第8話 覚悟の雷光
ヴィクターは、荒い息をつきながら、震える手で『歴代ヴァンガルド辺境伯の手記』を閉じた。
脳内にはまだ、あの記憶がこびりついて離れない。
肉が腐り、骨が溶け、絶叫と共に崩れ落ちる人々。
地獄と化したエリュシュオン教国。
邪神アビスの歪んだ愛。
____それに
あの感覚。
背筋が凍るような身の毛がよだつ
気持ち悪さ。
此方がアレを覗いた様に
俺もアレに覗かれた。
_____クソが。
元を正せば、神エリュシュオンの人間への無関心と横暴が、現在の無限地獄とも言えるヴァンガルドの状況を作り出した原因だろう。
神々の都合で与えられた祝福と言う名の呪い。
それに巻き込まれたのが、ヴァンガルドというただの「辺境伯家」だっただけだ。
ただの貴族で、特別な血筋を宿していたわけではない一族がこの地獄のような試練を乗り越えるには
『人間の枠』という絶対的な限界を抜け出る必要がある。
神エリュシュオンが与えた雑な祝福だけではどうにもならない。
祝福があろうがなかろうが。
超克しなければヴァンガルドは未来を掴めないだろう。
相手は堕ちたとはいえ『神』
存在強度が違う概念的存在だ。
.......そもそも概念存在を殺す?
一体どうやってだ。
本来そのようなある種のバケモノ共を相手するのは、神話の英雄譚の登場人物だけで十分だ。
それなのに.....
自分がまさかソレを目指さなくてはこの先《未来》がないなんて。
こんな状況に陥るとは夢にも思わなかった。
俺を転生させた何かはいったい何を考えているのだろうか。
地球から転生させる奴を選ぶのであれば、ヘラクレスでも連れてくれば良かったのだ。
であれば、右の拳の一撃で
「全て世は事もなし」だ。
幕引きの右拳で見開き終了。
このような悲劇は存在しなかった。
ヴィクターは、喉の奥で乾いた笑いを漏らした。
(……まったく笑えねぇ)
これまではヴァンガルド家の歴史を「知識」として書物や口伝によって
学んでいた。
しかし。
今や、知識なんてレベルではない。過去の悲劇や怒り悲しみ、その全てが自分の記憶、感覚の中に完全に刻み込まれている。
さも『自分が経験した』かのように強烈に鮮烈に今でも全て思い出せてしまう。
手記に記された歴代のヴァンガルドの怒りが、今、俺の胸の中で確かに生き荒れ狂っている。
拳を握ると、爪が手のひらに食い込み血が流れ出た。
ふとした拍子に、あまりの怒りであらゆる物に当たり散らしてしまいそうになる。
「っっっはぁぁぁ……」
臓腑の奥底から湧き出る怒りの熱を、ゆっくりと体から吐き出すように息を吐く。
震える手を押さえ、感情を抑えつけるように額を押さえた。
「もう……逃げるのは無しだな」
そう、「逃げる」という選択肢は
事ここに至り完全になくなった。
手記を読む前は、どこかまだ他人事で『戦いは兄や父に任せてしまえばいい』と思っていた。
この家には優秀な戦士がいる。
ヴァンガルドの守りは、彼らが担う。俺は戦場に出なくてもいいはずだと。
だが、それは覆った。
手記に刻まれた過去の追体験を経て、今、そんな考えは微塵も残っていなかった。
俺の前世は
『何かあったら仕事を辞めればいい』『別に俺でなくていい。』
だとか特に熱がなかったし、そんな思考をしていた。
それが当たり前だったんだ。
そもそも、平和な国で生きた人間が戦いの為に容易に命を懸けるなんて。そんなイカれた事は本来の意味で誰もできないはずだ。
今世も同じだった。
荒事は人に任せて、俺は安全な場所に逃げればいいと。
だが、ヴァンガルドには逃げるという選択肢が存在しない 。
そもそも安全なところなど
___どこにも存在しない。
エクリプスは何処からでも出現する可能性がある。
今この瞬間にも前線が崩壊しているかもしれない。
領を出れば、腐敗し、骨が溶け、死ぬ。逃げた先には必ず「絶死」が待っている。
なんなら死より辛いであろう。
取り込まれて深淵に還る可能性すらある。
こんなもの人の死に方ではない。
魂までも蹂躙されるような、あのような魂の冒涜が許されるはずがない。
_____ふざけるな....
許せるわけねぇだろう!!
