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「あの……付け足しですが……そもそも私、恨んでません。烏丸さんが言ってくれたのは正論だと思ってます……」


 烏丸さんの眉がぴくりと上がる。


「情け無い話なんですが……私、無職になってからの1週間、すごくクヨクヨしてたんです。塩をまぶされたナメクジみたいに。後悔ばかり頭に浮かんで」


 音大も出ていないのにピアノ講師をしていたから、同じ職に就くのは難しい。

 事務仕事をしていたら良かったのか、もっと別な選択肢はなかったか。

 考えても仕方のないことばかりが頭の中を巡っていた。


「でも……あなたの動画を見て、止まっていた時間が動き出しました。私に必要なのはスキルじゃなくて勇気だ、って……そう気づかせてくれたんです。だから、あなたに会いに来ました。でも、具体的なアクションプランはまだ浮かべられてなかったんです」


 烏丸さんは静かに聞いてくれている。


「ホールであなたと話すことができた……無駄時間をなくせ、って言葉、響きました。アパートに戻ったら、真っ先に転職サイトに登録します。明日ナローワークにも行ってみます。前向きになれたのは烏丸さんのおかげです。もらった言葉……忘れない。本当にありがとうございました」


 そう。私はあなたの言葉に救われて、あなたの言葉で行動を変えた。

 私はふふっと笑ってしまう。


「でも、良かった……嫌われたって落ち込んでいたけれど、言い訳できるチャンスがもらえてラッキーでした。ちゃんと気持ちも伝えられましたし。あなたにすごく感謝してるって……本当良かった。神様っているんだなあって今、すごく思ってます」


 ああ、もう、本当にスッキリ爽やか!


「……と言うわけで失礼します!」


 私は頭を下げ、烏丸さんの傍らをすり抜ける。

 階段を下りる途中で呼び止められた。


「おいこら、待て」


 ビクッとしながら振り返る。


「ったく、そんなにビクつくな。受け取れ」


 烏丸さんが投げた何かを私は慌ててキャッチする。

 それは青い紐付きのネームプレートだった。

 表側にkから始まるローマ字が印字されてある。


「ka……カラスマ?」

「本社ビルの入場パスだ。明日の朝7時半に社長室へ来い」

「え?」


 私は彼を見上げた。

 

「烏丸商事の採用倍率を知ってるか? 結構な狭き門だぞ。そこに君は一足飛びで行ける。このカードはプラチナチケットだ。それなのに君は捨てるのか? 落ちてきた運を掴まないのは怠慢だと俺は思うが」

 

 もしかして、この人は本気で私を採るつもりなのだろうか。

 

「でも……どうして……」

「君が俺の求めていた運命の相手だからだ」

「冗談……?!」

「本気だ。いいか」


 烏丸さんは真っ直ぐに私を見つめた。


「君は会長に気に入られている。一族に迎え入れたいと思わせた。正直凄腕だと思うよ。会長は人を見る目がある。そうでなきゃ、100%就職する気がないなんて言ってのける女を誰が拾うか」

「すみません、やっぱり傷つけましたよね」

「違う。君の牙も爪もこの俺様に刺さったりしない。自惚れるな」


 私はびくりと肩をすくめる。


「うちに興味のない人間なんて、どんなに優秀でもゴミと同じだ。だが、たとえゴミでも、もう俺は君を手放さない」


 烏丸さんの目が、獲物を狙う肉食獣のような鋭さを帯びる。


「会長に気に入られていること。その価値は最強だ。それなのに君は無自覚でだからこそ信用できる。無欲で善良な人間を秘書に欲しいと思っていたところだ」

「秘書……! 私には何のスキルもありません」

「スキルはいらない。素顔のままの君が欲しい」


 まるでプロポーズみたいな熱い言葉に、私の頬は赤くなる。


「スマホの切り忘れ、君のじゃないのに隣の女性を庇ったろ」


 気がついてたんだ!


「咄嗟にとる行動で性格はわかる。もちろん行き過ぎた自己犠牲はよくないが、今時珍しい善良さだ」

「でも、そんな事くらいで……」

「それだけじゃない。君は失敗を笑いに変えた。隣の嘘つき女が君と同じ行動をしても、会場はわかなかっただろうな」


 そして彼はまっすぐに私を見つめてこう言った。


「四の五の言わずに、うちに来い。俺がただの石ころをダイヤに磨き上げてやる」


 この人は本気だ。


 そう思った。


 誰かが私を磨き上げる。

 今の私じゃいられなくなる。


 就職を探そうと思っていた私。

 成長したい私。

 変わりたいと心から思っている。

 それなのに、足が震えてしまうのは……手を差し伸べているのが、魔王だからと言うのが大きい。

 

 普通のОLになるかピアノ講師になるか。

 迷わず後者を選んだのはそっちの方が楽しそうだったから。

 烏丸さんの秘書は、私にとっては冒険だった。力が足りてないのは自分が一番わかっている。

 即首になってしまうかも。そうしたらまた、無職に……。


 無駄な時間を過ごしてしまう。


 それでも。


「過去も未来もない。今ここに集中しろ」

 

 動画の烏丸さんの声が鳴り響く。

 そしてリアルの声と重なった。


「迷うなら成長する道を選べ。俺ならそうする」


 成長。

 ごくん、と私は唾を飲む。


 そして……。


「よろしくお願いします!」


 震えながら頭を下げたのだった。


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