歪み、切羽詰まっている。
(普段は無表情のくせに……何だ、その顔は)
(叫ばないでくれ。俺はもう死ぬ……だから…)
アオは彼の表情に目を見開く。
南本は、優しげで、満足したような顔をしていた。
「碧、後は頼んだ」
何かが砕けたような音が響き、
その後、静寂が訪れた。
アオの心にモヤモヤとした何がが渦巻く。
記憶喪失になってから感じたことのない感情。
──南本は弱かったわけじゃない。でも相手が異常だった。だから負けた。
ぐるぐると渦を巻く。
頭に混濁が訪れる。
──仕方ない。いつも思っていること。仕方ないこと。鬼人は強くて、南本は弱かった。
──いや弱くはなかった、私が……認めた…。
視界がチカチカする。
意識が闇に沈んでいくのを感じた。
「ちょっと何してるの、修羅!?」
「何のこと……って、はあ……!?」
女性の鬼人に叫ばれ、男の鬼人──、修羅が声をあげる。アオを拘束していたはずの魔法が壊れていた。急激に彼女の魔力が増幅していく。
「なになになに、あの魔力量………!?」
少年の鬼人、焔が目を輝かせた。
沈黙の後、アオは腕を垂らしゆらりと傾く。
彼女の魔力は訓練場を包み、魔人に届く。
修羅は自分の手が震えていることに気がついた。
起こしてはならない何かを起こしてしまった。
全員がそれを悟った。
「その気なら……本気でいくよ!!!!」
「よせ、燈蘭!!!」
女性の魔人──、燈蘭がアオに走る。
(いける!! 魔力はハッタリね!!)
その油断は命取りだった。
アオの回転蹴りが鬼人・燈蘭の首に直撃する。
衝撃が走り、燈蘭の視界が揺れる。
天地が反転した。
鮮血がアオの白い髪に飛び散った。
「あははっ……」
「あと……二体……」
前髪の隙間から彼女の青い目が見える。
獲物を狩る獣のように爛々と、しかし冷たく輝いていた。
「燈蘭が……やられた?……一瞬で?」
修羅が一歩後ずさる。
焔は声も出せずに硬直した笑みを浮かべた。
「焔、修羅……、おいで?」
アオは口角を上げてそう呟いた。
*****
雨が滝のように降り注ぐ中、1人立つ男。
坂の周囲で魔獣や魔人の死体が地に転がる。
「鬼人は魔物を大量発生させて目的を曖昧にしている……内通者がいる可能性があるなら、軍の情報じゃない……だとすれば以前の襲撃で狙われた………」
「………狙いは、アオか! ……《影》
魔法で基地に入ると新たな魔族が立ち塞がる。
魔族が5体。
魔族はその細身の体を見て、明らかに下に見た。
「ハッ、人間だ!! 大人しく殺されろ!!!」
「僕、急いでるからさ。通してもらいたい」
2本のナイフを構えた坂は、ナイフを遠くの魔族へ投げ、命中させる。
「人間は愚かだな!!
自分から武器を手放すとは……!!」
「個人魔法、影《肆天解》」
蛍光灯の影からナイフが飛び出し、魔族の脳天に突き刺さる。
「な、んで……」
「僕、急いでるから」
坂は魔物を斬りつけながら風のように走る。
分かれ道で横の通路から気配を感じナイフを向けようとすると、
「うぉっ、危な!!」
背の高い女性と鉢合わせた。伊津だ。
「秀成!! 帰ってきていたのか!! どうせある程度の情報は把握しているだろうけど、いま、魔物が大量発生しているんだ。敵の目的もまだわからなくて」
「敵の目的は碧だ。理由はわからないけどね。
碧は訓練場にいるはずだから、いま向かっているんだ」
「碧、だって!? わ、わかった、私も行こう」
*****
凝縮された魔力の塊を投げ続けるアオ。
周囲の床を抉り、地震のように揺らす。
「は、はは……修羅、まだ魔力ある??」
「あるわけないだろ…!!?
でもアレ一回分なら……」
「いいよいいよ、使っちゃえ!!!
全滅するよりはマシ!!!」
修羅はアオの魔力弾の猛攻を防ぎ、相殺しながら逃げていた、その足を止める。
掌で印を結んだ。
彼の足元には陣が浮かび上がる。
「地獄に現れし暗闇よ、今こそ我に従い、我に集いたまえ、《鬼術淀入》!!」
禁忌魔術。
自身の体と寿命を引き換えに、
半径500m以内にいる自分より弱い魔物の
魔力と肉体を吸収する。
修羅の体は変形し、魔力はよりどす黒く、肉体はあらゆる箇所から血が噴き出す。
筋肉が異様に膨れ上がり、皮膚が裂け、そこから新たな黒い腕が生えるように伸びる。
彼の咆哮は耳をつんざき、空気を震わせ、
修羅の近くには不気味なナニカが蠢いていた。
焔は嬉しそうに顔を輝かせる。
反対に、アオは口を覆いしゃがみ込んだ。
魔力の読み取りに長けたアオは情報の多さに意識が混濁し、遠い昔の記憶が引き摺り出されるような感覚に陥ったのだ。
突然、頬を伝う涙を拭うこともせず、彼女の瞳孔は大きく開かれていった。
「っ、、Μυρίζει, είναι χυδαίο, πεθαίνω, είναι αηδιαστικό, τρελαίνομαι, γιατί είμαι εδώ; , που είναι όλοι; Πρέπει να πάω σπίτι σύντομα──」
「ひっ……!?何が!?」
アオの声は震え、かすれた音で異国の言葉を吐き出す。まるで、彼女の中に別の存在がいるかのように。ブツブツと呟き始めたアオに恐怖する焔。呟きが止まり、暴走していた魔力が霧散した。
アオが我に返った。
「私は、何を……そうだ、南本は……」
「《刻円の燐火》!!!!!」
「死ね!!! 《雷剣》!!!!」
それを見逃す焔と修羅ではない。
アオは為す術もなく呆然とする。
死。
そう直感するのと、アオの前に誰かが滑り込んだのが同時だった。
「《シールド》!!!!」
シールドは破られ、アオを抱えて回避しようとしたその人物に直撃する。
彼はシールドを構築した左手を吹き飛ばされ、
足は炎に焼かれ、負傷している。
「……よかった、間に合って。
ここからは僕たちに任せて」
「坂……?」
声をかけたのは、坂。伊津も同意するかのように鬼人2体に大きな槍を向けている。
「いまさら人間が増えたところで手遅れ!!