この頬を流れる涙はヴァンガルドが繋いだ歴代の『想い』だ。
様々な悲しみ怒り悔しさ後悔。
脈々と繋いできたこの連鎖。
必ず断ち切らねばならない。
受け継いだ記憶と怒りを胸に
ヴィクターはゆっくりと立ち上がった。
_______________
屋敷を出ると、夜風が肌を刺した。
静寂に包まれた庭を歩きながら、
ヴィクターは空を仰ぐ。
この世界に転生してから、どこか楽観的に過ごしてきた。
ヴァンガルドの次男として生まれ、剣の鍛錬をし、魔法を学び……
それが 「当たり前」 だったから。
そういうものだと、何の疑いもなく受け入れていた。
だが、それは覆った。
普通に生きる?
そんなものは最初から許されていなかったんだ。
「普通」では藁のように死ぬ。
この血に生まれた時点で、それは 決まっていた。
ヴァンガルドの血筋である限り、「戦い」から逃げることは不可能。
そもそも、あんな死に方はだけは
絶対にごめんだ
ならば――どうする?
答えは、一つしかなかった。
_________殺すのだ。
一切合切、容赦なく
神を騙る芥屑を赦してはならない。
絶滅すら生ぬるい
その魂、存在概念の悉くを
______完全に消し去ってやる
◆
俺にとって鍛錬はやらされていた鍛錬だった。
『父に言われたから』
『ガーランドにやらされるから』
それがこの家のルールならば仕方がないと受け入れていた。
だが、それではダメだ。
それだけじゃだめだと気がついた。
これでは全く足りていない。
今までの時間が勿体なかった
もっと強くなれるはずだった
苛立ちで心が荒れる。
これで満足などしてみろ。
俺はこの先、遠くない内に
惨たらしく死ぬだろう。
_____俺は....
俺自身の意志で戦うこと決めた。
誰かに言われたからではない。
自分が生きるために。
そして必ず殺す為に。
その為に絶対的な力を身に付けなければ話にならない。
ヴィクターは、決意を胸に訓練場へと足を運んだ。
夜の庭は、冷たく静かな闇に包まれ、ひっそりと風の音が響いていた。
庭の片隅に設けられた訓練場へ
たどり着くと、ヴィクターは静かに剣を抜いた。
その刃先から、かすかに魔力が溢れ出し、彼の体外をまるで稲妻のように走りだす。
「俺は、俺自身の意志で……
_____俺が!!!ヴァンガルドが‼︎‼︎
未来を掴む為の力を付ける‼︎」
強い決意が、魔力の質を変える。
黄金の様な強い光が彼の瞳に宿る。剣を振るう音が、夜の静寂を切り裂き、それをなぞるように稲妻が走った。そして雷鳴のような魔力の爆発音と、鋭い刃の音が交錯する。
ヴィクターは一人
己の身体を鍛え続ける。
誰かに言われるがままに鍛錬していただけだったがヴィクターは今明確な目標をもって歩み始めた。
その一歩は確実にヴァンガルドの未来を変える一歩となる。
「_____深淵
そこで待ってろ。必ず殺す」
その言葉を心の奥で繰り返しながら、彼は激しく剣を振るう。
バチッ――!
また雷光が剣先に迸る。
剣先から走り出した雷光が、夜空を切り裂き、まるで自らの未来を照らし出すかのようであった。