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 廊下を早足で歩き、出口を目指す。

 ネガティブな感情の波に襲われた時、私の頭の中では脳内会議が繰り広げられる。


「ちょっと何落ち込んでるの?」

「タツキさんを傷つけちゃったから……」

「馬鹿ねえ。それでいいのよ。烏丸グループの嫁なんて庶民に務まるわけないでしょ」

「そうか。だよね」

「まさかその事忘れてた?」

「……うん」

「て言うか、あんたにはやる事あったでしょ」

「それも忘れてた!」


 私は拳を握りしめた。


「家に帰って就職サイトの登録! それが私のミッションよ!」

「ファイト!」

「ありがと」


 ふう。

 心の中のツッコミ小人と対話して、少し心が落ち着いた。


 こんなちっぽけな、何の影響力もない私が誰かのハートを傷つけたのかも、なんて。

 傲慢もいいところ。

 タツキさんは、私に過分な評価をくれただけ。

 それに、小人の言う通り、タツキさんも烏丸さんも別世界の人だ。


(それでも……私がもう少しまともな態度をとっていたら、お友達くらいにはなれたのかな)


 公園で烏丸さんの話題なんか出さなかったら。

 この後、タツキさんと友達になって。

 タツキさんと何かの楽器のセッションして、それを烏丸さんに見てもらって。

 推しとほんの少し触れ合える、夢みたいな時間を過ごすことができたのかな……。


 ああ……私って……。


 しょんぼりしてしまうが過ぎたことを悔やんでも仕方ない。


「大事なのは今、ここからだ」


 推しの言葉が蘇ってきた。

 パチンと頬を両手で叩き気合をいれる。


 よし。

 今から自分の道を歩こう。

 一歩踏み出そう!


「おい」


 突然誰かに肩を掴まれた。


 振り向くと……烏丸さんがいた!


「う、うわあ」


 恐怖に私は震えあがる。

 冷ややかな目と視線があった。数秒前、病室にいた時とはまるで違う。これはまさに魔王モード。


 私は駆け出した。


「待て」


 呼ばれるけど、当然待たない。

 しかし廊下の途中で捕まってしまった。

 あっという間に腕を掴まれて捕獲。ううう、怖すぎる。


「あ、あ、あのっ」


 恐怖に私は震えあがる。

 首と背中を大きく逸らせて見上げれば、冷ややかな目と視線があった。病室にいた時とはまるで違う。これはまさに魔王モード。

 また悲鳴をあげそうになるが、背後から抱えられるようにして大きなてのひらで口を塞がれた。


「うっ……ううっ」


 私の呻き声が、大きなてのひらに吸収されていく。


「静かにしろ」


 ばたつく私を難なく抱え込み、烏丸さんは大股で廊下を歩く。

 いかにもな拉致スタイルだが、すれ違う人たちは皆、烏丸さんの素敵なルックスに目がいくようで、ぽっと頬を赤らめている。

 私など眼中にないらしく、助けてくれそうな人は皆無だ。

 烏丸さんは階段を下り、暗い踊り場で立ち止まった。

 私ははあっ、と息を吐く。


「す、す、す、すみませんっ」


 恐怖のあまり私は情けない声を上げた。


「なんで謝る?」

「なんとなく!」


 片方の目が値踏みするように細められる。

 彼が一歩足を前に踏み出し距離を縮めてきた。

 逃げを打つ。が、すぐに壁へと追い詰められる。

 お約束のようにどんと右肘を壁に押し付け、威圧的な眼差しがひた、と私を見据える。彼の体の熱が伝わってくるほどの至近距離だ。怖い。やたらと胸がドキドキする。


「おいこら、無駄が大好きなピアノ講師」

「やっぱり気付かれていましたか」

「当然だ!」


 顎を摘まれ上向かされる。

 まるでキスの直前みたいなジェスチャーに、心臓が大きく跳ね上がる。


「君は一体何者だ? 老人を騙して利を得る詐欺師か? それとも俺に復讐したいのか? 元ピアノ講師の経歴も嘘か?」

「嘘なんかじゃ……」

「ならば何故、俺から逃げた」

「逃げてなんか……」

「たった今逃げたろ」

「……それは……」


 私は口ごもる。

 もうタツキさんのせいでバレてるけど、できれば……理由を自分の口から告げたくない。


「俺が確かめてやる」


 ごまかしを許さぬ鋭い目でしげしげと見つめられた。

 多分、ほんの数秒間。それが永遠に続くかと思えるほど長く感じる。

 やがて指と体が離れた。熱い体温が遠ざかるのを感じ、私はやっといつもの呼吸をする。


「何か企める顔じゃないな。典型的なアホづらだ」


 彼は腕組みしてそう言った。

 どうやら疑いは解けたらしい。

 私は死ぬほどほっとした。


「そ、そ、そうですよ。こうなったのは、ただの偶然で……」


 この期に及んで怒るでもなく、まだ言い訳を続けるなんて、私は本当に小心者だ。

 ああ……自分で自分が嫌になる。


「なら、なんでそんなにビクつく。理由がないとは思えない」


 案の定突っ込まれ、


「ううっ」


 これ以上、隠せない。


「すみませんっ」


 私は烏丸さんに一部始終を話した。

 タツキさんとの出会い、そして……流れで烏丸さんとのことを喋ってしまったこと。


「……悪口を言うつもりじゃなかったんです! 誹謗中傷で株価を下げる気もありません! 会社名も、烏丸さんの名前も伏せましたし……でも、でも! ごめんなさいっ!」


 そう言って頭を下げる。

 やっと言えた……。

 沈黙が続く。

 恐る恐る顔をあげると、烏丸さんは顎に手を当てて不可思議な表情を浮かべていた。


「……君の頭の中はゴミだらけだな」


 目が合った瞬間、そう言われる。


「は?」

「全く、よくもまあ、そんな無駄なことで悩めるもんだ」

「あの、どういうことでしょう?」

「言いか。聞け」


 烏丸さんは鋭い目で私を睨む。


「君が俺の悪口を触れ回ったところで、俺様には何の影響もない。俺を舐めんな」

「ひいっ」

「……それ以前に、そんなのが悪口になるか!」

「えっ……そうなんですか?」


 私は両眼を見開いた。


「あれだけ酷いことを言われたんだ。愚痴ぐらい言いたくなって当然だろう」

「酷いって、そう思ってたんですか?!」

「……ああ、悪かったな」


 踏ん反り返った、王様みたいな傲慢な顔で烏丸さんは言った。


「謝った……!」


 私は、彼が頭を下げてきたことに驚きを隠せない。


「どちらにしても、ノーダメージだよ」


 断言されて、肩からすーっと力が抜けていく。


「良かったぁ……」


 自分が極悪人にでもなった気でいたが、どうやら、さほどの事はなかったらしい。烏丸さんは呆れ顔で私を見ている。


「全く……最初から堂々としていればいいのに。嘘をつくから疑われるんだ。嘘はこの世で一番、リスクの高い行為だ」


 そう言われると、少しだけ反発したくなる。

 私はジト目で彼を見た。


「烏丸さんだって……」

「は?」

「タツキさんに隠してるじゃないですか。私とのこと」


 ぐっ、と烏丸さんが言葉に詰まる。


「それは……」


 目が泳いだ。

 魔王らしくない、新鮮な表情に私は引き込まれるが、

 しかしそれも一瞬で、


「別にそんな事はどうでもいい」


 明らかにごまかされてしまった。

 でも、少しだけホッとする。完璧で自信満々なだけじゃない、普通の烏丸さんが今の感じで見えた気がした。


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