みてみなよ周りを!!! 君たちが邪魔するせいでこんなに多くの人間が死んだ!!!
君たちも大人しく逝きなよ!!!」
負傷した男と、女性。
そして暴走して疲弊したアオ。相手は人間。
余裕の出てきた焔が笑うが、
それを一笑に伏す坂。
「気がつかなかったのかな。彼は禁忌魔術で強くなった気でいるかもしれないけどね。
外の魔物はほとんど僕たちが倒したよ。
あの数が禁忌魔術で吸収されてたら歯が立たなかったけど、君たち程度なら問題ないな」
坂が冷たい笑顔で言い放つ。
坂と伊津が同時に魔法を発動した。
「個人魔法、影《光なき世界》」
「個人魔法、武器《散弾雨》」
訓練場内が影に包まれ、暗転する。
その中で伊津が銃弾の雨を降らせると、
水に落ちるように地面の影に吸い込まれる。
「逃げ場が、ない……!?」
命中するまでの無限ループ。
伊津は坂の影魔法で修羅の目の前に転移し、
そのまま槍を心臓付近に突き刺した。
「うあ"あ"あ"あ"あ"っ!!!!!」
絶叫し、やがて魔術が剥がれ落ち、
元の姿が露わになる。その場に崩れ落ちた。
「しゅ、修羅まで……」
焔は、絶望した表情で床に腰をつく。
魔法を解除し、焔の首元に槍を突きつける伊津に、焔は慌てた。
「ちょっと待って!! だから待って!?なんなんだよ!!! 何が起こってる!? とても、人間とは思えない!!!! ま、まさか……ありえない。
君は出張だ、って……!」
「僕は坂秀成。
それ、詳しく聞かせてもらおうか?」
「……もも、もちろんだよ!!
言ったら、殺さないでくれるよね!?」
その言葉に先に反応したのは、アオだ。
「これだけ殺しておいて、甘えてるの?」
「……は」
「南本を殺したくせに、許されると思っているのかって聞いてるんだよ、下衆が!!!」
「えっ」
「南本さんが、殺された……?
碧、それって……」
信じられない坂がアオに詰め寄るが、
アオは静かに南本の死体がある方向を向く。
「南、本、さん……」
南本に近づき床に膝をついて、静かに涙を流す。
その様子を横目で見た伊津は焔に向き直った。
「とにかく、アンタは生け捕りにしよう。せいぜい漆原に殺されないことを祈っておくんだな」
*****
翌日、街の人々が新年を祝う中、
基地の中で犠牲となった隊員を弔った。
国防軍の隊員は半数以下となり、
戦力が大幅に減少した。
中でも痛手だったのが南本の死亡、
そして──、坂の引退である。
坂は、その機動力と二刀流でナイフを使う戦闘スタイル、万能な個人魔法で、特級魔法師にまで登り詰めた。
しかし足を焼かれ、歩くのでさえ精一杯なほどの運動能力が低下し、片腕も失った。
戦闘などもってのほかである。
そんな状態にしてしまった罪悪感だろう。
アオはずっと部屋に引き篭もったまま、
一日中出てくることはなかった。
「アオさん」
次の日の朝、市川がドア越しに呼びかけると、ドアは開いた。
「あ、市川!! 昨日はごめんね!! 何か用??」
突然のテンションの高さに、市川は戸惑う。
(……何だこれは)
まるで別人のような明るさ。昨日まで閉じこもっていた人間とは思えないほど、弾んだ声だった。
「本日の幹部会で、坂隊員の後任が決定しました」
意を決するように彼女を向いた。
「第零部隊隊長は……あなたです、アオさん」
「ええっ?」
「鬼人、燈蘭を討伐したのが評価されたそうです。マフィアに所属している俺はもちろん、第零部隊は元々訳アリの人材のかき集め。本来なら南本隊員が後任と言われていたのですが……。こんな状況なので、他の隊長たちが反論するまもなく決定してしまい……」
「それで私!? 雑だねー、上も」
「よ、よろしいのですか……??」
「決まったんでしょ?……大丈夫さ。
私強いし、なんとかなるから」
その笑顔はあまりに不自然だった。
普段のアオは、こんな笑い方はしない。
気づけば、市川の手がぎゅっと握り締められていた。
「……今日から、隊長補佐としてあなたにお仕えします。隊長」
「じゃあこれからもよろしくね」
アオはそう言って部屋のドアを閉める。
廊下に1人取り残された市川は険しい表情をしていた。
こうして、アオは坂の跡を継ぐ道を選んだ。
──それから3年の月日が流れた。
第一章が完結しました!!
次回からはすぐ第二章に入ります。
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